第10話 機動作戦

 目の前で人が死んでいくのを見ていた。見ず知らずの他人の死は、私にとってはもうそれ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけの死だ。分かっていれば、覚悟していれば、降り積もる膨大な死の重みに面食らうこともない。

 しかしこうも凄惨を極める絵面を目の当たりにすると流石にいい気持ちはしない。

「――惨(むご)いな」

 次第に辺りを満たしていく生臭い鉄の臭いに袖口で鼻を覆ってそんな言葉を漏らした。

 マルタと恐怖帝の魔法による王国軍の無力化からやがて三十分ほど経つ。

 西の奪還。その戦略上最も重要な拠点となる土地の確保が今回の作戦の要点である。王国軍が防衛線として設定しているこの砦を制圧して拠点とし、本格的な西への侵攻の足掛かりとするのだ。

 そんなわけで、今や歴戦の部隊となった我が商会の指揮官として私は前線に来ている。

 商会には戦闘員としてエンナを始めとした魔法使いが多数所属しているがそれは飽くまで商会の業務における戦闘を担当するということである。原則として彼らが王国軍と直接刃を交えることは想定されていない。

 軍では専ら後方任務に就き、護衛や輸送から炊事までなんでもこなした。

 前線基地には欠かせない存在だ。

 この砦を拠点とするにあたって、先ずはこの死体の山を片付けなければ。気乗りのしない仕事だが命の危険がないだけましか。それに早く埋めるか燃やすかしないと衛生的によろしくない。精神衛生的にもだ。鼻が曲がりそう。

「死体の処理はお願いできますか、エンナ」

「やれやれ、関所番の次は火葬屋かい。人使いの荒いことで。そのうち墓守なんかもやらされるもかねえ」

 軽口で不平を漏らすエンナは馬上の私を横目で見て頭を掻いた。

「実は王国兵のいくらかを捕虜にして同胞の死体を処理させようとも考えたんです」

「出来るのかいそんなこと」

「皇帝の魔法なら出来るでしょうね。まさしく恐怖政治のための力ですよ。あの目には誰も逆らえない」

「やめな、胸糞悪い。今日の食事当番はアタシだ。飯をつくるついでに焼いてやるよ」

「――苦労かけますね」

 辛気臭い話はよせ。そう言うようにエンナは右手を振って会話を終わらせた。

 私の右にいるエンナが私にむかって右手を振る。彼女に左手が有ったらひょっとしてそっちを振っていたんじゃないかと思う。

 私が煙草をくわえて火をつけようとするとエンナがやはり右手で僅かな火種を生じさせた。煙草の先が静かに燃え、紫煙がゆらりと上がる。

「有難うございます」と言っておいたが今度は彼女がそれに応えることはなかった。

 こうして最前線で指揮を執ると人を使役しているという実感が湧く。湧いてしまう。人間を駒か、でなければ道具みたいに使っている。人の上に立つというのはどうしてもその側面がある。

 思えば今までもそうだった。商会の長として常に人を従える立場にあった。この世界に来る前もそうだ。多くの人間の上に立ち、彼らを雇用という形で使役してきた。

 元の世界で戦争屋をやっていた頃、私が握っていたのは飽くまで顧客たちの生殺与奪権だ。しかし前線指揮官となった今、彼らに“殺せ”だけでなく“死ね”と同義の命令を下すことも出来る。

 それに“殺せ”と命じるのもただ事ではない。目の前で人間を肉塊に変える作業をしている彼らは今どんな気持ちだろう。よしんば今は平気でもこの先、ふとこの光景を思い出したとき、自分が行ったことをどう思うのか。

想像に易い。何せ、それは私がつい最近通った道だ。

であればこそ、私は彼らに命令を下さなければならない。王国兵を屠る帝国兵士は私の刃で、死体を焼くエンナは私の火炎放射器であるほうがいい。

彼らが“自分は道具に過ぎなかった”と言えるために。――それなのに。

崖の上を見ると、そこにもうマルタの姿はない。

 ――どうしてフロイトは私に優しいの?

 マルタは以前そう問うた。それはあなたが立派な魔法使いだから、なんて答えるつもりはさらさらない。それは今も変わらない。

でも、もしマルタがこの地獄をひと時でも見ていたのなら、この一度だけは、あなたは私の魔法使いだったと、そう言いたい。我ながらどうしようもない我儘だと思う。


    ○


 殲滅作業は夕暮れには終了した。

 このまま速やかに西への侵攻を開始するというのが帝国軍の理想であった。

 通常、帝国軍が必要とする後方人員の数は戦闘員の一.五倍に上る。食事、衛生、輸送など、それらの任務を現状の帝国軍では二〇〇名の商会部隊が担っていた。帝国軍の戦闘員は一五〇〇.本来必要な後方人員は約二二五〇であるから、十分の一以下である。

 結果として帝国軍は全体の約五十五%に及ぶ人員を削減することに成功し、驚異的な身軽さで行動できるようになっていた。

 それを活かす形で、間髪入れず明朝には西に攻め入る予定であった。

しかし、死体を焼く臭いが辺りを満たして帝国兵の眠りを妨げた。これがいけなかった。夜が明けてみると兵は憔悴しきっており大半がまるで使い物にない。

 大半が、と言うからには悪臭の中でも英気を養えた少数がいる。補給部隊、即ちゲシュタルト商会の部隊である。

 人間の体が焼ける匂いは彼らにとって日常であった。

 商会の魔法使いはよく働き、一人二役にも三役にもなる優秀な人材だった。

 しかし、燃費は悪かった。魔法を発現させる程の魔力を持たない常人に比して魔力の損耗が激しいのだ。それを補う必要がある。

 どうやって。ヒトの肉を糧として。

 時には死んだ仲間を、時には殺めた敵を。炎で以て熱を加えて食する。ただし人間を積極的に捕って食うということは基本的にない。食人は弔いのようなものである。

 種としての人間が鳥や獣ではなく同じ人間を食べて血肉とする。人が人を食べて人が人になる。この循環が、また「繋がる」よりも強固な「ひとつになる」ということが、まさしく愛であり魔法である。『古事記にもそう書いてあります』メイはいつかフロイトにそう告げた。

 フロイトは商会の魔法使い達の食人事情をうすうす把握していた。戦地に動員される人間の数のわりに彼らが必要とする食糧の数が少なかったのだ。これは帝国軍が高い機動性を発揮できた理由の一つでもあった。

 とにかく、兵がこの調子では侵攻は得策ではない。敵には例の勇者と精鋭部隊がいるはずである。それを含む王国軍の主力とこれから決戦をしようというのだ。万全の状態で臨みたい。

 フロイト含む現場指揮官たちの見解はこれで一致した。その旨を指揮官全員で皇帝に具申したところ、帰ってきた答えは意外なものであった。

「死体焼きは済んでおるのだな」

 少女の奴隷を侍らせた皺だらけの皇帝は落ち着いた口調で問うた。

 この場を守っていた王国兵は殲滅したとはいえ敵の斥候がその報せを持ち帰っていないとも限らない。機を逃してはことを仕損じる。迅速に進軍して奇襲に近い形で叩くのが良い。フロイトはてっきりそう詰められるものと構えていた。

「はい。幸いにも風向きがよく、悪臭が晴れつつあります。ですからもう一日ほどここに留まり兵を休ませるのがよろしいかと」

この用意した答えも「休息など二日でも三日でも好きにくれてやれ」とおざなりに返された。皇帝が気にかけたのは王国兵の死体だった。

「骨が焼きあがっているのならそれでよい」

 皇帝は皺の深い顔に不敵な笑みを浮かべると、商会部隊にある命令を下した。

「ちょうどいい。この命を完遂するまで他の兵を休ませてやればよい」

 皇帝は最後にそう付け加えてまた笑った。玩具で遊ぶのが待ちきれない子供のように。


    ●


 二日後。十分すぎる休養で十二分に英気を養った兵士たちは揃いもい揃って精悍な様子で城門の前に列を成した。帝国軍兵士約一五〇〇名、三個大隊全て歩兵。そこに二〇〇名ほどのゲシュタルト商会部隊を加えた総勢約一七〇〇名の連隊規模。残存戦力のほぼ全てがここに集結していた。

 よくもまあ歩兵ばかりこんなに集めたものだ。

 フロイトは呆れまじりにそう思った。砲兵はいないにしてもせめて騎馬中隊の一個や二個あってもよかっただろうに。続けてそう思い、すぐに考えを改めた。練度の高い帝国軍といえども、その実、近頃になってようやくまともな長距離遠征が可能になった連中なのだ。しかも民間の商会を吸収してやっと、だ。歩兵が全員槍ではなく銃を装備しているだけましと考えるべきだろう。

 現に帝国軍は攻城用に大砲を数門有していたが、誰一人としてまともな扱い方を知らなかったので帝都においてきている。長らく攻城戦とは無縁だった軍隊の末路だ。

 そんな兵士たちを城壁側の窓から恐怖帝が見降ろした。老体を金髪の従者が支えている。皇帝は「外は眩しいな」とだけ言ってすぐ玉座に着いた。縦に長く薄暗い広間を見渡して不満げに声を漏らす。

「もう少し派手にできなかったものか。あれだけ焼いたではないか」

 王国軍から奪取した城砦。その一部を改築して設けた広間はおびただしい数の人骨で彩られていた。

柱は下から上ま骨盤がその表面を覆う。篝火台や燭台は骨を束ねるよ皇にして組まれている。そして玉座後方の壁を髑髏が埋めつくした。

全て、皇帝の監修の下、ゲシュタルト商会の人員によって制作された“作品”である。

フロイトにはこの手の趣向は分からなかった。肩を並べる大隊長たちは気気味悪がってか、俄かに顔をしかめていた。

「確かに山ほど死体を燃やしました。しかし小さな骨は一緒に焼けてしまいます。人間一人からとれる材料は存外少なかったようです」

「ほう。どおりで骨が乾いておるわけだ」

 皇帝は先端に髑髏のあしらわれた掛けを撫でた。

「やはり急ごしらえはいかんな。次は丁寧に骨を抜いて干すとしよう。さすれば質も量も向上しよう」

 年甲斐もなく顔をほころばせる皇帝。侍従たちが思い思いに世辞を並べた。

ややあって「陛下、そろそろ」と侍従の一人が催促する。

「ああ、分かっておる。まあ、蹴散らしてくるがよい。行け」

 拍子抜けなほどあっさりとした皇帝の言葉は、決戦を前にした将校たちの最敬礼を遅れさせた。

「ああ、それから谷を抜けるときは手練れを前方に集めておくことだ。よいな」

 恐怖帝は思い出したようにそう付け加えた。

 三人の大隊長達と連れ立って広間を後にする。屋外に出て整列する兵士たちの前で壇上に立った。歩兵とそれから馬車とがよく見える。馬車を扱うのは勿論ゲシュタルト商会であり、彼らの先頭で隻腕の魔法使いがじっとこちらを見ていた。

「君が指揮官だ。早くしたまえ」

 大隊長のうち一人が言った。なるべく目立たない様に一度深呼吸をして、フロイトが一歩前へ出た。

「みなさん、おはようございます。私が本作戦の指揮を執る、ゲシュタルト商会会長のフロイトです。今日でこの戦いを終わらせましょう。それでは、速やかに行動開始」

 一呼吸おいて、一七〇〇人分の敬礼の音が響いた。エンナが少し呆れた顔でこちらを見ているその意味を、フロイトは何となく感じ取る。

 貴女ならもっと景気よく啖呵を切れるんでしょうねと、そう思った。少し俯いて軍帽を目深にかぶり直して顔を隠す。

 短く、ため息が漏れる。ふと眼を横にやると正規帝国軍歩兵部隊の大隊長たちが揃ってフロイトの方を見ていた。おくびにも出さないが訝しんでいるに違いない。大いに心当たりがある。

 非正規軍人大隊長のフロイトは静かに目線を戻した。


    ●


 砦を出発して三時間も進軍しないうちに例のV字谷を目視できる距離に来た。陽の光が乾いた空気を透過するような午前の気候である。

 フロイトは一度全軍を停止させて双眼鏡で谷を見る。隊列のほぼ先頭を騎乗で進んできた彼女の傍らにはエンナがいた。同じく馬に乗っている。皇帝の言いつけ通り最高戦力を先頭に据えた形である。

「どうだい、様子は」

「思った通りです。谷に王国兵の姿は見えません」

「はぁ? どういうことだよそれは」

 エンナが妙におどけた声を出す。フロイトは双眼鏡から目を離した。

「以前の山道程ではありませんが、あの谷では隊列が細く伸びざるを得ません。さて、縦に長い敵をどう叩きますか、中隊長」

「そんなの決まってるだろう。真っ向から全部燃やす」

 隻腕の中隊長は胸をはって言い切った。

「商会(ウチ)のエースとしては及第点、中隊の指揮官としては〇点ですね」

「……冗談だよ」

「本当に冗談ですか?」

「本当に冗談さ」

 二人の眼が合った。神妙な面持ちでしばし見合ったあと、フロイトの口元が緩んだ。

 思えば、エンナとはこの世界で一番長い付き合いだ。そう思った。

「いいでしょう。ではエンナ中隊長、隊を預けます。私はちょっとやることがあるので。全体の指揮も任せましたよ」

 エンナから谷の方へ目線を移してそう言った。

「はぁ⁉ それはホントにどういうことだよ! アンタなしでやれってのかい?」

 彼女が心底からの驚きを露わにする。フロイトはそれにこたえて言う。

「おおまかな作戦は伝えてある通りです。それに則って現場指示を出して下さい。貴女なら出来るはずです。私より上手く、貴女には出来る」

 彼女の言葉に、エンナは少し呆れたような、照れくさそうな様子で頭を掻いた。

「アンタにしちゃえらく高くアタシを買ったもんだ。……その用ってのはここをほっぽり出すほど大事なもんなのかい?」

「ええ、まあ」と短く答えるフロイトに迷いはなかった。

「ならいいさ。行って来な」とだけ言ってエンナは笑った。

 フロイトはくるりと馬を反転させ来た方へと駆け出した。

「野郎ども! これよりアタシが指揮を執る。でも先陣を切るのもアタシだ。戦争は今日で最後なんだ、手柄が欲しけりゃ死に物狂いで着いてきな!」

 響くエンナの声と兵士たちの雄たけびを背に受けながらフロイトは思う。

 やっぱり私に現場指揮は向いていないんだよな、と。


    ○


「斥候の報告では奴ら、もう目と鼻の先に来ているらしい。そろそろだ」

「やっとかよ……待ちくたびれたぜ」

 男があくびをする。髭を蓄えた顎をさする手はいかにも無骨だった。

「おい! これから敵が攻めてくるって時にそんな呑気なやつがあるか!」

もう一人、若い男が声を潜めて怒鳴る。

「いいじゃねえか。どうせすぐに終わるんだ。敵が来たらバッと出てババッと撃って終わり、楽勝だろ。それにそんなにびくびくしなくてもバレやしねえよ」

「それもそうだが……いや、まあ、そうか。楽勝か」

「ああ、楽勝だ。ビビるこたぁない。落ち着けよ兄弟。戦場は初めてか?」

「――そうだ。悪いか」

 髭の男はにやにやしながら若いの男の肩を叩いて言った。

「いやいや、初陣がこんな楽な戦場たぁ運がいいぜ。初めから激戦だと次から使い物にならなくなっちまうことが多いからなあ」

「は、はあ。そういうものか。精神的なダメージとかそういう――」

「バーカ、二回目の戦場にたどり着く前にくたばっちまってるってことさ」

「なんだそれは……」

 男が更ににやついた顔で言った。

「新兵ってのは赤ん坊の次によく死ぬ生き物なのさ。――おっと、来やがったぜ、合図だ」

 左隣の兵士から伝わってきた合図を右隣の新兵にまわす。男は茂みの中で銃を手に取り、体勢を整える。

「よーく引きつけた頃に次の合図で攻撃開始だぜ新兵さんよ。それまで身を出しちゃいけないぜ、分かってるか?」

「バカにするな! 傭兵に身を窶したとはいえ、これでも地元じゃ秀才で――」

 低く太い音が男の言葉を遮った。

 太鼓の連打、攻撃開始の合図である。

「はあ⁉ 嘘つけ早すぎる! 間違いじゃないのか⁉」

 男の周囲の兵士たちも完全に不意を突かれて困惑していた。

「クソッ!」と吐き捨てて男は茂みから飛び出した。見渡すとようやく他の兵士たちも慌てて姿を見せた。向かいのがけにも王国兵たちが散見される。

 Vの字になった谷、急斜面の頂上付近からその谷底を見下ろすとそこには帝国軍の姿があった。土煙をと共に馬の蹄が地を蹴る音と車輪の転がる音がこだました。

「何をしてる! 前進だ! 早く撃て! 突っ込め!」と味方の誰かが叫ぶ。呼応するようにして銃声があがり始める。やがて両方のがけから谷底へめがけ、王国兵たちが不揃いな足並みで突撃していった。

 顎髭の男はその様子を呆然と静観していた。

「何してる! 俺たちも早く――」

「無理だ……」

 男は若い兵士の催促を力なく遮った。

「見ろ、奴ら全員馬車で来やがったんだ。ここから撃ってもあたりゃしねえし、突っ込んだところで間に合わねえ。足が速過ぎる。先に谷を抜けられちまう。崖からの挟撃はおじゃんだ」

「それでも谷の出口には勇者の部隊がいる! 横がダメなら前後で挟めばいいだろ!」

「いくら勇者どもでも所詮は一部隊だ。あの数相手じゃ大した壁にはならねえ。あーあ、手柄がみーんな逃げて行っちまう。応援に行くだけばかばかしい」

 大きく息を吐いて、男は言った。

「よかったな新入り。俺たちの出番はなさそうだ。引き上げだぜ。更に楽な戦場になっちまった」


    ○


「補給をしないとはどういうことだ!」

 一番大隊のマツトマルス大隊長が口角泡を飛ばした。

 昨夜のことだ。指揮官たちによる作戦会議が開かれた。

「フロイト君、分かっているとは思うが我が軍がこうして遠方で継続的に軍事活動に勤しめるのは君が、ゲシュタルト商会があってのことだ。兵の輸送、武器弾薬、食料、負傷兵の治療、全て商会と君の率いる部隊によって成り立っている」

 二番大隊大隊長クロイザバッツがやや狼狽え気味に言う。三番大隊大隊長アステレンダは沈黙を守っている。今にもフロイトに掴みかかりかねない剣幕の一番隊長を牽制するように二番隊長が続ける。

「戦闘における補給の重要性を知らない君ではないだろう。むしろ我が軍で兵站を最も重く見ているのは君だとばかり思っていた。これから敵地に攻め入って第一の拠点を制圧、しかる後に順次西の各地を制圧していこうという時に何を言い出すんだ――」

「その通りだ! 誇り高き帝国軍人として誠に不本意であるが、我々の部隊が十分にその戦力を発揮するためには貴様ら商会部隊の働きが必要なのだ! それなのに! 何をいまさら! 補給もなしに――また兵を無駄に死なせるつもりか! 恐怖帝のように――」

 堅い靴底が床を叩く鈍い音が、響いた。

「帝国軍人として、それ以上は聞き捨てならん」

 アステレンダのその言葉に、場は一度静まり返る。「話を戻そう」と気まずさに押されたクロイザバッツが努めて冷静に仕切り直す。

「それで、補給なしでどうやって戦うつもりなのかね。まさかとは思うが、考えなしと言うことでは我々もおいそれと承諾しかねるが」

「補給をしないと言いましたが、正確には補給が出来ない可能性が高いのです」

「補給が出来ないだと……? この期に及んで貴様、何腑抜けたことを!」

 マツトマルスは怒りを躊躇なく顕わにした。

「弱気になったわけではありません。我々は時間をかけすぎた。機を逃したのです。

本来はこの砦を掌握後、可能な限り速やかに侵攻を開始するべきでした。しかし知っての通り我々はここに二日も留まってしまった」

「兵があの体たらくではここに留まり回復を待つしかなかった! それは貴様も同意したことではないか!」

「その通りです。あの時はああするしかなかった。ですから、その決断をした時点でもうこの未来は決まっていたのです」

 フロイトはそう冷ややかに言ってみせた。マツトマルスは歯噛みして押し黙った。

「王国軍も馬鹿ではありません。情報はとっくに伝わっているはずです。恐らく既に戦力を終結させていると予想されます。

 王国軍が攻勢にでれば砦の内側から攻められることになり、容易く落ちる。ここを根拠地として順次制圧、などと悠長なことは言っていられないのです」

「ではどうするというのだ!」

「明日――一日で西全土を落とします」

 努めて、低い声で言い放った。

「それは君、いくらなんでも無茶ではないのか?」

 クロイザバッツは眼を丸くしていた。

「無茶ではありません。速く、強く、そして大きい。それがゲシュタルト商会ですから。その神髄をお見せしましょう」

 そう言ってフロイトは出来のいい論文でも発表するように作戦の概要を説明し始めた。

「西全土を制圧するといっても具体的には各地に点在している集落を一つ一つ制圧していく、というものです。

 ターゲットは六つ。五つの集落と金山、これらを一日の内に手中に収めてしまえばいい。しかも、敵の主力は最前線の集落、我々帝国がかつて拠点としていた村に集中しているものと思われます。したがって、ここさえ攻略してしまえばあとは大きな戦闘は避けられるでしょう。

 王国に増援を送る隙を与えず一気に叩き西を奪還する。瞬間的な火力とスピードがモノをいう作戦です」

「しかし君、それは我が軍の主力一五〇〇の歩兵を一日でそれだけ連れまわすということだろう? その……可能なのかね、それは。あまりにも荒唐無稽ではないか?」

 クロイザバッツが不安げに提言する。

 フロイトは煙草を一本取り出した。

「なにも全員で移動しなくてもいいんですよ。それに、商会の馬車の行動半径は普通の通常の五倍はあります。ウチの連中が本気を出せば西を駆けまわることなど容易です」

 かつて行商で身を立てた商会の魔法使い達は有り余る魔力を馬と馬車の強化にも用いていた。故に馬車は壊れず、馬も飢えず、軽さと速さと強靭さを併せ持つ。隊列を組めばそれはもう、レールから解き放たれた鉄道のようなものだった。

「商会部隊には四頭立ての大馬車が五〇台あります。補給用の物資を積まなければ一台に三〇人は積める代物です。御者兼戦闘要員の魔法使いが一台につき四人。これを一小隊として更に一〇個小隊で一個中隊を編成します」

「待て! 商会部隊も戦闘に参加するというのか?」

 マツトマルスが割って入る。

「主力との交戦には全兵力を以て臨まなければなりません。補給をしないということは、商会の魔法使いも存分に腕を振るえるということでもあるのです。

 その他五つの集落制圧はそれぞれ中隊単位で当たります。集落と言ってもそれほど大きなものではありません。囲んでしまえば三〇〇人程度でも充分です。

 これで西の各拠点を同時多発的に抑えることが可能です」

 大隊長二人は皆面食らったように聴き入っていた。

「問題がある」

 前触れもなくそう言ったのはアステレンダ大隊長だった。髭の濃い無骨な顔つきの大柄な男。その低い声がいやによく通った。

「この作戦、敵主力を撃破することが前提条件となっている。しかも余力を残した状態でだ。この条件、現状では確実さに欠ける。相応の手段を用いるべきなのではないか?」

 フロイトは静かに唾をのんだ。一番隊長が尋ねる。

「相応の手段、と言うと?」

「皇帝の眼、あの目を使うべきではないのかと言っている」

「必要ありません」

と、訪れかけた静寂の気配を薙ぎ払うようにフロイトが言い切った。

「帝国軍人として、一度ならず二度までも皇帝の御身を前線に晒す訳にはいきません。違いますか?」

 アステレンダはしばし黙考するようなそぶりを見せた。そして目の前の女将校を睨むように「その通りだ」と言って引き下がった。

 両者とも建て前だけのやり取りだった。

 三番隊長は自分に返された“帝国軍人として”という言葉に縛らる形になった。

 王国軍を文字通り一瞥で無力化したあの皇帝の眼を使えばより楽に、確実に敵主力に勝利できる。そんなことは当然フロイトも分かっていた。それでも、絶対にそうするわけにはいかなかった。皇帝と、マルタを再び戦場に出すわけにはいかなかった。彼女をもう二度と戦争の道具にしたくない。本心はただそれだけだった。

「それにそんなことをしなくても必ず成功します」

「必ず、か。その根拠はなんだ?」

 当然の疑問だった。フロイトは煙草に火をつけ,紫煙を吐いて答えた。

「あそこはV字の谷になっているんですよ」

 懐かしむように微笑んで。


    ○


「隊長! 前方に敵影です!」

 隊列の先頭で馬を駆るエンナに兵士が告げる。

「なるほど!」

「なるほどって――ああ! 崖の上にも敵が! これは……やつら左右から挟むつもりです! このまま谷に突入したら終わりですよ! 止まりましょう!」

「馬鹿野郎! それでも男かい? もう突っ込むって決めたんだから突っ込むしかないんだよ! 全員スピード上げな!」

「しかし!」と、兵士が尚も食い下がる。

「この期に及んでごたごた抜かすんじゃないよ! 安心しな、左右は気にしなくていい。前だけ見て走れ! 邪魔なやつは全部アタシが何とかする。全員にそう伝えな!」

「りょ、了解! 伝令、『止まるな進め』!」

「舌をかむよ、 鐘を鳴らしな!」

 馬車の走行音に対して“前進”の合図である鐘の音がよく抜けた。

 エンナを筆頭に迷いなく猛進する隊列は果たして、王国兵の挟撃をその速度で以て躱した。左右の崖から現れた敵がやるせなく立ち尽くす様子は一瞬で後方へ流れていった。

 赤髪の魔法使いは右腕一本で馬を駆る。その目が前方の敵を捉えた。彼女は眉一つ動かさず手綱から手を離し、後ろの馬車二台に合図を出した。

「さて、正念場だ」

 エンナは合図の後も尚、手綱を握らない。騎乗で腕を斜め下に広げて構えた。掌に生じた炎が太陽よりも強く周囲を照らす。

 その低い光源は夕陽のようで、辺りの影を一際濃くした。

 それに劣らぬほどの眼光で見つめる先には谷の出口をふさぐ様にして王国軍が展開していた。挟撃に人員を割いた為か、数は少ない。多く見積もって一〇〇.しかし逆に言えば少数でも行く手を阻む自信がある精鋭ということである。

 それは彼らのいでたちからも見て取れた。大剣を構える者、体中に銃を纏った者、全身鎧の巨漢、かと思えば戦場らしからぬ軽装の女――いずれも雑兵とは一線を画した猛者に違いなかった。

エンナはその中にいつかの狂戦士の姿を見止めた。深いエメラルド色の髪をした女である。いつもの丸眼鏡の代わりに傷と鬼の形相がその貌を彩った。

「またあんたらか。今日は毛の一本もくれてやるつもりはないよ!」

「来い! 殺す!」

 叫ぶ両者の声はしかし互いに聞きとれる状況ではない。

 ただそれぞれ己に届けばそれでよかった。

 猛進する帝国軍、不動の王国軍。縮む両部隊の距離。

 間合いに入った刹那、エンナの火炎が王国精鋭部隊を一息に巻いた。

「舐めるな! この程度の火力じゃ燃えない私はぁ!」

 狂戦士は炎をものともせず跳躍した。炎を抜け、怨敵に飛びかかろうとして、瞠目した。そこに炎の魔法使いの姿はなかった。ただ二股に割れた馬車列が流れていた。

「戻れ! こいつは目暗ましだ!」

 味方の声に気付き着地して振り返る。それと同時に炎が振り払われた。

「端だ!」と誰かが叫ぶ声を聞いた時にはもう遅かった。谷の出口を塞ぐ横隊の両端に風穴が空いていた。そこを馬車が次々と通過している。

「やられたのか⁉ 今の、一瞬で――!」

 大剣を携えた男が狼狽える。

「どうでもいいんですよそんなことは! あの赤いのはどこですか!」

「どうでもよくないだろう! 急げ! 端によって穴を塞ぐんだ! これじゃ俺たちがここにいる意味がない!」

 吠える狂戦士と大剣の男。

「意味ならあるよ」

 不意に声がした。二人が声の方を見るとそこにはいつの間にか隻腕の女が立っていた

 残された右腕に纏った炎が彼女の外套を焦がした。

「両端に穴をあけるくらい、右腕一本でも十分だったよ。さて、アンタらは真ん中(ここ)でアタシの相手になってもらわなきゃならない。それがアンタらの新しい役目だ」

「へぇ、一人で私たち全員を相手にするって言ってるんですか? ハハッ。流石に自信過剰なのでは? その腕、誰に千切られたか忘れましたぁ?」

 エンナの挑発に、今にも飛びかかりそうにな自分自身を精一杯抑えて応える。

「心配いらないよ。これでも昔は絶世の美女で通ってたんだ。全員アタシに釘づけにしてやるさ」

 ――眼を離すんじゃないよ、と低く言うや否や炎を纏った魔法使いは一足飛びで間合いを詰めた。一瞬のうちに懐に入り蹴りで以て緑髪の女を弾き飛ばした。

 矢のごとく飛ばされた女は声もなく大剣の男に衝突し、二人はいきおい倒れた。

 苦悶の声を漏らしつつ立ち上がると、既に二人の前に魔法使いの姿はなかった。代わりに谷の右端の方で炎が上がった。

 防衛線に開けられた突破口を塞ごうと攻める王国の精鋭をエンナの炎が阻んでいた。

 今まで目の前にいた敵が遥か間合いの数倍の距離にいる。精鋭二人は呆気にとられたが次の瞬間否応なしに理解した。

 谷の端から弾丸のように人が飛んできてすぐ目の前に着地した。衝撃で地面が砕けて舞った。その欠片が再び地に落ちるより先に、赤い髪の女が飛び出す。今度は周囲の兵士を火炎で牽制しつつ、大剣の男を右腕の一撃で地に伏せると身を翻し、背面跳びの形で弧を描きながら谷の左斜面に着地した。それと同時に横隊左翼に炎を噴く。

 狂戦士と大剣使いは、女が炎を噴きながら再び横隊の中央に狙いを定めたことを察知した。二人はほとんど動物的な動きで身構えた。

「クソッ! アイツ! アイツ‼」

「来るぞ!」

 中央、右翼、中央、左翼また中央。各所で一撃を与えて移動する。エンナは止まらなかった。攻撃し、牽制し、翻弄し、絶えず動き続けた。

 王国精鋭部隊は空いた穴を塞ぐことも出来ず、雨か霰のように繰り返される襲撃への対応に終始するしかなかった。

「ちょこまかと――ちょこまかとちょこまかとちょこまかとぉ! あああ‼」

 緑の髪の狂戦士が両手の銃を無軌道に振り回した。

「落ち着け! 取り乱すな!」

「だってあの女ぁ! 蝿みたいで! この……蝿! ハエ‼」

 大剣使いの男が羽交い絞めにしてなんとか取り押さえる。女は尚も四肢を振り乱して言葉にならない声を叫び続ける。

 そんな二人をよそに、

「ハエなら僕が落とそう。ようやく目が慣れてきたんだ、まあ見ていてくれ」

 涼しげにそう言った者がいた。そして谷底を飛び回る魔法使いに狙いを定め、二、三度体を揺らしタイミングを合わせて飛び上がった。

 一瞬、両者が拳を交える姿が宙に浮かんだ。次の瞬間には同極の磁石が反発しあうように二人は離れ、着地した。

 この時初めてエンナがよろめき、動きを止めた。その隙を見逃さない者がいた。

「今だ! この女を囲め!」と声が上がり、両翼の精鋭たち数十名が一斉に中央に集い、彼女を囲んだ。

 エンナを中心に大きく円を描くように、精鋭たちが位置につく。円の中にはエンナともう一人が向かい合って立っている。互いに一歩踏み出せば相手の間合いである。そういう距離を保ったまま一言もなく見合っている。谷底に静寂が訪れた。長引かないうちに、まだ羽交い絞めにされたままの狂戦士が静寂を破った。

「勇者ぁ! それは! そいつは! 私のだ‼ 私がぁッ‼」

 荒々しい叫声が谷に響く。エンナは顔をしかめていた。

「あれ、痛かった? 普通に蹴っただけなんだけど……」

「まさか。ところで、アンタが噂の勇者様かい。会えて嬉しいよ」

 エンナが体勢を整えながら言った。

「何度か、会っているはずだけどね」

 フードの着いたマントで全身を覆ったままの勇者は困ったように言って頭を掻いた。

「アタシに構ってていいのかい?」

「馬車隊はもう全部行っちゃったし、今更追いかけても間に合わないさ。僕らの負けだよ。やっぱりここにも砦を作らせるべきだったね……。でもね」

 そこまで言うと勇者はフードを上げた。

 白い肌。黒い瞳。黒い髪は耳が出るように切り揃えられ、おかげで顔のシルエットが丸い。それがただでさえ童顔の勇者を一層あどけなく見せた。背丈は決して高くなく、マントの下から覗く肢体も頑強と言うよりはむしろ華奢に見えた。

「僕らは王国最強の部隊なんだ。戦果無しじゃあ面目が立たない。だからせめて、今ここで、君の首だけでも取って帰るよ」

 勇者はそう言って腰に差した剣を抜き、マントの下から出して構えた。合わせてエンナを囲む戦士たちも各々の構えをとる。彼女はその様子を見て一つ大きく呼吸して言った。

「あんまり物騒な口をきかれると可愛い顔が更に可愛く見えてくるよ。不思議だね」

 勇者が俄かに眉をひそめた。

「可愛いって言うな」


    ○


「申し上げます皇帝陛下。フロイト殿が謁見したいと」

 砦の広間で世話役の従者に肩をもませていた皇帝は怪訝な声で応えた。

「指揮を執っているはずではないのか」

「そのはずですが――なんでも急ぎ報告したいことがあると」

 少々困った様子で話す守衛。皇帝はそれを見て埒が明かぬと踏んだらしく謁見を許した。「通せ」と命じ、程なくして軍服に身を包んだ少女が皇帝の前に現れた。

「突然の謁見、失礼をお許しください」

 恭しく跪いて胸に手を当て頭を垂れる。

「要件を申せ。ここまでしたのだ、よもや些事ではあるまいな」

「無論でございます。場合によっては――この世界を揺るがしかねない。それほどに」

「……ほう」

 二人の間で妙な空気が張り詰める。

「ことは一刻を争います。ですがお耳に入れるその前に人払いを、何卒」

 ややあって、手を掲げた皇帝に守衛たちは戸惑いを隠せなかった。皇帝はそんな彼らを無言で一瞥して下がらせた。

 薄暗い広間には無言で相対する二人の他に三人が残る。玉座の両脇に控える異様に大きな体躯の従者が二人、外套に身を包んで顔も隠したまま微動だにしない。金髪碧眼の世話役の少女が一人、皇帝の傍に控える。

「この者らは気にせずともよい。特にこのデカいのは人ですらないからな」

 皇帝が合図すると大柄な従者二人が外套を脱ぎ捨てた。露わになったのは明らかに人の体ではないがしかし随所に人間の面影を残した醜い魔物の姿であった。

「ふふ、自信作だ。それで、話とやらを聞く前に先ずはこちらから質問させてもらおう。何をどこまで知っている?」

「何もかも全て。この世界はおかしい。この国もおかしい。何より皇帝、あなたが一番おかしい。そういう違和感の正体をこの場であなたに問い質すのもやぶさかではありませんが、その必要がおありですか?」

 少女は跪いたまま淡々と言った。

「違和感! 違和感か、ハハハ! よろしい! ならばその違和感とやらを申してみよ。この恐怖帝にな」

 そう言って老王は玉座に深く腰掛け直した。皇帝と対峙していた軍服の少女もここでようやく立ち上がる。

「では申し上げましょう。先ほども言った通り、あまり時間がありません。

 先ずはマルタの事です。開戦の折、第一回目の会議に召集された時、私の身辺に西の子供がいればそれも同行させよ、と皇帝より直々の命がありました。西の子供というのはマルタの事です。貴方はあの子の魔法どころか存在自体を知る由もないのに何故」

 皇帝は黙って話を聞いている。

 これと同様に、商会による銃の生産状況や西への抜け道を皇帝が把握していたことも不審だった。共に敢えて遮断していたはずの情報である。

「もう一つ、この戦争について。代理戦争に仕立て上げて甘い汁を吸おうというのは分かります。しかし西が堕ちた時点で防衛線に移行するべきでした。わざわざこちらから攻め入らずとも向こうから攻めてくるの待って返り討ちにすればよかった。攻めてこないなら誘い込んで叩いてもよかった。その後で悠々と西から王国軍を排除すればいい。

 むざむざ帝国兵が犬死にしないで済むやり方はいくらでもあったはずです。それなのに何故あのタイミングで西に派兵したのか。

 これは単に貴方が愚帝であったから、であれば理解できます。しかしつい先ほどのことです。貴方は言った、『精鋭を部隊の先頭に置け』と。まさかとは思いましたが、実際に戦場で敵兵の配置を見たときは驚きましたよ。

 谷の両側からの挟撃。これを突破するには谷底に栓をする敵部隊を確実に、迅速に取り除く必要があります。貴方はこれを読んでいた。それほどの人間が引き際を見抜けないとは考えにくいのです」

 声は広間によく響いた。その余韻が消えるのを待ち、更に数秒の重たい沈黙の後に皇帝が口を開いた。

「それだけか?」「はい」

「では貴様は、余が秘密裏に情報をえているとか、意図して兵を無駄死にさせているとか、そう言いたいのか?」

「そう申し上げました。もっとも、その理由までは私には量りかねますが」

そう言って皇帝の出方をうかがう。飽くまで、無知蒙昧に。碩学にそうとは知らず知識をひけらかすように。

「ハハハ! そうかそれだけか! それならよい! 何を言い出すかと思えば愛い(うい)ことを! 傑作だ! しかしまあ、どのみち貴様には我慢の限界だったのだ。冥土の土産に教えてやろう」

 一瞬背筋が凍った。しかし冥土の土産、確かにそう言った。

 恐怖帝はしゃがれた声で続ける。

「貴様の疑問への答えはすべて『余が恐怖帝である』ということに集約する。余の権能、貴様も先の戦いで目にしたであろう。恐怖による支配、それを完璧に実現させる。それこそが余の魔法である。

恐怖! それは生命の根源的な動機の一つに他ならぬ。それを操るからこそ人間の行動一切を意のままに操れるのだ。動きを止めるなどは容易い事よ。

恐怖で人を、国を統べる。故に恐怖帝である」

 皇帝は上機嫌で得意げに語る。いっそう玉座にふんぞり返り、召使の少女に肩を揉ませながら。

「この権能は余の眼に宿っておる。分かるか? この碧眼こそが正しく王の目なのだ。それ故我が恐怖の射程はこの眼でしかと捉えられる範囲に限られはするがな。それも些末なことよ。あの泥色の小娘の力を以てすればどうやらその制限もいくらか緩和されようて。

 ああそう、貴様がその存在を見事見抜いた余の情報源だがな、ご褒美に答えを教えてやろう。これも王の目だ。

 恐怖は人だけのものではない。生きとし生ける者すべてのものだ。そしてその本質は無知である。知らぬ、分からぬから恐れるのだ。であれば人より知に欠ける獣などが御しやすいのは必定ではないか? そうであろう? 幸いこの世界にはモンスター(そういうもの)どもが満ち溢れていたからな、帝国全土を見張らせるのに不足はなかったのだ。

 流石に余も人間故、すべてを把握することはできなんだが、都市の外、魔物の領域でのことは手に取るように分かった。都市部でも大きな動きを見逃さない程度には監視できた。王の目から逃げられぬのだ」

「では――この国の魔物は全てあなたが操っていたと。なるほどそれで王国軍の策略も把握できた……それなら、尚のこと何故西から兵を退かなかったのです。いやそれ以前に、それだけ情報が得られるならもっと都合よく戦況を操れたはずではないのですか」

 そんなことはとっくに分かっていた。白々しい演技だ。

「そこなのだ。実は余が今から貴様を屠る理由もそこにあるのだ、フロイト」

 言い終わると同時に肩にかけたライフルを素早く構えた。銃口を皇帝に向け、引き金に指をかけたところで体はぴたりと動きを止めた。

「くっ――!」

 苦悶の声が漏れた。

「ん? どうした? 何を固まっておるのだ? 余はただ貴様を一瞥しただけだが……。

 ああ! 余の権能にあてられてしまったのか。いかんいかん、加減しているつもりだったが気を抜くとすぐに目の前の動けなくしてしまう。すまないなあ」

 年甲斐もなく気取った声が響いた。皇帝の表情を見ることは叶わないが、心境を察するにはその声だけで事足りる。

「一体……一体何故私を殺そうというのです――!」

「そう逸らずとも教えてやるとも。それはな、飽きたからだ。もう貴様は邪魔なのだ」

 その声だけで皇帝がにやけているのが分かった。

「ああ、都市と都市が分断された我が帝国のなんと御しやすい事よ! 人間を幾つかの都市へ集めてしまえばそれを囲む広大な土地には余の魔物が眼を光らせる。そうやって都市を個別に管理すれば余の手を離れて発展することもない。その兆しがあれば軽くひねってしまえばよい。その結果消えてしまってもよかったのだ。

 死体が増えるのは歓迎だ。玩具はいくらあってもよいのだからな。街の外へ出た人間を攫わせてきては壊れるまで遊んだ。壊れてからも遊んだ。そうやって何度でも遊ぶことが出来た! 分かるか? この国は余の箱庭だったのだ! 余の理想そのものだったのだ!

 それを貴様と貴様の商会が乱した! ゲシュタルト商会、ああなんと憎らしい! 余の大地であった荒野を縦横無尽に駆けずり、都市と都市を、村々を結び瞬く間に帝国を一丸とせしめた! おかげでこの国は余の手に負えないどころか人を死なせも攫いも出来なくなってしまった! 余の玩具が無くなってしまったではないか!」

 屍体愛好〈ネクロフィリア〉。それが皇帝の性癖。この広間の内装もその風変わりな趣向を雄弁に物語っている。

 正直、その手の趣味は理解できない。ただ、怒鳴りたてる皇帝の様子からその執心具合を察するばかりだ。

「そもそも初めから危ないと思っておったのだ! あの炎の行商人の新たな連れが転生者だと分かった時から! だから何度も貴様を消そうとした。しかし貴様はそれらをかいくぐり憎きあの商会を立ち上げた。あまつさえ、余があらかじめ芽を摘んでおいたはずの銃まで手にいれた!

 そうしていよいよこの国が余の手を離れ始めたとき、戦争が起きたのだ。願ってもない幸運であった。何せ戦争では人がたっぷり死ぬであろう? まあ貴様もなにやらこそこそと動いておったようだが、そのおかげでより戦争は長引いた。足りなかった遊び道具が大量に手に入ったのだ、感謝しておるぞ。……でも」

 皇帝は一度言葉を切って、召使に手伝わせて玉座から立ち上がる。

「もういらない。もうだいたい遊びつくした。飽きた。それに余の理想郷を取り戻す方が大事だ。何もかも思い通りの最高に都合がいい余のための帝国。そこにお前は不要だ。お前さえいなければきっとゲシュタルト商会も烏合の衆だ。お前は邪魔なのだ。だからここで死ね。余のこの力の前になす術なく死ぬがいい……いや」

 ふと思いついたように恐怖帝が言った。

「さっきのお前には随分と笑わせてもらったな。それに免じて最後に一つ願いを聞いてやろう。お前は美しいからな、死体は勿論遊び潰すつもりだ。そこは変わらない。だが死に方くらいは選ばせてやろる」

「――本当ですか?」

 体同様に固まってしまいそうな声だった。

「ああ本当だとも。ゆっくりと酸欠で死ぬのはどうだ? 以外に楽みたいだぞ。それとも一思いに心臓を止めるか? 苦しいのはほんの少しの間だけだ。お前の美しい体はそのままで傷一つなく死ねる。

 おっと、『老衰で死にたい』はナシだ。勿論可能ではあるが美貌が失われるのは惜しい。それ以外ならなんでもいいぞ。さあ、言ってみろ」

 ここまでは完璧だ。そしてこれが千載一遇の好機で間違いない。

「死に方ですか……」

 ゆっくりと口を開いて言う。

「私はね、この世界に来てからというもの、この見た目のせいで随分と苦労してきました。華奢で非力で、でも美しい少女。この体は、貴方やアルベーダや人さらいの野党のような強者であろうとする男たちにとって、格好の餌食だったわけです」

「知っているよ。犯される時のお前は死体のようで、とてもとても美しかった」

「だから死して尚、男に弄ばれるくらいなら、いっそ――」

 そうだ。それでいい。

「そこの醜い魔物に食い殺された方がマシです」

 …………今、何と言った?

「――! それは、それでは貴様の体が!」

「私の死体が手に入らない、ですか?」

 違う。それじゃだめだ。それじゃその体が――。

「老衰以外なら何でもいいと言ったのにまさか反故にするつもりではありませんよね?」

 やめろ、今ならまだ間に合う。それ以上煽るな。

「さあ私を殺せ! 殺してみろ! この体をめちゃくちゃに潰してみせろ! どうしたできないのか? できないなら私の勝ちだ!」

「こっ……の! 調子に乗りやがって! いいだろう、望み通りその四肢を割いて潰して豚の餌にしてやる‼ 殺れ!」

 怒り狂った老人が命じると同時に二体の魔物が少女に飛びついた。床に押さえつけられた少女の脇腹に犬の様に尖った口から伸びる牙が突き立てらる。少し血が出たかと思うと次の瞬間には胴の四半分程がごっそりと喰い取られた。

「ああ――ッ! が――ぶぇ――――」

 小さな絶叫も大量の吐血によってかき消される。捕食者は少女の手足をもぎ、滴る血を浴びながら衣服もそのままにかぶりつく。

「ふ、ふふ! 生きたまま食われる気分はどうだ? 大人しくしていれば楽に死なせてやったものを……おい、貴様どこを見ている」

 悦に入っていた皇帝がふと少女の視線を気にした。

 魔物に踏みつけられた少女の顔はつぶされる直前、確かにこちらを見て笑った。

 クソッ――あの馬鹿。

 視線を追って振り返る。その振り向きざま。

 当たれと強く祈りながら引き金を引けば、あとは当たるべくして弾が飛ぶ。


 私は召使の碧眼をかすめるように撃ち抜いた。

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