一人称が僕の女の子

よこすかなみ

ヒロインヒーロー

 なんで俺がこんな目に。

 夏休みの補習帰り道、あともう少しで家だと言うのに、たまたますれ違った柄の悪い連中の肩にこれまたたまたまぶつかってしまった。

 すいません、と軽く会釈して何事もなかったかのように去ろうとしたら、あっという間に胸ぐらを掴まれて人気のない路地裏へと連れ込まれたのだ。引きずられながら必死の抵抗を試みたが、腕力の差を実感するだけで終わった。

「金出せよ」

 がっしりした体格、いかつい顔立ち、チャラチャラしたピアス。俺は不良三拍子が揃った男二人組に人影のない薄暗い路地裏で壁ドンをされていた。そして金銭の要求。低い声であぁ?と脅されてしまえば立ち向かう勇気などは跡形もなくしぼんでいく。

 もちろんお金は払いたくないが、一刻も早くここから逃げ出したいという気持ちの方が圧倒的に勝っていた。俺は怯えながら、素直に肩から下げていたスクールバックに手を突っ込み、ガクガクと震える手で財布を漁った。

 指先が財布の角に触れ、まさに鞄から取り出そうとしたその時、

「やめなよ」

 漫画だったら主人公の登場のシーンのような、タイミングの良さ、かっこよさでショートカットの女の子が現れた。右手にはコンビニの袋。オーバーサイズのTシャツの裾からはスキニーに覆われたスラッとした足が覗いている。逆光で、顔はよく分からない。

「あ?」

 男二人の目線が俺から女の子へと逸れる。女の子は男どもの凄みなどものともせず、堂々と一歩一歩こちらに近づいてきた。

 危ない、とか、来ちゃダメだ、とか頭の中には言葉がぐるぐると駆け巡ったけれど、体は全くいうことを聞かず、呆然と見ていることしかできない。

「カツアゲとか、ダサいからやめなって言ってんの」

「じゃあお前がこいつの代わりになんのか?」

 一人が、女の子の前に躍り出た。ガン飛ばしながら、彼女のつま先から髪の毛まで舐めるように見つめる、愛いじゃねぇか、と小さく呟いた。

「お前が俺たちの相手をするなら、こいつは見逃してやってもいいぜ」

 と、男がニヤニヤしながら後ろにいる俺を親指で指した瞬間、

「お“っ!?」

 女の子の右足がノーモーションで勢いよく男の股間に直撃した。

 いわゆる、金的だ。

 男はカエルが潰れたような叫び声をあげて、股間を両手で押さえたままその場に崩れ落ちた。何もされていない俺の股間もヒュンとする。

「テメェ!!」

 その光景を目の当たりにして、俺のそばにいたもう一人が女の子に襲いかかる。大きく振りかぶった右腕を、女の子はするりと避けると、その場にコンビニの袋を落とし、なんの躊躇いもなく右の拳を男の鳩尾に深くめり込ませた。

 急所を食らった男はうめき声を上げ、腹を手で押さえるくの字の姿勢になった。女の子はその一瞬を見逃さずに、男の顔を掴むとその顔面に自分の膝を激突させた。路地裏に鈍い音が響きわたり、男は鼻血をたらしながらどさりとその場に倒れこんだ。

「行くよ」

 何もできずに腰を抜かしてしまった俺の手を女の子が握って(その場に落としていたコンビニの袋もきっちり拾い上げて)、俺たちはその場を後にした。


「災難だったね」

 女の子がアイスコーヒーの氷をストローでカラカラとかき混ぜながら言った。

 あの場所からかなり離れたところにある静かな喫茶店で俺たちは腰を落ち着かせていた。

 まだ若干震えがおさまらない俺を心配して、女の子が気を利かせてちょっと休もうか、と入ってくれたのだった。

「うん、ありがとう、助かったよ……」

「いいよ全然、気にしないで」

 俺は目の前にあるアイスオーレに手をつけられないでいる。

 女の子にカッコ悪いところを見られた挙句助けられて、それに加えていまだに動悸が静かにならないのを気遣ってもらっているなんて。

 感謝はしきれないほどしているが、もう、なんか、ほんと恥ずかしい。

「なんで制服なの?夏休みだよね、今」

 俯いて黙ってしまった俺に耐えかねたのか、女の子がストローを吸いながら聞いてきた。

「あ、あぁうん。補習帰りで」

「補習受けてるんだ、偉いね」

「いや俺下の兄弟が遊び盛りで、家だと課題とか絶対できないから」

 それで、と結ぶと、女の子の顔が少しパッと明るくなった。

「君も兄弟いるんだ。ぼくもなんだよね。ぼくんちは上に二人なんだけど、洋服のお下がりが回ってくるんだ。ほらこのシャツは兄さんので、このズボンは姉さんの」

 共通点を発見したことが嬉しかったのか、女の子は揚々と着ていたTシャツを引っ張ってみせた。痩せ型だからメンズもレディースも着こなせるよ、と姉に言われたのだそうで。

「俺も、着ていた服が兄弟のお下がりに勝手になってるよ」

「勝手にはないかな」

 ふふふ、と女の子が笑う。その穏やかな笑い方に俺もつられて笑った。


 しばらく兄弟多いあるあるを話していると、時間が勝手に過ぎていき、

「あ、もうこんな時間」

 先に声を上げたのは女の子だった。

「ぼくもう帰らなきゃ」

 と、女の子がお会計の紙に手を伸ばす。

 俺は慌ててそれを制した。

「奢るよ。助けてもらったお礼もしてないし」

「え、いいのに、別に」

「俺が嫌なんだ、奢らせて」

「ん〜……わかった、甘えさせてもらうね、ありがとう」

 女の子は一度は躊躇ったが、俺の気持ちを察してくれたのか引き際はかなりあっさりしていた。

 勝ち取ったレシートを手に、二人でお会計へと向かう。

「喧嘩、強いんだね」

 レジでお金を払いながら気になっていたことを聞いてみると、

「あぁ、うん、空手習ってるから」

 今黒帯で今度大会があるんだ、と教えてくれた。空手の段数とかはよくわからなけど、黒帯が何かしらの一番であろうとは予想がつき、本当に強いんだなと思った。

「へえ、応援に行きたいな」

「ぜひぜひ」

 そんなことを言いながらも、もう会うことはないだろうと俺は頭のどこかでわかっていた。連絡先を交換するわけでもない。クラスが同じわけでもない。たまたま近所で会った初対面の女の子に、これからまた何度も出会えるとは思えない。

 喫茶店の自動ドアから足を一歩踏み出すと、むわっとした夏の空気が俺たちを出迎えた。空はまだ明るい。

「それじゃあ、今日は本当にありがとう」

「うん、じゃあまたね」

 バイバイと大きく手を振って走り去っていく彼女の背中に俺も手を振る。

 彼女が曲がり角を曲がって、完全に姿が視界からいなくなると、胸がズキンと傷ついたのがわかった。

 あぁ、俺、あの子のこと好きになっちゃってたんだな。

 今更気づいてもどうしようもない。遅い。遅すぎる。住所も学校も知らないのだ。なんのアクションも取れない。取りようがない。

「……初恋と失恋が同時にくるのはきついなぁ……」

 俺の呟きは入道雲の踊る青い空の中に吸い込まれていった。


 九月。始業式。

 体育館で全校朝礼の校長の長々しいよくわからない話を聞いた後、俺の学年だけがその場に残された。受験が来年に迫っている俺たちに、学年の先生からありがたいお言葉とありがたい激励があるそうで。

 他の学年の生徒たちが体育館から出る間は割と自由時間で休憩時間。各々が歩き回り、仲のいい友達とのお喋りに勤しんでいた。

 俺は特に話し相手もいなかったので、体育座りで疲れた膝を休めるべく立ち上がって、ポキポキと音を鳴らしながら体を伸ばしていた。

 すると、肩をチョンチョンと後ろから誰かに突かれた。

 あぁきっと違うクラスの知り合いだろうとだるそうに振り返ったら、

「やあやあ、また会ったね」

「え!?」

 あの時の女の子がニコッと笑って立っていた。

 そうか、帰り際にまたねと言っていたのは、俺が着ていた制服で同じ学校だと分かったからか。シャツの胸ポケットについている胸章で学年もクラスも把握できる。それで、人数の多い全校集会はともかく学年集会でなら見つけられたというわけか。

 そこまで理解して、俺は同じ学校、学年だった嬉しさよりも別のところに目がいっていた。

「な、なんでズボン履いてんの……?」

「ん?男だからでしょ?」

 男…………だったのか…………。

「ぼく、見た目に無頓着だから髪の毛全然切らないし、服もお下がりになっちゃうんだよね」

 よく間違えられるよ、と彼は頭を左右に振って男にしては少し長めの髪の毛をブンブンさせた。

 なるほど、男女の兄弟からのお下がりの服を着ることでユニセックスに、伸ばしっぱなしの髪の毛は男でも女でも通用する長さになるわけだ。

 加えて本人の容姿が中性的で細いシルエットだから尚更。

「それより、この前空手の大会応援しに来てくれるって言ったよね?」

 呆然とする俺をよそに、その話をしに来たんだけどいいかな?と彼は可愛らしく首を傾げた。

 俺は二度目の失恋を味わいながら、ゆっくりと返事をする。

「もちろん」

 まずはお互いの名前から。




終わり

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