ゼラチンに沈む
Planet_Rana
ゼラチンに沈む
最近、不思議なことがある。
世界がゼリー状に、半透明でカラフルなコンニャクみたいな固形物に、見える事があるのだ。
特に困る訳では無いが、人と話している時はちょっと迷惑だ。
声も仕草も分からなくなってしまうので、会話が成り立たない。
例えるとすれば、今まで親しんでいた言葉で話していた筈なのに、相手が急に知らない国の言葉をぺらぺらと言い始めたような。そんな感覚だ。
確かそう言った状態に陥る症状というのも、世の中にはあった筈だが――ゼリーが収まると、その間に考えた事はほとんど忘れてしまうので、何度経験しても調べようがない。
不可解な事に、世界が半透明になったときには、私の記憶は連続しているのである。前回同じ現象が起きた時の事を覚えているし、その現象に襲われる前に誰と何を話していたかまでしっかりと覚えている。
しかしその逆で、世界が元通りになったとき、私にその自覚はないのである。ただ、傍から見て唐突にぼーっと上の空になる。それは怒られるわな。
何となく居づらくなって、会社を後にし、エレベーターで地上まで戻る。三度止まったエレベーターの中には、いつのまにか沢山の人が乗っていて、私はギュウギュウ隅に埋まってしまった。
皆、一階で降りる。私もついていく。
自動扉を潜ろうとしたら、前の人と距離があったからか閉まってしまった。
次に開くまで、少しのタイムラグ。
開いた瞬間、またゼリー化した。
一体どういう事情だろう。私の目がゼリー状にでもなってしまったのだろうか。確か硝子体とかいう透明な流動体が、私の目には詰まっている筈なのだけど。問題はきっと水晶体にある気がする。じゃあトイレにでも行って確認すればいい、と思考するものの、ビルを出た所でまた世界が元通りになってしまって忘却する。
うーん、どうしたんだろう私。頭がぼーっとするばかりで、今日も一日怒られっぱなしだったじゃないか。仕事ができない人間は社会不適合者の烙印を押され、今日も重い足に責任とその解決を求められることに対する重りが追加されている。重たい荷物は背負った方がいくらか軽くなる筈なのに、世の中は上手くできていないものだ。
信号を渡る途中、足元の白黒がコンニャクの灰色に一体化した。
はあ、信号の色が分かりやしない。人の表情も伺えやしない。
残念ながら、ゼリーでできたツートン看板は避けられなかった。
「?」
……?
今、なんていった? 避けられなかった、っていったのか?
私は、交差点の真ん中、重りのたくさんついた足を引き摺って、元来た道を引き返す。そこには、ゼリーの板の下敷きになる、誰かが。いや、私がいた。
顔も見えない。姿もただの切る前のところてんと言ってもいいところだが、そのところてんがぐっちゃぐちゃになって、そこらに散らばっていた。
赤青紫。地面のコンニャクとゼリーがほのかに色を変えていく。
そうか。
今日は昨日の続きなんかじゃない。
これは、白昼夢だ。昨日の、白昼夢。
きっと、この場面が終われば。私はまた同じ昨日を繰り返すのだろう。
ゼリーの世界で見た私を忘れて、淡々と昨日を廻り続けるのだろう。
いつまで?
分からない。
でも。会社のビルが無くなっても。私はあそこに行くのだろう。家賃の安い風呂無しワンルームから地下鉄の駅までパン銜えて走って、地下鉄に乗って人の熱に揉まれて、汗だくになった服は駅の近くで着替えて、会社に出社して、怒られて、帰る途中にぐっちゃぐちゃになって。その繰り返し。
きっと私は、誰にも見えない何かなんだと思う。スクランブル交差点の真ん中で誰にも避けてもらえなかった、私だからいう。影の薄い人間が影の無い何かになっただけだ。
ゼリーの世界が切り替わる。私の記憶はここで死ぬ。
それでも願ってやまない。せめて、今日の始まりに私がサボタージュできていたなら。
あんな風に踏みつぶされるよりは良い結末を迎えただろうに。
カクテルパーティの夜が明け、私の名前を呼ぶ声に振り向く。
きっと空耳で、誰も私を見はしない。
踏まれた花の、すりつぶされた花弁の下で、潰れた腹から蟻酸を振りまくように。
ゼラチンに沈む。
おはよう私。今日も朝ごはんを食べる余裕なんかないから、ただの白いパンを銜えた。
擦り切れたパンプスから接着剤の香り。スーツの解れは明日直そう。
髪を整えるのは後で良い。とにかく電車に間に合えばいい。
けれどふと、玄関に立って不安になる。
焦燥を抱いたまま、扉を開ける。
今日は昨日の夢を見る。
今が現実だと気づくまで。
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