第6話 第三章 存在と思考 1

 古田ヤマトと羽川マリアは、スマートカーに乗り込み、ホバー専用の超高速自動走路を走っていた。スマートカーのメーターは時速200㎞を保っている。


 昔の移動手段は自動車といって、自分で動かす車が地上を走り、しばしば渋滞を巻き起こしていたらしい。大型の看板広告がビルに数多く掲げてあったという。渋滞する車内から見える看板に広告効果があったのだろう。


 今では、デジタル広告がスマートカーと同じ速度で流れる広告スクリーンを次々と表示させている。色とりどりの映像とメーカーのロゴが途切れることなくスマートカーに張り付いて来る。


 しばらくすると二人を乗せたスマートカーは、超高速自動走路から外れる出口で速度を落とした。


 ヤマトは超高速自動走路から脱出したことに安堵した。広告スクリーンの色の洪水には少なからず抵抗がある。


 スマートカーは超高層ビルの前で終着を告げた。建物には、人工知能研究所という看板が掛かっている。


 入り口には、認証パスを自動で読み取る非接触型のゲートが設置されていた。ヤマトの認証パスは、ウェラブル端末と同期してある。いまや、どこに行くにも認証パスの携帯が不可欠だ。刑事の認証パスさえあれば、大抵の建物は入念なセキュリティチェックを受けなくて済む。


 人体にチップを埋め込んでいる刑事もいたが、ヤマトは抵抗していた。


「お待ちしておりました」


 二人が研究所の入り口からセキュリティゲートを通ると、ホテルマンのような佇まいの男が出迎えた。


認証パスのデータからアポイント情報をマッチングさせたのだろう。捜査では、何のための訪問なのか相手にわからせる手続きが必要だが、そういった些末な用件を省略できるのはありがたかった。


 男は口元に微笑を浮かべ、恭しく挨拶をした後、「薬師寺博士にご連絡いたしますのでお待ちください」と言って無言になった。


 ヤマトは、接近して、ようやく相手がアンドロイドであることに気が付いた。


 ガードマン役の人型アンドロイドなのだろう。さすが人工知能研究所だけあり、精巧さは相当レベルの高いものだった。柔らかい物腰といい、見た目にしても、人間と遜色ない。肌質も表情も人間と見紛うほどだ。


 ヤマトにも人型アンドロイドが身近にいたことはあった。ヤマトの接してきたアンドロイドたちは、モノを感じさせる無表情を晒していた。目の前のアンドロイドは、それよりもずっとクオリティが高いようだった。、無機質感を感じさせない。これほど人間そっくりなアンドロイドが世の中に存在することに、ここ数年の科学技術の発達を感じずにはいられなかった。


 これが街中なら、人間と区別できるか自信がなかった。


 マリアの視線を感じて、ヤマトは我に返った。通信中の人型アンドロイドを不躾に眺めている自分に気付き、視線を外した。


「薬師寺博士は、研究室でお待ちになるそうです。ご案内いたします」


 人型アンドロイドは、ヤマトたちの方に顔を向けると、先に立って歩き出した。


 建物の中は、余計なモノが一切ない合理的な造りのせいか、殺風景で無機質だった。白壁や床のタイルまで冷え冷えとした印象を与えてくる。


 前を行く人型アンドロイドは、無駄のない動きでエレベーターホールまで歩みを進めた。


 不要な動作が全くないアンドロイドの動きは、洗練されたステップのようだった。ヤマトは後ろから眺めながら、この動きは何だろうかと思い、バレエに似ていることに気が付いた。


 妻と一緒にバレエ鑑賞に行った日が思い出される。ヤマトには、さっぱり興味のない世界だった。あれは、妻のために自分が何ができるか、試されていたのではないか、と後になって思い至った。


 優雅に歩く人型アンドロイドを見ていると、アン・ドゥ・トロワと勢いをつけて、今にも駆け出すのではないかと錯覚した。


 エレベーターの到着を待つ間、人型アンドロイドがマリアに話しかけた。


「何かの事件の捜査ですか?」


「えっ?」


 マリアは一瞬戸惑いの表情を見せた。その表情を読み取るほどのタイミングを経て、人型アンドロイドは続けた。


「こちらに来られたということは、アンドロイドがらみの事件でしょうか?薬師寺博士は、人工知能の権威ですからね」


 人型アンドロイドは、まるで人間がするように、マリアに馴れ馴れしく話を振ってくる。


 マリアは人型アンドロイドを一瞥すると、視線を元通り、正面に戻した。


「申し訳ありませんが、守秘義務がありますので、お答えできません」


 マリアは相手が人間であるかのように返答した。


「すみません」


 人型アンドロイドはバツが悪そうな表情を見せた。


「最近、アンドロイドを狙った物騒な事件が多いじゃないですか。一連の事件の件で来られたのかな、と思って。他人ごとではありませんから、気になります」


 アンドロイドが一連のアンドロイド襲撃事件を気にする?そもそも、アンドロイドが何かを気にするなんていうことがあるのだろうか?


 マリアの方を見遣ると、マリアも何か思うことがありそうな様子だった。ヤマトが感じた奇妙な違和感を、マリアも同じように感じているようだ。


 人型アンドロイドは、薬師寺研究室というプレートがかかった一室の前で立ち止まると、部屋の扉をノックした。


「薬師寺博士、お約束のお客様をお連れいたしました」


 人型アンドロイドが、扉の向こうの薬師寺博士に向かって、慇懃に声をかける。


「どうぞ」


 重低音の声が応じた。


 人型アンドロイドは、扉を開いた。「お入りください」と、二人に入室を促すと、丁寧に頭を下げた。


研究室の中には、小柄な初老の男性がいた。いかにも学者然とした雰囲気をまとっている。


 研究室は、思いのほか、広々としていた。室内は、ここに来るまでの建物の内装とは打って変わって、有機的だった。落ち着いた色合いの壁紙が貼られ、床材は温かみのあるタイルカーペットが敷かれていた。それらは、人間工学に基づいて、衣住性を高めるような工夫が随所に施されているようだった。


 部屋の奥には大きな窓がある。男性は、窓を背にして配置されたデスクに腰かけている。


「警視庁の古田ヤマトと申します」ヤマトは目の前の相手に電子名刺を送信した。マリアもヤマトに倣って、同じように名乗ると、電子名刺を送った。


「薬師寺富市です。ここの所長も兼任していますから、何でも聞いてください」


 薬師寺博士は人好きしそうな笑みを浮かべた。


 デスク手前の中央スペースには、大きなテーブルと四脚の椅子が置かれている。テーブルは今どき珍しい木製テーブルだ。普段使いではないのか、薬師寺博士が几帳面なのか、テーブルの上には物が一切置かれていない。


 右手側の壁を見ると、数台の量子コンピューターが並んでいる。反対側の壁面に備え付けられたスチールラックには、電子機器が所狭しと詰め込まれていた。


「この度は、捜査協力にご快諾いただきましたこと、感謝申し上げます」


 ヤマトとマリアは揃って頭を下げた。薬師寺博士は立ち上がり、二人を中央の木製テーブルに促した。椅子を勧めると、自分も同じテーブルについた。


「つい最近も、刑事が来おったわ。先般のアンドロイド店襲撃事件のことでな。ここも狙われる可能性があるかもしれないと言っておった。あなた方も私に助言しに来たのかな」


 薬師寺博士は、眼鏡の奥から好奇心の強そうな瞳をヤマトに向けた。


「いえ、我々は、あちらの事件の捜査とは、別の件を担当しています」


「ほう。別の。さて、他にもアンドロイドが関わる事件が、ニュースになっていたかね?」


 薬師寺博士は、逡巡するような素振りを見せた。テーブルの表面をとんとんと人差し指でたたく。


実際、教授の頭の中は、いくつものデータベースとつながっており、検索が可能なのかもしれないと、ヤマトは思った。


「まだ、公式には発表されていない事件です」


「なるほど。先般の事件とは立場が逆ということか」


 ヤマトは、薬師寺博士の勘の良さに舌を巻いた。


「お察しのとおりです。我々が担当している事件の容疑者は、アンドロイドです」


 ふむ、と薬師寺博士は宙を睨んだ。


「事件の概要を聞こうじゃないか」


 ヤマトは、薬師寺博士が事件の捜査に協力的な姿勢を見せたと判断した。


 事件の説明はマリアが担当した。エアスクリーンに、被害者の状況や情報を投影し、明らかになっている情報を開示して見せた。Kポッドも顔負けなくらい情報が整理されている。マリアの説明は、理路整然としていて無駄がなかった。 


 ヤマトも薬師寺博士と共に、マリアの説明を聞いた。断片的な情報が多かったせいか、改めて情報を整理してみると、家政婦アンドロイドのリンダが黒岩井ジョー博士殺害の容疑者という警察が描いたストーリーは、短絡的と思えなくもなかった。


 果たして、薬師寺博士は、このストーリーをどう感じたのか。ちらりと、薬師寺博士を見ると、事件を知る前とほとんど表情を変えていなかった。


「あり得んね」


 薬師寺博士は、はっきりと断定的な口調で言った。


「それは、リンダが容疑者であるという我々の見立てのことですか?」


 ヤマトが問うと、薬師寺博士は、椅子に深く座り直し、それ以外に何があるのだとでも言うように、ゆっくりとうなずいた。


「ですが、状況証拠はリンダが犯人であることを示しています。死体の検分の結果も、人間技ではないとの見立てが有力です。切り落とされた首の断面からも、科学的な根拠を得ています。リンダに搭載されているレーザーで切断したと仮定した場合のシミュレーションでは、今回の切り口と九十九パーセント一致しました」


 ヤマトは一気にまくし立てた。


 薬師寺博士は、表情を変えもしなかった。


「そんなものは、いくらだって見せかけられるものさ。アンドロイドが備えている装備は、もとはと言えば人間が与えたものじゃないのかね」


 薬師寺博士は、エアスクリーンにアイザック・アシモフの『The Caves of Steel』の書影を投影した。


「『鋼鉄都市』を読んだことはあるかね?原題は、『The Caves of Steel』。アイザック・アシモフの小説だよ」


「ええ」


 うなずきながら隣を見ると、マリアも同じように首肯していた。


「では、ロボット工学三原則も知っているじゃろう」


「第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない」


 マリアが諳んじて見せた。


「そのとおり。一九五〇年に刊行された『I, Robot』の中に出てくるのが、このロボット工学三原則じゃ。小説の中の設定に留まらず、現実のロボット工学においても重要な機能になっている」


「アンドロイド産業の根幹的な思想は、『ロボット工学三原則』が元になっているということは、存じております。たしか、『鋼鉄都市』でも、ロボットが殺人犯かと思わせながら、犯人は人間でしたね。では、薬師寺博士は、『ロボット工学三原則』があるから、リンダに殺人はできないと、そうおっしゃるのですか?」


 推理小説を引き合いに出して、状況証拠を否定されてはかなわない。ヤマトの口調は少し高圧的に響いた。


「無論、ロボットを使った殺人ならば、私も可能性は否定しない。だが、その場合、殺意はどこにある?人間か?それともアンドロイドか?」


「それは、人間にあるでしょう」


「そうなるだろう。アンドロイドが自由意志に基づいて、殺人を犯すことは断じてあり得ない」


 隣でデータベースに接続していたマリアが通信を切って、口を開いた。


「この研究所では、自律思考型アンドロイドの実用化に向けた人工知能の研究のプロジェクトも進められているそうですが、薬師寺博士も参加されているのでは?実現すれば、自由意志を持つアンドロイドが誕生するのではないですか?」


 このままでは、話が平行線を辿ると感じたのだろう。切り口を変えた問いかけを発した。


「いかにも。自律思考型アンドロイドの開発がここでの重要課題になっておるよ。その点で、私は一つの完成を作り出したと思っている」


「どういうことですか?」


「お嬢さん、あなたは自律思考型アンドロイドと聞いて、どんなものを思い浮かべているかね?人間そっくりのアトムかい?それとも二足歩行するネコ型ロボットかい?」


 薬師寺博士は、小さな子どもに聞くようにマリアに優しく問いかけた。


「ああ、風船のように白く膨らんだロボットもおったな。まあ、どういうものでも構わんさ。たいていの人間はそういう存在が遠からずに誕生するはずだと信じている」


 マリアが無言なのは、そういう存在を夢見たことがあったからかもしれなかった。


「映画でもドラマでも、人間はそういう物語をたくさん紡いできた。だからこそ、過去には、シンギュラリティの到達は大変な脅威だった。人類を超えた完全知が人間を支配するとまことしやかに語られてきた。人工知能は神か悪魔か、などと騒がれたのも理解できんことではない」


「でも、シンギュラリティを超えても人間を超える脅威はやって来なかった」


 マリアに向けられていた薬師寺博士の視線がヤマトに移される。


「そう。人工知能は賢くなったが、それだけだ。人工知能の発達は、人間の知恵とは似て非なるものだ。アンドロイドには、映画のように人間と対立しようなどと考える術がない。どうしてかと思うかい?心の問題だよ。だが、自律思考と同じほどのレベルの思考回路を獲得した人工知能はすでに開発されている。先ほど、私が『一つの完成』と言ったのは、ホスピタリティを獲得した人工知能のことだよ。実用化されているのは、あなた方もご存知だろう」


「家政婦アンドロイドや介護アンドロイドですね」


「そうじゃな。その手のアンドロイドは、人間の思考と似通った思考パターンが再生可能なようにプログラミングされている。ビッグデータそのものを搭載していると考えてもいいだろう。そして、それは、今この瞬間も幾千、幾万、幾億というモデルケースがデータ集積されて、日々バージョンアップされている。そのデータを使って、アンドロイドは、自分のすべき行動の最適解を導き出している。それは、人間で言うところの『思考』だ」


「容疑者に上がっているリンダも、家政婦アンドロイドです」


 それならば、とヤマトは思わずにはいられない。


 薬師寺博士は首を横に振った。


「こういう話を聞いたことはないかい?その昔、お気に入りのアンドロイドに膝枕をしてもらっている男がいた。男はアンドロイドに向かって、『頭を撫でてくれ』と言った。男は目を瞑り、アンドロイドが自分の頭部を優しく撫でてくれるのを期待して待っている。しかし、アンドロイドは一向に撫でてはくれない。男は、『なぜ、撫でてくれないのだ』と憤慨して目を開けた。すると、男の目に飛び込んできたのは、自分の頭を撫で続けているアンドロイドの姿だった。男はアンドロイドに淡い気持ちを抱いていたのだが、それを見て、興ざめしてしまい、そのアンドロイドに関心を無くした」


「アンドロイドには、人間の気持ちを忖度することはできないという寓話ですね」


 今のレベルのアンドロイド相手では、こんなオチはあり得ないと思ったが、寓話の男の落胆は想像に難くない。


「さよう。アンドロイドが獲得したホスピタリティは、人間から見たホスピタリティではあるが、人工知能から見れば、クリアすべきミッションでしかないのだよ。そして、そのミッションをクリアする精度は、合格ライン、つまり、人間と同じレベルにまで上がっている。人工知能はたしかに賢くなった。でも、それは、ある状況下に置ける制限付きであることも忘れてはいけない」


「ある状況下とは何ですか?」


「人工知能は万能ではない。無条件に人工知能がホスピタリティの獲得を欲するようになるのなら、人工知能が人間になり、人間を超えていく可能性を私も考えなければなるまい。しかし、そうではない。全ては人工知能によって、どうあるべきかという模範解答を知らされているのだよ」


「プログラミングされているということですか。でも、アンドロイドが振る舞うのは過去についてじゃありませんよね。現在、いや、未来のことでもある。それをプログラミングで何とかできるものなのですか?」


「できるとも。人工知能が得意なことは、分析することと、予測することだ」


「未来予測が可能だとおっしゃるのですね」


「そうじゃ。全てのデータから、動作を導き出すことができる。人工知能のホスピタリティは、日常生活のあれこれ、人間の要求のあれこれを事細かにプログラミングすることが可能になったからこそのホスピタリティだよ。自家用のアンドロイドを購入する時には必ずアンドロイドの住環境と接する人間との同期が行われる。スマートハウスは、そもそも一般的なアンドロイドに住環境の設定が組み込まれている。両者をセット販売している業者だってあるそうじゃないか」


 ヤマトのもとにそれが届けられた時、それは目を覚ますと、すぐに目の前のヤマトを認識し、住まいに馴染んだ。そう言えば、この部屋が何の部屋かなど、説明した覚えもない。そして、(お父さん、将棋しよう)とヤマトに甘えるように言ったのだ。それの振る舞いはとてもごく自然なものだった。


 ヤマトは記憶の淵から滑り落ちそうになるのをぐっと堪えて、薬師寺博士を凝視した。


「科学がどこまで行っても、到底交わることのできない部分じゃ。人間と人工知能を隔てている壁は高すぎる。それは、悲しいことでもある」


 薬師寺博士が呟いた最後の一言は、ヤマトの心を見透かしているかのようだった。


 沈黙が三人の間に流れた。


 ヤマトの顔をじっと見ていた薬師寺博士が口を開いた。


「あなた方、警察の人たちはアンドロイドに脅威を感じ過ぎているようだな。アンドロイドに搭載されている人工知能は、人間を脅かすような存在じゃない。アンドロイドにできることが人間にできないケースは多くあるが、人間にできることがアンドロイドにできないという逆のケースの方がよっぽど多いということは、しばしば忘れられている」


「例えばどういった?」


 ヤマトが聞く。


「喜怒哀楽。感情じゃよ」


「感情……」


 マリアが物憂げな表情で呟いた。


「そうさ。感情だ。心と呼ぶ者もいる。これが私たちとアンドロイドの決定的な違いだよ。アンドロイドには、嬉しいということも、悲しいということもわからん。わかるのは、膨大なデータによって仕分けられたあらゆる事象の分析結果だけじゃ」


 薬師寺博士は、エアスクリーンに数々の番組を投影し、その中から天気予報の番組をズームアップした。


 画面の中では、女性の姿をしたアンドロイドの気象予報士が明日の天気を予想している。


 列島を取り巻く気圧配置や各地の雨雲の状態から、明日の天気を導き出していく。


「天気予報は、人工知能の得意分野だ。かつて人間が行っていた時代でも、分析と予測が天気予報の中心になっていた。それをブラックボックスとも言われる人工知能が行うのだから、当たらないはずがない」


 画面の雨雲レーダーは、映像のリプレイのような確実さで、明日の雨模様を表現していく。


 しばらくすると、雲が晴れ、日の光が降り注いで来た。


 黄金色の光を浴びながら、アンドロイドの気象予報士は、「午前七時には雨も止み、晴れとなるでしょう」と言って微笑んだ。


「このアンドロイドの女性が、『晴れとなるでしょう』、と言ってにっこり微笑むのは?どう見たって、嬉しそうに見えますよね」


 画面の中では、変わらず気象予報士が微笑みを浮かべながら、各地に晴れマークを繰り出している。


「これは、人工知能の学習の成果だよ。人間にとって『嬉しいこと』を学習しているのだから、表出装置である顔がにっこり微笑むのは当然のことだよ」


「しかし、アンドロイドたちは、嬉しいと思って、笑っているのではないと言うのですね」


「人間が何を『嬉しいこと』と捉えるのかというそれぞれのパーツとそれを分類しておくカテゴリーの箱。人工知能が得意なのは、分析と推測だとは、さっき言った通りのことよ。そうやってパターン化することで、あたかも人間が振る舞うように動くことができるようになるのだよ。精度が上がった今では、ある条件のもとだと、『嬉しいこと』であっても、他の条件が附随すると別のカテゴリーに入るなんて高度なこともわかるようになる」


 画面の気象予報士は、週間の天気予報を伝えている。週末は雪の可能性もあるらしく、積雪による事故がないように、神妙な面持ちで十分な備えを訴えている。


「今度は訴えかけるような目をしている」


「人間の方がそう感じるだけだがね」


 画面の中の気象予報士は、表情だけでなく、声の調子も感情豊かだった。スクリーン越しのためなのか、人間にしか見えない。


「人工知能だけじゃない。ロボット工学の発達に伴い、インターフェイスも格段に良くなった。すでに、不気味の谷は越えた。とうの昔にチューリングテストもクリアしている。私たちの目標はより人間らしさを持ったアンドロイド製作に向けられている」


「ならば、それは、人間らしさではなく、より人間らしく装えるという意味では?」


「そうかもしれんな」


 薬師寺博士は、一呼吸置いて、続けた。


「アンドロイドが未だに満足にできないことがある。何だか、わかるかね?」


 ヤマトは、マリアの顔を見たが、何の表情も浮かんでいなかった。二人が答えを持っていないことを確認できたというように、薬師寺博士が言葉を続ける。


「世間話だよ。アンドロイドに、雑談をさせるのは至難の技だよ。シンギュラリティをとうに越えていても、科学はアンドロイドに世間話をさせることすらできない」


「そうでしょうか?」


 ヤマトは、天気予報士の映像や受付にいた人型アンドロイドを思い浮かべながら言った。


 確かに、天気予報のような伝達が専門のアンドロイドには、用意されたセリフをそれらしく話す技術が組み込まれているのかもしれない。しかし、受付にいた人型アンドロイドは、明らかに、ヤマトたちに好奇心を持って話しかけているようだった。


「いいや。アンドロイドとの会話は、データに基づいた受け答えの域を超えないのだ。何度も言うようじゃが、アンドロイドに感情を持たせる技術は未到達なのだよ」


 人工知能の権威である薬師寺博士の言葉に、嘘はないのだろう。 


 それならば、人型アンドロイドは、どこかで受付の人間と刑事とが交わした会話をインプットによって、模倣していただけなのだろうか。


 ヤマトは、ブラックボックス化しているアンドロイドの思考回路を薄気味悪く思った。


「世間話よりももっと難しいことだってある。なんだかわかるかな?」


「なんでしょうか?」


「人間なら大なり小なり必ず経験があることじゃ。私にも、もちろんあなたたちにも」


「嘘をつくことでしょうか」


 マリアが口を開いた。


「そうとも」


 薬師寺博士は、マリアの解答を聞いて、満足そうにうなづいた。


「アンドロイドに嘘をつくことはできない。嘘というのは、ほとんどの場合、事実ではないことだ。これをどんな意図を持って作り出すかは、心、つまり感情の在り方が中核になる。事実とプログラムで動いているアンドロイドには、大変な難題じゃよ」


「アンドロイドは人間以上ではありえないということですか」


 ヤマトの言葉に、薬師寺博士はうなずいた。


「ようやく、命題の答えに辿り着いたようだね。人間らしく装うように、高度化したプログラムの集大成がアンドロイドたちの正体だよ」


 プログラムの集大成という発言は、無機質な物体を想像させた。人を殺めた容疑者として追われているリンダにも、心はないのだろうか。


薬師寺博士が畳みかける。


「所詮、アンドロイドはロボットじゃ。機械じゃよ。人間のように感情を自由自在に操れるレベルにもない。アンドロイドが、人間のように、感情に突き動かされて行動するようには到底なれん。それでも、容疑者のアンドロイドには、人間の心があったと思えるかね?」


 心を持った家族のような存在、かつてヤマトが切望していたものだ。


 ヤマトは目を伏せた。


「思えんじゃろう。人間が人間を殺めるには、理由が必要じゃ。人間の一番の脅威は人間ですよ。刑事さんたちも本当はわかっているんじゃないのかね?」


 ヤマトは答えることができなかった。


「人間のトラブルというのは、すべて人間にあるものさ。大小はあるかもしれんが何もないことはない。あなた方警察が、殺人の動機と呼んでいるものも同じじゃよ。愛憎劇の末に殺人に至るというのは、言葉は悪いが、人間そのものが殺人と結びついたと言えるだろう。あるいは、無尽蔵に殺人を犯すと言われているサイコパスすら、殺人へと駆り立てる衝動がある。いずれにしても、感情を持たないアンドロイドに、殺人は難しすぎるのだよ」


 ヤマトとマリアは、薬師寺博士に丁寧に礼を述べると、人工知能研究所を後にした。


 研究室まで案内を買って出た人型アンドロイドの姿は見えなかった。


 薬師寺博士は、命題の答えに辿り着いたと言ったが、果たしてそうなのだろうか。


 本来なら、今の訪問で得た知見を整理するのがよいのだろう。しかし、しばらくの間、ヤマトは自分の中でだけ、薬師寺博士の言葉を反芻していた。


 マリアも無言で、口を真一文字に結んでいる。乏しい表情からは、どんな思いで沈黙しているのか、わかりかねた。おしゃべりな相手が相棒でないことは、ヤマトにとってありがたい。


「少なくとも、私はこれを家族とは呼べない」


 妻の声がフラッシュバックした。


 ヤマトは、アンドロイドが人間と似て非なるものであるという事実から目を背けてきた。だが、そんな自分と対峙せねばならないのだろう。


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