第9話
薄く夕日が差し込む靴箱に影が二つ。
靴箱の中の革靴を見ると、二人とも帰ってしまったみたいだ。
私と翔の話し声だけが響いている。帰宅部には遅い時間で、部活動生には早い時間だ。
「今日はどこによる?」
と、話しかける。
大丈夫、普通に話せてる。何年間も嘘をつき続けたんだ。演技力だって上がってるはずだ。
「本屋に行って、文庫本買いたい。優希は?」
「いいね。私も小説、買おっかな。」
「じゃあ、決まりだ。」
そうやって、楽しそうに話している翔とは裏腹に、私は緊張に苛まれていた。
話しかける言葉は決まってるし、イメージトレーニングだってした。なのに、今になって手が震えている。どうにかしなくては。歩く足を止め、香凛があの時言っていた方法に従ってみる。
足を閉じ、背筋を伸ばす。その時に顎を引き、ゆっくりと息を吸い込む。今度は吸い込んだそれを吐き出す時、目を閉じる。完全に吐き終わってカウントする。
いち、に、さん。
三を数え終わると同時に、カッと目を開く。
……さすがだ。
手の震えも止んで、さっきまでの嫌な緊張感は払拭され、気持ちのいい緊張だけが私を包んでいた。
これは、香凛が中学生だった時に所属していた合唱部で実践していた方法らしい。「本当は私が居られれば別の方法があったんだが……」とまで言ってくれたのだが、ありがとうと言って断った。
よし。行ける。
湧き上がってくる勇気に感謝をして翔をもう一度見る。
私の反応がないからか、翔が後ろを向こうとしたその時、口を開いた。
「ねえ翔。私、翔に好きな人がいるって知ってるよ」
「は?」
翔が完全に私の方を向く。
「お前、それを何処で……」
翔の顔が少し赤くなってる。
それに、夕日の光が反射して、瞳をキラキラと輝かせていた。
それを見ると、翔をそこまですることができる人に少しばかり劣等感を抱いた。
あなたに好きな人がいる。これは迷惑なものでしかないのかもしれない。ごめんね、でも――
「好きだよ。翔」
――好きだから。
息を飲む音が響く。
私の心を達成感が支配した。
やっと言えた。
涙が出そうなくらいうれしかった。
だが、それは一瞬で消えてしまう。
翔の瞳に当たっていた夕日の光がだんだん消えていく。それと同時に今まで照らされていてわからなかった困惑が翔の瞳から見えた。
嗚呼。自分の言葉が翔を困らせている。
そんなことわかりきっていたのに。いざ、目のあたりにすると後悔が襲った。
神様、こんなのってないですよ。
このまま自分の意思を突き通せば、振られてしまっても翔はいつも通りにしてくれるだろう。だが、逆にそれは翔を苦しめてしまうんじゃないか……。
いいや、そんなのは翔のためを思っているように見せて、ただ単に私が怖いからだ。
自分の決意の甘さに笑えてくる。
――ごめんなさい、神様。
私は、これからウソをつきます。
あなたの大切な人に。
自分のためだけに、最低で最悪な嘘をつきます。――
口角をグッと上げ、眉毛を少し上げて笑顔を作る。顎を少し上げて頭を左右のどちらかに少し傾ける。
これは最終手段。
私が本当にバレたくないときに使う笑顔。これで翔が騙されなかったことなんてない。
よし、行こう。
「なーんてね。信じた?」
不自然じゃないくらいの明るい声を出して、歩き出した。こういう時は動いた方が自然だ。顔をずっと見られないっていう利点がある。
「いやー。翔がモテるって言うのは聞いてたけど、まさか私の知らない好きな人がいたなんて。もしかして、私に気に入られたくなくて隠してんのかなー。とか考えてたら面白くなっちゃってね」
口が動くままに話し続ける。
「驚いてくれてよかったよー」
わざと鼻歌まで歌って翔の横を通り抜けた。自分の靴箱まで行き、革靴を取り出す。上履きに熱を残して、頭の熱を冷やすように革靴を履いた。
ふと、翔が何も言ってこないのに気づき、後ろを振り返る。
「どうしたの?本屋、行こ?」
翔はずっと私を見つめてた。透き通るような瞳で刺さるように。
「ライ」
と、翔がこぼす。
好都合だ。翔は告白がウソだと信じてくれている。
一言でそう確信した私は、好機を逃がさないために口を開こうとした。
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