第5話 第二章 点と点 2

「ダン課長から聞いているな?」


 羽川マリアは黙ったままうなずいた。


 古田ヤマトは視線の先にいるマリアを見つめながら、不思議な感じがしていた。無駄のない動きと乏しい表情は、人間の温度を感じさせない。


 筒井ダン課長は彼女をトランスヒューマンだと言っていた。これは、トランスヒューマンの特徴なのだろうか。


 ヤマトは自分がマリアに感じた印象を伝えることなく、簡単に挨拶を済ませた。マリアの人間らしさは、これから自分が目にするのであろう。


 トランスヒューマン。人間と機械のハイブリット。トランスヒューマンは、人体の一部を機械化している人間のことだ。交通事故で損傷した手足を補うケースもあれば、病気で機能が失われた人間の臓器を機械的な部品と交換するケースもある。


 ただし、脳と心臓については、完全な機械化を許されていない。それは永遠の命を手にすることになりかねないからだ。


「今回の事件、率直にどう思う?」


 マリアが大きく理知的な眼を向ける。


「はっきりしたことは言えませんが、アンドロイド……。彼らを制御している人工知能は、まだまだ人間の思考を知悉しているわけではないと思っています。解決は時間の問題ではないでしょうか」


 マリアはあらかじめ用意していたかのように、よどみなく言葉を発した。思考回路もずいぶんクールな印象だ。必要なことを冷静さを持って話す。愛嬌も全くない。


 もっとも、異性でコンビを組むにはいいかもしれない。


「つまり、アンドロイドごときが犯したことを、人間が解明できないはずがないということだな」


「そう思います」


 マリアは小さな顔を縦に動かした。


「ただ、それは一体の場合だよな。もしも、映画の世界のように反乱が起きたとしたら?」


 ダン課長ら、警察上層部が心配しているのはこの部分だ。アンドロイドの集団暴走を止める手立てを警察は今のところ持っていない。そのような事態に陥れば、軍事レベルで制圧する他に収拾をつける方法はないだろうと、ヤマトも思っている。


「確かに、昔の科学者が提唱したようなシンギュラリティが現実化した社会だったら、可能性はあったかもしれませんね」


 シンギュラリティ――人工知能が人間の知を凌駕する到達点のことだ。人間より賢くなった人工知能に、人間が判断を仰ぎ、絶対知を持つ人工知能が人間を導く世界が来ると言われていた時代があった。


「けれど、人間の知力は超えていても、それは知性ではありません。情緒の部分では到底、人間に及ばないでしょう」


「確かにな。人工知能が万能かどうかという部分は、今じゃ、多くの人が疑問を持っている」


「ええ。人工知能は人間の産物です。ビッグデータからの自律学習が可能になったとはいえ、必ずそれを作った人間の意図に基づいています。アンドロイドが自らの欲望を生み出すことはできません。彼らが人類を支配しようと考えることは、可能性としてはかなり低い気がします」


 ヤマトも大筋ではマリアと同意見だった。アンドロイドの自律性については、懐疑的な感情を抱いている。だが、もしかしたら、という思いがあるのも事実だった。


「ただ、アンドロイドの人工知能は、未だにブラックボックスだ。つまり、思考回路がよくわからない。だとしたら、暴走の危険性も否めないよな。専門家じゃねえから、本当のところはよくわかんねえけどな」


 ドアのノック音が部屋に響いた。目の前のエアスクリーンにダン課長の姿が投影されている。


「オープン」


 ヤマトが空間に叫ぶと、ダン課長が部屋に入ってきた。


 ヤマトとマリアには特別室が与えられていた。このベースはヤマトとマリアが秘密裏に捜査を行う拠点であり、二人以外にはKポッドが常駐しているだけだった。他にこの場所を知るものはダン課長しかいない。


「このベースはどうだ?使いやすいだろう」


 ダン課長はKポッドが用意した椅子に腰を下ろしながら言った。


「ええ。こんな場所があるのは知りませんでした」


「非公開捜査専用のベースだ。他の署員にもくれぐれも他言しないようにしてくれ。何か必要なものがあれば、何でも言えよ。こいつに用意させる」


 ダン課長はKポッドの丸い体をコツコツと突いた。


「それから被害者の追加情報だ。被害者の黒岩ジョー博士の年齢は四十四歳。過去に脳神経科の通院履歴があった。四十歳の頃からだ。脳の一部の疾患のせいで、身体に不随意運動が生じていたようだ。そのため、身体が不自由になっている。発症直後に人型の家政婦アンドロイドを購入して、身の回りの世話をさせていたようだな。家政婦アンドロイドの名前はリンダ。同居生活は、四年になる。優良アンドロイドの認定を受けている。定期点検も異常はない」


 ダン課長は顔をしかめ、首を大げさに振った。


 家庭用アンドロイドは納税の対象だ。所有するために届け出が必要であるし、申告書に基づいて毎年、納税通知書も届く。半年に一度のメンテナンスも義務付けられている。


 Kポッドは、定期点検証の電子証明書を投影した。半年ほど前の日付が記されていた。


納税者欄には、ジョー博士の名前があった。製造番号の下には、リンダと記されている。履歴には、全ての点検で優良認定がなされている。署名欄には、走り書きのようなジョー博士のサインが入っていた。


「リンダはメイド特化型のアンドロイドですか?」


 マリアが口を開いた。


「いや、人型アンドロイドだ。こいつとは違うぞ」


 ダン課長は、Kポッドを指さした。


 家庭用アンドロイドの中でも、人型アンドロイドになると、二年に一度は点検で数日間、業者に預けなければならない。そこでは、人型アンドロイドは、疑似的な人間生活を送る。情緒を少しでも身に付けるために、なるべく人間と同じような行動を取らせるのが通例だ。人間的な行動が、プログラムを逸脱しない正常な範囲で機能しているかを判断する。形を変えたチューリングテストと言えるかもしれない。


人型アンドロイドの場合、人間的な行動を学習させることは、購入者にも努力義務が課せられている。


「Kポッド、製造年が四年前の人型アンドロイドのデータを調べてくれ。製造番号がRRから始まるアンドロイドだ。外見の映像も頼む」


「かしこまりました」


 Kポッドがピピピという電子音を鳴らしながら、データベースにアクセスを開始する。人間は検索中を意味するこの電子音がないと待つことができないらしい。


「お待たせしました」


 Kポットが成人女性型のアンドロイドの外見をエアスクリーンに投影した。


画像には、アンドロイド産業の大手であるリエゾンマインド社のホームページからのコピーライトであることが記されている。


 リエゾンマインド社は、アンドロイド製造のシェアナンバーワンを誇っている。普及しているアンドロイドの過半数以上はリエゾンマインド社のアンドロイドが占めている。マンモス企業だ。


発売年や標準スペックなどの基本情報も列挙されている。リンダに搭載されている人工知能のスペックは最新式のものだ。


「これがリンダ?」


 いつの間にか隣に並んでいたマリアもじっとスクリーンを見ている。


「リンダと同型のアンドロイドだ。髪型や顔の造作は多少違うだろうが、だいたいこんな容貌だろう。 今、衛星の映像からリンダの情報を解析中だ」


「衛星映像から調べているのですか?」


 マリアが抑揚もなく、ダン課長に聞いた。なぜ防犯カメラ映像を使わないのかと問うているのだろう。カメラ映像を使った方が解析も断然早い。


「被害者がアンダータウンに住んでいたためだ。あの辺りは、未開発エリアだ。まだ整備が不十分な要注意地域の一つだ」


「なるほど。無法地帯で起こった殺人ですか」


「無法とは言わないが、まあ、治安面での遅れは否めないな」


 ダン課長は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。


「アンダータウンで起こった犯罪特有の問題として、目撃情報も期待できそうもない。死亡推定時刻も死体が遺棄された時間も深夜とみられている。あのあたりは、住民層が高齢化しているから、犯行時間帯に人通りもなかったようだ。近隣住民にも聞き込み済だが、隣人を始め、みんな口を揃えて、その時間は寝ていたと言っている始末だよ」


 ダン課長は、「年寄りは寝るのが早いからなあ」、と言って頭をかいた。


「深夜に殺害とは、犯人の意図によるものでしょうか?」


「さあな。わからん。アンドロイドは充電さえしておけば、昼夜問わずに活動できるからな。奴らに時間の観念があるのかもわからんな」


 死体の運搬を目撃されない時刻を選んだのだろうか。だとすれば、用意周到な計画犯罪なのだ。


「もう一つ。新しい情報がある。Kポッド、さっきの定期点検証を見せてくれ。こいつを発行した業者だが、現在、廃業していることがわかった。店舗もなくなっている。親族から引き継いだ個人経営の業者らしく、事業主の身元もわからない。今、行方を捜しているところだ」


 ダン課長の表情はなおも硬い。


「廃業はいつ頃ですか?」


「半年前だ」


「半年前?じゃあ、リンダの直近の定期点検直後ということでしょうか?」


「そうなる。厄介なことに、リンダの後にアンドロイド点検を請け負った形跡がない」


 ヤマトは、それがどういう意味を持つのか考えた。


「まさか……」


「いや、俺もまさかと思っている」


 ダン課長は、それ以上を口に出さなかった。


 リンダの定期点検証は偽造されているものではなかった。正真正銘の本物だ。だが、それがリンダの不具合を隠蔽して作成されたものだとしたら、証明の真偽など関係ない話である。


 業者が見つからないのは、単なる偶然なのだろうか。廃業の時期がリンダの点検直後というのも引っかかる。


「Kポッド、最新情報を頼む」


「はい。ダン課長」


 Kポッドがダン課長のテーブル上に事件の情報を投影し始める。


 ヤマトがダン課長の正面に腰を下ろすと、マリアもその隣に着座した。


 ダン課長は「厄介な案件だが、頼んだぞ」と言うと、ベースを出て行った。


 ヤマトとマリアは次々に文字と映像でもたらされる情報を確認していった。


 変死体だが、検視の結果、首の切断以外に異常な点は見つかっていない。手足等に拘束された形跡もない。薬物などの反応も皆無だった。


 首の切断という異様な殺害方法にも関わらず、殺害当時、ジョー博士は、拘束もされておらず、薬物で意識を奪われてもいなかったということになる。


加えて、問題の切断された頭部は依然として不明のままだ。


 容疑者のアンドロイドが発見された場合、そのあとどうなるのだろうか。更なる疑問が湧く。通常ならば、指名手配となり、十分な捜査網がしかれる。今回は一部の人間しか捜査に加わっていない。逮捕状もない。ヤマトはこの事件の捜査が難航する気配を感じた。


 人間なら、必ず証拠を残す。現場に残された遺留品から糸口が掴めるケースも多い。指紋一つとっても、そうだ。しかし、アンドロイドには指紋がない。


 アンドロイドの身柄を押さえたあとはどうなる?動機の立証はできるのか?次から次へと未知の領域が山積している。


 ヤマトは腕組みをしながら思案した。


 ジョー博士の殺害から、およそ二十四時間が経っていた。リンダの足取りは未だに不明のままだ。


 Kポッドに探索を頼んでいたデータを確認する。類似性のある事件や情報はヒットしていなかった。さらに、リンダが今後、同様の犯罪を犯す可能性のパーセンテージも確認する。パーセンテージの上昇は見られなかった。


 Kポッドの行動予測は、登録されている容疑者データが次にどんな行動に出るかを判断する。システム上では、過去の膨大なデータに基づいた解析がなされている。犯罪パターンから、容疑者が次に起こしやすい行動を予測するシステムだ。


 行動予測は万能ではないが、ある程度、信憑性のある解析ができるようで、犯罪抑制の成果は上げている。


「Kポッドによると、リンダがこれ以上、殺害行為に及ぶ可能性はかなり低いようだ」


ヤマトはマリアに言った。


 しかし、これは、人工知能がはじき出した仮定のデータに過ぎない。そもそも、容疑者がアンドロイドの場合を想定した行動予測システムは開発されていない。


 アンドロイドであるリンダが犯人であるなら、そもそもこのシステムの結果がリンダの行動を予測できるかも未知であった。


 行動予測のような実用化されている人工知能ですら、結論に至る過程式は人間に理解できない。複雑すぎるのだ。膨大なデータの仕分けなど、人間には何十年かけてもできる仕事ではない。それを瞬時にやってのける人工知能の回路を人間が理解しようというのはもはや無理なのだ。


ヤマトは、身近な捜査システムも人工知能の産物であることを改めて認識した。人間に理解できない回路を持つ人工知能。


 今、相手にしようとしているのは、その最新の人工知能に、人間しか持ち得ないと長らく考えられていたホスピタリティを搭載した相手である。


 ホスピタリティとは、人間性がもたらす一種の思いやりと言える。人工的に与えられたホスピタリティは、リンダの中で、一体どこまで機能していたのだろうか。


 リンダの存在は、警察上層部に問題視されている。多くの人間にとって不都合であることは違いない。


 だが、確実とは言えないまでも、リンダが無差別に殺人を行っているわけではないというのが、ヤマトの直感だ。


 ジョー博士の頭部が未だに見つかっていないという部分に、引っかかりをおぼえているせいかもしれない。


 ヤマトは、リンダがこれ以上の犯行に及ばない可能性に賭けることにした。


「まず、俺たちはアンドロイドのことを知る必要があるな。事件の解明はそれからだ」


 ヤマトは鋭く顔を上げ、両足に力を込めて勢いよく立ち上がった。


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