1-29 竜が落ちる時


 その浮遊感が体を襲ったとほぼ同時に視界は白く切り替わる。

 

「ここは……っ!!」


 位置を確認しようと辺りを見渡すと、視界に入った光景に思わず絶句した。


 壊滅した町、逃げ惑う人々の様子が一目でわかるここは城のバルコニーの様な場所だった。


 そして目の前で戦いを繰り広げるのは、二つの竜。


 天の赤竜から放たれるその業火は、人々が到底届かないであろう膨大な魔力を放つ。


 地の骨竜から生み出される黒き波動は、世界の光を余すことなく飲み込む様な闇を伝播させる。


 頭が理解を拒ませろと叫ぶ様な両者の争いは、互角に見えた。いや、僅かに赤き天竜が優勢だろうか。


 天の竜の背中にはフロガの姿があった。彼も竜と共に戦い、魔法を放ち続けている。


 そして契約者に応える様に赤き竜が途轍とてつもない火力を放つ度、その鋭い翼で斬り裂く度、その黒い骨の竜は少しずつ崩れだしていた。


「いくら竜と言えどもあれは既に死んだ竜……お父様であればきっと勝てる筈です」


 アイリスの力強く放った言葉は、少しだけ震えている様にも聞こえた。目の前で繰り広げられる戦いを誰よりも案じているが、同時に誰よりも信じているのだろう。


「それよりも、私達は魔人の方を……」


 アイリスのその言葉で、目の前の光景に奪われていた意識を取り戻す。


 そうだ、俺達はあの魔人の姿を見つけてここに来たのだった。それを合図として全員が周囲を見渡すが、何故か影すらも見当たらない。


「気のせいだったか……?」

「いやしかし、あの姿は間違いなく魔人だったはず。何処かに隠れたのでしょうか?」


 俺の呟きを、即座にレウスが否定する。


 するとロゼリアが口を開いた。


「私に任せてもらえませんか? 実は私、戦いよりもこちらの方が得意分野なんです」


 そう言うと、目を閉じて静かに息を吐いた。


「一体何を……」


 何をするつもりなのか、と言い終わる前に変化が訪れる。


 ロゼリアから発せられた、薄い魔力の波の様なもの。それは彼女を中心として球体が膨らむ様に広がる。


 波は俺の体もすり抜けていき、一気に辺り一面へと拡散していった。


「……頭を痛めつける様なこの黒い魔力。巨大なものは骨の竜で、もう一つは……見つけた! これは……私達のほぼ真上です!」


 その言葉と共にロゼリアは目を見開いて空を見上げる。同じ方向に視線を移すと、バルコニーから見える城の一番高い塔の上で何か黒い影が動いたような気がした。


「あれか? でもなんであんなところに……」


 その時、気のせいかも知れないが魔人オストと目が合った様な気がした。


 見えない筈のオストの表情は……笑っていたのだろうか?


 次の瞬間、その影は大きな両翼を見せつける様に広げて飛び立った。そのまま一直線にフロガの方へと向かって行く。


「あの魔人、無謀なことを……」


 レウスがそれを目で追いながら呟いた。


 それは彼のフロガへの信頼から来た言葉のだろうが、事実としてフロガは既に迎撃の魔法を繰り出そうとしているのか魔力を溜めている。


 不意打ちにすらならない、ただの突貫か。


 そんな考えが頭を過ぎようとしたその時だった。


 翼の影で見えなかったのか、オストはいつの間にか持っていた大きな「何か」を投げつけて急旋回した。飛ばされたものが何かはわからないが、フロガは当然迎撃するだろう。


 そう思っていた。


 しかし、フロガは最後までその魔法を放つ事はなかった。


 投げられた「何か」は、突然動き出す。


 それはまるで人間かの様に。


 二つが接触し、舞い散ったその液体はおそらくフロガの血液。


 そして彼の乗る竜は光の粒子となって落ち、地面に溶けていった。


「アスト!」

「わかっている! 其方だけを飛ばすぞ!」


 短い受け答えのみで直ぐにアストは転移の魔法を使う。


 身体を襲うのは強烈な落下による浮遊感。そして直ぐ目の前には、苦しみながら落ちるフロガの姿があった。


「これは……深い、切り傷?」


「おいハルカ! 後ろだっ!!」


 その時、背中には冷たい汗がつたった。


 少し考えればわかる話だが、フロガに危害を加えた者がこの場から消えていなくなるはずもない。むしろこのままとどめを刺しにくるだろう。


 振り向いていても間に合わない、となぜか分かってしまった。


 咄嗟に腕に魔力を集めて、クリスタルを作り出す。今での様に指先から剣として伸ばすのではなく、腕からより広がる形として。


 出力を間違えたのか思ったよりも巨大になった魔結晶の「盾」が作り出される。それとほぼ同時に、盾の向こう側から衝撃を受けた。


「なんだこの力っ」

「飛ぶぞハルカ!!」


 想定外の力に空中で体勢を崩しかけるが、アストが転移魔法を使ったおかげで何とか地面へと逃れた。


「やはり干渉したか……城にまで飛ぶつもりだったはずが、真下に落ちただけとは。それに……『限界』だ」


 抱えていられなくなったフロガを地面へとゆっくり下ろしていると、アストがそんな事を言った。


「えっ、『限界』ってどういう……アスト!?」


 するとアストはそのまま消えてしまい、代わりにレオが現れる。


「来るぞハルカ、構えろっ!」


 レオの声が耳に届くや否や、それは落ちてきた。

 

 少し長めの髪は年齢を感じさせる程に白い。その大きな筋肉で作られた形の良い体に付けられているのは、イヴォークの騎士特有の赤だった。


 鎧の意匠は細部まで繊細に作られており、とても一般の兵が付けられる物ではない。


 手に握る大剣は地面を擦っている。そして生気が失われたその顔には、見覚えがあった。


 それは初めてフロガと会った時にいた、彼の側近の老騎士。


「ブラストさん……の、アンデッド」



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