第6話 引っ越し,開戦

 戦争が始まった。

 かねてより西の地の領有を主張していた王国は本格的に彼の地を統治下に置かんと派兵、西の地の総意表明を待たずかなり強引にことを進めた。当初は王国派と帝国派で割れていた西の住民たちであったが、王国軍の蛮行を前にしては王国派も窮せざるを得ない。結果、西の住民は実力行使を以て抵抗するに至るより他なく、王国軍との武力衝突は避けられず、なし崩し的に開戦の火蓋が切って落とされた。

 という旨の説明を、帝都は帝国軍参謀本部の会議室で受けていた。

 皇帝の使者ワッツァ―の指示に従いその日のうちにアルべダリアを後にした私はてっきり皇帝に謁見するのだとばかり思っていたが、帝都に着くなりすぐさま帝国軍の参謀本部へと連れていかれ、会議室で名も知らぬ王侯貴族と思しき面々に囲まれながら開戦の報せをうけたのである。歴史の教科書で見るような豪華な会議室には縦に長いテーブルが一脚、十数名ほどが席についている。皆時折どことなく気まずそうな顔をしながら黙って椅子に腰かけている。

 いずれの人間も見るからに偉そうだ。現に、身分の違い故だろうが私の席は用意されていない。席に着いているお偉いさんのうちの一人、我が憎き主アルべーダ卿その斜め後ろに起立、気を付けの姿勢で会議の行く末を見守っている。

 いつの間に私がアルべーダと主従関係になったと言いたいところだが領主と領民、為政者とそれに癒着する商人の関係は主従と言って差し支えない。不本意ではあるが、なればこそ私は今この王侯貴族がひしめく会議に出席することができているのだ。

「さて、これで各々方には理解していただけたでありましょうが、此度の戦争は王国による西の地への侵略戦争であります。帝国としては勿論、『王国の蛮行を容認することは能わず。我々帝国は西を強く支持し、彼らの主権を尊重して与するものである』……というのが表向きの名分としてふさわしいでしょうな」

 なるほど、話が見えてきた。

 ところで開戦経緯から帝国の方針までを一通り説明し終えたこの男、年端は五十路といったところか、険しい貌(かお)には苦労人の相がありひょっとするといくらか老けて見えているかもしれない。長身細身グレーの髪に低く落ち着いた威厳と品のある声だ。服装は貴族にしては簡素というか、質実剛健の風がある。最も下座に着いているところを見るとこの場にいる他の者より位が低いのだろうか。

「貴様はいつも回りくどい言い方をするなリョーレ将軍。たまには簡潔にモノを言えないのか! 結局、我々はどうするんだ、ええ?」

 我が領主様は声がデカいばかりでつくづく無能のようだ。しかも品性に欠ける。戦略会議の場でこれでは恥さらしもいいところだ。貴族の名が廃る。と、思いきやお偉方の面々から感じられる嘲ったような態度は明らかにあるベーダではなく、リョーレ将軍と呼ばれた男に向けられたものだった。

 ……どうやら甘く見ていたらしい。この国の、少なくともここにいる王侯貴族たちはみんなそろいもそろってアルベーダのような男ばかりか。将軍の苦労がうかがえる。

「……それは失礼しました。では端的に申し上げますと、帝国は西を支持する立場をとって後方から彼らを支援するのであります。物的支援を惜しみなく行うのです」

「はあ~? そんなことをしてなんになるのだ、他所で起きていることだ、放っておけばよかろう! 全く、これだから名前の短い者は!」

 このアルベーダの言葉に他の者も便乗する。

「アルベーダ卿の言う通りだ!」とガリガリの男。

「西に手を貸して我々になんの得があるというのです?」太った女。

「あんな年中砂まみれの土地に住む人間に水や食料まで与えてやろうというのか?」

「そうだ! 与えた水で砂まみれの体でも洗わせてみるといい! きっと洗う前と大して変わらない色をしておるわ!」老人。

 ガハハハ、ハハ、ハ…………と貴族一同が笑い終わってアルベーダの方を見て黙るのを待って将軍が口を開いた。

「……本来、西の戦力は微々たるものであります。放っておけば王国の手に落ちるのは時間の問題でしょう。そうなると帝国は王国による国土の包囲を許すことになるのです。

 また彼の地には金の鉱脈があるとか。当然王国もそれを欲していることでしょうがみすみすくれてやる道理はありません。西の住民に金で帝国の武器、物資を買わせてやれば彼らは奮闘することでありましょう。或いは王国の侵攻をはねのけるやもしれません。よしんば西が敗れたとしても、王国が手に入れるのは金の搾りかす程度であります。戦で消耗した後なら叩くのも易い。

 これでこの戦いの意義をお解りいただけますかな、アルベーダ卿」

 今までとは違うざわつきがテーブルに広まる。どうやら他の貴族たちはことの意味をようやく理解し始めたようである。

「いや……あの、だな! その……」

 引っ込みがつかなくなったのか将軍の言わんとすることを理解できないでいるのかは定かでないが、我が主は横をちらちら見ながらいたく取り乱しておられる。斜め後ろから見てもこんなに分かりやすく目が泳ぐことなんてあるのか。

「君はどう思うかね、フロイト君、だったかな。アルベーダ卿の従者ということだが、今や帝国一の豪商だとか。ゲシュタルト商会の会長としての君の意見を聞きたい」

 アルベーダの態度を見るに見かねて、という様子で私に話を振る将軍。その判断は正しい。できれば最初から私に直接言ってくれればよかったのだが。私がこの場に呼ばれた理由を我が無能な主はまだ理解していないようだ。大方、自分の補佐役として私が呼ばれたとでも思っているんだろう。形式上はその通りだが真意は逆だ。私をこの場に呼ぶためにアルベーダがよばれたのだ。そして私はこの戦略の要ともいえる存在であるようだ。

「帝国は物資を売る。西はその物資で王国と戦う。王国は消耗し、良くて僅かな金を得るだけ。対して帝国は大量の金と領土の安全を得る。しかも自らは手を汚さずに。一商人の私から言わせて頂くなら、こんなに美味い話はないかと存じます。我がゲシュタルト商会にお任せ頂ければ西への物流は迅速かつ確実なものになると保証いたします」

「ふむ。『物資』と言ったがもちろん武器についても期待していいのだろうね? 恐怖帝陛下は噂の新兵器にもたいそうご関心を持っておられるのだが」

 噂の新兵器、か。どこから情報が漏れたのやら。

「……さすがお耳が早いですね。分かりました。銃の量産は既に実現しております。そちらの手配もぬかりなく」

 銃。この世界では画期的な発明であり新兵器。以前、材料があったから作った、などと、とんでもないことを言う男を保護した。この出来過ぎた巡りあわせにもやはり一抹の気持ち悪さを覚えるのだが、この世界における銃の価値を知っておいて無視することはできない。よって、それ以来商会は秘密裏に銃の製造に着手、ちょうど先日量産体制を整えたところであった。機を見て然るべきところに売り込みにでも行くつもりではあったのでその手間が省けた、と思えば僥倖だが……。

 ともあれ、事ここに至っては帝国に全面的に協力するほかあるまい。というかこの状況で協力を断ればどうなるか分かったものではない。

 なに、都市の次は国と癒着するという話だ。大躍進じゃないか。全く、不愉快だ。

 すべてが自分にとってうまく行くこの異世界の都合のよさにもそろそろ慣れてきた私は少々呆れ気味で諦め気味な内言を2秒で終わらせ、話を進めるべく口を開く。

「商会としましては戦争への協力はやぶさかではございません。後は我が領主様さえよろしければ、私から申し上げることは何も」

「そ、そうだ! そういうことだぞリョーレ将軍! 我が領土の商会を使うというなら先ず領主であるこのアルベーダに話を通すべきだからな!」

「ふん、結構だフロイト君。それにこれは皇帝の御意向でもある。皇帝は今回の戦争に乗じて王国にいくらか痛手を負わせたいとお考えだ。それにはゲシュタルト商会の協力を得る事が望ましいとも考えておられる。それでアルベーダ卿、この件はご了承いただけるということでよろしいですかな?」

「ま、まあそういうことならいいだろう。許可する」

 何が「許可する」だ。何も分かっていないくせに。さっきまで威勢の良かった貴族たちもお前の無能さに気づいたと言わんばかりだ。お前の方を見て静まり返ってしまったじゃないか。ざまあみろ。見るに堪えない哀れさだ。ほら、将軍。早く話を締めてくれ。

「それでは万事そのように。……ところで、その、フロイト君」

「はい? なんでしょう将軍」

 どうした、話は終わりじゃないのか? まだ何かあるというのだろうか。

「君は、その……一体なぜ一人だけずっと立ったままなのかね?」

「何故って……将軍も意地の悪いことをおっしゃいますね。私の分の椅子が用意されてないのではこうして立っているしかありませんよ」

「……そうか。では、君の前のその椅子に座っているのは、誰かね」

 私の前の椅子、アルベーダの隣の椅子に座っているのは、

「この子はマルタ、女の子です」

 見ればわかる。可愛い女の子だろう。……なんだみんなして眉をひそめてこちらを見て。確かにこのむさくるしい会議室ではマルタは紅一点、いや私も含めて紅二点? ではあるがじろじろ見るもんじゃないぞ。いやらしい。

「……そうか。ではそのマルタ……ちゃんは、君の子供……ではないか。妹、姪……いや……何なのかね?」

「まさか。少々事情がありまして。私と一緒にいるんですが、この子は私の……私の………………」

 私は少し前に歩み出て椅子の横に立って背もたれの上に両手を添える。ちょこんと座ってテーブルに用意されたお紅茶を舐めて顔をしかめ、れっ……と舌を出して「苦い」なんて言っているマルタを見て考える。可愛い。可愛いのだが。

 その席は本来君の云々、などと将軍の声が聞こえた気がするが今そんなことは重要じゃない。

 この子は、マルタは私のなんなんだろう……?


    ●


 会議は踊る。

 帝国には皇帝が直接治める領地の他に七つの領地が存在する。この場にはその領主が一堂に会しているらしい。

「先ほども申し上げた通り、この代理戦争で西が王国の手に堕ちたた場合、皇帝は速やかに彼の地の王国軍を叩かねばならないとお考えであります。帝国七領の領主の皆様にはそのための兵を用意せよとのご命令が下されております」

 将軍の言葉に年老いた領主が不平を漏らす。

「またか……本当にその必要があるのかいささか疑問だがな、将軍」

「ファイナス卿、これは恐怖帝の御意向であります」

「分かっておる。して、いかほど用意すればいいのだ?」

「帝国軍の常備兵力は一万であります。皇帝はこれに加え一万四千の兵をご所望です」

 テーブルを囲む諸侯が揃って青ざめるのが見えた。

「一万四千……! 我々七領主一人につき二千を用意しろと?」

「未だ先の戦争の傷も言えぬというのに……」

「また傭兵を雇うしかない、か」

 領主たちは口々に窮状を嘆いている。見兼ねて老領主のファイナス卿が将軍に言った。

「御覧の有様だ。ここにいる者が用意できるのはそれぞれ常備している兵五〇〇と傭兵五〇〇といったところだ。それすら厳しいかもしれん。ここはひとつ便宜を図って――」

「六千だ」

 ファイナス卿を遮ってアルベーダがそう口走った。

「吾輩が六千の兵を供出しよう! 我が領はこのところ景気が良くてなあ、傭兵ならそれくらいは雇える。他の皆様は最低限、千程の兵を集めてくださればよい。それでも足りぬがそこは仕方あるまい。皇帝もきっと分かって下さる。ぐふふ」

 アルベーダはこの上なく得意げだった。ファイナス卿の舌打ちにも気づかない程。

「アルベーダ卿、それはいけない。我々領主は王の血を分かつ者として対等な関係にあるのだから貴公にだけ負担を強いる訳にはいかないでしょう」

「なあに心配には及ばん! それに千を集めるのも苦しいならばいくらか力を貸すことも厭いませんぞ! なあ、そうだろう?」

 したり顔で鼻をヒクつかせながら私を見た。

「……はい。商会としましても帝国のためならば協力は惜しみません。領主の皆様がお望みならいくらかご用立てすることも可能です」

「黙れ! 商人風情が何を言うか! 貧相な名前の小娘め、貴様の助力など要らぬ。そうであろう皆様方?」

 ファイナス卿に檄を飛ばされると領主連中は胡乱に同調した。

 まあそりゃそういう反応になるだろう。

 怒り心頭のファイナス卿をリョーレ将軍が手慣れた様子で宥める。

「まあまあ、ファイナス様。ここは穏便に。商会への助力は領主様方が個別に、機を改めて話をつけてくだされば構いません。ひとまず、アルベーダ卿が六千、その他の皆様が千の兵を出すということでよろしいでしょうか?」

 領主たちが半ば妥協するよな様子で「異議なし」と言うのを聞き届け、将軍は会議を締めた。そして最後にとんでもないことを付け加えたのだった。

「ああ、それからフロイト君。指令伝達の便を考慮した結果、指揮系統の統一と集中を図ることになった。そのつもりで頼むよ」

「……? と言いますと?」

「商会は本日付で帝国軍の指揮下に入ってもらう。参謀本部直属の従軍商人だ。戦略の要としてはそれがふさわしかろう。それに伴って商会本部も帝都に置いてもらうことになる。急な話で申し訳ないが、なるべく迅速に対応してもらえると有り難い」

 お引越しである。


   ●


 簡単に言ってくれるものだが正直一大事だ。データの大部分が電子化さて通信手段の整った元の世界ならいざ知らず、情報記録の主戦力が紙とか言う同体積の木材以上に重い物質に依存していてしかも手紙か人の口で連絡を取っているこの世界で、我が商会のように大規模な組織の頭がそう易々とお引越しできるか? 断じて否である。

 私ひとりが帝都に残って仕事に必要な資料を送ってもらえば済む話、ではない。帝国全土の物流や奴隷商売を仕切る商会では扱う書類の数も段違いだ。それだけで恐らく馬車が数台要る。加えてそれだけの書類を処理、管理するためにはそれ相応の人員も必要となる。人員の質、量ともに高い水準が要求される。そういう意味では商会本部の人間は基本的に精鋭ぞろいだ。優秀な人材を用いている。帝都にももちろん支部は存在するが、通常業務に加えて戦争特需とでも言うべき一大事業が始まるとなると、仕事を円滑に進めるためにはやはり本部の職員もそっくりお引越しさせるのが望ましい。

 一体何人分の生活を根こそぎかっさらって帝都に持ってくる羽目になることやら……。しかもそれを「出来るだけ迅速に」だと? 無茶を言ってくれる。ヒトやモノをただ運ぶだけならお手の物だが人員の選定やら引っ越し先の斡旋やらやることは多い。

 しかし、だ。商売の相手が相手だ。無碍にはできない。迅速に行えと言われたら言われた通りするしかない。

ということで私は会議終了後、即刻アルべダリアの商会本部に戻り引っ越しの手はずを整えることにしたのである。

 寝れない夜が続きそうで今から憂鬱だ。

 アルべダリアへの帰路、馬車の荷台でマルタと共に揺られながら思索にふける。

 王国と西の戦争か。マルタの故郷が戦場になるってことだよな。この子は分かっているんだろうか? それがどういうことか。戦争がどんなものなのか。

 天使のような寝顔のマルタは私の膝枕ですやすやと寝息を立てている。

 分かってないだろうな、きっと。――戦争。儲かってしまうんだろうな、また。

 本意ではない。しかし糸で操られるように、ことは私にとって有利な方へ進んでいく。

 こんな世界で、私の嫌いな異世界で、こんな形で上手くやっていきたくなんかないのに、そうせざるを得ない状況になってしまう。そればかりか、時にはふとそうしたいとさえ思ってしまうことがある。今だってそうだ。マルタを家に帰してやれない以上、しばらくはマルタと一緒に過ごすことになる。それはちょっと嬉しいし、そう思うと沈んだ気分も多少は紛れる。

 一体何だって私はこの可愛い女の子と一緒にいたいと思うんだろう。


    ●


 商会本部、もといエンナ邸につくまで無理やり寝ていた。急がせたのでガッタガタに揺れる馬車の中では満足に寝れたものではなかったがおかげで早く着いた。これから早急にお引越しの手配をしなければならない。大変だ。という旨を私の帰りを待っていたアマリオ君に伝えたところで力尽きた。目が覚めると私はベッドの上にいたのであった。

「目が覚めたっすね。気分はどうっすか? どこか痛い所はないっすか? なにかほしいものとかあります?」

「……プリン」

「プリンはちょっとムリっすかね~……いや、材料があれば作れるかな?」

 アマリオ君はベッドの隣に立って私の冗談を真に受けてプリンのレシピをあれこれ考えているようだった。私は料理には明るくないがどうしたもんかな……。

 私の戯言に大真面目に反応する彼をみて若干の申し訳なさを感じながらもその可笑しさについクスクスと声がこぼれてしまった。どうやら彼もそんな私を見てからかわれていることに気が付いたらしいが、だからといって目くじらを立てるようなことはなく、「もうっ」と少し呆れ気味に笑って見せるのだった。

「どうやら元気そうっすね。安心したっすよ」

「ええ、少し疲れていたみたいです。迷惑かけましたね。面目ない。すぐ仕事に戻りますので――」

「あぁあぁダメっすよ、まだ休んでなきゃ」

 起き上がってベッドから出ようとした私の両肩に手を添えて止めるアマリオ君。ベッドの上に上体だけ起こして座っている私に温かい飲み物を手渡し、肩にブランケットをかけてくれた。私がたまに寝る部屋となったかつての客室の窓から外を覗くとすっかり火が暮れかけている。本来なら焦るべきなのだが――久しぶりに温かい物を飲んだ気がする。

「とりあえず引っ越しの準備は進めてるっす。落ち着いたら詳しい話をお願いしますね」

 気の利く奴だ。それでいてちょっと過保護だな。

「ええ、もう大丈夫です。ありがとうアマリオ君。とりあえず帝都でのいきさつを報告します。あまり悠長にしていられないんです」

 私は帝都で開かれた会議の内容を全て彼に話した。勿論、今後の商会の方針や私の身の振り方も含めて全て努めて詳細に報告した。会長の席にありながらその責を全うできていない現状を不甲斐なく思ってせめてもの仕事をしようと思っての事だった。

「ふ~ん、成程っすね戦争ですか……大体のことは分かったっす。姐さんの言う通り進めておくっすよ。しばらくゆっくりするといいっす」

「いえそういうわけにはいきません。私も動かないと――」

「だからいいですって! 姐さんいっつもそうですが一人でいろいろ抱え過ぎっすよ?」

「……? 作業は適宜分担しているつもりですが」

「でも問題や責任は姐さんの肩に山積みでしょ?」

「それは……それが仕事なので……」

「報告・連絡・相談は仕事の基本っすよ? 姐さん、報告と連絡は欠かさないくせに相談してくれたことありましたっけ?」

「ん……ない…………と思い、ます……」

 ここでアマリオ君がぐっと顔を近づけてくる。

 近い。顔が。

「そうっすよ。全然相談しないんだから。相談ってのは問題と責任を共有する効果があるんすよ。もっと俺やエンナに頼っていいんすよ」

「う――はい、そうします……」

 うう、言い返せない。私の負けだ。

「よろしい。それじゃあそういうことで、何か相談はないっすか?」

「相談……ですか」

「ええ、仕事の事じゃなくってもいいっすよ。なんでも」

 私は黙り込むことしかできない。悩み……のようなものは確かにあるがそれを彼に話すことはできない。少なくともまだ確信がないうちは話せない。

「有難うございます。困ったときは相談しますね」

「……そうっすか。なんにせよ、環境が急に変わってしんどくなることや自分まで変わってしまったように感じることがあるかもしれないっす。そんなときは遠慮せずに言ってくださいね」

 温かい飲み物とブランケットのおかげで取り乱すことはなかったが、内心ぎょっとした。図星だった。もし、彼が私の思った通りの人間ならこんなに心強い味方はいない。そうでなくとも彼の優しさは疑う余地のないものだ。少々優しすぎるきらいもあるが。

 それにしてもほんと、なんか他人とは思えないんだよな、この男。


    ●


 アマリオ君の尽力もあり、引っ越しの手配はつつがなく進行した。可能な限りの人員を動員して荷造りその他諸々をしたおかげで想定よりもいくらか早く準備が整ったのだ。手前味噌だが、日頃から余裕のある業務体制を整えていた私の経営手腕がこれに寄与したところは大きい。声を大にしてそう言いたい。後は明朝帝都へ向けて出立を待つばかりである、という折、報せを受けたエンナが一足遅れて戻ってきた。

「これはこれはエンナさん。遠路遥々ご苦労様です。でも仕事はもう終わったのでお帰り頂いても結構ですよ」

「帰るも何もここがアタシの家なんだが……フロイト、アンタ……怒ってる?」

「怒ってる? 私が? どうして? 身も心も疲れ果てて挙句の果てに引っ越しやら戦争やらでいよいよぶっ倒れて仕事もなにも回らないかもしれないという時にエンナは遠くで趣味のモンスターハンターに興じていて戻ってくるのが遅れて手伝い損ねたからと言って私はそれくらいで怒ったりしませんよ~」

 我ながら、自分の子供に『あなたが生まれたときパパはお仕事してたのよ~』なんて愚痴る母親のようだと思った。それはさておき、エンナがしゅんとしてしまったので冗談ですよと申し添えておき、少しまじめな話を始める。

「戦争の話は聞いていますね?」

「ああ、面倒なことになったもんだ」

「商会は帝国軍の指揮の下で西側の支援任務に就きます。この意味が分かりますか?」

「ああん? この意味もなにも、そのままの意味じゃないのかい?」

「……はぁ。エンナは腕は立つし人望もありますけどそういうところはからっきしダメですね……。それだから弟が上司になっちゃうんですよ?」

「はあ⁉ アマリオの方が偉いのかい⁉」

「商会での権限的にはそうなってます」

 知らなかったのか。

「いいですか、これは代理戦争です。西の地を舞台に西の住民を兵として王国と一戦交えようと言うんですよ、帝国は」

「なんだいそりゃ……。随分とムシのいい話じゃないか、いけ好かない」

 思った通りの反応である。正々堂々、馬鹿正直を地で行くような女だ帝国のやり方を姑息と切って捨てるのは目に見えていた。しかしそれでは困るのだ。

「帝国から西へ武器やその他の物資を届けるのが我々の役割です。そのためにはエンナ、貴女の力が必要なんです」

「……竜の関所かい」

「その通りです」

 実質、西へ至る道はあの抜け道しかない。エンナと私だけが知るはずあの道。しかし例によって火を噴くことで竜の許しを得なければ通ることが出来ない。

「……今までアンタをいろいろと助けてきたけど今回ばかりは正直気が乗らないよ」

 エンナが難色を示すのも道理である。彼女が私に協力的だったのは彼女にもそうするメリットがあったからに他ならない。そうじゃなければ他人が自分の家で会社起こしたりして好き勝手やっているなんて横暴は容認できないだろう。私がいれば彼女は儲かったし、商会を設立してからは戦闘員として好きなように腕を揮えた。確かにメリットがあった。しかし今回はその限りではないということだ。

「前にも言ったと思うけど、西にはちょっと思い入れがあってね。結構大事に思ってるんだ。それをいいように利用しようって話に乗る気にはなれないよ」

「分かっています。私も出来ればこんなことは避けたかった。だから商会を作ってからも西には出来るだけ干渉しないようにしてきました。抜け道だって誰にも教えていません」

 そう。誰にも教えていない。誰にも喋ってない。

「問題はそこなんです」

「……? どういうことだい?」

「おかしいと思いませんか? あの険しい山脈で隔たれた西へ物資を運ぶように命じるなんて。普通、実現不可能な命令は下されません。一国の軍隊ともなればなおさら非現実的な構想や判断は慎むでしょう。なのにこの命令は下された。しかも私たちゲシュタルト商会を名指しで」

 これの意味するところを、数秒間の沈黙の後エンナも理解したようであった。

「…………帝国軍は西への抜け道の存在を知ってる? いやアタシたちがその抜け道を使って西へ出入りできることを知っている……」

「ええ。しかも、皇帝が商会を指名したようです。……何者なんですか? 皇帝って」

 皇帝。偉大なる恐怖帝。なんだか名前はよく聞くが結局皇帝であることしか分かっていない。……きっと驚くほど名前が長いんだろうな。

「皇帝は……皇帝だよ。即位してまだ数年……だったかな。実はアタシ王様のことにはあんまり興味なくてね、よく知らないんだよ。そもそもあんまり人前に出る王様じゃないらしいんだけどね。

あ、恐怖帝ってのはあだ名さ。本当の名前はすごく長いらしいよ。頭から最後まで書き出したら一冊の本になるとかなんとか」

 その本の著者が皇帝本人でないことを願うばかりだ。下らない本の文量が倍になる。

「なんにせよ抜け道の存在が知られているのなら今更隠しても仕方ありません。それに帝国の助力がなければ西の戦力などたかが知れています。王国に蹂躙されるのは時間の問題でしょう。それは貴女の望むところではない筈です、ですからどうか協力してください」

「それはそうだけどねえ……」

 何が気に食わないのだろうか。エンナは未だ釈然としない様子だったが、

「分かった。手を貸すよ」

 半ば根負けといった風ではあるが、そう言ってくれた。

 よかった。実はこれが一番の不安要素だった。この戦争の要が我が商会による物資運搬であると言うならば、エンナこそこの戦争の真の要だ。

「ただし!」

 と、戦争の要さんが鋭く声を上げる。びっくりした。

「一つだけ言っておくけど、アタシは損得勘定やら理屈ばっかりで動いてるんじゃないんだよ。そうしたいって感じちまったら、そう動くんだ。この意味が分かるかい?」

「……? ええまあ言ってることは分かりますけど」

「だからあんたはまだまだだってんだよ。アタシがなんでアンタを拾ったと思う?」

 私が答えに困っていると見るや否や彼女はこう続けた。

「いくら大損させられても構わないけどね、そこだけは後悔させないでおくれよ」

 優しく、しかし強く釘を刺すように言った彼女はいつになく真剣で、睨むではなく、やや眼を細めていた。

 私はとりあえず真面目な顔で生返事するのみであった。

「あ、それからマルタの事ですけど、しばらく私が預かっておくことにしました。西がどんな状況かよく分からないうちにこの子をむざむざ戦地に送り届けるのもどうかと思いますし。西へ行ったら御両親にマルタの無事を伝えてください」

「分かったよ。でもマルタの村はかなり帝国によってるからねえ、あそこが戦場になることはないんじゃないのかい? 案外早く帰してやれるかもしれないね」

 楽観的なエンナに、私は微笑みだけを返した。


    ●


 明日は早い。寝よう。

 エンナとの話もそこそこに自室に戻るとメイドがいた。例の、女癖の悪いメイドが。

「勝手に入った美少女の部屋でそんなに堂々としてるなんて、少々躾がなっていないんじゃないですか? ハーレムアニメの主人公でももう少し申し訳なさそうにしていますよ」

「フロイト様こそ、人が悪いです。あの子、マルタちゃんを家に帰す気なんて無い癖に笑ってごまかすなんて」

 くつり、と、メイドは笑いを漏らす。

「聞いていたんですか。盗み聞きとは――私の人が悪いと言うならあなたは趣味が悪い」

「あら、お洋服の趣味には自信がございますよ。フロイト様にも気に入って頂けたと思っていましたが」

 与太話に花を咲かせている暇はない。ただでさえ早起きは苦手なんだ。早く寝たい。正直、眠い。

 少々の沈黙の後、私は大きく息を吐きいてから本題に踏み込んだ。

「単刀直入に訊きます。あなた、この世界の人間ではありませんね?」

「ええ、その通りでございます。私はこの世界に迷い込んだ存在です。フロイト様と同様に」

「……私のこともやっぱり分かっていたんですね」

「それはこれだけ派手に動けば分かる人には分かりますよ。元の世界の知識がフルスロットルではありませんか。チートもいいところですよね」

 耳の痛い話だ。

「それで、フロイト様。私に何をお訊きになりたいので? なんでもお答えしますよ」

「いいえ、特に訊きたいことはありません。おやすみなさい」

「おやすみなさいではありません!」

 ベッドに入ろうとする私の手を引いて全力で止めるメイド。

「せっかく見つけた同士なのですよ? もっとお話しすることがあるでしょう⁉」

「いえまあ転生者を見つけたら訊きたいと思っていたことはありますけど、今じゃなくていいですし、貴女じゃなくてもいいです。他にあてがあるので。あと、眠いので」

「他にあてがあるって……眠いって……」

「ではおやすみなさい」

「だから!」

 再度ぐいと手を引くメイド。

「どうしてそんなにすぐ寝ようとするのですか誘っているのですか⁉ まだ名も知らぬ女にそんなに抱かれたいのですか⁉」

「『寝る』を勝手に隠語にしないでください」

「事後でもいいのです! ピロートークでもいいのでお話を!」

「女に抱かれる趣味はないんです」

「なんですか、いいじゃないですかどうせ中身は男なのでしょう?」

「そこまで分かってるならなんで私に構うんです! あなた女が好きなんでしょ!」

「体が女ならいいのですよ! 体目当てなのですから!」

「最低! 近寄らないで!!」

 じたばたと手をふりほどこうとする私と意地でも手を離さないメイド。

 メイドは次第に間合いを詰める。やがてくんずほぐれつ。しかる後にベッドの上へ。

 ふかふか寝具をリングとしたプロレスごっこの様相を呈す。

 草むしりよろしく、服を脱がしては放り脱がしては放り。

 倒して剥いて組み敷いて、私を見降ろす金髪碧眼給仕の女。

 男に襲われることは何度か有ったが、女にまで襲われるとは。美少女は、つらい。

 目尻に溜まった大粒の涙が今にも頬を伝って枕を濡らさんとしていると、私に馬乗りのメイドが恍惚の表情を浮かべながら口を開いた。

「ああ……完璧。完璧な体です……! これこそ私が求めていた体でございます――!」

「くっ……! 犯るなら犯れ! でなければ殺せ!」

「いいえ、殺すのはあなたですフロイト様」

「はあ? 何を、言って……」

 メイドは胸に手を当てて言った。


「私を殺して欲しいのです」


「……冗談でもあまり気味のいいものじゃないな、それは」

「心配には及びません。私(わたくし)、不死身なのです。遠慮なく殺してください」

「は?」

「殺しても死なないのです」

「じゃあ、なんだって私に殺されようとするんだ?」

「それは、趣味と実益を兼ねてと申しますか……」

 さっぱり話が分からない。

 私はスキを突いてメイドを押しのけて拘束から逃れる。

「とにかく! 死にたいなら一人で死んでくれ。私にその趣味はない」

「あら。……そうですね、話がいささか急でございますもの。驚かれるのも道理です。順を追って説明いたします。きっとフロイト様にとっても耳寄りなお話ですよ」

 メイドは何食わぬ顔で話し始める。

「そもそも私はこの世界に迷い込む前から不死身でございました。生まれてこの方一度も死んだことがございません」

「それは当たり前だ」

「そうでしょうか?」

 メイドは笑う。クスクスと。

 ここはあまり食って掛からないようにしよう。

「不死身の私はこの世界に来て早々、皇帝に拾われたのです」

「恐怖帝か」

「ええ。不死身の女ですからね、皇帝もたいそうお気に召したようでそれはもういろいろと重宝されました。私も私で何不自由ない生活を送っていたのです」

 そのようなことは慣れっこでしたので、と何食わぬ顔で付け加えるメイド。

 ここもあまり詳しく聞きたい話ではないな。

「でもある日思ったのです。私は家畜か、と」

「家畜……」

「そう、家畜です。この世界に来てからずっと、皇帝に拾われて命令に従って可愛がられて阿(おもね)ってまた可愛がられて、なるがままされるがまま生きていました。思えば家畜というよりペットに近かったかもしれませんね。どちらにせよ畜生には変わりないのですが」

 畜生て。

「そうして皇帝に飼われていれば何も困ることはありません。私はただ私の不死身に胡坐をかいて全てなるようにしていればいいのですから。

 でも……私にもプライドがありました。このまま何をするでもなく、この状況に甘んじていていいのかと、一度そう思うとそれからは早かったのですよ。私を弄ぶあの小生意気な皇帝がすぐに憎たらしく思えてきたのです。するとどうでしょう、皇帝が支配するこの帝国の事もなんだか気に食わなくなってきたのです。生来私はこのような連中が大嫌いだったと思い出したのです。長く生きているとそんなことも忘れてしまうのですよ。

 そういうわけで私は最後に一度だけ不死身の体を利用して隙を突き、皇帝のもとから逃れたのです。国を出ようかとも思いましたが、まあ諸事情あってそれは叶わず、ひとまずメイドとしてこの家に仕えているのでございます」

 生まれ持った資質に胡坐をかいて飼いならされてなすがまま、というのはどこかで聞いた話だ。もっとも、このメイドはそれを潔しとしなかったようだが。

「……大体分かった。しかしやはり分からない。お前は不死身なんだろう?」

「そうですとも」

「殺しても死なないんだろう」

「ええ、死にはしません」

「では何故私に殺されたいんだよ」

「うふ」

 うふ、じゃない。

「だからいったではありませんか、体目当てだと」

「?」

 さっぱりわからん。

「うふふ、私の秘密をお教えしましょう」


 メイドは私にそっと顔を近付けて耳打ちする。その内容と彼女の身の上話の意味するところを理解したとき、私の目は彼女の顔に釘づけとなった。


「じゃあ、お前は――今のお前は……」

「ええ、その通りでございます。そういうわけですから、この顔を、体を目に焼き付けたら早く私を殺してくださいませ」

「いや、でも」

 艶のある金色の髪、切れ長で深い蒼の瞳、陶器のような白い肌。ちょうど雲の切れ間から顔を出したらしい月明りに照らされて、彼女の紅潮した顔がよく見えた。

「今までいろんな体を品定めしてきましたけど、貴女が一番お気に入りなのです。その顔も髪も体もパーフェクト! さ、早く!」

「い、いやダメだ。まだダメだ。殺せない」

 迫るメイドを私は突き放して顔をそむける。

「どうしてですか!」

「まだ、皇帝については知りたいことが山ほどある。――取引だ。私に協力してほしい。そしたらいつか、お前を殺してやる」

「まあなんて分の悪い取引。……でもまあ仕方ありません。あなたに殺してもらうのでなくてはだめなのですから」

 メイドは自分の唇に指を当てていじらしく笑った。

「――ところでお前、名前は?」

「あらやっと訊いて下さるのですね! どうしましょう。いろいろあるのですけど、そうですねメイドのメイちゃんとでもお呼び下さい。今考えました」

 適当か。

 メイドのメイちゃんはベッドを下りて部屋の出口へ歩く。

「それでは時が来たらきっと私を殺してくださいね」

 そう言ってドアを閉めた。かと思うとまたドアが開き、隙間からひょっこり顔を出して言った。

「そうそう、商会の皆さまが軍属になられると聞いたのでとり急ぎ制服を用意いたしました。帝国の軍服はダサいったらないのですよ。急だったので重役の皆様の分だけですが、腕によりをかけて仕立てました。きっとお気に召しますよ」

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