1-21 Secret②


「そう、私はイヴォークの伝統を守ることが出来なかった落ちこぼれなのです。だからこそ今日、その汚名を返上しなければならないのです」


 悲壮感さえ漂うその瞳に涙が溢れている様に見えるのは、水の光が映り込んでいるからだろうか。


 アイリスは止まることなく、押さえていた何かを吐き出すように話し続ける。


「魔王が現れた世界には一つでも多くの力が必要だったのに、私は役に立つどころか民を失望させてしまったの。魔王が今になってイヴォークに侵攻してきたのも、お父様が弱っているとわかったから……」


 頭を抱えて小さくなるその姿を見て心が痛くなる。


「結果的にはそうなのかも知れないけど……」


 この世界に来たばかりの部外者の俺が何か言っても逆効果かも知れないが、それでも黙ってはいられなかった。


「それでも、悪いのはその魔王であって、悪いのはアイリスさんじゃないことは……確かだと思います」


 歯切れの悪い言葉しか出てこない自分の頭を殴りたくなる。しかし、アイリスはその顔をここにきて初めて俺へと向けた。


 目が合うだけでとても嬉しく感じられる。


「久しぶりに目が合いましたね。ほら、あの声も契約してくれるって言ってましたし、元気出しましょう! 魔王とかもきっと倒せますよ!」


 自分でも無理やり元気の良い態度を作ったなとわかる程に不細工な励ましだったが、アイリスはしばらくしてからほんの少しだけ笑った。


「本当に不思議な人ね。ハルカの方がこの先ずっと重い宿命を背負うかも知れないのに……」


 アイリスの言った事はおそらく、クリスミナの力を持っているからという事なのだろう。


 薄々だがクリスミナの名前を聞いた時の人々の反応や希望の持ち方を見て、この「血」の重さを感じていた。


 厄介なことに巻き込まれたくはないが、そうはいかないのだろうとも理解し始めていた。


「でも魔王を倒すのなら、その『優しい』心は捨てなければいけないわね」


 少し調子が戻ってきたのだろうか、お返しとばかりに悪い笑顔を浮かべたアイリスがそう言った。


 だが優しい心とは一体どういう事なのだろうか。その疑問が顔に出ていたのだろう、アイリスは冗談交じりに言った。


「だってさっきベルトに加えた一撃でわかったもの。あなた、人を殺したことがないのでしょう?」


 それはある意味で、考えたくはない核心の部分だった。


「私達には相手が殺しに来ても自分は殺さないっていうのはわからないけど、魔王との戦いをする気があるなら必ず殺し合いになる。その優しさを持ったままでは、直ぐに死ぬわ」


 いつの間にか真剣な表情になっていたアイリスは、彼女なりの警告をしてくれているのかもしれない。


 確かに、俺は人を殺したことがない。穴が開いた元の世界の記憶でもそれぐらいはわかっていた。


 そしてこの世界においてそれは間違っているのだという事も。


 けれどこの世界に来たからといって悪い奴だからはい殺してね、といわれても出来る自信はなかった。


「でも私はその心は貴いものでもあるとは思うけど……自分で言ったくせに矛盾しているわね」


 伏しがちになっていた目線を上げれば、そう言って無邪気に笑うアイリスの顔があった。


 これが本来の彼女なのだろうか、とても幼く見えるが心から笑っているのがわかる。


「あ、ありがとう……ございます? それも変ですね」


 何を言えば良いのかわからずに適当な言葉を絞り出すと、アイリスは目に見えてわかる程に頬を膨らませた。


「前にも言ったでしょう? そんな慣れてなさそうな言葉遣いはやめて、普通にして。それから名前に「さん」を付けるのもダメ」


 ただでさえ近い距離にいた彼女が顔を近づけたせいで、逃げられなくなってしまった。


 直すまでは離さんといわんばかりの圧力で凝視するその瞳は、先程よりも輝いて見えるのに涙はなかった。


「わかり……わかったよ……」


 観念して口調を戻すが、まだ納得がいかないのか彼女は更に距離を詰めてくる。


 思わず後退りしてしまうが、やがてその圧力に完全に敗北することとなった。


「……アイリス」


 せめてもの抵抗で音量を下げまくって言ったが、きっちりと聞こえたようでアイリスは満足そうに笑った。


「それで良し!」


 そんなことをして話しているうちに、自然と会話が弾んでいた。思えばこの世界に来てから状況に流されていたばかりで、やっと一息つけたような気がする。


 この場所は不思議と外の光が全く入らないせいで、時間にしてどのくらいだったのかもわからない。丁度日が落ちて直ぐ位にここに着いた筈だったのを考えるともうかなり夜中だろうか。


 虫の音さえ聞こえないこの場所には風が通り抜ける静かな音と、それを吹き流す二人の楽しそうな声が響いていた。


 どれだけの時間そうしていたのかもわからない程話して、話疲れてやっと会話が途切れたときだった。


『あの……そろそろ出ても……良いだろうか?』


 池の水の中から、巨大な角を二本と鋭く光る眼を動かしながら出していた何者かが恨めしそうな表情をして俺達の事を見ていた。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る