イヴォーク王国防衛編

1-1 世界に落ちる



「知らない天井……というより、ただの青空だ」


 気が付いたけば視界いっぱいに広がっていた大空を見て、自分の口から出てきたのはそんな言葉だった。


 真夏の日差しに照らされた大学への通学途中、都市圏の満員電車に嫌気がさしながらもなんとか最寄り駅まで辿り着いたというのが最後の記憶だ。


 それなのに俺は何故、こんな雲一つない青空を見上げながら優雅に昼寝などしていたのだろうか。


「いやいや、ここ何処ですかー……」


 少し声を大きくして言ってみたものの、何も返って来ることも無くむなしいばかりだった。


 それもそのはず。


 俺は現在、塔のような建物の頂上にいた。身体三つ分くらいの直径を持つ円形の何もない場所で寝ていたらしい。


 柵すらないので恐る恐るふちから下を覗いてみると、そこから見えるのは白く染まった一面の雲海という頭の処理機能を壊しにきたとしか思えない景色だった。


 そしてこの黒い円柱型の塔は雲を突き破って何処までも深く下へと続いている。


「これ、どうやったら帰れるんですかね……」


 この場所には下へと続く階段が存在する気配もない。おそらくだが、こんな所に人が上る様には設計されていないのだろう。


 気のせいかもしれないが空気が薄くなっている様にも感じられた。


 あまり高い所が得意な方ではないので落ちないようにしっかりと座り込み、心を落ち着けながらこんな状況に置かれている理由を考えてみる。


 だが一向に思い付くことなど無かった。


「駄目だ……全くわからない」


 思考を放棄して空を見上げながらため息を吐く。雲が下にあるので当然かもしれないが、空を遮るものは何もなくただ深い蒼が一面に広がるのみ。


 少しの間だけ静かに空を見つめていたが、徐々にこのまま帰れないのではないかという不安が込み上げ始めた。


 そうなると心配になってくるのが自分の家族のことである。誰かに話すわけでもないのだが、こんな状況に置かれた心細さからつい口から声が出てしまうのは仕方の無いことだろう。


「爺さんに婆さんも、俺が居なくなっても平気かなぁ……」


 俺のそんな呟きは、自らの数少ない肉親に向けたものだった。


 俺には生まれつき両親がいない。失踪しがちだった母が何処かで赤ん坊を作ってきて、親である祖父母に預けたきり帰ってこなかったらしい。


 それ以上詳しく両親について教えてもらったことはないが、寂しさなど微塵みじんも感じないくらい大切に育ててもらったので聞く必要もないと思っていた。


 しかしそんな恩返しをする間もなく俺が失踪してしまうとは、遺伝というのは本当に恐ろしいものである。


「ごめん、母さんと同じ様に迷惑をかけるだけかけて帰れないかもしれない」


 苦労して育ててくれた祖父母には届かないと分かっているが、申し訳なさが言葉になって溢れていた。


 そんな時、不意にある事に気が付く。


 祖父母の顔ははっきりとわかるのに名前を思い浮かべることが出来ない。それどころか、友人の名前も全部抜け落ちている様だった。


「待って自分の名前は……そうだ、『はるか』だ」


 慌てて自分の名前を思い浮かべたが、それだけは覚えているらしい。


 遥という名前は母が付けたものらしく、幼い頃は男なのに女の子みたいな名前だとよくからかわれたものだ。名字の部分はすっきりと頭から消え去っているが。


 謎の記憶喪失もあって状況が全く読み込めないままだったが、とにかく諦めずにここから降りられる場所を探し続ける。


「うん? なんだこれ」


 すると何か硬い物が手に当たった感触に思わず呟きが漏れる。


 視線を向けてみるとそこには、正八面体に綺麗にカットされた薄い黄色に彩られる透明な石が落ちていた。


「石? いや、宝石というか……結晶?」


 見たこともない結晶を手に取り、持ち上げて眺めてみる。


 すると突然、その石が黄金に光り輝いた。


「眩しっ! なにが……」


 徐々にその輝きは増し続けて直視できなくなり、一度手放そうとしたその時。


「えっ」


 唐突に、全身を浮遊感が包み込んだ。


 そして直ぐに上から、重力という名の暴力が襲い掛かってくる。


 気が付いた時には既に、自分の体は大空へと投げ出されていた。そうなればもうただの人間に抗う術など無いに等しい。


「なんだよこれはあああああぁぁぁ……」


 断末魔のような叫びが空へと響き渡り、そのままどこかへと消えていった。



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