十九日目(3)「コウモリの悪巧み」
生前、〈雹帝〉と恐れられた女は屋敷から海で遊ぶ二人を眺めて心底嬉しそうに笑っていた。
かつては敵国の一兵士だったシェリーアの成長に、親のように喜んでいる姿は異質であるが……彼女を知るものであれば、きっと諦めたように納得するだろう。────そういう人なんだよ、と。
「やっぱり全部わかってたんだろう? 吸血鬼の姫君」
「(ばさばさ)」
「不変の英雄性……それが宵闇の国と言ったかな、その守護に加われば他国に対して絶大な牽制になる。どこで死した私に目を付けたのかは分からないけれどね」
イルミアの横で一定の高さに留まっているコウモリ。そいつは何も答えない。
「君についていけば、一生、宵闇の国の奴隷になるのかな? あ、一生って言っても私は死んでいたんだった、とは言え意識的には生きているようなものだから仕方無いね」
「──ですわね」
「お、喋った」
「お嬢様と私、夕日に向かってマラソンタイムですの」
「それで余裕が出来たと」
「いえ全然。お嬢様速すぎますわ!!」
ばさばさぐるん、とコウモリが暴れる。その様子とても元気一杯だ。
「ははっ」
「そ、そこ笑うところですの!? もっとこう……いえ、そういう話は今は良いですわ。超厚待遇を約束しますわ、死すれど〈雹帝〉の名は私どもの国にも響いておりますので。それはもう、ヒュードラの咆哮ばりに、ですの!!」
イルミアはヒュードラが何か分からないが、意気込みは伝わった。
「へえ、それはありがたいね。あ、で、その答えなんだけれど」
「ごくり、ですわ」
コウモリが器用に唾を飲む。
それかはイルミアはふと外で猛スピードで走り回る二人に視線を移しながら微笑を浮かべる。
そして、その向こう。海上に居る彼を思い浮かべて彼女は幸せそうに────
「────私は思ったよりユーリッドを愛していたらしい」
だから、きっと幸せになってほしいのだ、と。イルミアは強く願っている。
その言葉に、コウモリが「分かりますわ」と答えた。
◆◆◆◆◆
────さあ、こっちにおいで────。
「ぜー、ぜぇーーっ、おじ、お、おじゃ、うさま……ぇぇ……はやすぎ、ますのぉ……」
「……今、声が」
(何か、とても嫌な予感がする)
「ご、こえ、ですの……?」
「呼ばれた」
「それは、はあっ、ふぅ……どう言うことですの……?」
「わかんないけど、何だろ。行かなきゃいけない気がする」
心の内側がぞわぞわする。呼ばれてる。呼ばれた。だからきっと行けばこのむず痒さはなくなるかもしれない。
でも、どこから?
「そうですの? それは……屋敷ですの?」
────そうだ、屋敷だ。わかる。わかった。屋敷から聞こえた筈だ。屋敷から聞こえたのだ。
屋敷に行かなきゃいけない。屋敷? ああ、ここの。
「それは大変ですわね、イルミア様に何かあったのかもしれませんわね。私はすぐにユーリッド様に」
────────。
「ユーリッドには私が伝えるから、リースちゃんが先に見てきてよ」
「……えっ、分かりましたの」
何故だかリースちゃんは思ってもみないことを言われた風の驚き方をする。変なことは言ってない筈だ。
「……場所、分かりますの?」
「匂い、あるから」
言ってから、強烈な甘い臭気が辺り一帯に立ち込めている事に気がついて────その異常さに我に返った。
──ウワ何コレくっさぁあ!!?
「えっお嬢様突然鼻を押さえて転がり、えっ!?」
「は、はなまがう!! うみはいう!!」
「……そうですの?」
ざっばーん、と海に頭から突っ込む。水着着てて良かった。海の中までは臭いは来ないらしい。
ユーリッドのものとは全く別の、意識を強奪する程の甘い臭気。リースちゃんは平然としている。これは、間違いなく、私しか分かってない匂いだ。
元々私、嗅覚は鋭かったので。……誰が犬じゃ。
「ふへー、リースちゃんはやっぱわからない?」
「そう、ですわね。どんな匂いですの?」
「ショートケーキをぐずぐずに潰して爆発させたような匂い」
これは割と会心の喩えなのでは? わあ、的確ぅ。
「良くわからない喩えですわね……」
え。
「酷い匂いというのは分かりましたわ。どこに元凶があるのか分かりますの? 先ほど声がどうとかなんとか言ってましたわね。そちらでは」
「声? 何それ?」
全く覚えのない言葉に、私は首を傾げた。
「……やはり、屋敷にはシェリーア様が行くべきですわ」
「…………どゆことよ」
「先程シェリーア様が言ったのですわ。声が聞こえたと」
「……まじ?」
「まじですわ、どうも虚ろな印象を受けましたので、きっと催眠状態のような何かに陥っていたように思いますの」
かもしれない。たしかにさっきの記憶が曖昧だ。もしかすると変な匂いで吹っ飛んだだけかもしれないが。
「やはり、急ぐべきだと思いますの。シェリーア様は屋敷へ。私はユーリッド様の方へ」
「え、うーん、そう? そう思う?」
なんだかよくわからないけど、リースちゃんはきっと善意で言っている。私はそう思って、ユーリッドの義父さんの別荘に足を向けた。
「わかった、じゃあリースちゃん。任せるよ」
「はい、ですわ。シェリーア様」
◇◆◇◆◇
「おや、ユーリッド様。引き摺られてるお方はもしや義父様ですの?」
「そうだよ……そのうち目覚めるしその辺置いとくか。さて、シェリーアはどこ行った? 儀式やるって言いに来たんだが、姿が見えねぇし反応もねぇ」
「────」
「おい?」
「お嬢様なら、声がすると屋敷に戻りましたわ」
「……声?」
「さあ?」
「……なぁ、リースハーヴェン」
「なんですの?」
「どこで喋ってんだ?」
────ああ、これだから英雄は。
「……これだから、勘のよろしい方は苦手ですの、今更とは言え私の視点が此処に無いことを見抜くなんて。ここにあるのは聴覚のみですわ」
「……屋敷で何かあったな? 先生は無事か?」
「ええ、酷いことになりましたの……にしても第一声がイルミア様ですの? もう少し……お嬢様には」
「い、いいだろ今そういうのは! とにかく、屋敷の方だな!?」
「そうですわね」
「オッケー、じゃあ行ってくる……いやそっちに行く、でいいか? じゃあな」
「はい、待ってますわね。ユーリッド様」
────これで、よし。
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