気弱な青年

 今日の仕事は休業だ。旅の準備を整えようと市場で買い物をする。空が夕暮れに染まり、そろそろ宿に戻ろうと、市場を抜け宿場通りを歩いていた時のことだった。

「なあ、お兄さんよ。すぐに終わるからよぉ」

「そうそう」

「い、いや、でも……困ります」

 揉めるような会話が聞こえ、一瞬角を曲がるのを躊躇しかける。しかし、宿泊している宿に一番近いのはこのルートだ。

 面倒だなと思いながらも、見過ごすことができない性分ゆえ、止めた足を進める。

 角を曲がって目についたのは、灰色の髪の青年がガラの悪い二人組の男に絡まれている姿。男たちは青年を壁際に追いつめ、さらには両脇をふさいで逃げられないようにしている。

「だから、うちの工房は魔法書なんて扱ってません……依頼が来ることもめったにないですし、魔法書がご所望なら学術都市にでもいってくだ……あっ」

 大柄な男の威圧的な視線から目をそらした青年と私の目が合う。なんでこっちを見てしまった。

 青年の声につられて男たちもこちらに目を向けた。

「なんだよ、お姉さん。邪魔するんじゃねえよ」

「邪魔するっていうなら、逆にお相手してもらってもかまわないけどなぁ?」

 ナイフをちらつかせながら、こちらを嘲るような笑みを浮かべる男たち。

「こっちはあなたたちの相手なんてごめんだけどね。その子もそう言ってることだし、さっさと都市にでも行きなよ。……まぁ、行ったところで、あんたら相手に魔法書を売るような人なんていないだろうけど」

「あぁ!? なんだとこのアマ!!」

 安い挑発に乗った細身の男がナイフ片手にこちらへ向かってくる。振りかぶられたナイフを避けたものの少し左腕を掠った。久しぶりの痛みについ顔を歪ませる。

 痛みに耐えながら、子守唄のワンフレーズを歌う。すると、男は突然事切れたかのように倒れ、すやすやと寝息をたて始めた。

「は!? お前なにしやがった!!」

「別にたいしたことはしてないよ」

 これ以上喚かれるのも面倒なので、さっさと終わりにしたい。

 今度はこちらから歩み寄りながら、歌を奏でる。

 大柄な男は、私の歌を耳にすると、細身の男と同様地面に倒れ臥す。こちらもすやすやと眠りについている。

 目覚めて、私や青年にまた因縁かけられても面倒なため、記憶は消しておく。

「あ、あの……け、怪我が」

 振り向きつつ、青年の声に反応して腕の怪我を確認する。

「ああ、そうだね。でも大したことないよ」

 かすり傷だと思っていたが、意外と深く切られていたようで、腕から肘にかけて血が滴り落ち、地面を赤く染めている。

「あ、あの。俺の家、近くにあるんです。もし良ければ手当てをさせてもらいたくて……」

 自分の救急道具は宿に置きっぱなしであったし、こんな誠実な青年が女を連れ込んで悪さをすることもなかろう。

「じゃあ、お願いしようかな」

 私はすんなりと快諾し少年の後をついていくことにした。

 宿場通りから2本離れた、静かな通りに入り、裏口から家へと入った。家の中は、何かの作業場らしく、辺りには大量の紙やインク、何かの皮などがところかしこに置いてあった。

 少年に連れられて奥へと進む。作業場の一つであろう一室に案内された。二階から道具を取ってくるのでここに座っていてくださいと椅子に座らされる。

 ばたばたと少年の足音が遠ざかり、部屋には私一人となる。

 馴染みのない空間に一人残され、つい辺りを見回す。作業場はそれほど大きくはなく、作業用の大きな机と椅子、収納用の棚には、色んな種類のインクや羽ペン、紙がぎっしりと敷き詰められている。

 机には、2冊の本が置いてあった。よく見ると、紙やら中身の文章まで1つたりとも異なる部分はない。写本のようだ。

 そういえば、ある夜に出会った夫婦は写本工房を切り盛りしていると言っていた。ここもそのような工房の1つなのだろう。

 興味深く作業場を見渡していると、ばたばたと音を立てて少年が戻ってくる。今度は彼の方が転んだりはしないかと心配になるほどに。

 少年の手当ては手際が良かった。水で濡らした布巾で血を拭うと、軟膏を傷口に塗り、慣れた手つきで包帯を巻いていく。

「手際がいいのね」

「よく、怪我をするので……。自分で手当てをしてるうちに上手くなりました」

 視線を感じる。彼の方を見ると、青緑の瞳が長い前髪の間からこちらを見ていた。

「あの、もしかして、赤髪の歌姫さん、ですか」

「その異名は知らないけど、歌は歌っているわ。あ、もしかして、写本工房の見習いさん?」

「な、なんで」

「ここの様子でなんとなく。それと、この前、写本工房のご夫婦が私の歌を聴いてくれていたの。奥さんが私を赤髪の歌姫なんて言ってくれてね。見習いさんにも聴かせてあげたいって言ってたから、もしかしたらと思って」

「おっしゃる通り、俺はここの見習いです。親方の奥さんが、楽しそうに話してくれていたのを思い出して……それに見かけたことのない方だったので、つい……すみません」

「謝ることないわよ、喜んでくれたようでなによりだわ。それにしても、この本凄いわね。写本でしょう?」

「俺はまだまだ見習いで……今は正確に文字を書き写すばかりで……一から本を作るのだって、まだ1度しかしたことなくて」

「でも、本物と書体も同じくまるっきり写すなんて、技術がないとできないことよ。十分にすごいと私は思うけどね。それに最初はなんだってできないものよ。私だって歌は下手だったのよ」

「そうなんですか」

「そうよ。でも、上手くなりたいって意地になって何度も何度も練習して、今、やっと自信を持てるくらいにはなったかなーってくらいだもの」

 俯きがちの少年の手を握り、髪に隠れた目を見つめる。前髪に隠れてわからなかったきれいな青い瞳が隙間からこちらをのぞいている。

「あなただって、今まで積み上げてきた技術があるんだもの。へこたれずにやってきたことを誇りに思ってこれからも頑張れば、きっといいものが作れるわ」

 私なりに励まそうと言葉をかけたが、青年はさらに俯きがちになり、口を閉ざす。

 これは生まれ持った性格もあるのかな、無理に元気付けることはやめたほうがいいかもしれない、と握っていた手を離す。

「えーっと、手当てをしてくれたし、荷物も拾ってくれたし、本当は今日は休業だったんだけど、お礼に一曲歌わせてもらえないかな?」

「いいんですか?」

「いいのいいの。私、これしかできないもの」

 私が座っていた椅子に少年を座らせ、代わりに立ち上がる。深呼吸をした後、息を吸う。彼に贈るのはこの歌が良いだろう。

 とある時代、とある街で、心優しい少年が傷ついたドラゴンを助け交流を深めた話がもとになった歌。

 彼の心に届いて、少しでも何かが残るように。私の精一杯の歌で、彼の心が癒されるように。

 奥底に隠れた少年の青い瞳は、まるで太陽の光に反射した海のように、きらきらと輝いていた。髪で隠さずにもっと色んなものを見れば素敵だろうに、と思いながら、心を込めて、彼のための歌を紡いだ。

 歌い終わると、少年は大きな拍手をしてがっしりと手をつかんで、

「すごかったです、親方や奥さんが言うとおりでした!」

と絶賛してくれた。恥ずかしがったのか、すぐに手を離してしまったけれど。

 暗かった表情は明るくなり、顔色もさっきより良くなっているように見える。

 一人で帰れるからと断ったのだが、心配性な少年は、私をわざわざ宿まで送ってくれた。それに加え、荷物まで持ってくれた。将来は紳士的な人物になるに違いない。

「手当てをしてくれてありがとう。助かったわ」

「俺の方こそ、素敵な歌をありがとうございました」

 手を差し出すと、一瞬躊躇いながらも握手をしてくれた。見た目に反して、マメだらけで分厚い手。彼の努力の証。

 帰路につく青年の姿を見つめ、あの子が自信を持てるようになれたらなあと思いながら、恋しいベッドの待つ部屋へと戻るのだった。

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