三十日目(3)「Not Yours Honey」

「ふんっ!! はぁっ!!」


 ────腕の筋肉に力を込める。ああなんと素晴らしい筋肉だ。


 完璧な筋肉


「しかし!! まだあの炎に挑むには足りぬぅん!! 筋肉ですべてを解決できる訳ではない筋肉卿に価値などあるのか!!! いや、ない!!」


 そんなことを叫びながらガイ=マッスルウォールは、己の体を写した姿見を見てキラキラとした笑顔を浮かべる。


 何故なら、彼にとっては炎とは既に克服した筈の現象であり、〈煉獄〉ユーリッドの炎に焼かれて戦闘不能にされた事は確かに悔しい事実だったが────。


「まだ筋肉は発展途上!! うぉおおおお!!!」


 あの炎を克服する。そうすることで己の筋肉は更に至高の筋肉へと近付けるのだ。


 そう考えるだけでガイの上腕二頭筋は歓喜に震え、居ても立っても居られず自宅の地下のトレーニングルームへと駆け込まずにはいられない。


「今日は一日、筋トレだな!!!」


 ────そして式典当日、彼が人目のある場所に出てくることはなかった。



 ◆◆◆


「────お似合いですわ剣姫様!! どんな殿方の意識も釘付け、暖簾に腕押し、糠に釘、四面楚歌!! 一目惚れ間違いなしです!!」


「そ、そう? ってなにか誉めるには変な言葉ばっかじゃない……?」


 私はユーリッドよりもひと足先に式場の控え室に来ていた。ウェディングドレスを着るためである。


 これ、面倒なことに自分だけで着ることが出来ないのよね。だから、式場のスタッフの女性に手伝って貰ったのだ。そしてそんな彼女がやたら目をキラキラさせて誉めてくるので、悪い気がしない。


 因みにこのウェディングドレスを着るのは、衣装合わせの時と二度目。リハーサルではドレスを着ないでやったので、つまり。


 ほぼ初お披露目ということなのだ。


 もちろん、ユーリッドにも見せてない。だからこう、なんというか、ええっと……。


「……これ、ユーリッドが見たらどう言うかしら。普通のドレス、帯剣とかしないし……邪魔じゃない? これ」


 ……不安だった。だってあいつ私の服まともに誉めたことないじゃない? 一周回ってあいつが私のことどう思ってるのか分かんなくなっちゃったわね。


「いえいえ、剣姫様らしくてお似合いですよ!! って、まさか煉獄様はまだ見てないのですか? ……勿体ない」


 私の呟きを聞いていたのか、スタッフさんが聞いてきた。どうやら一昨日いなかった人みたい。


 ドレスの着付けが終わった私に、スタッフさんが髪型を整えてくれている。その間暇だったからか、私の口からはするっと愚痴が漏れだしていた。


「そうなのよ。タイミングがなくてね、一昨日とか終わったらすぐどっか行っちゃってさぁ? 他にもあいつ、結構他の女と仲がよさげでね────」


 するすると。すらすらと。


 ひとことひとこと言う度に鏡越しに見えるスタッフさんの目が段々と輝いているように見えた。


「────らぁ何てひどい殿方ですこと!! 」


 私は、乗せられるようにあいつへの不満をぶちまける。いやぁ、ほんっとひどいよねー。あいつ。最初っから不満を言えば嫌みったらしく潰してくるような性格の悪さが服を着て歩いてるようなやつだったし。


「────れはいけないですね!!」


 そうよー、マジ最悪よー。ほら、一応国の政治がらみだし、真面目にやろうとしてるところにいきなり安酒奢ってくるのよ? いや、奢ってもらうことに文句はないけど初めてのディナーがあれって。


「────っくりしちゃいますね!!」


 え、まあ、そうね。ビックリしちゃったわね。最初の頃なんて戦時中の魔導師兵に対するウザったさも手伝って、ガチで嫌いにだったもん。


 それでもさぁ、勝負とかしてるうちにあいつのこと、『悪くない』って思うようになってて。


「────た女癖悪そうですね!!」


 ん……? いや、そう? 実際そうだけどさ、あいつ。何せ私の前で別の女の人に好きだって言い出したし、あの夜のことは実はほとんど覚えてないんだけど……。


「────んだ方がいいです!!」


 …………………………■■リ■ドが、■んだ方がいい? それは────。


「そうでしう? わかりますよ、私もあの男のことは嫌いですからね、剣姫様、一緒にあいつを倒しましょ!! 」



 そ

 う

 ね

 、

 そ

 う

 し

 ま

 し

 ょ

 う

 か

 。











 ……──何て言うと思ったか!!! バーカ!!


「ふんぬっ────っ痛ったぁあああ!!!?」


「なっ!? ハ……いや、け、剣姫様!? 何をしているんですか!!?」


「自分に渇を入れたの。あーもーっ!! いくら魔法に疎い私だってそう何度も何度も洗脳にかかるかってんのーっ!!! あーヒリヒリするぅ……これから人前に出るって言うのに、なんてことしてくれてるの!!?」


「えっ、いや、自分でしてましたよね?」


 一瞬自分が自分でなくなるような感覚に襲われた私は自分の頬を思い切り張った。


 この間隔には覚えがある。あの日、イルミアさんを守らなきゃいけないと感じたアレだ。目の前がぐるぐるとぐらぐらとして、自分の体が勝手に動いてしまう感覚にはやっぱり恐怖しか覚えないけど。


「ふぅ、対策してて良かったぁ」


 対策とは、『あれ? おかしいなぁ』って思ったら自分で自分を殴ることです。あっこらそこ考えなしとか言うな、私もそう思います。


 まあまあ。ともかく成功したのでいいじゃん。いやぁ、危ないところだったねー。縦読みで深層心理に直接言霊に魔法を乗せてぶつけるって、私が相当油断してないと洗脳入らないじゃん。


 あと私、流石にユーリッドに『死んだ方がいい』なんて言う人いたら怒るからね?? 怒れなかった時既に術中にハマりかけてた訳ですよ。ふぃー。こわいこわい。


「……だから私、君には結構怒ってるんだよ。?」


「……私は違いますよ?」


「にこにこして誤魔化しても無駄。こんな杜撰な仕掛け、って確信してる人間しか無理じゃん」


 ニコニコしていたスタッフさんは一変、衝撃を受けたように後退る。


「つまり、剣姫様を見下していると? まさかそんなわけないでしょう畏れ多いにもほどがありますよ!!?」


「未だに演技続けるんだ? なにも見下すだけじゃないでしょ、って毎回杜撰な作戦で突っ込んでくるお馬鹿な弟分には私、すっごい思い当たるのよ」


 伊達にずっと一緒にいないっての。あんたたちも私も同じだったでしょうが。その技能の特性、性格の癖くらい長い付き合いの私達なんだから、分かるに決まってるじゃないの。そういう点では通じあっていると言ってもいいかもしれない。


 だいたい、ヤンデレ年下イケメンは全然タイプじゃないのよ!! っていうか一回殺されてるのよね!! 全然死んだ気がしなくて今でもたまに忘れるけど!!


「……流石ハニー、お見通しってことか」


 そういうと、顎の辺りの皮膚を思い切り掴んだスタッフさんがベリベリと顔の皮をめくっていく。あら不思議、中からグランデ=エクスフォードの顔が。


「相思相愛な僕の前では下手な誤魔化しなんて要らないってことだね? マイハニー?」


「違うわよ……」


 向こうはまったくわかってなかった。


「ふふふ、照れなくていい。ハニー? 君の為に僕とあいつらですっごく準備して、舞台を整えたんだ」


 それどころか陶酔したように私に話し掛けてくる始末だ。


「……って、舞台? 舞台って何よ」


(──やっぱりこの男何かしてたんじゃないの!! ユーリッドの嘘つき!! 何が大丈夫だ心配ないだ嘘つかないだ!! こんなところにグランデくん居るってかーなーりヤバイんじゃないの!!?)


 という慌てとか混乱とかそういうのをもろもろ隠して平然と真顔で聞いた私を誉めてほしい。冷静な女。くーるびゅてぃー。鋼鉄の乙女とか、そんな感じで。


 いやこの場で誰も誉めてくれる人居ないけども、そんなこと考えるくらいには頭が変になってたってことで。


「よぉく聞いてくれたねマイハニー!! 実はだね、今頃ロイズとイアイの手で大量虐殺が起こり、シルバーによって要人の大量不審死が発生している頃合いさ!! さあて、あんなやつとの結婚式なんてしている場合かな??」


「そんなわけないでしょ。あんたらが組んだときまともな成果を出したことないじゃないの」


 戦時中、何度か一緒に作戦行動したことはあるけどだいたい仲間割れしてたし。思えばあの頃から変になつかれてた記憶があるわね……。


「険しい表情も可憐だねマイハニー!!」


「ふざけないでよ」


「僕はずっと真面目さ。あんな男、ハニーに近付けたくもないんだ、だから好戦派の暗愚どもに便乗してこんなことをしているんだ」


 グランデが右手を私に差し伸べる。


「さあ、ハニー。一緒に逃げよう!! こんなのは君のじゃない。僕こそが、ハニーにふさわしい」


 ────礼服を着た美男子に手を差し伸べられる花嫁。見た目だけはお似合いな二人として押し出すことも出来るような光景だなぁ。


(、ねぇ)


「はぁーーっ、??」


 私は、グランデの右手を払い除けて、大きな溜め息を吐いた。


「ハニー?」


 よほど予想外だったのか、間抜けな顔でグランデは右手と私を交互に見た。



 ────なんて、ユーリッドなら言いそうね。


 もちろん私はユーリッドじゃないし、あいつだったらなんのかんのとちゃんと考えた上で断ってるだろうけど。


「まさかあの男にそこまで洗脳されているとは、ああ哀れマイハニー……!!」


「勝手に洗脳されたことにしないでよ。もしされてたとしたら、そうね……お母様があいつをドラゴンの餌にしてるわよ。絶対に」


 洗脳ってさっきじぶんがやろうとしてたじゃないの!?


 そんなことは何処吹く風とばかりにグランデは言うものだが、流石に彼もよく知るお母様を例に出したことで私が洗脳されているという考えは捨てたらしい。


「ということは、真っ当な考えのもと断ったというのか……でも、それで本当にいいのかい? この場は既に好戦派によって抑えられているんだ。つまり、今僕の手を払ったってことは、ハニー。君の命の保証はもう出来ない……それで、本当に」


 目を伏せ、悲しそうにグランデは言った。まだ諦めていないのだろう、まだ認めていないのだろう、密かに彼の目は私に笑いかけている。


「もちろんよ。私のはただ一人だもの」


「ハニー!!」


 グランデが歓喜したように顔を上げたのが見える。


「────だからこの部屋から出てけよな、部外者」


 でも残念、私は一生君を選ぶことなんてないから。そう示すように冷たく突き放した。


「な……な……っ!?」


 まだ信じられないの? グランデくん。お呼びじゃないの、さあ帰った帰った。


「……後悔するよ、ハニー。君は間違いなく、かの邪知暴虐な〈煉獄〉に洗脳されているんだ。君だけじゃなく、皆!! そうだ、そうにちがいない……っ!!」


 ────確かに一月前の私が今の私を見ても『洗脳されてるんじゃ』と思うかもしれないわね。


 でも違う。君は私に矢を向けて突き放した。でも彼は私に嫌われても離れなかった、刺されても手を伸ばしてくれた……そんな私でも好きになったなんて言ってくれた。


 も、もちろん好きって言われたから好きなわけじゃないわよ!? そうじゃなくても、私はあいつが好きなの!!


「後悔? 。あのときとは違って今は私は一人じゃないわよ」


(そうでしょ、ユーリッド!!)


「僕がいないとハニーはずっと一人だよ。今までも、これからも、ね??」


「────それは違うよ。シェリーア=メイフィールドはずっと一人じゃなかった、そうだろう?」


 その言葉は、部屋の真ん中。なにもない空間から聞こえた。誰の声か、なんてそんなのは聞いただけでわかる。


「イルミアさん!!」


「はいどうも、忌まわしき生ける屍なイルミア先生だ。遅れてごめんね、シェリーア───さてさて、初めましての人ははじめまして、久し振りの人はこんにちわ。勘違い野郎にはさようならを突きつけに来てしまったわけだよ」


 部屋の真ん中に影も形もなかったイルミアが突然出現する。真っ白なローブを身に纏い、真っ白な三角帽を目深に被ったイルミアは見覚えのない杖を片手に不敵に笑った。


「なんですかその口上」


「かっこいいだろう? エンディングも近いだろうし盛り上げてみたくてね。どうだったかな」


「そうなんですか? あはっ、最高ですね」


 イルミアが私を背に庇うように間に割り込む。


「あと悪いね、シェリーア。ブーケは受け取りには行けなさそうだ」


「────。そうですか……」


 グランデは、虚空から弓を現出させて後方に飛び、距離を取った。


「マイハニーから離れろ!! 穢らわしい!!」


「いつまで狂ったつもりでいるのか、それは別にあんまりこれといってまったく興味はないけれど。今までもこれからもシェリーアは間違いなく一人じゃない、そんな事も認められないなら君はこの場に、彼女の結婚式にはお呼びじゃないんだよ。……という訳で、また今度。シェリーア────」


「何を────」


 イルミアが杖を振ると、イルミアがグランデごと姿を消す。


『邪魔はこの辺でおさらばさせてもらうとするね、安心してくれ。障害は皆まとめてこの〈雹帝〉が始末しておくから』


 そうやって、私笑いかけながら消えていったけれど。


「……私は、イルミアさんにも式場にいてほしかったんだけどなぁ」


 そんな呟きが、聞いてほしい人には届くことなく虚空に溶けていった。

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