第10話
その時。
翔の言葉が防いだ。
「優希、覚えてるか?中学の時。いつもとお前の様子が違って、周りから心配されてもお前は大丈夫って通し続けた。それでも段々顔色が悪くなって、挙句の果てに気を失って階段から落ちた……」
中学の文化祭の準備の時、クラス委員をしていた私は疲労からか踊り場で気を失ってそのまま階段から転げ落ちた。幸い、打ちどころがよく打撲だけで済んだが、あの後、翔にはこっぴどく怒られたのだった。
それが今、何に関係しているのかわからない。
「気付いてるか?お前、大事な嘘をつくときに限って、頭を左に傾けるんだ。黒スケの時だって、中学の時だって――」
気付かなかった。
自分にくせがあることも、それが知られていることも。
これじゃあ、まるで……。
聞きたくないと耳を塞ぎたい衝動に駆られた。だが、右の手には革製の鞄がある。それだけではなく、メデゥーサに見つめられたように体が動かなかった。
次の言葉から逃げたいのに逃げられない。
翔はそんな私を知ってか知らずか、口を開いて次の言葉を口にした。
「――今も」
それだけで十分だった。
その言葉で、頭の中が白に塗りつぶされていく。いつの間にか最終手段もはがれてしまっている。
ただの少女になった気分だ。
幼馴染でもなく、嘘つきでもない。ただの女子高校生。
翔はだんだん近づいてくる。私はそれから逃げるように一歩一歩、後退させた。それでも翔との距離は確実に近くなっていく。
自分の全てが壊されていく感覚。
そんな激情が私の背を走った。
「俺は好きだ。」
その言葉一つだけで、心が舞い上がってしまう。
私たちの間に流れる少しの沈黙。数秒か、はたまた数分だったか。
「ここ数日、お前はウソをつかなくなっていった。それで、気付いたんだ。ウソに依存していたのは、優希だけじゃなくて俺もなんだって……」
翔はこぼすように言った。少し恥ずかしそうに、だけど、微笑んで。
「あの日、俺は泣き出した優希を見て、心のどこかではうれしかったんだ。いつものように戻れるって……」
翔が逃がさないと言わんばかりに左手をつかんだ。だが、その手は優しい。
「もし、お前の気持ちがウソであっても、俺は優希の事が好きだ」
頭の中で翔の言葉が延々とリピートされる。
何か言わなくては……。
そう考えても、口は思うように動かないし、声も出ない。さっきまでの雄弁が嘘のようだ。その代わり、涙がポロポロとあふれてくる。
翔はそれを見て面白そうに笑う。
「あの日と同じだな」
と、それに嬉しそうに笑うから。
何か言わないと!
何か言わないといけないと、体が動かないのなら、言葉だけでも伝えなきゃ。
それでも、口を動かしても声は出ずに息が声帯を掠って出てくるだけ。
何度も何度も繰り返す。一文字が言えるか言えないかの、そんな言葉を。
翔はそれを「うんうん」と頷いて待ってくれている。
やっと言葉にできたのは謝罪だった。
「ごめん。翔」
「……うん」
「ウソついて、ごめん」
「うん」
静かに聞いてくれる翔のやさしさが心にしみる。
言わなくちゃ。ここで終わったら、神様に見せる顔がない。
「それと」
大きく深呼吸をして、息を整える。
「私も好きです」
隠さずにやっと言えた私の本音。
夕日が私たちを照らしてくれていた。
笑えていただろうか。たぶん大丈夫だろう。
そう確信できるのは、翔の瞳越しに見えた私は、笑えていたから。
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