1-35 Beginning ~Haruka’s Origin~


「おいおいどういう状態かなぁ!? さっきと比べて弱すぎるだろ!」


 笑いながら振るわれるオストの拳は、防ぎ切れずに次々と俺に突き刺さる。その度に蓄積されていく痛みが着実に心をむしばんでいく。


 思えば、この世界に来てから痛みというものを味わうのはこれが初めてだ。


 与えられた重すぎる力に、急速に進む周りの状況、積み重なる非現実的な現象にただ流されることしか出来なかったのだから。


 唯一の救いは、相手も余力がないのか魔法を使ってこない事だろうか。盾で防げず頬に当たる拳の痛みは、俺に一番現実感を与えているかもしれない。


 そこには単純な戦闘能力の差が、如実に現れていた。


 半ばやけくそに薙いだ剣は、確実にかわされる。


 知らない内に持たされていた力のせいで忘れていたが、これが本来の姿なのだ。


 住んでいる地域に戦争もなければ、スポーツ以外の運動なんてしたことも無い。ましてや戦闘訓練などは受けている筈もないのだから。


 未来が見えるなんていう反則の力を使わなければ、この程度だろう。


「ハルカ! 意識をしっかり持つんだ! ただでさえ……」


 その時、肩で必死に呼びかけていた声と共にその重さも無くなる。ぼやける視界を横に向けると、レオの姿は忽然と消えていた。


 どれか一つでも欠ければ駄目だとわかっていたのに、今は殆ど何も無いじゃないか。思わず笑いすら込み上げてくる最悪な状況だった。


 迫りくる胴体を狙った蹴りに、その痛みから逃げる様に盾を構える。


「弱いッ!!」


 しかしその盾越しの威力ですら耐え切れず、真後ろへと吹き飛ばされた。


 もう魔力による身体強化さえも維持できなくなってしまっている。


「大体、なんでここに来て二日しか経っていないのにこんな奴と戦わなくちゃいけないんだ……」


 鍛える時間も、経験も、全くと言っても良い程与えられない。


 そんな現実に対する行き場のない思いを、つい声に出してしまう。しかしそこに返ってくるのはオストの単純な暴力だけ。


「声が小さすぎて何を言っているか聞こえませえええええんっ!」


 突き出される拳はその驕りからか大振りで、またしても後ろに倒れたがなんとか避けられた。


 その衝撃で限界を迎えたのだろうか片腕に持った盾は割れ、そのまま空気に薄く溶けていく。


 身体中に走る鈍い痛みが増え続ける度、思う事があった。

 

 俺って今、何の為に戦っているんだっけ。


 世界最強と呼ばれた力を偶然持っていて、目の前の人達が困っていたからか。


 それとも人を襲う魔王に対して人並みの正義感を持ったからか。


 考え着く事はどれも正解な様に思えて、けど何故かしっくり来ない。


 その理由は簡単で、正直そんな立派な事は何一つ考えてもいないし何一つ実感も湧いていないからだろう。


 ならば、戦わないと殺されるかも知れないからだろうか。


 いやそれも違う。


 もしそうなら、行く当てなど無くてもとっくに逃げている。


 握ったことすらなかった剣を慣れない手でも握る理由。そんな理由は、自分には存在しないのだろうか。


 その時、膝をつく自分の肩に添えられた手の感触にふと気付いた。


「ハルカ……もう下がって。もう十分過ぎるほど、貴方は戦ってくれた」


 周りの世界なんてどうでもよくなる程に、その高い声は自分の中に安らぎを持って届いた。


 この声の為だろうか。


 そう考えた途端、自分の心に積もっていた重荷は跡形もなく吹き飛んだ気がした。

 

 普通の感覚を持った人なら、会ってたった二日の女の子の為に命を懸けるなんて馬鹿馬鹿しいと笑うだろう。


 自分ですら、馬鹿だと思うのだから。


 でも幻界の森で会った時の思い詰めた姿に、祠で話している時の少しだけ硬い笑顔に、ずっと心が動かされていた。


 思い出してみればベルトと初めて戦った時も、魔王派との戦闘になった時も、先程フロガが倒された時だって、その全て心の中にはアイリスの事があった。


 何度も立ち上がる訳は、何度もその声を聞いたから。


 添えられたその手には少し力が入っていて、服に皺が出来る。そこから小さな振動が感じられた。


 座り込む彼女の手は、震えている。


 それを感じた途端に二つの強烈な怒りが頭を駆け巡った。


 一つは、目の前のオストに対する怒り。


 そしてもう一つは、一度は彼女の前に立ちながらも触れられる距離にまで退いてしまった自分に対しての怒りだった。


「二人で内緒話ですか? そんなに話したいなら、あの世でじっくりと……」

「黙れえぇぇぇえッ!」


 近付く不愉快な雑音を掻き消す様に、自分の中の怒りに身を任せて叫ぶ。


 地面についた何も持たない手を、肩に添えられた手に控えめに被せる。そして出来るだけ落ち着いた声を出す様に心掛けた。


「大丈夫じゃなくてごめん。でももう一度だけ、言わせて」


 添えられたアイリスの手を握り、自分の肩から持ち上げて離す。

 

 そしてもう一度、悲鳴を上げる足腰に無理やり力を入れて立ち上がった。


 この戦いが本当に全ての人類の未来を決めてしまうものなのかも知れない。


 けれどそれは違う。今はそんな事考えている余裕など無いし、どうでも良い。

 

「大丈夫、今度こそ守るよ」


 そう言葉に出せば、もう守らない訳にはいかないだろう。


「恰好良いなクリスミ……なっ!?」


 軽口を叩こうとしたオストに一歩で肉薄した。底を尽きかけているからといえど、出し惜しみできる力量差ではない。


 ならば全力の一瞬で勝負を決めてしまおう。


 接近の勢いのままに剣を繰り出した最短距離での横薙ぎが、魔人の胴体を捉えようとした。


 しかしその一瞬ですらも、オストは反応して見せた。胴を急速に回して少しの距離を開けられ、このままでは掠めるだけで終わってしまう。


 だが、この一撃を諦める気にはなれなかった。


「届けええええぇぇぇぇ!!」


 剣を握る拳へと、無意識に魔力が流れ込む。


 瞬間、握ったクリスタルの長剣は形の歪な大剣へと変化した。


 一閃。


 そして視界に入ったのは、一筋の青い光が赤黒い闇を貫いた光景だった。

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