快活な女
これまたとある夕方。私は今夜も中央広場の噴水前で、歌おうと準備をする。
今日は何を歌おうかと、噴水の縁に腰をおろし、何曲か口ずさみながら楽譜を眺めていると、こちらを見る視線を感じた。楽譜から視線の先に目をやると、左側に座っている女性が、私を見つめていた。
明るい太陽のような橙色の髪を1つにまとめ、左腰に、確か、刀と呼ばれる種類の武器を差している。東の国の人だろうか。足元には大きめの荷物が置かれているのを見たところ、私と同じ旅人か。赤い瞳をまるでとても珍しいものを見たかのように楽しそうに輝かせている。そんなに眩しげな瞳で見られては、気恥ずかしくなってくる。
「えーっと、何か……」
「ああ、すまない。素晴らしい歌だったのでつい。聴いたことのない歌ばかりだったもので珍しく、聞き入ってしまっていた」
「ありがとうございます。旅の方ですか?」
「ああ、東の方からきた」
会話をする間にも女性の瞳は私を離さず、子どものようにキラキラと輝いている。
「古式魔法師曰く、全ての魔法の始まりは言葉であり、口に出すことで超常の力は世に現れた。歌もその手段の1つだったという」
彼女の言葉に、ぴくりと体が跳ねる。警戒心を強め、護身用の短剣にするりと手を伸ばす。
「あなたの歌もそういった類いのものでは?」
女性はあいかわらず、明るい瞳をこちらに向け、問いかけてくる。
「そうだ、と言ったら、どうします」
「安心してくれ、種類は異なるが同胞だ」
彼女はそう言って、懐からインクの入ったビンを取り出す。そこには描かれていたのは、円の中に描かれた交差する4本の鎖。古い魔法を使うことを示す紋だ。
「歌うタイプに出会ったのは初めてだ」
「あまりいませんので」
足元の横笛の入ったケースを持ち、彼女のインク瓶に刻まれたものと同様の紋を見せる。
「道中で、聴くとたちまちに疲れや傷を癒す不思議な歌を歌う歌姫がいると聞いてね。もしやと思って」
「私の歌で、楽しんだり癒されたりしてくれればいいなと思って歌っていますから、軽い傷や疲労は回復するでしょうね」
「歌うだけで傷が治るなど、治癒魔法いらずだな」
「調整が大変なんですよ。仮に今ここで、私が苦しめと念じて歌えば、マナを通じて聴いた人々に伝わり、耐性のない人はばたばたと倒れていきますよ」
「それはなんとも恐ろしいものだ」
口では恐ろしいと言いつつも、女性は快活に笑った。
私の歌は、魔法の一種。古い歌は歌詞そのものが力を持ち、効果を発揮するが、普通は使い手が念じる効果が世界を漂うマナを通じて、歌を聴いた者に作用する。使い方次第で薬にも毒にもなる代物。
「この街にはかなり滞在しているのか?」
「まあ、7日ほどは……調達も済んだので路銀が稼げ次第出立しようとは思っています」
「そうか、私は今日着いたばかりでね。おすすめのものなどあれば知りたいな」
グイグイとこちらに迫る女性に思わず体がのけ反るが、不思議と不快な気持ちにはならない。
何日か先に滞在した先達としては、この街で気分よく過ごしてほしいもので、美味しかった料理店や物資の調達に便利そうな店や露店を紹介する。
私の話を聞く女性は、新しいものが出る度に、相槌を打ち、顔をほころばせ、興味津々に目を輝かせた。
楽しそうに話を聞く女性の態度に胸が暖かくなり、話も弾み、互いにこれまでの旅での苦労話や良かったものについて話を咲かせる。
「ああ、そうだ。この街にきたのは休息もあるが目的があってね」
弾んだ話も落ち着いた頃、彼女は足元の荷の中から、一冊の本を取り出した。
「本……ですか」
「ユルガルのある街で買ったんだがな。とても気に入っていて、礼も兼ねつつ私も依頼をしたくて制作者を探しているんだ」
断って中を見せてもらう。中身は何もかかれておらずほとんど白紙だった。最初の数ページには何か書かれていて、日記として使っているのだと言う。帳簿などによく使われるが、その場合は装丁も簡素なものだが、これはかなり凝っているし、大きさも使われているものよりは小さい。私の手のひらより一回り大きいくらい。贅沢な作り方をしているようだ。
「買った商人づたいに話を聞いていったところ、この辺りの地域の写本工房で作られたものじゃないかと。普通だとどこかにさりげなく印をいれてたりするらしいがこれにはなくてな」
写本工房と言われると、先日出会った、少年を思い出す。写本工房はあそこ以外にもある可能性はあるし彼かその親方が作ったものかもわからないが、教えないのも無粋だ。
「この街にも写本工房がありますよ。宿場通りの近くに。街の雑貨屋にも卸していると言っていたのでそこを訪ねてみてもいいかもしれないですね」
「本当か!?」
唐突に手を掴まれ、きらきらと輝く瞳で目を見つめられる。嬉しそうにしてくれたのはありがたかったが、やはり気恥ずかしくなる。
「め、目当ての方だといいですね」
「ああ! 装丁は彫り師のものだろうが、紙の材質から細かな装飾まで全て写本師が選んだものだろう。初めて見た時から一目惚れだ」
私から受けとると、彼女はその本を大切そうに胸に抱える。
辺りを見回すと人通りが増えてきた。そろそろだろうと立ち上がり、ケースから横笛を取り出す。
「演奏するのか」
「あなたも聴いていってください。旅の疲れ、癒しますよ」
横笛をしっかりと握り直す。すぅっと息を吸う。
私の時間の始まりだ。
「マナを流せば、一度に限り念じた場所に転移できる。ピンチになれば使ってくれ」
演奏を終えると、彼女は一枚の紙を手渡してきた。古代文字で何やら書かれているが、私には読めない。
普通は見知らぬ人間からのものはあまり受け取らないが、彼女の押しの強さと好意に甘えて受けとる。しかし、この類いのものは体内のマナを使う魔法師か魔石を持っていないと発動できない。世界のマナを使う古式魔法師に渡しても意味はないのだが。
「君、古式魔法師だが、もう一つの方も扱えるだろう?」
「……どうしてわかったんですか」
「秘密だ。安心してくれ。吹聴することはない。しかし珍しいな」
「大空洞にも申告してません。魔法師と古式魔法師の遺恨は根深いですから。あなたも、知っているでしょう」
「それもそうだ」
彼女は大したことでもないかのようにからからと笑う。
「では、素敵な演奏だった。君の旅に幸多からんことを」
「あなたも、よき旅を」
私たちは噴水の前で別れた。私は宿屋に。彼女はどこへいくのだろう。
手の中の紙をもて遊びつつ、同類にあったのは久しぶりだなぁと、歩きながら過去と今日の出会いに思いを馳せるのだった。
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