マイノリティ

窓拭き係

マイノリティ

 知らない。お父さんの顔は知らないし、お母さんの足がどこにいったかも知らない。


 知らない。わたしが住むこの国の名前は知らないし、この反乱というものの後にわたしたちがどうなるのか、知るはずがない。



 人の殺し方は教えてもらった。ナイフを持って、胸を突くか首を斬るかすれば、血がたくさんでて人が動かなくなることは知っている。言葉だってある程度しゃべれるし、みんなが知ってる歌だって歌える。神さまに捧げる、祈りの言葉だってすらすら言える。



 だけど、やっぱり、死んじゃった人をどこに、どうやって埋めればいいかはわからないし、死にそうな人を助けるためになにをすればいいのかもわからない。


 そして、みんなを殺して、今まさにわたしも殺そうとしているこの男の人のことも、やっぱり知らないのだ。





 わたしたちの村に来るえらい人を、村のみんなが殺して、そしてあとからたくさん来た、銃をもって変な服を着た人たちも殺して、「反乱」がはじまってから、何日かたったときに、この男の人はあらわれた。


 朝と昼のちょうど間ぐらいに、向こうの、変な人たちがいたほうから歩いてきたその人は、またたく間に銃をもっていた大人たちを殺してしまった。

 村のみんなは大さわぎだった。いつも指示をだしていた、賢い大人が殺されてしまったので、どうすればいいのかわからなかったのだ。

 その男の人はどんどん近づいてきて、そしてどんどん村のみんなを殺していった。大人たちはわたしの知らない言葉でさけんで、その男の人に飛びかかった。

 その人は、とても長いナイフのような、見たことのないものを両手で振り回していた。すると、大人たちはみんなあっという間に死んでしまった。立ちむかった子どもも、泣きさけんだ子どもも、ただふるえていた子どもも、みんな殺されてしまった。


 見ると、残っていたのは、もうわたしひとりだけだった。男の人が近づいてきて、その変なナイフをふりかぶった。



  その時だった。



 突然、女の人がその人に斬りかかった。ナイフを右手にもって、目をぎらぎらさせたその女の人は、よく見るととなりのお姉さんだった。


 男の人がなんでもないふうに、左手にもっていたそれを水平に素早く斬り払うと、お姉さんの首はぱっくり割れて、倒れ込んでそのまま動かなくなった。男の人は血まみれだった。


 今度こそ男の人はわたしのもとに歩いてきた。わたしは男の人をじっと見て、動かなかった。せめて顔を見たかった。


 男の人はわたしを見下ろすと、とつぜん話しかけてきた。強い陽射しの影になって、男の人の顔はよく見えなかった。

「君の神は誰だ?」

「神さまよ」

 わたしは神さまがどんなかたなのか知らなかった。ただすごいということしか聞かされていなかった。

「そうか」

 目の前の人はそういって、なんと、地べたにへたりこんでいるわたしの隣にすわったのだった。




 男の人は黙っていた。ただずっと遠くを見ていて、顔さえ見なければ、どこにでもいる青年とそう違いはないと思う。ただ一点、顔だけはどうしようもなく厳しくて、まるで母親が子どもを産むときに痛みで叫ぶ、その顔に浮かぶ苦しみを背負っているような顔だった。



 わたしは訊いた。

「あなたは、だれ?」

 そのひとは答えた。

「別に、誰でも」

 わたしはさらに訊いた。

「わたしたちは、だれ?」

 そのひともさらに答えた。

「別に、誰でも」

 わたしはうなずいた。



「どうして、ここにきたの?」

 彼は表情を変えなかった。

「頼まれたんだ」

「いつもの、こと?」

 彼の声は落ち着いていた。

「そうだ」

「反乱って、なに?」

 彼は目を閉じた。

「マイノリティの戦いだよ」

 わたしは彼の目の前に立って、彼を見た。影はほとんど伸びなかった。彼もわたしを見た。目線はほとんど同じだった。

「それじゃ、あなたもそうなのね」

 彼はほんのちょっとの間わたしを見ていたけど、すぐに目を伏せた。

「そう、かもな…………」

 


 交わした言葉に対して、飛びかった情報はあまりに多かった。それだけ、彼の心は重かった。たぶん、この人は英雄ヒーローだ。これからわたしを殺して帰っていき、そこで感謝されるのだろう。でも、きっと同時に恐れられる。たったひとりで村をみなごろしにできる人間を、心から信頼して背中を見せられる人なんていない。きっと彼はひとりぼっちなのだ。ちょうど今のわたしとおなじように。



 問答は続いた。わたしが訊いて、彼が答える。殺戮者と犠牲者のやり取りは、この場でしかありえなかっただろう。

「どうして、わたしを殺さないの?」

「……人は、知っている人間だけを殺すべきだ」

 彼の回答はいつも簡潔で、それゆえに穿ったものだった。

「それを、殺してから言うのね」

「君しかいなかったからな」

 彼はすこし顔を暗くした。

「それで、仕事はどうするの?」

 わたしはちょっとしたいたずらもかねて質問してみた。

「…………するさ」

 彼はほとんど泣いていた。彼はもうわたしと目を合わせてくれなかった。

「とても、とても辛そうな目をして人を殺すのね」

 わたしの方はといえば、なんだかだんだん、この、目の前で縮こまって座っている男の人が、かわいそうに思えてきた頃だった。

「…………………………」

 彼は答えなかった。わたしとの会話で、彼は悲壮な雰囲気をより一層深めていた。


 おそらく、そろそろ時間切れだ。あんまりいじめても、これ以上は意味がないだろう。

「どうして、銃で殺さないの?」

 しかし、最後にと思って訊いたこの質問は、

「…………君は、虫を殺すか」

 確かに彼の、触れるべきではない部分に触れてしまったらしかった。

「ええ。もちろん、手で」

「……それがわかっているなら、訊く必要などなかっただろう」

 彼は憎たらしげに言ったが、でも語る口を止めることはなかった。

「人は人間を殺すとき、同時に自分をも殺す。命の取引だからだ。命を奪うのであれば、命を奪われる呪いを掛けられるのは当然だ。それが責任だ。義務というものだ」

 彼の顔は歪んでいて、声も震えていた。

「だから、殺人者は狂う。その果てに自殺するものもいれば、さらなる殺人、いや殺戮を求めはじめるものもいる。殺人とは、自らの正気を犠牲に他者を亡きものにする儀式といってもいい」

 周囲から英雄と持てはやされるであろう彼の手は、血で染まっており、その声も、これまで殺してきた人々の生命の呪いに必死に耐えるような、とにかく「正気」からはとっくに離れているものだった。彼は続ける。

「儀式とは、大きな成果を得るには大きな対価を必要とするものだ。抜け道が無い訳では無いが、それはまっとうな道ではない。殺人の場合は、より身近な人物を殺すときに、より多くの正気を持っていかれる、ということだ」

 いつの間にか、彼の声は初めにわたしに話しかけたときのそれと同じになっていた。

「殺人における抜け道は、知らない人間を殺すことだ。知っている人間を殺すと罪悪感に押し潰されるのなら、初めから罪悪感なんて抱かないようにしよう、という訳だ……!」

 彼は一旦言葉を切った。彼はあからさまに怒っていた。何に対して憤怒をあらわにしていたのかは分からないけど、少なくとも自分はそうはなりたくない、という強い想いが見て取れた。

「そうではない。人の行動には責任があり、義務が伴わなければならない。権利を行使したのなら、その後に義務が発生しなければならないんだ」

 わたしは、この子どもに聞かせるにはあまりに長く難しい話を、あまり理解できていなかった。わからない言葉も多かった。けれど、権利のあとに義務がある、というのはなんとなく理解できた。

「だから、人は知っている人間だけを殺すべきだと言ったんだ。じかに殺した感触を味わわされるナイフや剣も同じだ」

 そういうと、彼は立ち上がった。時間切れらしい。

「ありがとう。君のような人とは初めて会った。私は、君のことを、必ず、忘れない」

 そのひとは力強く言った。後悔したりせずに、ただ自分のしてきたことにまっすぐ向き合うと決めている声だった。

 だから、わたしはこう言うことにしたのだ。

「わたしは、のろわない」

 彼は目を見開いた。わたしはさらに言う。

「あなたのことは、きらいじゃないから」

 その人は目を閉じて、立ったままじっとしていた。しばらくそうしてから、わたしを抱き上げて、あの変なナイフの刃をわたしに向けた。

「さようなら。君が望む場所に、行けると良いが」

 彼が言う。そんな状況になっても、殺される直前になっても、わたしはこの人のことを憎めなかった。かわいそうだったのだ。


 彼は言った。権利の後には義務があると。彼がその言葉を忠実に守り続けてきたのなら、一度くらいは、逆があってもいいと思うのだ。



「──そういえば、君の名前を聞いていなかったな」

 わたしはほほえんだ。泣いているわたしをあやしたお母さんみたいに。

「別に、誰でも」

 そのひとは、軽くうなずいた。



 生命の呪いを甘受して、そのすべてと真剣に向き合ってきたこの人には、少数派マイノリティを殺し続け、これからも殺し続けるだろう、誰よりも孤独マイノリティなこの人には、一度くらいは、なんの気兼ねもなく人を殺す権利があってもいいと思うのだ。

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マイノリティ 窓拭き係 @NaiRi

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