第10話 エラついてますよ

「……で、言ってやったわけですよ。てめぇは所詮タコなんだ。逆立ちしてもイカにゃあなれねぇよって……」


 ……どうしたらいいんでしょうか?


 いつものやり取りである。しかし女神は密かに苦悩していた。


 いつもの対談の席である。何も変わったこともない。


 今回は何者の邪魔もなく、次の転生への引継ぎもスムーズに行われそうだった。


 ただ一つ。たった一つの点を除いて……。






「あれー、にしてもなんか、ここすごい乾燥してんなぁ? ガー様エラ乾きません?」


 何ですかエラ乾きません? って!


 ところ変われば人も変わるというわけで……前回の転生先が海洋世界がだったせいか、彼もエラが付いたままです!


 転生時における「リクリーニング」の不備でしょうか?


 彼は転生者。そのため転生先では異性のみならず異種・人外・無生物まで幅広くの生を経験しています。


 そしてその生を終えてここに戻った時、元の姿になるわけなのですが、今回は何の手違いがそれが完全には成されていないのです。


 困りました……。


 常識も転生前のそれを引きずっているようで、自分にエラが付いていることを疑問に思っていません。


 どうしましょう? 指摘するべきなんでしょうか? 


 女神は、上機嫌に話す男に曖昧な笑顔で答えながら、一人苦悩する。


 でも、他人にエラついてますよ? なんて指摘したことがありません。


 ああ、前回、「海洋世界に送り込めば海の幸的なお土産を食べられるかも」なんて期待した自分を叱り飛ばしてやりたい……


「んー、なんすか? ガー様一人で身もだえして――あ、もしかして」


 き、気づかれた!?


「あ、いえ、その……」


「お土産気にしちゃってましたぁ? 心配せんでも、ちゃんとありますぜ、ヌルリと」


 ヌルリってなんですかヌルリって。


 しかし、そんな普通のツッコミもためらわれる。彼の前世では普通の表現だったのかもしれないし……。


「はい、どーん! 来たコレ! 翠海の至宝『ブルー・キャビア』じゃコラ!」 

 

 取り出したのは、缶詰めにされた物品である。


「キャビア……ですか? にしては大きいですね」


 普通のキャビアの缶とはまるで違う代物と見えた。


「それもそのはず、さる秘境の奥地にしか生息しない巨大人食いチョウザメからしか取れないって代物でね」


「チョウザメはヒト食べないでしょう……」


 ホントにチョウザメなんでしょうか?


「まーそのくらいデカくてね。漁も命がけで……」


 ……また断りにくい言い方を……。そう言われては食べたくないとも言えないじゃありませんか。


「とりあえずカナッペにしたぞ! 食べて!」


 準備が良すぎる! ――だいたい、あなたのせいでとてもそんな気分ではないのですが……。

 

 しかし手を付けないわけにもいかない。女神はしぶしぶそれに手を伸ばし……






「おいちいいいいいぃぃぃぃぃ!!!???」 


 思わず悶絶してしましました。なんでしょうこれは!? これは食べ物なのでしょうか!?


「すっげぇでしょ? このために何人も命を賭けるのも無理からぬっつーか」


 先ほどまでの杞憂もなんのその。女神はそのあまりの美味にすっかり魅了されてしまいましたとさ。


 ちょろいね! 


「見た目も素晴らしいですね。イクラよりも大きく……透き通って、まるで宝石のようです……」


「実際、向こうでも青い宝石なんて呼ばれてたしねぇ。――さぁ、前菜は終わりだ。次は寿司じゃぁ!」


「和洋折衷!? コースもへったくれも……」


「いいから!」


 見た目はその通り青いイクラの寿司のようである。


 少々奇異にも見えなくはないが、味を知っているだけにその神々しさに喉が鳴ってしまう。


 ああ、なんと堕落した光景でしょうか……私は今、女神にありうべからざる堕落の淵に立っている……。


「ああん! これも、美味うまままままままままァ!」


 ですが踏みとどまれません! というか、なんで今回に限ってこんなにおいしいもの持って帰って来るんですか!?


 そして何でこんな時に限ってエラ付けたまま来ちゃうんですか!?


「喉も乾くでしょう。寿司には緑茶が良いよね♡ しっかし今日はなんか乾燥してんな……」


 気になる……。指摘したい……。けれど正直どうでも良くなってきたような……。


 どうせですし次もエラが役立ちそうなところに適当に送り込みましょうか?


 にしても手が止まりません。


「最高すぎる……」


「声に出てますぜガー様」







「にしても、やっぱこういうのっていいなぁ……」


「何がです?」


「こうしてさ、ガー様と二人で穏やかにすごすのって」


 キメ顔で言ってくるのですが、全く同感は出来ません。


 まったく穏やかではないのです。


 私がどれだけ葛藤しているのか知っているのでしょうか? 


 いえ、かと言ってそれを悪しざまに言うのも……。


 今回に限ってですが、彼に悪気はないのですし……。


 ――すし? ……すし。お寿司。……次もお寿司を食べるにはどうるべきでしょう?


「で、オレ、思ったんだ。今度の転生はガー様と一緒に行きたいって!」


 ちょうどエラもついてることですし……今度はアクアマン的な海洋帝国のあるところへでも……。


「だ、か、ら……一緒に行こ?」


 しかし、お寿司と言うなら日本的な要素が無いとだめでしょう。お寿司……サーモン? ウニ? いいえ、やはりここはマグロでしょう。


「……ガー様、聞いてます?」


 いっそのこと「板前転生」とかさせれば、いろいろ食べれるのではないでしょうか?


 魚介類が豊富でありながら、魚を捌く技術の無い異世界、そこにコレを送りこめば……。


 お寿司か、……或いはそれに準ずるものが――――――――――


「――はい? なんですか?」


「いえ、お返事を窺いたいんですが……」


 返事? なんことでしょう?


「えーと、いえ、その……検討させていただくという方向で……」


「マジで!? 検討してくれんの!?」


 途端に、ヒャァァァァァッホウ!! とばかりに男は歓喜する。


 しまった。適当に言っただけなのに何かを受け入れたかのようなことになっています!


「いやぁ、頑張った甲斐がありました。キャビア持って帰ってきてよかったぁ! 地球に生まれてよかったぁ!! ――地球だったか覚えてないけどぉ!!」


 はしゃぎようが尋常ではありません。


 私、なにを了承してしまったんでしょうか?


 デート? 結婚? もしくはその……何かしらの凄くプライベートな、物理的交渉とかだったらどうしましょう!?


 いけません。また慾におぼれてしまうことに!


 女神として、ここは拒絶せねばならないことです。


 しかし、なんと言って切り出すべきなのでしょうか?


「あ、あの――」 


「なんです?」


 ――なんでこういうときって聞き返すのが気まずいんでしょうか?


 知ったかぶりをしても事態は良くならない。知っているはずなのに!

 

「何でもありません。お茶をもう一杯いただけますか?」


「はいはい。まだ缶詰で二つあるからね。後で食べて――っってソレもう来世の話ですけど!? なんてネ!」


 ――まだそんなに!


 今度は家に持ち帰って自分でいろいろアレンジしてみましょう!


 なにが良いでしょうか? パン? チーズ? パスタ? 天界の味気ない素材もこのキャビアと一緒ならいくらでも食べれる気がします!


 ……早く帰りたい。コレ持って帰りたい。


「じゃ、次どこ行きます? まー、俺的には何処でも構わないんですけど……なんつーかオーソドックスなところがいいかなぁ。中世の牧歌的で、素朴な人の営みがある場所でぇ、あ、もちろん魔王とかも倒すけど、そうじゃない日は小さな庭のある日当たりのいい家を買ってさぁ、それで二人で、ちょっと下お店を開いたりして。うふふ。ペットも飼いたいねぇ。白いヤツ。あ、ガー様犬と猫ならどっちがいいです?」


 そのためには早くコレを次の異世界に送り込むべきでしょう。


「次の転生先ですね」


「そう。どこがいい?」


「凍てつく大波の打ち寄せる北海の寒村とかどうでしょう」


 ブフォーッ!! テーブルに肘をついてうふふと気味悪く笑っていた男は盛大に噴き出した。


「えええええ!? そんなとこ行きたいの!?」


「行きたいというか……行ってほしいというか……」


 あんまりぬるい海だと良いマグロが居なさそうなので。


 そう言うところで競争相手のいない海を制覇していただきたいですね。


 次のお土産はどんなことになるのか、想像もつきません……。


「いや、その……どこでもいいとは言いましたけど……ガー様にそんな場所の生活をさせるわけには……」

 

 …………?


「私は行きませんが……」


「え? だって、検討してくれるって……」


 ようやく事態に気づいた女神は、その美貌をさっと蒼ざめさせる。


「――け、検討はすると言いましたが、やはりだめです」


「そんなぁ!? どうしてダメなんですかぁ!」


 どうしてって、そんな暮らしづらそうなところで生活したくないからですよ!


「き、……規則で。そう、規則で決まっているのです」


「禁止なのぉ!? いや、でも結構そう言う話聞くんだけど」


「た、確かに禁止なのではなく、良くないことだとされているだけですが……」

 

「じゃあ、いいじゃん。オレが守るし。二人なら凍てつく風も、連なる氷山だって苦じゃないさ!」


 まずいです! その気になってる!? 本当に北海に荒波に連れていかれる!


 いや! 絶対嫌です! 私はさっさと帰って、ひとりで安心できる暖かい場所で、このキャビアをどう吟味するかのひとり会議をしたいんです!


「い――いえ、そう言う訳にはいません」 


「なんでなんですか!? 納得できないですよ!」


 それはそうでしょうねぇ。自分でもそう思います。でも、絶対に行くわけにはいきません。


「ガー様にとっては大したことじゃないのかもしれない。けど、オレにとっては転生した後の人生は本当に長いんだ。その間、オレはガー様に会えない。だからずっと、おぼろげな記憶を面影を頼りに、貴女を想いながら長い時間をすごすんです……それはどんなに切ないことか」


 一転、男はテーブルに突っ伏した。


 そして再び苦悶に肩を震わせる。


 ――知らないはずはない。


 異世界転生。それは容易なケースばかりではない。一度め、二度目はいい。五度、十度、上手くいくことだってなくはない。


 しかしその程度だ。繰り返すうちに、多くの転生者は行きづまる。


 一度でも神との契約を果たした転生者は二度と元の世界の輪廻に戻ることは出来ない。


 永遠に、繰り返さねばならない。無限ともいえる転生を。


 記憶を消すのだって、そのための処置なのだ。


 その中で多くの転生者が、対応する神や女神を特別視し、依存するケースは少なくない。


 そして、それは神の側にもいえること。


 自分が担当する転生者を特別視してしまう事は神の側にもままあるのことなのである。


 そして、二人連れだって転生し、――二度と帰ってこなかった神のなんと多いことか。


 だから、それは禁忌なのです。


 神々わたしたちは、人間あなたほど、強くないんです。


 特に、私は――


「私は――二人でこうして、アレコレ話している時間が嫌いではありません。一緒に行くことはできませんが、それでは嫌ですか?」


 きっとあなたと一緒に行けば、私はもう戻れない。きっと、その人としての生活が楽しすぎて。


 アナタは特に強い人なのだと思っていました。これほど転生を繰り返してなお、自分のままでいられる者など、人にも神にも稀なのです。


 だから、私は甘え過ぎてしまったかもしれません。


 アナタがどれほど傷ついているのかも知らず。


「どうしてもダメなんで?」


 男は顔を伏せたまま、問う。


「規則は規則なのです。――これは覆りません。ですので、ここで出来ることなら、要望を聞きましょう」


 だからこそ、硬い声で断ずる。心を許してはいけない。あなたが、これからも転生し続けるために……。


 私が背負える重荷は、背負って見せます。――たとえ、貴方に恨まれても。


「ガー様……」


 男は、それこそは男泣きに泣きはらした顔を上げる。そして精一杯の笑顔を向ける女神にたいして、


「いや、ここで会えるのは嬉しいですけど、ここじゃエッチとか出来ないじゃないですか。なんかみんな勝手に入ってくるでしょ? だから」


「それが本音かぁ!」


 女神は全力でキャビアの大缶詰を男の頭にめり込ませる。 


「んぎゃあああああ!?」


 不覚にも会心の一撃クリティカルであった。


 缶は崩壊し、男の顔に蒼いキャビアがぶちまけられる。――やだグロい!!


「あああああぁぁぁぁぁ私のキャビアがぁ!」


「あーあ、やってしまいましたねガー様」(某フェネック感)


「黙りなさい! 私の決意を返せ! 重荷を背負ってあげようと覚悟までしたのに!」


「なんのハナシ!? つーかずっと上の空だったくせによぉー!?」


「だって、だってエラ付けたまま来るから悪いんじゃないですか!」


「エラ?」


「あ――」


 しばしの間、沈黙が舞い降りた。


「……みんなついてないんだっけ?」


「つ、ついてません」


 男はこの上なく、悲しい目をした。――いえ、そんなスタローンみたいな顔までしなくていいのに……。


「……言ってくれれば、最初に指摘してくれれば、オレだってここまで自爆しなかったのに!!」


 全てを察したらしい男は小声で言った。


 いえそもそも、その自爆の部分とかあまり聞いてなかったのですが……


「なんでしたっけ? 小さな庭のある? 日当たりのいい家で?」


「あああああぁぁぁぁぁあああああッッッ!!!」


 男は絶叫した。ありうべからざる羞恥から来るものであった。


「別に気にしてませんが――ヘンなことは言ってなかったでしょうに」

 

「忘れてください――記憶を消してェ!」


 なんか語っちゃったことそれ自体が問題らしいですね。――わからなくはありません。――が、


「神の記憶は消えません」


「差別かオラぁ―!」


 女神は肩の力を抜いて盛大な溜息を吐いた。


 考えれば考えるだけ無駄である。まったく自分は空回りしてばかりだ。


 だから――そんなだから、私は危険な誘いには乗れないんです。きっと帰ってこれなくなるから。


「てかなに笑ってんの?」


 嘲笑うのではなく、困ったように笑う女神に男は困惑の目をむける。


「いーえ。なんだか考えすぎた自分がバカだったなと思っただけです」


「よ―わからんが、思いつめてもいいことないぜ」


 ええ、全くその通り。あなたといるとまったくもって救われます。腹ただしいほど。


「では、改めて次の転生の話をしましょう。次は北海の荒波からマグロ取ってきてください」


「いや、転生じゃなくてお土産獲得ミッションになってんだけど!?」


 ちげーだろーがオラァ――――


 男の罵声が何時までも神域に響いてた。いつものことだ。  






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