1-20 Secret①


『来るのが遅いぞアイリス、それに……人類史における奇跡ともいえる、クリスミナの末裔よ』


 先程の影と同じ響きを持つ声は、青く透き通った池の底から聞こえてきた。


「申し訳ありません……それで、契約については」


『……本当にお前は変わらないな。まあ良い、我らも今の世界情勢を知らない訳ではない。初代イヴォーク王との盟約に従い、我がお前と契約してやろう』


 アイリスの逸る様子を見て、その声は少しだけ低くなったと感じた。


 まるで何かに失望するかの様に。


『だがその前に……』


 するとまたしても、姿は見えないのに何故か見つめられた気分になる。


『お前は一体何者だ? クリスミナの者で間違いはないのだろうが、その中にもう一つ『勇者の血』も混ざっている……その様な存在がいれば我々が見逃す筈はないと思うが』


 その時、レオの乗っていた肩と逆の方に重さを感じた。


「久しいなメビウス、相も変わらずこんな場所で引きこもっているのか」


 視線を向けると、アストが小馬鹿にする様に池の中に向かって話していた。


『お前、確か先代クリスミナの……アスプロビットか! どういう事だ? 何故お前がこの者と一緒にいる?』


 そうするとアストは、フロガ王に説明した時と同じ内容を話した。所々口を挟みながら聞いていた池の中の何かは、やがて納得したかの様に満足そうな声色に変わる。


『なるほどな……そういう事であれば、まだ人類に希望が持てるというもの。やはりこれから退屈しなくて済みそうだ』


 そして少しの間ここで待っていろ、という言葉を残してその声は聞こえなくなった。


「やっぱり変わった奴だな」


 直ぐ傍でアストが鼻を鳴らし、反対ではレオも頷いて肯定している。その光景を見て少し気になったことがあった。


「お前達ってこうして同時に出る事は出来るんだな」


 それを聞いて二体とも首をかしげていたが、やがてアストが質問の意味を理解したのか「なるほどな」と頷いて話し始めた。


「魔法を使う場面においては、互いの核となる魔結晶が干渉しないように交互に出ているだけだ。こうして話すだけならば何の問題もない」


「そういうことだ。ハルカの中に戻ってしまえば干渉することもないがな」


 レオが付け加える様にそう言った時、両肩にあった重さが同時に消えて無くなる。


『だがそれはアスプロビットが中にいる状態では「転移」の魔法は使う事ができない、という意味だ』

『あくまで私はウラニレオスの居場所を少し借りているだけにすぎない。だからハルカの内部で結晶魔法を使う訳にはいかないのだ』


 そうして俺の頭の中には二色の声が響く。


 声の特徴が似ているだけあって区別が付き辛いが、なんとか頭の中で整理していった。


 要するに、アスプロビットは俺の管理者ではないため外に出ない限りは転移魔法を使うことが出来ないらしい。加えて俺が魔法を使う時やレオが外に出ている時にも使う事が出来ない、という事だ。


 そんなややこしい制限に頭を悩ませていると、ふと池の傍で座り込むアイリスの姿が視界に入った。


 少し待っていろと言われただけに何もすることがないのだろうが、やはり先程から続く思いつめた表情が心に引っ掛かる。


「アイリスさん、隣良いですか?」


 俺にとっては女性の隣へ座っても良いかを聞くのでさえ抵抗がある為に少し勇気が必要だった。しかし三角座りの様な恰好をしているからだろうかその背中は幼い子供の様にも見え、自然とその抵抗は消えている。


 アイリスは見つめていなければ見逃す程度の小さな頷きを返した。どうやら許可してくれたらしい。


 その目が覚める程の赤い服を纏った小さく見える背中が座る位置から、失礼にならない範囲で服が当たらない程度の距離に座った。


 横に目を向けると、青く輝く水面の反射が肌に映ってただでさえ美人のアイリスの顔が幻想的ともいえる雰囲気を纏っていた。


 曇った表情でさえ完成された絵画の様にも思えるが、そんな気持ちを掻き消して問いかける。


「もし話したくないのであれば全然良いんですけ、この森に入った時あたりから思いつめた表情をしているのが気になって……何かあったんですか?」


 しかし見つめるその顔は何も反応を示さなかった。


 流石に話してはくれないか……と軽いショックを受けていると、池に目を向けたまま零れる様に小さな声で話し出した。


「……実は私、この契約に失敗した事があるんです」


「それって、今日初めて会った時の事ですか?」


 アイリスの言葉を聞いて今朝の事を思い出したが、彼女は首を振って否定する。


「いいえ、今朝のことではありません。イヴォークの一族が竜と契約する年齢は代々十二歳と決められていました」


 十二歳というと、俺と同じくらいの年に見えるアイリスであれば大体七~八年前という事だろう。


 そんなことをつい考えてしまい出来た間を否定的な意味に受け取ったのか、自虐の笑みを浮かべてアイリスは続けた。


「そう、私はイヴォークの伝統を守ることが出来なかった落ちこぼれなのです。だからこそ今日、その汚名を返上しなければならないのです」


 変えることなく水面を見続ける彼女の眼は、悲壮感すら漂う程に真剣だった。


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