第9話 ロスト・ヴァージン

 私は死の商人だ。この世界に転生する前からずっとそうだった。

 武器を欲しがる輩というものは地球上どこにでもいた。武器を売りたい人間もいる。しかしそれは往々にして大っぴらにはできない取引だった。合法な連中と非合法な連中との間にはやはり大きな隔たりがあるのだ。それらなと、私は両者を繋げることを生業にしたのだった。表向きは国際的な物流事業に従事する多国籍企業として、法の眼をかいくぐりあの手この手で商売をした。合法的な武器製造者から合法的に品物を買い付け、地球のあちこちに売りつけた。

 品物は飛ぶように売れた。商売をするなら人間の三大欲求を扱うのが手っ取り早い。いつの世も人は飯を食うし、寝床を求めるし、種を残そうとする。全て本能である。それらに金を出し惜しみはしない。生きるための営みなのだから。ならば、より直接的にそれを商売で取り扱ったらどうだろう。生存そのものを商材にするのだ。私は人間の生命を武器という形で売り歩いた。勿論、生き延びるためなら誰もが金を出してそれを求めた。

 ところで、生と死は表裏と捉えることが出来る。私が商売相手にしていた、寿命を全うすることがないような血なまぐさい連中にとっては特にそうだ。生きると言うことは死なないということだし、死ぬということは生きられないということだ。それは、私に言わせればこういうことになる。“より強力な武器を買うというとこは死なないということだし、強い武器が買えないということは死ぬということだ。”地球上の争うもの達、争いを起こそうとしている者達、争っている者同士、皆に同じことを言ってやった。すると皆面白いように金を払って私から武器を買った。

 文字通り、命を売り与えた。時に銃、時に爆薬、時に薬物、時に細菌、時にガス。様々な形をした命は、大体の場合誰かの死に直結するものだった。そうでなくても、私が一言「売らない」というだけで潰える命もあった。そういった意味で、やはり私は間違いなく死の商人だった。

 私はそうやって成功をおさめたのだ。

 そしてまた私はこの異世界に転生してからも同じ道を辿っていた。ときおり、私の目の前で私が作り私が売った銃で人が死ぬ光景を見てはその度に目を覚まし、ここが独房だと気づいてはまた幻覚を見て気を失ったりした。自分が起きているのか寝ているのかも分からなかった。

 ただただその繰り返しが続き、やがて何日経ったのかも分からなくなった頃、私は釈放されたのだった。


    ●


 私が憲兵に拘束された時点で商会の指揮権はアルベーダのものとなった。実態はどうあれ私は一応アイツの配下であることには変わりなかったからである。もしや謀られたのではと疑ったがあのボンクラにそんな能はない。他の貴族二人と一緒に死んでくれていればよかったのだが、私たちと一緒に逃げ延びていたらしい。運だけはいいようだ。商会の指揮権もきっと棚から牡丹餅と手放しで喜んだに違いない。

 しかしやはり無能は無能である。先の大敗によって西はほぼ全土を王国に掌握された。王国の魔の手がすぐ横に迫った帝国は慌てて彼の地に派兵した。西の奪還、目下それが帝国軍の目標であった。帝国軍正規兵は優秀で練度も士気も高い。勝利は堅いはずだった。

 しかし兵站をアルベーダが行っていいたこと、これがまずかった。あの無能貴族に軍の物流を一手に担う商会をまともに運用することなどできなかった。傭兵や諸侯の私兵といった正規兵以外の人員を上手く御することも出来なかった。

 また、王国には少数精鋭の部隊があったらしい。恐らく私たちを襲った連中のことだが、その中に一人、一騎当千の戦士がいてそいつにかなり手を焼いているとのことだった。ある王国軍捕虜曰く、それは勇者である、と。

 ばかばかしいにもほどがある。

 そんな状況でも帝国軍は、よせばいいのに健闘し、戦況は見事に泥沼と化した。このままでは埒が明かぬと踏んだ参謀本部はまず兵站を正常化させるために超法規的措置として私を牢獄から呼び戻したのである。

 もとからお偉いさんの意向でどうにでもなるもののくせに『超法規的』とは片腹痛い。

 それに当の私は、そんなことはもうどうでもよかった。

 安らぎが必要だ。強い安らぎが。

 帝国全土の物は、言ってしまえば、私の意のままに動かせる。日用品から食品、嗜好品まで手に入らないものはない。酒、煙草ではもう満億できない。

 もっと強いものがいい。頭を擡げてしまいそうな重さを忘れたい。

 軽くなって、飛んでしまいたかった。

 

    ●

 

「あなた……いい加減にして」

生気を失った声でそう漏らす母を見たのは一度や二度ではなかった。

「な、なにがいい加減に……う、うるさい! うるさい!! い……いいかげ、い、今!今、いいとこなんだよぉ!!」

「何がいいところなの⁉ いったいどこがいいってのよ! 私がこんなになってるってのに! 仕事と家事と育児で……手一杯で……それでも家計は厳しいのに! この子だって来月から小学校に上がるのよ⁉ 仕事しないんだったら、せめて、せめて家事とか、じゃなければ子供の面倒見るくらいしてよ!」

「そんなことしてる場合じゃないんだよ! 今異世界で――魔王から世界を救ってるんだからよぉ――! ああ――あ、あ…………うああああぁぁぁあ!」

 父はがむしゃらに母を殴った。無軌道に泣きわめくみたいに叩いた。息を荒立て眼に涙をためて一方的に暴れた。

 よくあることだ。


    ●


 ――せっかくの薬が台無しだ。悪い方に飛んでしまったらしい。これじゃどっちが夢か現実か分からない。

 自室で目を覚ますと、そこにいたのは赤い髪の、顔に傷のある女だった。

「偉くなったもんじゃないか」

「……まあ、会長ですから」

 そう言って私は椅子に腰かける。目も合わせない。

「貴女こそ仕事はどうしたんですか。関所の開閉係は解任になったんですか?」

「一時撤退だとさ。散々こき使われたよ。おまけにあのバカ領主が仕切ってるせいで戦場はめちゃくちゃだ。おかげで腕が一本お釈迦になっちまったよ」

 弟が死んだばっかりだってのにね、と続けながら彼女はマントのように羽織った外套の懐から包みを取り出して、私の目の前に置いた。机に置かれたそれは五、六〇センチの腑太い棒状だった。匂いが、鼻につく。

 机の前に立った女は傷だらけだ。外套の下で左袖だけがだらりと垂れているのが嫌でも目についた。

「なあフロイト、教えてくれよ。アイツは、アマリオは最後になんて言ったんだい?」

 それは弟を亡くした姉の言葉だった。事実を述べる以外、この言葉に応える術を私は知らなかった。

「――彼は、私の母でした」


 私は全てを打ち明けた。エンナは驚くでもなく嗤うでもなく、ただ黙って私の話を聞いていた。


「それで?」

 私が洗いざらい話し終わると彼女はそう言った。

「それで、じゃありませんよ。これが全てです。これで話は終わりです」

「そうじゃないだろう。アンタがこの世界の人間じゃなくて、戦争屋で、アタシの弟がアンタの母親の生まれ変わりで、それは分かった。たいそうな話じゃないか。正直信じられないけどね、でもそれはいいんだよ。嘘でも構いやしない。

 アタシが訊きたいのは、アンタがこれからどうするのかってことだよ。

 アンタはアタシのところへやってきた。一緒に旅をした。行商人どもを引き連れて街を一つ救った。商会を作ってうだつの上がらない連中を真っ当に生活できるようにした。国中栄えさせた。西を王国から守るために戦争にも手を貸した。上手くやって来たじゃないか。だからアタシはアンタに附いて――」

「やめてください……!」

 もう、たくさんだ。

「商会なんて作って、国を栄えさせて、戦争をして、それでどうなったか貴女もよく知ってるはずです!

 私は体を売って権力に取り入った淫売扱い。仕方なかったとはいえ、戦争で人が大勢死んだ。それも目の前で! 私のせいで! 西で一緒に遊んだ子供たちも死んだ。マルタの両親も死んだ。商会の人間も死んだ。補給を絶たれた西の兵士たちも死んだ。母も――アマリオ君も死んだ。

 ……これで二度目なんですよ。もういいじゃないですか。嫌なんですよ、もう。

 なのに……なのになんなんですか貴女は! いい加減にしてください! わざわざ千切れた腕なんか持ってきて……そんなの見せつけて何がしたいんです! それも私のせいだって、そう言いたいんですか⁉ ええそうですよ! 私のせいです! 全部、全部私のせいなんですよ!」

 気付けば柄にもなく喚き散らしていた。目を伏せ、椅子に座ったまま、吐き捨てるように。それは目の前にいる隻腕の女に向けた言葉では決してなかった。自嘲気味に緩んだ口元から落ちるように言葉が漏れた。

「――こんなことになるなら大人しく元の世界に戻る方法でも探せば良かった……」

 数秒の沈黙を破ったのはエンナだった。

「おい、なんだいそりゃ…………見ろ」

 見ろ。彼女は地鳴りのようにそう言った。

「現実を見ろ! 転生がどうの元の世界がどうのじゃないだろ! 

 ああそうさ、人が死んだよ、沢山死んだ! アマリオだって死んださ! それでどうだ! 戦場から帰ってきたらアンタはクスリやって甘えたことばかりぬかしてやがる。今こうしてる間にも死んでいくやつがいるだろ! アンタならそいつらを助けられるんじゃないのかよ! アタシらにはど足掻いてもできないことが出来るんじゃないのかよ!」

 彼女の声で部屋中の空気が震えて、やがて静まる。

 現実を見ろ。よりによって私がその言葉をかけられる羽目になるとは思いもしなかった。頭の中で何よりも大きく響き反芻する。割れてしまいそうだ。

 目眩がした。

「――なぁ、もしアンタがクスリのせいでおかしくなってそんなこと言ってるんだったら、頼む、もうやめてくれ。間違っても体にいい代物じゃないだろ。

 アタシを見ろよ、傷だらけでボロボロで腕もなくなっちまった。でもそんなのはもうどうでもいいんだ。とっくの昔に諦めてるんだよ。でもアンタは違うだろ。アタシはアンタが傷ついて壊れてくのなんか見たくない、見てられないんだ」

 そんなのいい迷惑かもしれないけどね、と付け加えて私に背を向け、傷だらけの女は部屋の出口へ歩いていく。去り際に、

「アタシの左腕だけどね、今頃西で虫の餌にでもなってるよ。

 そいつは弟――アマリオの腕だ。アタシらの風習でね。火は通してある」

 と言い残して出て行った。

 火は通してある、か。なるほど。どおりで覚えのある匂いがするわけだ。

 エンナと旅をしていた時によく嗅いだ匂い。西で肉を焼いていた時に嗅いだ匂い。射殺された体から僅かに漂ってきた匂い。

 人の肉が焼ける匂い。


    ●


「神は自分に似せて最初の人間を作ったのです。それからその伴侶となる人間を作りました。もちろん肋骨からです。二人は神の創った楽園でしばらくは何不自由なく暮らしましたが、ある日最初の人間が蛇に絞殺されてしまいました。

 哀れに思った神は火葬によって弔うことにしました。

『弔いの準備をするから待っていろ。それまで決して骸に触れてはならぬ』

 二人目の人間にはそう言いつけました。二人目の人間は悲しみました。愛する人が死んでしまったばかりか、もう触れることも出来ない。いずれ姿かたちもなくなって永遠に消えてしまう。そう思った二人目の人間は神の言いつけを破り、最初の人間の肉を食べたのです。死して尚、愛する人と共にあるために。

 これを知った神は怒りましたが、しかし同時に人間の愛に心を打たれました。そこで言いつけを破った罰として人間を楽園から追放する際、その愛を称えて不思議な魔法の力をお与えになったのです。

 ――とまあ、これがこの世界の神話、楽園追放の章でございます。どこかで聞いたような、けれどちょっと違う話でしょう? でもこの世界はそうやって始まった、ということになっているのですよ。――申し訳ありません。この話なんだかおかしくって、話す度に笑いが――」

 エンナと入れ替わりで部屋にやってきた金髪碧眼のメイドはくつくつ笑った。

「……何のつもりだ?」

 そんな話を聞かせて一体どうしようというのか。先ほどからどこか胡乱な気配のメイドを一瞥してすぐ視線を伏せて問う。

「いえね、以前約束したではありませんか。私を殺して下さると。だのになかなかそうして下さらないものですからこちらから売り込みに来たのです」

 充分私の役に立ってくれたら望み通り手にかけてやる。そういえばそんな契約をしていた。今となってはどうでもいいことだが。

「そんな昔話で私が釣れるとでも?」

「あら、お気に召しませんでしたか? これはこの世界の核心に迫るお話の一つだったのですが。……まあ私もこれだけでご満足いただけるとは思っていませんでしたけど」

 メイは落ち着き払った態度で話を続ける。

「ですから今日ここで皇帝について私が知る限りのことを全てお話ししましょう。出し惜しみはいたしません。ただ前提として私のことは例外的な存在だと認識しておいて下さいどの世界においても蚊帳の外にいる、そんなものだと思っておいて下さいね」

 そう前置きしてメイドは全てを語り始めた。


 私の頭は火花を散らして目まぐるしく回転しているようだった。

 

 個別の要素、部分が一つまた一つと連結していく。

 パーツが次々と埋め込まれる。

 

 世の底辺に在ったとき、母は言った。

 きっとここからでは見えない景色がある、と。

 本当に、本当にその通りだ。

 私は目の前に置かれた包みを開き、アマリオの、母の肉に噛みついた。食いちぎり、頬張り、咀嚼し、飲み下した。


 すべてのピースが繋がった。

 或いはすべての歯車がかみ合った。


 泥沼化した戦況を、どうにもならない私を、大嫌いな異世界を。


 最低最悪の状況すべてを覆す、最高最悪の一手が組みあがった。


 嗚呼、なんて都合がいい。一体誰の意図なのだろう。


「さあ、これが恐怖帝の生い立ち、性癖、趣味趣向、権能、そのすべてでございます」

 初めて人の肉を喰らった私を見届け、メイは満足げである。

「それで?」

「それで、ではありません。これで話は終わりでございます」

 何やら聞き覚えのあるセリフにくすりとしながら私は答える。

「また盗み聞きとはな」

「私、少々人が悪いのです。その後様子ですともう大丈夫なようですね」

 金髪碧眼の少女面が期待に耐えかねて破顔している。

「いや、あと二つだ。一つ、この世界は結局なんなんだ?」

「それは私が答えるまでもございません。もうお分りでしょう? 恐怖帝も知っていることですから直接会って答え合わせなどしてみてはいかがですか?」

 出し惜しみはしないと言ったくせに。まあ、いいか。

「それじゃあ最後に一つ。元の世界に戻る方法は?」

 答えの分かり切った質問に、上気し上ずったこえでメイが答える。

「そんなもの――あなた方にはありませんよ」

 そう。それでいい。その答えが欲しかった。

 その答えで、私に絡まっていた糸は切れた。

「来なさい、メイ。最後にもう一度よく顔を見せて」

「――! それでは……いいのですね⁉」

 ずいっと、目の前に少女の顔が差し出された。サラサラの金髪は肩口で軽く切りそろえられ、目に掛かる長さの前髪は右目の上で左右に分けて流している。青い目は丸く、唇は薄く、白い肌が瑞々しい。私とは違う方向性の美少女。その頬に左手を添える。

「ああ、今ここでお前を殺してやろう」

 常備している護身用のナイフを懐から取り出し、少女の喉に突き立てた。切っ先が少し沈み、薄い皮膚の幕を破る。柔らかい肉をかき分けて刀身が飲み込まれていく。

 ナイフから伝わる感覚が全てだった。

 もうこれ以上刺さらないところまで押し込んで、ゆっくりと引き抜く。

 肉癖が刀身にまとわりついて離そうとしない。それでも抜く。丁寧に。抜き出した獲物は薄くべったりと紅い体液で彩られている。

 ドク、ドクと。早まっているらしい脈動に合わせて新しいクチから血が溢れ出る。

 白い首筋を伝っていく鮮血は綺麗で、少しの間見惚れてしまった。

 行き場を失い肺か胃の方へ流れたらしい血が逆流して上の口から噴き出した。それをもろに浴びた私の顔はきっと真っ赤だろうな。

 そう思った矢先、メイの声がした。

「も――ごぷ――レ……!」

 自らの血で溺れている少女の声は聞き取れない。しかし言いたいことはその表情が教えてくれた。

 もっと、きて。

 そうか、これくらいじゃまだ死ねないんだ。もっとちゃんと殺してあげなきゃ。

 私は席を立ち、メイドの体を床に転がして馬乗りになる。そのまま、逸る鼓動に任せて体を動かした。夢中で、全身を使って、刺して切って裂いた。

 これが私の、本当に本当の初めて。

 これで私は名実ともに人殺しになったのだった。


    ●


 部屋には書置きを残した。しばらくは決して入らぬようにと職員たちに言いつけて血まみれの自室を後にして返り血を流した。糊のきいた替えの軍服に身を包み、髪を結う。

 もう迷いなどない。そんな足取りで玄関を出ると赤い髪の女が立っていた。険しい面持ちの彼女は何も言わない。

「リョーレ将軍のところへ行ってきます。それからいろいろと準備もあります。全部終わるまでに体を治しておいてください」

 私がそれだけ言うとエンナは表情をやわらげ「分かったよ」とだけ言って見送ってくれた。


    ●


 リョーレ。階級、将軍。参謀本部の頭脳。というかこの組織で唯一まともな軍人。そう軍人であり貴族ではない。それどころか出自に傷がある。そんな身でありながら類稀な才を遺憾なく発揮し帝国軍の指揮官にまで登り詰め、あまつさえその功績を称えられ爵位と僅かではあるが領地を賜った男。早い話が底辺から成り上がった男だ。

 有力貴族が参謀会議に直接口を出すようなめちゃくちゃな国だと思っていたが存外実力主義の側面もあるようだ。

 私は今そんな男の帝都別邸を訪れている。少し待たされた後、将軍の元へ通された。

「ようこそフロイト君。具合はどうかね」

「お気遣いありがたく存じます、将軍。――あなたのおかげで今私は生きている。今日はそのお礼に参りました」

 将軍は私の言葉に僅かに目を細めた。

 死刑になるはずの私を庇ったアマリオの弁明。本来は取るに足らない筈のそれを拾い上げて通した。そして商会の指揮がアルベーダの手に余るとみるや否や超法規的措置として私を釈放した。それだけのパフォーマンスが出来る人物となると、私には将軍しか心当たりがなかった。

「――彼には悪いことをした。勿論君にもだ。しかし、あれが最善だった。君を失う訳にはいかなかったのだ」

 私から視線を外ししみじみと語る初老の将軍。

「心得ております。……私のいない間に戦況はどのように?」

「酷いものだよ。アルべ―ダめ、輜重兵と歩兵の区別もつかないようだ。それに竜の関所と言ったか、あれより先は地形が悪い。王国はそれを利用して要塞を建てたのだ。満足に戦線を展開できんのだよ」

「要塞……ですか?」

「ああそうだ。それも、報告によれば一晩で築城した、と。昨日まで何もなかった荒野に翌朝いきなり砦が出来ていたらしい。兵士のうわごとであればよかったが……」

「私の復帰も現状の打破に直結するものではない、と」

 将軍は頷く。

「どうして兵を退かないのですか。わざわざ敵地に攻め入らずとも防衛戦に徹すればこちらの消耗も抑えられるはずですが」

「西の即時奪還、それが皇帝の命令なのだよ。全く、どうしてこんなことになったのか。そもそも彼の地は帝国領ではない筈だ。これでは帝国も王国も西も、いたずらに命を散らすばかりだ」

 将軍は窓の外、遠くを見るようにしてそう言った。

「レ将軍」

 彼は、私の呼びかけに応えない。しかし動揺だろうか、俄かに反応した気配があった。

「私をその名で呼ぶ者があるとはね。……君のその短く勇ましい名前、それから容姿。そうではないかと思っていたのだ。私と同じ北の出身かね」

 元王国人の将軍は振り返り、やや眉をひそめて言った。

 私は答えない。ただ神妙な顔をして立っている。

 彼の存在が帝国軍参謀本部において異質だったのはその優秀さのみによるものではない。容姿や物言いは勿論だが決定的だったのはその名前である。周りの貴族たちはとにかく彼へのあたりが強かった。ことあるごとに「名の短い癖に」とか「これだから名前の短いやつは」などと不平を鳴らす。我が身にも覚えのあることだったので、それが王国式の名を蔑むものだと気づくのにそう時間はかからなかった。

 帝国人の名前は長い。エンナやアルベーダもそうだ。とにかく長い。普段は皆名前の一部を通称としている。フルネームを口にするのは初対面の相手に名乗る時か、よっぽどかしこまった場面ぐらいである。そのため“リョーレ”というのは一見分かりにくいが、帝国式に改めた彼のフルネームである。

 帝国と王国で姓と名が逆になる。“イトフロウ”と名乗った私が“フロイト”になったように。

 つまり、彼は姓を“レ”名を“リョー”という王国出身の人間だった。

「同郷のよしみを頼って来たのなら、悪いが期待に応える訳にはいかない。これでも今は帝国軍人だ。この国と先帝への忠誠を裏切ることはできない。例え愚帝が統べるようになった今でもだ」

 将軍は壁に飾られた一枚の絵の前に立って釘をさす。

「先帝への忠誠、ですか」

 そうだ、と言う将軍は絵から目を離さない。

「お聞かせ願えませんか。王国出身のあなたが何故帝国の将になったのですか」

「……簡単な話だ。その昔、先帝が健在だったころに私は王国から帝国へ亡命したのだよ。先帝は偉大だった。その治世の噂は乱世の王国にまで届いていた。

 当時、私は王国軍の将校だった。王国は今も昔もひどい国でね、私は何度も無理な戦を強いられたものだった。その度に辛くも功績を上げていたのだが、とうとう悪運が尽きてね。部隊は敗れ、私は帝国軍の捕虜となった。

 帝国相手にさんざ戦争をしてきたのだ、もちろん死を覚悟したとも。ところが私を目の前にして先帝は言ったのだ。『強き者には敬意を払う。相応の待遇を約束しよう』と。

 私の扱いは捕虜などではなく賓客のそれだった。逃げようと思えばできた。故郷(くに)に妻子もあった。しかし言った通り、王国は荒れていた。敗軍の将がおめおめ逃げ帰ったところで処刑されるのは目に見えていた。だから私は帝国に留まることにしたのだ。

 先帝は私の将としての才気を高く買っていてね、私を帝国軍の指揮官として登用しようとしていた。しかし私も元味方と戦うのは流石に気が引けたものだから頑として首を縦に振らなかった。すると先帝もそれ以上無理強いはしなかったのだよ」

 話す間も彼は壁に掲げられた荘厳な人物画から少しも目を離さない。

「大した人物だと思った。王の器だよ。いつしか私は、この人物が初めから我が王であればよかったと思い始めていた。

 ――王国に残した妻子が処刑されたと知ったのはそんな折だった」

 初老の男は私の方へ向き直る。

「以来、私は帝国軍人としてこの身を捧げることにしたのだ。偉大なる先帝に報い、その国を守るために」

 彼は言い聞かせるように、強くそう言った。少し笑って「年を取るとつい自分語りが過ぎるな」と続けた。

「しかしもう先帝はいません。帝位は恐怖帝のものです。恐怖帝の世は御覧の有様ではありませんか。北へ、王国へ戻ろうとは思わなかったのですか?」

「戻っても変わらんよ。言っただろう、王国は今も昔もひどい国だ。今となっては帝国も王国も大差ない。どちらも愚かな王の統べる国だ。

 祖国への思い、無き妻子への愛もあるが、それは帝国についても同じことだ。亡き先帝への敬愛がある。それだけが私を今の帝国に繋ぎ止めている」

 それだけなのだ、とまた窓の外を見て呟くように言った。

 

 思った通りだ。

 

 全てを語り終えたあと、彼は言った。

「これで話は終わりだ。帰りたまえ」


    ●


 私は復帰して間もなく前線送りとなった。兵站に加え現地での一応の指揮権を与えられて危険な前線での任務に従事することになったのである。事実上の左遷だ。一度は軍法会議にかけられ投獄された身なのだ。この采配に異を唱えるものなどいなかった。

 帝国軍は物量では勝っている。特に素人同然の西の兵士をして王国軍と互角に戦わしめた銃への信頼は厚かった。練度の高い帝国軍が装備すれば正に鬼に金棒である、と。

 が、現実はそうはいかなかった。銃は敵の手にも渡ってしまっていたこと、敵に地の利があったこと、王国軍に所謂“勇者”を含む精鋭部隊がいたこと。これらが我々に苦戦を強いていた。そして、この圧倒的不利な戦況下でも戦略の転換をしない皇帝の意志。これが最もいけなかった。

 結果、私の復帰で補給等の後方支援は正常化したものの戦況は好転しなかった。将軍の予想通りである。

 毎日人が死んだ。昨日前線へ送り届けた兵士が今日は腕だけになって帰ってきた。心を失って帰って来た者もいた。勿論、帰ってこない者も多かった。

 戦争とはそういえばそういうものだったな。

 にわか中世風のこの異世界で、戦争はどことなく近代化したような歪な様相を呈している。山の中腹に戦場を一望できる場所を見つけて、帝国軍も王国軍もなく人が死んでいく様を眺めながら、私はそんなことを思った。

 

    ○

 この間に、正規兵、傭兵、諸侯の私兵からなる帝国軍戦闘員の損害は9割に上っていた。ほぼ壊滅状態である。

 戦況を見兼ねたリョーレ将軍からある作戦の提案があった。これ以上泥沼の戦争を続けるのは国家にとって何ら利益にならない。本来ならば西から兵を退き、国土の守りを固めるのが得策である。しかし飽くまで西の奪還にこだわるならば強大な一撃を以て敵に大打撃を与えるより他はない、というのである。将軍はその旨を決死の覚悟で皇帝に具申した。その甲斐あって作戦は受理され、恐れ多くも恐怖帝自らが前線へ赴く運びとなった。


    ○


 戦場は竜の関所を超えた先、マルタの故郷の村より手前。王国軍はそこに要塞を築き帝国軍を迎え撃っていた。帝国軍としては、細い山道を抜けて開けた場所に出ると目の前に王国軍が待ち構えている形になる。長く伸びた陣形を整えるより早くいいように叩かれてしまうのだ。地形的に不利であった。

 そんな戦場を一望できる場所がある。山の中腹にある張り出た岩の上。

 今、男がそこに立ち、戦場に展開する王国軍全体を視界の内に収めていた。

 白髪に冠を戴き、白い顔には無数のしわが刻まれている。山の荒れ地に似つかわしくない華美な衣装に身を包んだ、いかにも老王といった風の男が数人の従者と奴隷を侍らせて仁王立ちで眼下の戦場を睨んでいる。恐怖帝その人である。

「準備は整っております。いつでも」

 従者の一人がそう耳打ちすると皇帝は短く返事を返す。

「娘をここへ」

 愛玩用の従者を片手で弄びながら発せられる彼のしゃがれた声に応えて、女の子が一人、従者に手を引かれて皇帝の前に連れ出された。白い髪の女の子。肌は褐色で瞳が紅い。幼いその子は皇帝の前だというのに顔色一つ変えない。彼女に向かって右手を差し出し、恐怖帝は言った。

「他人の魔法を強化して行使する。それが貴様の魔法だとか。その力、今ここでとくと見せてみよ」

 マルタは差し出された手を、言われるがまま握る。その瞬間から、彼女に恐怖帝の魔力が流れ込み始めた。それは体液のように注ぎ込まれ、白髪の幼女を満たしていった。


 もちろん魔力は質量も体積も持たない。しかしそれを使うものは誰もがそれを身の内に在るものとして感覚的に操作した。体のどこからか自然と湧き出て巡っている液体のイメージ。多くの者はそれを無意識のうちに全身にいきわたらせて身体を強化した。それでも尚魔力の有り余る者はそれを魔法という形で発現させるに至った。

 どういう訳か、魔法は個人に固有である。ある者は火を自在に操るがそれ以外の魔法は使えない。ある者は触れずに物体を動かせるが火を噴いたりはできない、といった具合に、魔力に富んだ人間でも一人につき一種類の魔法しか行使できない。

 そしてマルタの魔法は他者の魔法を強化して発動させるものだった。その時、教化元の人間には魔力を吸い取られる感覚が、マルタ本人には体内に魔力が流れ込んでくる感覚があった。

 少女は、普通は接触し得ない他人の魔力に触れることが出来る。この特権はまだ幼い少女に個々人の魔力の差異を知覚させた。それは多い/少ないという量的なものに留まらず、熱い/冷たいとか淡白/濃厚とかいうような質的なものにまで及んだ。勿論実際に物理的刺激があるわけではなく、そう言った感覚のみがあると言うに過ぎない。或いは錯覚と言った方が近いかもしれない。

 とにかく銀髪褐色の幼い魔法使いは限りなく無心で吸い取った。

 ――気持ち悪い。

 気を許せば全身がその感覚に蝕まれる。

 十分な魔力を取り込んだころ、彼女は眼下の王国軍全体を視界にとらえて目を閉じた。

「遠慮することはない。思い切りやるがいい」

 言葉以上の意味が込められた皇帝の言葉にその場の緊張が極まる。

 物理的に認識できない何かが確かに渦巻いていた。

 誰もが固唾を呑むようなその場にあって、ただマルタだけが超然と立っている。

 そして小さな魔法使いの紅の瞳が開かれた時、緊張の糸で編まれたヴェールは断ち切られ、ありったけの正体不在が解き放たれた。


 時を同じくして敵を迎え撃たんと戦場に展開していた王国軍をある異常が襲った。兵士たちが一斉に戦闘不能に陥った。

 動けなくなったのだ。

 誰一人として動くことは愚か声を発することも出来なくなった。

 感染病や毒ガスなどとは違う。ただの一瞬もずれることなかく、一斉に動きを止めた。硬直と言おうか、金縛りと言おうか、傍(はた)からはそのように見える。しかし違う。自らの意志に反して体が動かせないわけではない。意思そのものを塗りつぶされてしまっていた。

 彼らは皆、混濁する思考の果てに“動かねばならない”という結論を得ていながら、眼前の敵軍が悠々と展開していく様を眺める事しかできなかった。

 撃て。その合図で始まった帝国軍の斉射に、的同然の王国軍は蹂躙されるのみであった。盾が砕け、鎧が穿たれ、肉体が弾ける。尚も王国兵は微動だにしない。

 王国兵の抵抗が無いことを確認した帝国側は、足並みをそろえた斉射から自由射撃による殲滅戦へと移行した。初めこそ銃を使うに似つかわしい距離から発砲していた帝国兵たちであったが、次第に距離を詰め、ついには案山子(かかし)たちの目と鼻の先に銃口を突き付けてより確実な処理を始めた。人形のように停止した王国の兵士を打ち漏らすことの無いように一体ずつ、丁寧に作業を続ける。

「あ? なんだコイツ、もう撃たれてるじゃないか。紛らわしい。おいお前ら! 頭だ! 頭を撃て! 分かりにくい!」

 作業員の一人がそんなことを言う。処理済みと未処理との識別が易いようにしろと。

 この呼びかけによって兵士たちによるローラー作業の効率が上がる。

 意識はあっても動くことが出来ないマネキンたちは、一つまた一つと一声も上げることなく不出来な肉塊に変わっていく。

 帝国兵の中には、弾を無駄にするなという同僚の忠告を無視して執拗に同じ個体へ向けて発砲するもの達もいた。親を殺された、子を奪われた、友を失った、これくらいでは生ぬるい。そう叫びながら屍をミンチに加工していく。弾が尽きればナイフで刻み、その刃がこぼれた頃にようやく次の個体の処理にかかる。今度は鉛弾でも刃物でもなく、銃床かその辺の石で頭部を潰す。

 そういう熱心な者は皆決まって褐色の肌に白い髪をしていた。


「お見事でございます!王国兵の一個師団程度は物の数ではございませんな!」

 殲滅作業の様子を文字通り高みの見物と眺めている恐怖帝に従者の男が胡麻をする。

「当たり前だ。余を何者と心得る」

「は――ははあ! おっしゃる通りでございます! 帝国の主たる恐怖帝陛下、その至高の魔法である“御威光”を以てすれば何人もそれに逆らうことは能わず、全て御意のまま! 覇道において右に出る者はありませぬ!」

 慎重かつ全身全霊の賛辞まずまずの及第点だとばかりに皇帝は聞き流す。

「如何に余の力といえども、かように離れた場所からあれだけの数を一度に捉えられるとは思わなんだ。そこはそれ、この娘よのう」

 そう言いながら皇帝はマルタの白い髪を掴み、顔をぐいと引き寄せる。

「ただの泥色のメスガキかと思っていたがよもやこれほどの力とはなぁ」

 これは存外役に立ちそうではないか、と呟いて小さな魔女の髪を掴む手をぎり、と締め上げる。褐色の幼女はただ痛みに短く声を漏らす。

「しかし少々不敬な態度が目に余る。――人を、否、生きとし生けるものすべてを支配し得るものが何か、貴様に分かるか?」

 マルタは答えない。

「分かるかと訊いている!」

 皇帝の怒号が轟く。山に反響した声が届く度に空気が張り詰めるようだった。

「き――恐怖! 恐れにございます!」

 たまらず、従者が答える。すると皇帝は顔面蒼白の従者を一瞥してふん、と鼻を鳴らして視線を少女の紅い瞳に戻した。

「そうだ、恐怖だ!命あるものは皆恐れる。不感であろうと白痴であろうと本能が恐れを知っている。行動の根源的な原動力、その最たるものとして、恐怖は在る。恐怖こそが生物を突き動かす! 

 余はそれを統べるのだ。実態のない恐怖そのものを操り、それによって者どものを支配する。故に、恐怖帝! 分かるか⁉」

 頭蓋を割らんばかりの剣幕に、しかしマルタは瞬き一つしない。その様子を見て皇帝の調子は一転して静かになる。

「……恐怖には往々にして理由がある。いかなる場合も突き詰めればそれは“理解不能”というものだ。分からないから怖いのだ。そこに何がいるのか分からないから怖い、死ぬとどうなるのか分からないから怖い。そういうものだ。

 しかし余は違う。余がもたらすのは純然たる恐怖。恐怖という結果だけを与える。そこに理由や正体はない。ひたすらに純粋で空虚な恐怖だ。空虚だ。空で、虚ろで、何も在りはしない。それが恐怖そのものだ。

 存在しないものを恐れる訳がないと思うか? それでも恐れるのだ。否応なしに。その時何を思う? 『何が恐いのか“分からない”』だ。それがさらなる恐怖となる。しかし堂々巡りだ。どこまで行ってもどれだけ大きく膨れ上がっても恐怖は! その本質が存在しない! 分からない! 分かるか⁉」

 静かに、しかし激しい威圧を以てまくしたてる。

 そんな老王の詰問に、淡々と。


「分かる」


 とだけ、小さな魔法使いが答えた。

 銀色の髪が褐色の肌の上で陽を受けて煌めく。紅い眼は真っすぐに老人の白みがかった眼を見つめていた。

 マルタの髪を掴んでいた皇帝の手が離れる。そのまま振り上げ、拳の裏が彼女の頬をひた打った。声もなく突き飛ばされ地に伏したマルタを見て皇帝は舌を鳴らした。その貌は苛立ちに歪んでいた。

「教えてやれ」

 皇帝の指示に、はっ、と短く返事をして従者が横たわる小さな体に近づく。細い腕を掴み無理やり引き起こす。少女は痛みで顔を僅かに歪ませながら崖の方を見た。眼下に広がる殺戮の現場、その一角に彼女の姿を認めて呟く。

「――フロイト」

「助けになど来ないさあの女は」

「知ってる」

「来い! このクソ色のがキが」

 従者は鼻を鳴らし、マルタを引きずって行く。

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