1-19 契りの祠


『……我々の住処で、よくもまあ好き勝手してくれるものだな。人間達よ』


 遥か上空から唐突に聞こえたその声は、空気が揺れていると錯覚するほどに森に響いていた。


 思わず空を見上げると、夜に近くなり薄く赤い空には一点の黒い影が見える。


『それになんだこの味は……汚らわしい魔力を振り回しおって』


 するとその影は、まるで翼を広げた様に広がった。


『お前達は……この森に相応しくないな』


 その言葉が聞こえた瞬間に影は急速に巨大化した。というよりは、急速に接近したと言った方が良いだろうか。


 影の急降下により発生した暴風は、まともに立ってはいられない程のものだった。そして影は地面へと衝突すると思ったその瞬間に忽然と消滅した。


「なんだこれっ……何が起こった?」


 あまり目も開けられない風の中で、頭の中に何故か楽しそうな声が届く。


『なんともまあ面白い奴が出てきたものだな』


「その声は……アストか!」


 というか今更だが、管理者というのは頭の中に生息するのが標準なのだろうか。しかしその口振りからするとアストはあの影を知っているらしい。


 一体何者なのか。


 口から出かけたその問いに対しての答えは、視界一杯に広がる衝撃によって掻き消される。


 風が吹き止んで開けられた目に飛び込んできたのは、十数もの紫色の怪物が全て体を巨大な何かに「食いちぎられて」絶命しているという光景だった。


「す、既に契約していたのか……退却っ、退けえええ」


 魔王派の残党はその顔を一様に恐怖へと染めている。


 そして誰かの言った意味のわからない叫びを合図にして、次々と茂みや木に飛び込み一目散に逃げて行った。


 しかし目の前で起こった事を理解できず動けないままだった俺達は、誰も追うことができない。


『ほう……イヴォークの者の魔力を感じて出て来てみれば、中々面白い奴もいるじゃないか』


 するとまたしても唐突に声が響く。その姿は見えない筈が、何故か声の主に俺は見つめられている様な感覚に陥った。


『成程、そういうこともあるのか。それなりに世界の事を見ていたが、まさか途絶えていないとはな』


 心底楽しそうに話すその声からは、先程の様な威圧感はなかった。


『アイリスと……クリスミナのお前だけで、この先の祠へと来い』


 そんな声が聞こえたと同時に、今まで感じていた圧倒的な存在感が綺麗さっぱり消えたのが不思議とわかった。


 だが短時間に起こった事の濃度が高すぎて、全員が動き出すのには時間がかかった。


「……ハルカ、一緒に来てくれますか?」


 そんな沈黙を破ってアイリスは、神妙な表情で話しかけてくる。緊張なのだろうか、その顔はまたしても少し思いつめている様にも見えた。


「えっと……全然良いんですけど、むしろ付いて行っていいんですか?」


 あの声に言われたとはいえ、無関係極まりない俺が行っていいのだろうか。


 そんな疑問に答えたのはロゼリアだった。


「私からもお願いします、我々は残党が戻ってきた時のためにここで待機していますから。ここからは危険も少ないとは思いますが……」

 

 そして一呼吸置いてから、真剣な表情で見つめられる。


「改めて……姫様をよろしくお願いします」

 

 頭を下げて頼んできたロゼリアの願いを、断ることはできなかった。


「……わかりました」


「ではハルカ、行きましょうか」


 するとアイリスは直ぐにそう言ってから、森の最深部へと足を進めた。


「え、はやっ。ちょっと待って下さいって!」


 慌ててロゼリア達に挨拶をしてから、見失わない様に追いかけた。はぐれないためにも一定の距離で前を進むその背中についていく。


 しばらく時間が経つと、ふと辺りの景色の様子が変わっていくのがわかった。


 殆ど日も落ちて暗闇に近かった筈だったのに、進むにつれて辺りが明るくなった気がした。


 よく見ると周りに生えている草や果実が、仄かに暖かい光を灯して揺れている。それが辺りを照らし、まるで幻の世界を見ているかの様な気分になった。


 太陽も無く、月明かりにも照らされていないのに視界に広がる光はとても美しく思える。


「綺麗な森ですね」


「ええ……そう、ね」


 しかし思わず漏らした声に返ってきたのは、生返事だけだった。


「アイリスさん? なにか気になる事でもあるんですか?」


 その様子が気になって聞いてみるが、何を言っても大丈夫という言葉のみしか返って来ない。


 アイリスは先程からまた何かを思い詰めている様子だった。


 隣で小さく「下手だな」というレオの呟きが聞こえた気がしたが無視をしても大丈夫だろう。


 こういう時は何の話をすれば良いのだろう? と頭を捻りながらアイリスの後ろ姿を見ていると、彼女は唐突にその歩みを止めた。


「……着きました、ここがほこらです」


「……凄いなこれ」


 その先にあった光景を見た時、思わず口調に気を付ける事すらも忘れて言葉が漏れていた。


 森にいたことを忘れるぐらいにかなり開けたその空間の中心には、薄い青で輝く湖とも言える池があった。それは透き通っている筈なのに底は見えず、どれだけの深さがあるのか想像もつかない。


 加えて周りの草木の輝きも増し、一層の非現実的な空間を作り出している。


『来るのが遅いぞアイリス、それに……人類史における奇跡ともいえる、クリスミナの末裔よ』

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