第7話
一日中、何も集中できなかった。それに翔の顔は一向に見ることができない。これは胸の中にあるこのモヤモヤのせいなのであろう。
この胸の周りを漂っている薄暗いモヤモヤの正体がわからないのなら、いっそのこと帰ってしまおうか。そう思って、部活のない今日は、いつもなら書店などに寄り道をしてからのる電車に、早々に電車に乗るために靴箱のあるフロアに出た。
何故だか、このまま帰ってしまって、翔に会わずに今日という一日を過ごせば明日には笑って会えるような気がしたんだ。
今日は翔はいない。
インターハイにつながる大きな大会の前である。二年生である彼は当然のように練習に明け暮れているだろう。
雨の降りだしそうなほどどんよりとした雲を見て、折り畳み式の傘さえも忘れてしまったのを思い出した。濡れてもいいか。教科書類の紙媒体だけは死守すれば。
そう考えて靴箱に上履きを押し入れ、革靴を履こうとしたときである。
「優希、こっちおいで」
生徒玄関の前に香凛が仁王立ちし、穂乃佳は綺麗に足をそろえて微笑んでいた。
「ちょーっと、私たちとお話、しよっか?」
「……はい。」
逃げられない。
そう悟った私は、半ば引きずられるように空き教室に入り、あたかも準備してあったような席に座る。三者面談のような面接試験のような。先生と生徒、その保護者の間で行われるようなものでない。警官二人に取り調べられる犯人のような。
「なあ、何かあったのか?」
「え?」
「鶴崎と何かあったか?」
私の目の前に二人が座る。前かがみになった香凛が興奮気味に私に詰め寄る。
私と翔には何もなかったように感じる。
あったとすれば、今日遅刻したこと。それと……
「何もなかったけど……」
「は?」
告白現場に遭遇しただけだ。その他は何もない。
「じゃあ、なんでよそよそしかったんだよ。今日、優希、鶴崎を避けてただろ」
翔を避けていた?
そういえば、あれから一回も翔を見られないだけでなく、会っていないように感じる。
「さけ、てた……」
「気付いてなかったのか?」
「……」
沈黙は肯定を示していた。
「そうか」
二人は顔を合わせて三回ほど頷き合ったと思ったら、こちらを勢いよく向いてきた。それに少し驚く。
すると、先ほどまで静かにみていた穂乃佳が諭すように穏やかな口調で話し始めた。
「優希ちゃん、今から聞く質問にイエスかノーで答えて。口に出さなくていいから。必要であれば目を閉じてね」
私はそれに首を縦に振って応えた。教室に緊張感が走る。
「いくよ。今、一番に思い浮かぶ人は誰?」
翔が思い浮かんだ。朝の心配そうな顔をした翔が。
次の段階へ進んでもらうための頷きを一つ。
「一つ目。その人大切ですか」
翔は大切な幼なじみだ。
イエス。
「二つ目。その人が嬉しそうにしていると、自分もうれしいですか?」
イエス。
「三つ目。その人が不機嫌そうにしていても気になりませんか?」
ノー。
「四つ目。その人が他の人としゃべっていたら、苦しいですか?」
……。
「五つ目。今、胸が苦しくないですか?」
……。
「終わったよ」
その声に促されて目を開く。ちょうど射してきた西日が眩しい。
「どう?」
穂乃佳はそれだけ言って、私を微笑みながら見つめた。ただじっと。心を読まれているような感覚さえする。
「どう、って……」
二人の言いたいことは理解した。
私だって花の女子高校生を一年近くやってきたんだ。この手の話を耳にする機会なんて山ほどあった。だけど……。
「信じきれないって顔だな」
香凛の言う通り、信じきれない。
考えた事さえなかった。翔は小さいころから大切な人で、家族みたいな存在だった。なんで、こんな風に……。
「落ち着け、優希」
凛とした声が心に響く。すっと刺さった声のおかげで冷静さが戻ってきた。
「私たちにどうしてほしいのかな?優希ちゃん」
穂乃佳がじっと見つめたまま言った。
二人の後ろの空を見る。先ほどまでのどんよりした雲に光が数本射しこんでいた。
大きく息を吸って緩やかに吐き出す。
「聞いてほしい。まとめられるかはわからないけど、二人のアドバイスが欲しいから」
二人は大きく微笑んで頷いてくれた。
もう嘘は、自分にも翔にも付きたくない。
こちらも一度微笑んでから口を開いた。
「私、翔の事好きなんだと思うの」
――ごめんね、知らないふりして。
ありがとう、気付かせてくれて。
ずっとここにいたんだね。
初めまして。私の初恋。――
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