第11話 恐怖帝

 私は召使の碧眼をかすめるように撃ち抜いた。


「――――あ、ああっ! っああああああああああ!」

 銃声に続いて、少女のひずんだ悲鳴が薄暗い広間にこだました。

 白髪の老人が力なく倒れ、死体を貪る魔物が動きを止めるのを見て、私は拳銃をおろした。


    ●


 メイが私に夜這いを掛けた時の事である。

「うふふ、私の秘密をお教えしましょう」

 そう言うとメイは私にそっと顔を近付けて耳打ちした。

「私、誰かに殺されるとそくうりそのままその方の姿で再生するのです。そういう体質なのですよ。そして今のところ私を最後に殺した人物はあの恐怖帝なのです。この意味がお分りで?」

「じゃあ、お前は――今のお前は……」

「ええ、その通りでございます。そういうわけですから、この顔を、体を目に焼き付けたら早く私を殺してくださいませ」

「いや、でも」

「今までいろんな体を品定めしてきましたけど、貴女が一番お気に入りなのです。その顔も髪も体もパーフェクト! さ、早く!」

「い、いやダメだ。まだダメだ。殺せない」

「どうしてですか!」

「まだ、皇帝については知りたいことが山ほどある。――取引だ。私に協力してほしい。そしたらいつか、お前を殺してやる」


    ●


 玉座の後ろ、悪趣味な髑髏装飾の壁、その仕掛け扉を開けて私は広間に出た。痛みで床を転がりまわる金髪の少女の傍に立ち、彼女を見下ろした。

「うちの商会にも趣味の悪い者がいたようです。玉座の広間に細工をしろとは命じましたが、髑髏の目が丁度のぞき穴でした」

「なんだ! ああ! 何がどうなった⁉ 何故余の目がぁっ! い――痛い痛い痛い! 誰が撃った⁉ どうして撃てた‼」

「私が撃ったんですよ。射撃の腕は母譲りなんです」

「その声は……何故だ、貴様はたった今目の前で殺したハズだぁ!」

「死人に撃たれたとでも思いますか? それも間違いではありませんが、影武者を使うのは貴方だけじゃなかったってことですよ」

 金髪碧眼の召使。いつも年老いた皇帝の傍にいて彼を介助していた少女。装いや髪型は違えどその貌はエンナ邸で働いていた不死身のメイドと瓜二つ。

「影武者……あの不死身の女か! ああっ! クソクソクソッ! だからか! だから貴様は余を! そこの老いぼれではなく余を撃ったのか!」

 恐怖帝は体を震わせながら上体を起こした。

「その通りです。貴方は貴方の秘密を知る彼女を絶対に逃がすべきではなかった。杜撰ですね。だからこういうことになるんですよ」

「余の――余の力を以てすればあんな女狐一匹から情報が漏れたところでへでもなかったのだ!」

「情報(それ)が命取りになることは貴方もよく分かってるはずですよ。

 ――さっきは随分いろいろ話してくれましたね。冥土の土産でしたっけ。私も教え上げましょう。本当は全て知っていました。貴方がどうやって情報を得ているのかも、何故戦争を長引かせたいのかも――貴方が私と同じようにこの世界に転生した人間だということも。全部彼女から聞きました」

「だから! だから何だと言うのだ! 余は恐怖帝だ! 例え情報面で対等であったとしても直接相対すれば! 「王の目」があれば負けることなど有り得ない! 有り得ないのだ!」

「まだ、それを言いますか。もうあなたに眼はありませんよ」

「うるさい! 余の眼! そうだ例え眼球がえぐられようとも余の力そのものが失われたわけではない! そうに違いない! おい魔物ども! コイツを食え! 食い殺せ!」

 怒鳴り声をよそに、魔物は微動だにせず立ち尽くしている。動け、殺せと恐怖帝の叫びだけが響いた。

「どうした余の言うことが聞けないのか! すべて思い通りになるはずなのに! いままでずっとそうっだったのに! チート能力でこの世界は全て思い通りなのに! 最恐の皇帝! 恐怖帝の命だぞ! だれも逆らえぬのだぞ! 動け! 動け…………!」

 動け、と何度も叫び、やがて消え入るように呟いて項垂れた。

「……もう気は済みましたか? どうせ貴方のその魔法、転生したときに手に入れた力なんでしょう。それで今まで好き放題やってきたんです。もういいじゃないでですか

 貴女は自分の秘密を漏らすべきではなかった。もっと徹底して国全体を監視すべきだった。そうすればこんなことにはならなかった。全部貴方の幼稚な奢りのせいなんですよ」

「…………のだ……なんなのだお前は! どうして邪魔をする! 余はただ生まれ変わって得たこの力で! 都合のいいこの世界で! 好きなようにやりたいだけなのに! 貴様も転生者なら! チート持ちならそれで好きにやればいいだろう! なのに何故邪魔をする! 何がしたいんだお前はぁ!」

 少女は今はもうない眼で私を睨みつけて言った。

 何がしたい。そうだ。結局この世界はそこから始まっている。

「私はね、やり直したかったんですよ、きっと」

 私は懐から煙草を取り出しながら続けた。

「元の世界では武器商人をやっていましてね、間接的にですが随分と多くの人を死なせて荒稼ぎしてきました。私が殺したようなものです。きっとあなたより沢山殺しましたよ。世界で一番人を殺した男といっても過言ではなかったかもしれません。

 それでも特に負い目は感じていませんでした。それが一番賢く、現実的で、確実に莫大な成功を収める方法でした。私は間違っていない。これでいいと信じていました。

 ところがどうでしょう。この世界に来て、こんな体に生まれ変わって、いざ目の前の人が自分のせいで死んだら。私はその負荷に耐えられなかった」

 煙草に火をつけ、ゆっくりと喫した。煙が脳に回って少しだけ感情を鈍らせてくれる。そうでもしなければ話していられない。

「ここは夢の世界です。なんでも都合よく思い通りになる、というのは結果で、そもそも世界が、こうあって欲しい、こう在りたいという祈りでできている。そういう世界です。

 成功のための一番利口なやり方だからと、理屈で誤魔化してはいても、結局心の奥底では自分のせいで人が死ぬことを悔いていた。

 そんな私がやり直すためにこの世界が生まれた。あなたも元の世界でやりたかったことをこの世界でやっている。そうでしょう?」

私はリボルバー式の拳銃に弾を込め直しながら言った。

「……ああそうだ、そうだとも! 元の世界じゃ何もできなかった! いいことなしだったさ! やりたいことも出来ないうだつの上がらない惨めで散々な日々だった! だからこの理想郷で楽しくやろうっていうんだ! お前も好きにやればいいだろう? やり直したいならやり直せばいい。何故わざわざ邪魔をする必要がある!」

「嫌いなんですよ、やっぱり。こんな都合のいい甘ったれた幼稚な世界も。それをよしとするような人間も」

「世界が嫌いだ? さっぱり分からん! いいじゃないか! 都合の悪い現実から目を背けて理想の夢の世界に逃げることの何が悪い! そんなことまで否定するのかお前は!」

「別に悪いとは言っていませんよ。ただ嫌いなんですよ。もっと言えば夢は夢のままで終わらせるべきだと思うんです。終わらない夢は現実と変わらない」

 だから、

「終わらせるんです、この世界を」

 私は自分のこめかみに銃口を押し当てて言った。

「お前、何のつもりだ?」

「おや、見えているんですか?」

「チートを舐めるな、回復能力くらいある。あと数分もすれば力も戻る」

「そうですか。それじゃあ急がなければいけませんね」

 銃口がまだ僅かに熱を帯びているのが分かる。

「ここまで余を追い詰めて、それでお前が死んでどうなるっていうんだ」

「言ったでしょう。きっと私がやり直すためにこの夢の世界が生まれたんです。この世界は他のなによりもそれにとって都合がいいから。だから」

「お前が死ねばこの世界も消えると言うのか。ハハハ! 面白い! そんなの全くもって根拠がない! お前がこの世界を作ったなんて、ただの思い上がりかもしれないんだぞ? それでも試してみるか? 試しに死んでみるか?」

 恐怖帝の碧眼は既にその形を取り戻していた。

「最後に訊いておきたいことがあります。伊都府郎、この名に覚えはありますか?」

「なんだそれがお前の本当の名前か? そんな名前初めて聞いた。聞き覚えなどない。さあ早く引き金を弾け!」

「そうですか。なら、もう結構です」

 再び広間に銃声が響いた。体がどさりと床に倒れる。

 傍に立ち、それをまた見下ろして銃口を向けた。


 横たわる碧眼の少女の胸のあたりが赤く滲み出した。


「あとすこしだったのに……なぜ――余を撃った」

「私が死んでもこの世界は終わらない。その確信が持てたからです」

 ほとんど元通りの青い目が私を見る。

「その顔……そうか分かったぞ。ふふ。お前、自分のこと嫌いだろ?」

 弱弱しく絞り出すようなその言葉に、僅かの間体が固まった。

 ほとんど生気のない彼女の顔が笑ったように見えた。

「大したものです。でも、さあ、どうでしょうね」

 三度目の銃声が響き、弾丸が少女の胸を穿った。


    ●


 私はまだ息のある少女の喉元に三発ほど鉛弾を打ち込む。

「メイ、短刀をよこしなさい」

 そう言うと私の形をした死体だったモノがぼぞぼぞ、と痙攣しながらうごめく。そうしてやっと駆動させたらしい片腕だけで短刀を私の足元へ放った。リボルバーをしまい、カチャンからから、と音をたてた刀を拾う。利き手で鈍く光るそれを持ち、逆手で虫の息の皇帝の頭髪を掴む。

 ぞぶぞぶ――

 先ほど銃弾を打ち込んだおかげでいくらかは切りやすかった。しかし、やはり簡単には落ちない。

 なかなかどうして骨が折れる。

 ある程度肉と筋を斬ったところで刃を離し、首元を利き足で踏みつける。そして金髪を鷲掴みにしている逆手を思い切り引いた。凡そ人の首が曲がらない方向へ。首の間接、その限界を超えた角度で、力任せに。


 骨が軋んだ。


 かたい殻を割るような音がして首の骨が折れる。恐怖帝、その生首が今私の手に髪を掴まれて宙づりになった。切り口は無残にへし折られた骨が剥き出しになり、肉と筋と管とがぐちゃぐちゃに刻まれて、皮が枯れ葉みたいに揺れている。ぼド、と時折血肉と体液の塊のような何かがしたたり落ちる。

 ……汚い。さっさと済まそう。

 皇帝の首だったモノは頬の肉を微動させている。流石に皇帝程の魔力を持つ者ともなると生命力が強いがとうに意識が無いのは疑いようもない。今まさに生命が終了する過程にある。ただ命の長すぎる余韻が続いている。

 生物(いきもの)から物(モ ノ)へと変わっていくその唇に、私の唇を重ねた。鼻が邪魔なので顔を斜めに傾け、深く深く重ねた。

 重ねて、歯を立て、噛み千切った。だらしなく伸びた舌と頬を一緒に食いちぎって咀嚼した。口内が晒された生首は最早、人の貌をしていない。

 私は口腔で転がした肉の一片をなんとか飲み込んで残りを吐き捨てた。口の中に残った生臭さも唾と一共に吐きだした。


「不味い……」


 胃に落ちる肉片の感覚。同時にもう一つのある感覚が芽生える。理解したわけではない。ただ漠然と直感した。理屈は要らない。ただ自覚だけがあればよい。

 今なら使える。

 この感覚が全てだ。原因であり結果。使えるから使えるし、また使える。これは輪だ。アマリオの、母の肉を食ったときにと同じ感覚だ。外から輪廻の中に入り込む感覚。一度入ってしまえば結果が原因となりそれがまた結果となる。もはや原因も結果もない。ただ事象のみが発現し続ける。狂った世界に思えたがそれは結局理屈で捉えられないというだけだった。


 理屈では――科学では計れない。それが魔法だ。


 行き過ぎた科学は魔法と見分けがつかないなどと言うが、それは結局見分けがつかないだけで科学であることには変わりない。だがこの世界の魔法はそんなものじゃない。科学とは全く違う体系として成り立っている。原因が先行して結果が導かれるのが科学なら、結果が先行して原因が発生するのが魔法だ。この言い分も厳密には正しくないんだろうが科学的な視座からはそういう風に見える、ということだ。

 おかしな世界に見えるワケだよな。

 しかし、今や私もその世界の一員になってしまった。ただ迷い込んだだけではなく、真にこの世界の、輪の中に入り込んだ。そしてつい今しがた、恐怖帝の輪の中にも入り込んだんだ。乗っ取ったと言ってもいい。

 私はお行儀よく立ち尽くしている護衛の二匹の魔物を一瞥する。

「食べておきなさい。 残さないように」

 そう言ってすぐ、きっと声に出す必要はないんだろうなと思った。

 多分見るだけで十分だ。そこの少女の死体が生きていた頃はそうしていたのだから。

 二匹の用心棒は緩慢な動きで死体に群がり、やはりゆっくりと処理を始めた。――バキャ、グチャ、と。血と肉と骨が無残にも咀嚼されて飲み込みやすいペースト状になっていく音が聞こえる。凄惨な絵面だなとは思うものの、嬉しいとか安心とかそんな感情はなかった。復讐を果たしたなんて思うまでには至らなかった。

 西を泥沼の戦争に引きずり込んだのも母を殺したのも恐怖帝だと思っていた。実際それは事実ではある。しかし、事実は一つとは限らない。見ようによっていくつにもなる。

 恐怖帝がいたからそうなったのではない。そうなるから恐怖帝がいた。

 ここは何せそういう世界だ。

 ならばやはり、私が憎むものは初めから何一つ変わらないじゃないか。


 こんな異世界は大嫌いだ。


「ア、――アア……ヴァ」

 声らしき音でふと我に返る。 見ると先ほどモンスターに食いちぎられた死体が再生してうぞうぞと活動を再開していた。有機的な物体がぐじゅぐじゅとうごめいて肉やら骨やらの体組織に変わっていく。内臓が再生される様子までよく見える。ちょうど今出来上がった剥き出しの肺を肋骨が包み込もうとしているところだった。

 この光景を見るのは二回目だがやっぱり気色悪いな。

 一回目も落ち着いてやっていれば、手元が狂って体をぐちゃぐちゃにしてしまうこともなかったのに、なんて少し後悔しながら、私は蘇生しかけの女に話しかける。

「メイ。聞こえますか。声は出ますか」

「m……モ――ヨョッ……オ――ぅえ。お、あい……い?」

 傷はほぼ再生しているのだがどうも発語がままならない様子である。横たわる生き物らしきそれは起き上がろうと頭を持ち上げる。しかしいびつさ故かそれより先は体をうまく動かせず、ただ四肢を振っている。あまりにも醜悪だった。そうこうしているうちに三本目の腕が生えだした。見兼ねて、私は手にした短刀でその首を一刀のもとに切り落とした。

 ドチャッという湿った音と共に、頭と離れ離れになった体が再び地面に落ちる。

「流石によく切れる。やはり皇帝の魔力まで取り込むと違いますね。体が軽い」

「いきなりなにをなさるのですか、無駄に一回死んでしまいましたよ!」

 短刀に付着した血肉をふき取り、得たばかりの大きな力にわずかばかり心を浮かせているといつの間にかメイが起き上がりながら文句を言ってきた。

 よかった、今度はちゃんと私の姿をしている。

 紛れもない私の顔かたちで喋って動くこの女がメイであると、今なら確信できる。

「起きたならいい。早く行こう。これで終わりじゃないんだ」

「まあ、ご無体ではありませんか? 貴女のために死んだのですよ? それになぜか蘇生にもてこずってしまって……すごく苦しかったのです。労いの言葉があってもよろしいのでは?」

「仕方ないだろ、見ていられなかったんだ」

「苦しみにのたうち回る貴女の姿が?」

「いや、気持ち悪いクリーチャーの誕生が」

「えぇ……」

 心底がっかりしたという様子で声を漏らすメイ。

「だってほら、お前を食い殺したのはモンスターだったろう」

 少し考えて「ああそれで」と得心いったように私の顔をした女がに呟く。

「それで……どうでした?」

「吐きそうだった。詳しくは言わないが猫耳と尻尾が生えていたな。手も三本あった」

「そちらではなくてですね」

 メイは随分としおらしく、恥ずかしそうに両手の指をつんつんしたりして上目遣いでもじもじしている。できれば私の貌でそんなことをして欲しくはないんだが。一体何だろう。

「私は一度魔物に食い殺されたのですよね?」

「ええ」

「貴女の姿をした私が」

「そうだけど」

 だから、その、と私の頬を一際紅潮させながら私の目を見て言った。

「ご自分が死ぬ様は、どうでしたか? と、思いまして……」

 この問いを耳にしたとき、私は少しでもこのメイという女を尊敬してたのが馬鹿らしくなってしまったのだった。

「なんだお前、そういう性癖だったのか」

「性癖だなんてそんなはしたない! でも、まあ、その、こちらの世界に来てから、というより恐怖帝のお世話になってからは、ほら、いろいろありましたので……うぅ」

 うぅ、じゃあない。なんでこんなところで修学旅行の夜に布団にもぐってするような会話をしなくちゃいけないんだ。しかも自分の顔をした女と。

「このヘンタイ」

 メイがは泣きそうになった。もちろん、私の顔で。なんだか性癖が感染りそうな気がするのでこの遊びはほどほどにしておこう。

「そ、それで結局どうだったのですか⁉ ご自分が食い殺されるのを見て何も感じなかったわけではないのでしょう⁉」

「それに応える義理はない」

 言って私は歩き出した。

「なっ! お待ちください! 教えてくださってもよろしいではないですか!」

 構わず歩き続ける。

「大体話が違うだろう。お前は恐怖帝に直接殺される手はずだった」

「それで王族然とした皇帝の姿になった私を傀儡としてこき使うおつもりだったのでしょう? 体を餌にして。こんなの悪徳スレスレです。追加報酬があってもよろしいじゃないですか」

「お前を殺してやるとは約束したが、二回目はその限りじゃなかった。醜い化け物になったお前を放って帰ってもよかったんだ」

「――ッ、それは……」

 後ろから悔しそうな声が聞こえてくる。あれはあれで律儀なやつだ。しかもなんだかんだ言ってプライドが高い。我ながら恩着せがましいとは思う。

「どうしても知りたいならついてくるといい。きっちり働いてくれたら、ひょっとすると私も教える気になるかもな」

 ここまで言うと言葉はなにも返ってこない。見るまでもなく分かる。きっと悔しくてたまらないって顔をしているに違いない。

 少し間が空いて案の定、後ろから小走りの足音が近づいてきた。

 これ以上変な性癖を開拓するつもりはないので私の顔を振り返って見ることはせず、私たちは足早にその場を後にした。


   ●


 砦の牢に短い悲鳴が響く。幼い女の子の悲鳴だ。聞き覚えのある声だ。

 次いで下卑た低いざわめきが耳についた。

「短い名前の泥娘の分際で調子に乗りやがって! ――っと、こっちはこれくらいでいいだろう。仕込みも長かったからな、大作だ。次はどうする? 生爪でも剥ぐか? 道具なら揃ってるが」

「いやいやそれは皆の慰み者にしてからでもよろしいかと」

 閑散とした牢の中で唯一騒がしい一室。格子の扉を開けると皇帝の側近たち数人が手足を縛られた小さな女の子を囲んでいた。

 私は部屋に足を踏み入れる。

 私に声を掛けようとした男はその隣の男に焼き鏝を口に突っ込まれて倒れる。

 倒した方の男は悶絶する男の腰から剣を抜き取って自らの喉に突き刺した。

 私が数歩進むうちに似たようなことが視界の端で二、三度起こる。

 その度に血か、或いは鈍い悲鳴が飛び出した。

 いずれも、今しがた目の前で床にうずくまりながら懸命に私を見上げようとしている彼女に比べれば些末なことである。

「……フロイト、つぎは、なにすれば、いい……?」

 私は膝をつき、彼女の手足を縛る縄を斬る。

 一糸まとわずうつ伏せで横たわるマルタの背中は一面が赤く爛れた傷で飾られていた。今できたばかりの、凝った落書きの焼き入れ。きっと何の意味もない模様。

 せめて何か意味のある形だったらよかったのに。意味を見出す余地がこれっぽっちも無ければよかったのに。

 ああ、これはもう消すことのできない跡になる。

 そう思うと彼女を抱き起すまで、目眩がしそうなその背中から、しかし眼を離すことが出来なかった。

「もう、なにもしなくていいんです。何をしてもいい」

「でも……わたしはフロイトといたい」

「なら、私のそばにいてくれるだけでいいんです」

「それって、わたしはフロイトの何なの?」

「マルタはマルタです。何もしなくても、私はあなたのことが大好きですよ」

 背中に触れないようそっと彼女の肩を抱いた。次第にその肩が声と共に震えだす。

「妬けてしまいますわ」

 メイの声がした。

「でも今はそれくらいにしてくださいね。まだやることがおありなのでしょう?」

 振り向くと、空いたままの扉の外から声だけで急かされた。

「ええ、ありがとう。お前はとりあえずここに残って欲しい。なるべく姿を隠して、顔は誰にも見られない様に」

「フロイトもう行くの?」

 しゃくり上げながらマルタが私の袖を掴む。今までで一番強く。

「ごめんなさい、でもエンナを迎えに行かないと。この戦争を終わらせてきますね」

 マルタは俯いて袖を離さなかった。

「すぐに戻りますよ。帰ったらきっと一緒にご飯を食べましょう」

「…………いってらっしゃい」

 そう言いながら上げた顔は紅い眼から溢れた涙でくしゃくしゃだった。その前髪にそっと口づけて部屋を出た。

「マルタを頼む」

 入口の横に立っていたメイは「お任せください」とだけ答えた。


    ○


「よくやるよ、まったく……」

 大剣の男がぐびりと水を飲んで言った。少しだけ西に傾きかけた陽が照り付ける。戦場の熱気は陽射しによるものか、はたまた炎によるものか、誰にも分からなくなっていた。

「それって誰の事ですか? 一人で私たち全員の相手をしてるあの片腕の女ですか? 傭兵たちが逃げ出しても戦闘を続ける私たちのことですか? それとも交代なしでずっと戦い続けてる我らが勇者様のことですか?」

 額の汗を拭いながら訊く女は妙に軽装である。

「……いや、ウチの狂犬のことだよ」

「ああ……」

 呆れ顔の二人。その視線の先、勇者と赤い髪の炎使いが近接戦闘を繰り広げている少し横で“狂犬”は自軍の兵士十数名にかろうじて取り押さえられていた。

「があああああぁぁああぁっ! 離せ……このっ! 人間どもがぁ!」

 ついに拘束を振り払った緑色の髪をした狂犬は、ちょうど勇者の間合いから出た魔法使いに真っすぐ飛びかかった。飛びかかって、突きと蹴りとを数本ずついなされたかと思うと一瞬で魔法使いの爆炎に包まれ、鉄砲玉のようにはじき出されて崖に激突した。そこを狙ってまた兵士たちが彼女を取り押さえる。そしてまた唸るように叫ぶのだった。

「さっきからずっとあの調子だ。やり辛いったらないぞ」

「接近戦だとそうでしょうね。私も魔法に巻き込んでしまいそうで、何度かヒヤッとしましたよ」

「巻き込む側なら問題ないだろ。多分巻き込んだって平気だアイツは。俺は巻き込まれる側なんだよ、お前と違ってな」

 女は「はいはい」と小さな肩をわざとらしくすぼめてみせた。

「それで、同じ魔法使いから見てどうなんだあの女は?」

「どうもこうもありません……見たまんまの化け物ですよ。

 そりゃあ帝国人は私たちに比べて魔力が強いですけど、それでもあそこまで極端に強い人は初めて見ます。正直ちょっと引いてます。人間とは思えないです」

「化け物か……それならここにいる全員の首と引き換えでも安いくらいだ」

「……やっぱり私たち帰れないんですかね?」

「奴らに突破されちまったんだ、帰り道なんてないさ」

 大剣の男は顎に蓄えた髭を撫でる。その横で小柄な女は小さく震えていた。

「国のためだ、仕方ない。それに見ろ、その化け物もそろそろ潮時みたいだ」

 王国の勇者と激しく打ち合っていたエンナだが、勇者の放った中段蹴りを半身になって躱した瞬間、背面から乱入した狂戦士の一撃をもろに受けた。全くの死角からの攻撃に怯んだエンナの人中をすかさず勇者の拳が襲った。

 飛びそうな意識をすんでのところで繋ぎ止め、よろめきながら大きく間合いを取った。「やった! 入った! 入ったぞ! 見たか勇者、今のは絶対効いたんだ、私のが!」

「ハァ、ハァ――そう、だね。うん、助かったよ」

「くぅ~~~っ! やっっったぁ! ついに来たぞこの時がぁ‼ おい人間、最後に名前を訊いてやる。それから……なにか言い残すことはありますか? 貴女の事は忘れないように、最後の言葉を詩にして本に残しておきましょう」

 肩で息をする勇者とは違う理由で興奮冷めやらぬ様子だった狂戦士が、ふと憂うような物腰でエンナに告げた。

「随分と気が早いじゃないか。もう勝ったつもりかい? 生憎、詩の素養はないんで遠慮しとくよ。アンタが代わりに詠んでくれ」

「あはっ! 三下みたいな台詞ぅ!」

 そう言って笑い出した王国の狂戦士を勇者がたしなめる。

「こらこらあまりはしゃぐもんじゃないよ。とはいえ帝国の魔法使いさん、そっちももう限界だろう? 潔くやられてくれるとうれしいんだけど」

 馬鹿言えこれからだ、とでも返してやりたかったが虚勢すら躊躇するほどにエンナの体は損傷していた。歪む視界、鼻の奥に溜まった血の臭い。息もうまくできない。

 もちろん彼女の並外れた魔力で強化された肉体を以てすれば回復は容易い。しかしとどめの隙を虎視眈々と狙われている現状ではその猶予があるとは思えなかった。

 体が持ち直す前に突っ込んでこられたら、確実にやられる。

 勇者の方はともかく、バーサーカーには時間稼ぎもおそらく無意味。

 万事休す、か。思わずそう呟いた。

「いいさ――やるならやりな。役目は果たしたし、どのみちこの戦はアタシらの勝ちだ。今更アタシ1人死んだところで何も変わりゃしない。好きにしな」

「へえぇ……ホントに詩の才能が無いんですね。でもいいです。貴方の死をこの目に焼き付けたなら、きっとその言葉も紙上で輝く。今――行きます」

 踏み込んで、狂戦士の緑色の髪が揺れた。


 その瞬間、戦場に鐘が響いた。


 エンナ一人のこの戦場に鳴るはずのない帝国軍の鐘の音が。

 妙に綺麗でよく抜ける予想だにしないその音に、その場の誰もが虚を突かれた。

 カーン、カーンと戦の合図には悠長過ぎる程ゆっくりと一定の間隔で鐘は打たれる。

 次第に近づくその音の方に視線を向けないものはいなかった。

 音の主はエンナの背後、谷の帝国側からゆっくりとこちらへ向かってきていた。

 日が暮れたのだと、夜がやって来たのだと、彼女は一瞬そう錯覚した。

 傾いたとは言えまだ明るい西日を正面から受け、しかしそのすべてを飲み込み辺りを暗く浸食するおびただしい影。

 その先頭には騎乗の少女が一人。

 うごめく暗闇を従えて、フロイトは来た。


 魔物の軍勢は鐘を鳴らしながらゆっくりと前進してやがて先頭のフロイトがエンナの隣に至ったところでピタリと停止した。鐘の音も余韻を残してやんだ。

 エンナ対王国兵精鋭部隊数十名。その戦場を、フロイトは見た。

「貴女はやっぱりこういうことをするんですね、任せるとは言いましたがまた一人で無茶をしろなんて言ってませんよ。貴方に死なれては困る」

 騎乗のまま言う彼女に「馬鹿言えこれから勝つところだったんだ」とエンナは笑いながら言ってみせた。

「それよりこれはなんなんだい? アタシとしちゃ目の前の敵より、後ろの……味方? の方がよっぽど恐ろしいんだが……」

「大丈夫です。ちょっと皇帝の隠し玉を二つほどかっぱらってきただけですよ」

「はあ? こいつらが皇帝の隠し玉だってのかい? じゃあもう一つは?」

 フロイトはかぶりを振った。

「目玉ですよ。だから二つって言ったんです」

「さっぱり意味が分からないね」

「分からなくて結構」

 少し笑ったフロイトはそのまま視線を敵兵に向け直し、声高に啖呵を切った。

「王国兵に告げる。この戦争で私、フロイトは勝った。

速やかに降伏し、武器を捨てなさい。そして大人しくこの地を明け渡し、国へ帰るならあなた方の身の安全を保障しましょう」

「はっ! お優しいねまったく――おい聞こえたか! 命が惜しけりゃとっとと失せろって言ってんだよ! 分かったら返事の1つでもしたらどうなんだい?」

「無駄ですよエンナ。今の彼らは身動きどころか声一つ出せない。息を吸って吐くのがせいぜいですよ」

 殊勝な面持ちで言うフロイトにを見上げてエンナはキョトンと呆れてみせた。

「まあぁったくアンタ……また今度はどういう手品を使って――」

 エンナは言い終わらぬうちに人間が二人、地面を強く蹴る音を捉え、次の瞬間にはフロイトめがけて一足飛びに迫るその二人の進路上に身をねじ込んで攻撃を受けきった。

「ほう……あなた達二人、動けるんですか」

 フロイトは馬上で眉一つ動かさなかった。

「誰だお前! なんだお前! 殺す!」

「何をしたか知らないけど、失敗みたいだね」

 フロイトに向かってそう言った二人はエンナに弾かれ、一度間合いをとった。構える二人を今一度視界に捉えてしばし見つめた後、フロイトは被っていた軍帽を脱いで神妙な表情を露わにした。。

「どういう訳で動けるのか気になるところですが今回は見逃してあげましょう」

「何が“見逃す”だ。逃げようったってそうはいかない。皆――いくよ!」

 しかし息巻く勇者の声に応える者はなかった。辺りを見回した勇者は激昂した。

「なんだ……なんだ皆その顔は! 何してるんだ帝国軍を倒すんだろ! 変な顔で固まってないで動けよ!」

「無駄ですよ」

「黙れ! みんなに何をした!」

「分からないんですか。彼らは恐怖している。恐れているんです。この私を」

「……恐れ、だって?」

 勇者はもう一度周りで硬直している仲間の顔を見た。皆一様に恐怖で引きつった顔のまま固まっている。一人、また一人と見るにつれてやがて息が荒くなっていく。額には汗を生じていた。

「なんなんだよみんな……その顔はなんなんだ! やめろよ! 変な顔するな‼ やめろって言ってるだろ! ――みんなが動かないなら僕一人でもアイツを倒す!」

「やめておきなさい。あなたが私を倒すより先に、私の軍勢がそちらの皆さんを殺すでしょう。虫を踏むより簡単です」

「――ッ! この卑怯者!」

「人質をとってはいけないルールなど有りません。正々堂々とは相手のレベルに合わせて戦うことではありませんよ」

「……いいさやってやる。指示を出す前に倒す。一瞬でけりをつけ――グぇっ……」

 勇者の言葉を狂戦士の拳が遮った。みぞおちに深い一撃を貰った勇者は白目をむいてそのまま狂戦士の腕にもたれた。

「取り乱さないでください勇者。私じゃあるまいし」

 しばらく勇者の横で沈黙を守っていた彼女がいやに冷静な調子でそう告げた。

「さて、帝国の人間さん。本当に見逃してくれるんですか? 恩を売るつもりか知らないですけど、仇で返しますよ?」

「ええ、私たちはここを去ります。動けるようになったら真っすぐ国へ帰りなさい。道中も手出ししないことを約束しましょう」

 狂戦士とフロイトは少しの間にらみ合う。やがて静寂を破ったのは狂戦士の方だった。

「分かりました。そうしましょう。

 フロイト、と言いましたね。その名前、私は忘れるでしょうがきっと他の皆が覚えてます。私の名はリン。それ以外は忘れました。次に会うまで、私の代わりに覚えておけ」

「いいでしょう」

 フロイトは軍帽を目深にかぶり直した。

「乗りますか?」「いいよ、歩ける」エンナと短く言葉を交わしたのち、また鐘が鳴り始める。軍勢が前進を始めると、王国兵たちは顔を引きつらせたまま谷の両脇に避けて道を空けた。

 姿かたちの不揃いな魔物たちは王国兵には目もくれず、一糸乱れず行軍する。


    ○


「驚いた……」

 夕暮れ。懐かしい場所。

「あなた方は人間などよりもずっとこの目の効きが悪い」

 竜の関所、かつてそう呼ばれていたここで私は竜に囲まれていた。


 谷での決戦の後、我々は予定通りその日のうちに西の全土を制圧した。帝国軍の損害はほぼ無いに等しい。西と王国との国境には魔物を配置して警備に当たらせた。

砦に戻り十分に休養をとったのち、帝都へ向けて出立した。隊列の中に皇帝の姿が見えないことを不審に思う者もいたが、それも竜の関所に至るまでのことであった。

 隊列が竜の関所に差し掛かったとき既に竜が道を塞いでいた。それも一体ではない。地上に六体、上空に十数体。今までにないこの異常な光景は勝利に酔った帝国兵たちを恐怖させるのに十分すぎるものであった。

 すぐにエンナがいつもの要領で炎の柱を立てたが竜たちは微動だにしない。そもそもいつもは竜の方から火を噴いていたのに、今はただじっと道を塞いでいるか或いは上空を旋回しているだけだった。

 竜との静かな戦いは膠着状態のまま数時間に及んだ。

 私がやむを得ず、王の眼を行使しようと動いた頃にはすっかり夕方になっていた。

道に寝そべる竜たちを見た。モンスターを操るように竜も操って道を空けさせればいい。そう思った。

 しかし竜はどかなかった。寧ろ力を使うや否や寄ってきて私を取り囲んだのだった。


 竜には王の眼の魔法が効かなかった。より正確には効き辛かった。

 てっきり竜も他のモンスターと同じように恐怖帝によって操られていたのだと思っていたがどうやらそうではなさそうだ。操れないわけではないが、魔物や人間ほど完璧には制御できない。痺れた手足を無理やり動かすような、重い瞼を閉じまいとするような、それに近い感覚があった。

 竜はじっと私を見ている。獰猛さと知性が共存する瞳が確かに私を捉えている。

 竜の関所。不可解だとは思っていたがそういうことだったか。

 恐怖帝の魔法である王の眼は恐怖で対象を支配する。恐怖の本質は“知らない”ということであるから魔物のように知性の低いものは恐怖が強く作用し、支配しやすい。逆に高い知性の前では恐怖が薄れ、効果も下がる。

 私は竜に向かって言った。

「恐怖帝は死にました。あなた方を縛っていた力は今や私の手中に在る」

 一体の竜が首を擡げた。地鳴りのように喉を震わせながら頭を私の目と鼻の先まで近づける。全身に竜の熱い呼気を受けて肌がじっとりと湿りだすのを感じた。

「あなた方を門番の役から解放しましょう。その代り、これからは私に協力して頂きたい。飽くまで協力です。この関係が続く続く限りは再び力であなた方を押さえつけることはしないと約束いたしましょう。さあ、どうしますか」

 私は、ゆっくりと瞬きをする大きな瞳、そこに映る自分の姿を見ていた。夕陽を受けているからいくらか赤みがかって見えた。

 大丈夫だ。必ずのってくるはずだ。必ず。

 額で生じた汗が頬を伝っていよいよ落ちようかという時、ゆっくりと、竜が眼を閉じて頭を下げ始めた。そうしていつの間にか小さく前に差し出していた私の手に顎を乗せた。

 間近で見る竜の頭はいつかと同じように鈍色の鱗が夕陽を弾いてい眩しかった。今、冷たい鱗の感触とそれを通した呼吸の振動までもが手の中にある。

 自分の心臓が少し、早打っているのが分かった。

 竜は私の手から頭を離すと軽く一鳴きして、羽ばたいて飛翔した。続いて一体、また一体と宙に浮かび、飛び去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る