第7話 金の生える地

 経済の高度な美少女化。美少女主義経済。

 帝国の産業は今や盤石である。辺境はすべからく農作物や採掘等の第一次産業に従事している。地方都市ではそれらを原材料とした製造業や加工業が盛んに行われている。そして帝都圏の都市では小売り等の第三次産業で栄えている。完璧なまでの産業分担。恐らく歴史上他に類を見ない程システマチックで合理的な産業耐性が敷かれていた。

 文字通り、その要となっているのが我がゲシュタルト商会であることは言うまでもない。辺境と地方都市と帝都圏。完全に分断されていた各地を繋げ、ヒト、モノ、カネの流れを一手に引き受ける我が商会。無論、得る利益は莫大なものだ。しかしそれ以上に帝国の国益に貢献している。病的に合理的な産業耐性は俄かには信じがたいスピードで国力を成長させた。

 職を失うものは消えた。かつて飢えていた者たちは朝は時間がないからと朝食を抜き、貧しかった家々にはモノが溢れ、ただ日々を生きる者達が行き交った往来には今やいくらでも娯楽が転がっている。断言しよう。私がこの国の成長を五十年は早めた。いずれこの国が義務教育を始めたらきっと私の名前が教科書に載る。紙幣が流通すれば私の顔が描かれることもあるかもしれない。今はまだ皇帝の肖像とされるものが刻まれた貨幣が流通している。きっと紙幣が登場しても最も高価なお札には皇帝が描かれるだろうが、二番目に高額なお札には私を描いてもいいんじゃないだろうか。それくらいの功績がある。

 新紙幣、五千円札=フロイト(美少女)。

 単位は多分「円」ではないが。値が五千というのも適当だが。

 もしそれが実現したとすると、どうだろうか。帝国国民はみんな金で女を買うどころか美少女(の描かれたお札)をやりとりして経済を回すことになる。労働の対価として美少女(の描かれたお札)が支払われる。

 給料日にはお父さんがたくさんの美少女(の描かれたお札)を持って帰ってきて子供たちに分け与えたりする。奥さんは夫の美少女で家計をやりくりする。美少女で今晩のおかずを求めるし、貯めた美少女で家を買う。そうした消費行動には消費税が課税され10%の美少女が徴収されて、国民は重税だ横暴だ俺たちの美少女を返せと叫び、政治家が必死になって説明する。しかしそんな政治の裏では不透明な美少女の流れが有ったり、有力者たちが黒い美少女をやり取りしていたりするのだ。

 この世はやっぱり美少女。美少女のなる木。美少女の切れ目が縁の切れ目。

 そういうことだ。つくづく嫌になる。

 まあ冗談はさておき、そんな美少女主義経済なんてものが幅を利かせなくても帝国では金を出せば人間が買える。女子供、屈強な男。老若男女そろえようと思えばそろえられる。奴隷商売とはそういう物だ。人が欲しければ奴隷を買う。働かせる。シンプルだ。最近は商会での奴隷商業も順調なようでよくよく見ると軍の下請けの下請けなんかに奴隷が流れていたりする。詮索はしないのが吉である。

 さて、そんな商会で今最もホットなのは銃だ。銃を生産し、戦争中の西へ売る。これが莫大な利益を生む。何しろ作るのも商会、売るのも商会、運ぶのも商会である。完全な独占市場で作れば作るだけ売れる。支払いが貨幣ではなく金なので若干手間がかかるがそれを補って余りある利潤がある。ぼろ儲けだ。

 そんな銃ビジネスに少々陰りが見え始めたのは開戦後間もなくのことである。帝都への引っ越しを終え新地での業務にもすこし慣れてきたころ、私の下にある報せが届いた。

「は? 工場長が行方不明、ですか?」

「そうっす。一昨日までいつも通り銃の生産工場で働いていたのに昨日突然姿を消した、そうっすよ。どうしますか? 姐さん」

「どうするって……」

 私は最近かけ始めた眼鏡のレンズとレンズの間をくいとやって腕を組み、顎に手をあててアマリオ君に訊き返す。元の世界での癖だ。仕事の時以外はかけない。

「どうしましょう?」

「いやどうしましょう? じゃないっすよ」

「ふふふ、冗談ですよ」

 工場長のというのは例の「材料があったから銃を作った」とかでたらめなことを言っていた男だ。ひげを蓄えた職人気質の中年男。無口そうでいかにも職人といった風であった。商会で彼を抱き込んで銃の製造を任せていたのだ。

 それがいなくなった? 何故? 不自由ない暮らしができるだけの賃金は払っていた。むしろ高待遇だったはずだ。あの職人気質に浪費癖や賭博癖があるようにも思えない。経済苦から夜逃げということはないはずだが……。すると拉致・誘拐の類か。或いは金以外の理由で逃亡したか。後者の場合は特に問題はない。今更彼一人がいなくなったところで銃製造のノウハウは失われたりしない。飽くまでノウハウを持っていたことに対する報酬として工場長のポストを与えてやったまでだ。雇ってくれと言うからそうしてやったのに逃げ出すなんてよほど恩知らずか、それなりの理由があったのか。どちらにせよ知ったことではない。

 問題は前者の場合だ。

「アマリオ君、工場長は突然いなくなったんですよね?」

「報告書にはそうあるっすね」

「するとやはり……」

「攫われた可能性が無きにしも非ず……ってかんじっすか?」

 私は顎に手を当てたまま頷く。

「彼もそれなりの収入を得ていたはずです。身代金目当ての誘拐なら放置しておいても構いません。ですが……」

「ですが……?」

「彼は銃の製造方法を知っています。それが目当てだったとしたら少しまずいですね」

「……まあ確かに銃の密造やら密売やらが横行すると多少の打撃はあるかもしれないっすけど」

「それだけなら大したことはありません。今、一番銃を求めているのは誰だと思いますか?」

「そりゃ西の住民じゃないっすか? だから大金出して買うんでしょうし」

「いいえ、いるじゃないですか。もっと、銃の恐ろしさを身をもって知った連中が」

「……ああ! なるほど! 王国っすね! それは確かに一大事っす!」

「その通りです。帝国のバックアップのおかげで西はかなり優勢だそうですが、なかでも銃の恩恵は大きいと聞いています。

 威力、射程共に従来の弓とは比べ物になりません。数で劣るはずの西は銃で王国軍を圧倒しているようです。目には目を歯には歯をではありませんが、王国側もそれに対抗すべく銃を求めるのは道理ですよ」

「もし王国に銃の製造方法が知れたら……」

「最悪の事態です。戦況が一転するでしょうね。それだけは避けなければいけません」

「でも王国のスパイが帝国内の紛れ込むことなんてあるんすかね? なかなか聞かない話っすけど」

「それは今まで接点がありませんでしたからね。山脈で隔たれていましたから。でも今は――」

「戦場である西から商会の補給部隊に紛れて侵入できるっすね」

「一応対策はしていたつもりでしたが、補給も大所帯ですからね。完全に隙をなくすことはできませんでしたか。しかしそこから入ってきたのなら恐らく出ていくときもそこからです。昨日の今日なら間に合うかは五分五分といったところですが検問を敷きましょう。工場の警備も強化する必要がありそうですね」

「了解っす。大至急伝達するっすよ」

 余計な仕事が増えてしまった。新しい土地でただでさえ気が休まらないというのに、これ以上厄介ごとを増やさないで欲しいものだ。

「上への報告はどうするっすか? きっちり報告しておいたほうがいいすかね?」

 報告、か。……面倒だな。

「いえ、正式な報告は止めておきましょう。というか、参謀本部の貴族連中は言っても事の重大さを理解しないでしょうし」

「そうっすね。全く、アイツら要人だかなんだか知らないっすけど帝都に集まって何してるんすかね」

「代理戦争とは言え有事ですからね。一応それなりの権力と発言力を持った王侯貴族たちが集まって互いを牽制してるんですよ」

「どういうことっすか?」

「戦争は国の一大事です。軍を動かすのも国策の一環なんですよ。口を出してあわよくば自分の利益につなげたいんでしょう」

「はあ~がめつい連中っすね」

「まあ仕方ないですよ。重要な国策決定の場を欠席でもしようものなら他の貴族に出し抜かれ兼ねませんからね。権力者にも権力者同士の争いがあるんですよ」

「それで“牽制”ってワケっすか」

「彼らも本当は領地を離れたくないみたいですよ。自分が留守の間に領内で問題が起きないか心配みたいです」

「普段から問題だらけの政治してるからっすね。いい気味っすよ」

「ここ数日はみんな自分の領地のことが気になってイラついてるようです。アルベーダが功績をあげてるのが気に食わないというのもあるみたいですが」

「あのバカ領主が功績? いったい何のっすか? 毎日皇帝の城のトイレ掃除してるとかっすかね?」

「そんな愉快なもんじゃないですよ。アマリオ君、私含めてゲシュタルト商会は形式上は参謀本部直属ですが、体面上はアルベーダのお抱えみたいなものなんですよ」

「というと?」

「つまり私たちが成果を出せば出すだけアルベーダがデカい顔をすることになります」

「うへえなんすかそれ。ムカつくっすね」

「同時に私たちが失態を犯せばアルベーダの顔に泥を塗ることになります。それはとても愉快なんですが、そうなったらアルベーダに何をされるか分かったもんじゃありません。だから工場長の件はくれぐれも内密に」

「了解したっす」

「ああ、でも」

 と、思い出したように付け加える。

「リョーレ将軍にだけは私から内々に伝えておきます。参謀本部で唯一まともな人間ですからね」

「分かりました。それはそうと姐さん」

 唐突に話を変えてくるアマリオ君。

「なんでしょう」

「眼鏡、似合いますね」

 うるさいばか!

「ど、どうでもいいでしょう! 今そんなことは!」

「いやあ疲れてるんじゃないかと思ってっすね」

「はあ? 疲れ?」

「ええ。眼鏡は最近かけ始めたばっかりっすよね? 慣れない環境ですしデスクワークばっかりで眼が疲れないかな~? とね。眼が疲れると肩がこるんすよ。で、肩がこると首もこって、そうなるともう全身疲れるんすよ。どうです、ここらで少し休暇でも」

「はあ……休暇ですか。気持ちはありがたいですがそんな余裕はありませんよ」

「ならせめて外に出るのはどうっすか? デスクワークじゃなくて! 例えば、そう視察! 視察に行くんすよ!」

「視察?」

 何だか変なことを言い始めたぞ。

「そうっす! ほら、例の銃工場視察とか。あと、西の視察! そうすれば視察の名目で工場長失踪の調査も出来て姐さんはちょっとした気分転換にもなって一石二鳥っすよ!」

「そう……ですか?」

 案外理にかなった言い分だな……。それに、一度西に足を運んで置きたかった。マルタのために、だ。エンナからの情報だとマルタのいた集落付近は前線からは遠く離れていて比較的安全らしい。これを機にマルタを家に帰す……かはともかく、一度両親に顔を見せてやりたい。マルタだって年相応の子供らしい部分があるし、少なからずそう思っているはずだ。

「ね! 行きましょうよバカンス! じゃなくて視察! 仕事は俺に任せてもらっていいっすから!」

 あ、アマリオ君も一緒に行くんじゃないのねと少しがっかりはした。

 しかしまあこう言ってくれていることだし、彼なりに気を使ってくれているようだし。好意を無碍にするものではないか。

 ということで。視察、という名の遠征、というか征西、というか出張、という名の小休暇が決まった。


    ●


 実際、多少浮かれていたのだ。最近は商会の仕事が尋常ではない程忙しく帝都の商会新本部にこもりっきりであった。遠出したとしてもせいぜいアルべダリアの商会旧本部までだ。加えて帝都の商会本部は帝国軍参謀本部に隣接しており何かにつけていけ好かない貴族連中と顔を合わせることになる。心身共に参っていたところだった。視察の名目が点くからには一応の任務はある。とは言え、事実上の休暇だ。せっかくだかろこの機会に羽を伸ばせるだけ伸ばしておきたい。

 それに、マルタと一緒だ。これはデカい。一時も一人にはしないと誓った手前面目ないのだが、帝都では流石につきっきりという訳にもいかなかった。何しろ仕事が多い。

 最初の方は職場に連れて行っても私の仕事部屋で大人しく遊んでいたマルタだったが、一週間もすると目を離した隙にいなくなる。その度に慌てて連れ戻すのだ。しかしマルタも連れ戻されるまいと必死の抵抗をする。捕まると駄々をこねるだけだったのが次第に逃走の技術を身に着けていく。商会本部と参謀本部内を走り回り所かまわず身を隠す。リョーレ将軍の執務室の机の下からマルタが出てきたと聞いたときは肝が冷えた。会議の席にも何度かマルタ同伴で臨んだが退屈で溜たまらない様子なので何となく不憫だ。

 参謀本部などという重要機密満載の施設を幼女が徘徊しているという噂が広まるのに時間はかからなかった。流石にこれはちょっとした問題になりかけていたのでどうしたものかと頭抱えていると、格別の計らいにより施設内に託児所のようなものが設けられたのだ。しかもマルタ専用。

 VIP幼女、マルタ。

 一体全体何故この幼女一人にここまでしてくれるのだと思わないでもなかったが、きっと私の日頃の行いがいいからだろうと言うことで納得しておいた。

 そんなわけでそれ以来私が仕事に勤しんでいる間、マルタは専用託児所預けられることになった。まあ『託児所』と言っても軍の雑用担当さんが一日面倒を見てくれるだけなのだが。

 そう言った事情があってここ数日はマルタと離れ離れになっていることが多かった。今思えばマルタの子守りに手を焼きながら彼女の傍で仕事をする時間も気に入っていたのだ。彼女がいなければ仕事も何となく張り合いがなくなってしまった。しかし、今日からしばらくはマルタと一緒だ。とても、嬉しい。

 私は視察日程の最初に組み込まれた銃製造工場の視察を手っ取り早く済ませた。どうせ大した情報は得られないだろうと思っていたがその通りだった。特筆すべき点は何もない。工場長の失踪などなかったかのように新たな工場長の下、粛々と銃の生産が行われているのみであった。

 銃と言っても機関銃やらアサルトライフルやらの高性能なものではない。一発撃つたびにコッキングの必要があるやつだ。素人の私にも古式ゆかしいタイプの銃だと分かる。

 工場視察の最後にはお土産ということで拳銃を一丁貰った。リボルバーだ。試作品らしいが性能に問題は無く、これから量産に向けた改良を進めるらしい。王国に銃の製法が漏えいした場合は既存の性能を凌駕する銃なり兵器なりを作る必要があるとは思っていた。私は兵器を売るのは得意だが兵器自体に明るいわけではない。どうしようかと思っていたが、自力でリボルバーを開発したとなるとこれは丸投げしてもよさそうだ。

 まあよろしくやっといてくれ、それじゃあ。とだけ伝えて私は足早に工場を後にした。次は西へ視察医行くわけだが、これから先はほぼほぼやることがない。

 休暇の幕開けだ。

 マルタと共にいざ西へ。勿論同じ馬車で向かう。

 視察自体は急ぐものでもないのでゆくっりのんびりと向かう。馬車ががたがた揺れないくらいにゆっくりと。

 こういう移動は久しぶりだ。エンナと行商して回っていた時以来か。いろいろに移り変わる景色に心なしかはしゃいで見えるマルタのなんとまあ可愛いこと……。

「楽しいですか? マルタ」

「まあまあ」

「まあまあって。まあ、楽しいならいいですけど」

 久しぶりに家へ帰るっていうのに、ホームシックが加速するどころか旅程を楽しむ余裕がある。なんというか、気丈なことだ。帝都にいたときだって長い事親元を離れているというのに寂しそうなそぶり一つ見せなかった。強がっているのかとも思ったがどうやら見当違いだったようだ。強い幼女だ。

「マルタは強いですね」

「えへへ」

「うふふ」

 車窓から身を乗り出して外を見るマルタ。銀色の髪が昼の日差しを受けて眩しい。後ろ髪を少しとって触ってみる。

「くすぐたい~」

 微笑ましい悲鳴だ。少し伸びたかな? ご両親に会う前にちょっとちゃんと切ってあげた方がよかっただろうか……。そういえば私も髪が伸びたな……。

 仕事に明け暮れて髪の長さなど気にも留めなかった。邪魔なので前髪だけは作っていたがそこ以外は後ろも横もまあよく伸びている。長く伸びた髪を首のうしろより少し下くらいでゆるく一つにまとめている。

「マルタ。私の髪、どこまでありますか?」

「髪? んっと、腰くらいまで。いいな、長くて。かっこいいよ」

「かっこいい、ですか?」

「うん。制服もかっこいい。わたしもそれ着たい」

 不死身メイドのメイちゃんが聞いたら卒倒しそうな言葉だ。軍服か。きっとマルタなら似合う。というかあの衣装狂いのメイのことだ、もしかしたら既に作ってあるかもしれない。

「この前メイドのお姉さんがわたしの制服もくれたんだけど、持ってくるの忘れた」

 本当に作ってた。全くあのメイドは……呆れる。だが今回ばかりはいい仕事をした。しかしそうか、忘れてきちゃったか。見たかったな。帝都に帰ったら着てもらおう。

 実際メイの作った制服はよくできている。私が見ても格好いいと思う。というか、帝国軍の制服がなんかこう、芋臭いというか垢抜けないというか……あれだ、シルエットが悪い。色も薄い。

 その点やはりメイドのメイちゃん製商会幹部用制服はサイズ感もぴったりだし腕部分の太さや布の余らせ方などがどうもしっかり計算されているようで見栄えがとてもいい。細部も随所にこだわりが見て取れる。色も濃くキリっとしていて軍服然とした制服だ。かといって動きにくいということもなく妙に体に馴染む。本当にあの不死身のメイドはなんだってこんなによくできた服を作るのか。死なないのをいいことに人生を数回分服飾に費やしたんじゃないかとさえ思う。

「忘れちゃいましたか。残念でしたね。きっと制服を着たらマルタもかっこいいんでしょうね」

「うん。かっこよかった」

「自分で言いますか……」

「ふへへ」

 マルタがまた笑った。やっぱり今日はご機嫌だな。さっきから良くしゃべるし笑う。喋らない日は本当に喋らないからなこの子は。

「……ねえ、マルタ――」

 と、呼びかける私の声を静かにマルタが遮った。

「フロイトはどうしてわたしに優しいの?」

「優しいですか? 私が?」

「優しいよ。優しくてかっこいいよ。ねえ、どうして?」

「……さあ、何故でしょうね」

 そんなの私が知りたいくらいだ。この願望には理屈が見当たらない。

「手を出して」

「こうですか?」

 私は言う通りに手を差し出す。マルタは差し出された手をおもむろに両手で握る。柔らかく、小さな彼女の手の感触をしばらく感じているとやがてマルタは手を離して言った。

「やっぱり変。フロイトはお姉さん。でも中身は違う。しかも魔力が流れてこない。こんな人初めて」

 やっぱり変、と最後にもう一度付け加えるマルタ。

「私に魔力がないのは魔法が使えないからですよ」

「それは違う。逆だよ。魔力がないから魔法が使えないんだよ。フロイトは空っぽなだけ。魔力さえあれば魔法もつかえるし、わたしがフロイトを強くしてあげられるよ」

 強く、か。

「私は別に強くならなくてもいいんですよ」

「どうして? 他の皆は強くしてほしいっていうよ。強くしてあげたら優しくしてくれる。でも、フロイトには何もしてあげられないのに、フロイトは私に優しい。なんで?」

 答えられない。分からない。結果だけがあるのだ。この子に優しくしたい。守ってあげたい。傍にいたい。そんな感情だけが確実に存在していて、原因が見つからない。倒錯的で意味が分からない。非論理的だ。この感情の原因を母性本能だか父性本能だかに求めるには、今の私はあまりに不確定だ。あまりにも、自分が分からない。

 私はマルタの頭を撫でた。

「眠そうですよ、マルタ。疲れましたか?」

「……うん、ちょっと」

「少し横になっていいですよ。膝を貸してあげます」

 うん、とだけ言ってマルタは私の膝に顔をうずめて横になる。

「苦しいでしょ、仰向けの方がいいんじゃないですか?」

「んーん、背中がいたいからこれでいい」

 マルタはもそもそと首だけ動かして顔を膝の方に向ける。

「ねえフロイト」

「なんですか?」

「なんでかわからないけど優しくしてくれるフロイトは好きだよ。いつか理由教えてね」

 そう言って寝てしまった。

 可愛い。


    ●


 旅は順調に進んだ。山脈とその抜け道にほど近い場所に中継地がある。帝国全土から先ずはこの中継地に物資が送られ、それから抜け道を通って西へ運ぶ。こうせざるを得ないのは勿論、竜の関所があるからだ。エンナがいなければ通れない。つまりエンナはこの中継基地と西を何べんも何べんも往復していることになる。というか、そうさせているのは勿論私なのだが。

 中継基地と言っても最早ちょっとした町同然だ。初めは何もない場所に野営しているようなものだったが、目ざとい人間が商会職員を相手に商売をしようと集まりだした。しだいにやれ飯屋だの宿屋だの娼館ができて街の様相を呈するようになった。商売をするなら三大欲求を客にしろ、というのがよく分かるいい例だ。

 この中継地でエンナと合流した。輩(やから)かゴロツキの似合うこの街で一泊して翌朝である。マルタと共にまだ眠い目をこすり、軽く朝食を摂り、身支度をして馬車に乗り込んだ。今までのものと違って上等な馬車だ。外装内装共に高級感のある凝った作りをしている。西への支援物資を満載した商隊は間もなく出発し、程なく山脈に踏み込んだ。かつてエンナと私の二人で旅した道を今は商隊の有象無象たちと一緒に進む。

「まったく! 何故吾輩が西などに赴かねばならんのだ! あんな砂まみれな土地に!」

 あまりにも不快なので出来る限り忘れるように努めていたのだが、今回の視察にはアルベーダと他二名の貴族が同行している。中継地からは貴族連中と同じ馬車に乗ることになった。

「視察など吾輩が直接行かずとも問題なかろうに!」

 不機嫌なアルベーダ。

「まあ、アルベーダ殿は西がお嫌いで?」

 これは初めて見る顔の女貴族。率直に言うと肥えたババア。金色の髪。

「兄上は汗っかきですからなあ、砂が汗を吸ってすぐべたべたになるんでしょう。フィヒヒッ」

 これは北方の大領主でアルベーダの弟。参謀会議でもよく見た顔だ。ガリガリ。金髪おかっぱ。笑い方が気持ち悪い。

「黙れシルエーダ! 貴様こそご自慢の髪に砂が絡んで泣きべそをかかんようにすることだな!」

「おや、それは嫉妬ですかな? 兄上には砂が絡むほどの髪も残っていないですからなあ。あまり騒がれますと見苦しいですぞ」

「貴様の眼は節穴か! 吾輩の頭髪は健在だ!」

「あらあらお二人とも仲がよろしいこと」

 ぶほほ、と笑って口調だけは上品な女貴族が口を挟む。

「サタリア卿、冗談はよしていただきたい。こやつめは兄を敬うということを知らんのだ。わざわざこんな視察にまでついてきて吾輩を小バカにしおって」

「とんでもない、私は事実を申し上げているだけですぞ兄上。それに、最近随分と羽振りのよろしいようなのでちと不思議に思いましてなあ。一体全体あの兄上がどうしてこうも調子がよいのか気になって仕方ないのですよ。だからこうしてついてきたわけですぞ」

「ほう、昨今の吾輩の好調っぷりが解せないという訳か?」

「そう申したのですぞ。いちいち聞き返さなくても分かることだと思いますがなあ」

「ふん。知れたこと! 一重に吾輩の実力の賜物よ! 今までは本気を隠しておったがそろそろ頭角を現してもいいと思ったのでなあ!」

「ほほう、では父上から領地を相続したときも真の実力を隠していたと。なるほどそれで弟の私により広大な方の領地を譲って下さったという訳ですな! いやぁ兄上は弟思いですなあ!」

「そ、そういうことだ! ありがたく思えよ!」

 アルベーダ、それは皮肉だぞ。気づいてないのか?

「はぁ……これだから兄上は愚かだと言うのですぞ」

「貴様何を言うかぁ!」

 アルベーダは弟シルエーダの胸ぐらを掴む。怒鳴り声にマルタが怯えて私の袖をギュッと握る。私は反対の手をそっとマルタの手に添えた。

「まあまあアルベーダ卿。シルエーダ卿も妬んでおられるのですよ。最近のアルベーダ卿の功績には目を見張るものがありますもの」

「……そ、そうなのか?」

 シルエーダは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「卿のご活躍で戦争は万事順調、大量の金が帝国にもたらされているとか。偉大なる恐怖帝陛下もさぞお喜びでしょう」

「フン! ま、まあそうだろうて!」

 サタリア卿とかいう女貴族にまんまとおだてられている様は滑稽だ。

「他の者達もこぞって噂していますわ。今や皇帝の次に栄華を誇っているのはアルベーダ卿ではないかと。成功のコツ、私も是非伺いたいものですわ」

「そうだろうそうだろう! 偉大なる恐怖帝も即位されたばかりとは言え随分お歳をめしておられる。先代がご長寿であったからその弟君であらせられる故無理もない事よ! しかもお世継ぎがいらっしゃらない! こうなると次の皇帝は吾輩かもしれぬなあ!」

 などと声高に言って笑うアルベーダ。本当にこの男はバカというか、思慮が足りないにもほどがある。

「アルベーダ卿、今の発言は少し目に余りますわ。御身のためにも少しは自重されたほうがよろしいのではなくて?」

「あん? そうであるか?」

 当たり前だ。帝位継承の話題など王侯貴族にとっては最もデリケートな話題の類だ。それをこの無能はいけしゃあしゃあと次は吾輩かも、などと。それみろ、場の空気が一転して悪くなったじゃないか、まったく。それにしても……。

「それにしても」

 偶然にも私の考えていたことと同じことを口にしたのは女貴族のサタリア卿だった。

「その小娘たちはなんですの? いったいなぜここに?」

 そう、なぜ私が貴族と同じ馬車に乗っているのか、だ。まあ理由は馬車の数をあまり増やしたくなかったからなのだが。貴族三人がひしめく馬車の居心地は最悪だ。私は心底後悔しながら「なんでこんなところにいるんだろう」と思っていた。こんなことなら無理言って馬車を分けさせればよかったなと思っていた。

 対するサタリア卿の方は私とは初対面である。一体なぜ自分の様な高貴な身分の者と同じ馬車に見知らぬ異様な小娘二人が乗っているのだろう、と憤り交じりにそう思っているに違いない。

「申し遅れました、私は――」

「名前」

 高圧。有無を言わさぬという気概を感じる。ただ私の問いだけに答えろと。完璧に見下した態度。人を支配下に置こうとする態度だ。

「フロイトと申します。こちらはマルタです」

「失敬な! フルネームで名乗るのが礼儀というものではなくて?」

「いえ、その――」

「ははは! サタリア卿、実はこやつめらはそれがフルネームでしてな!」

 アルベーダが少々強引に割って入る。

「まあ、それでフルネーム? ……ああ成程。道理で。ブフフ! また随分と短くて品のない名前ですこと!」

「……私はこの商会の――ッ!」

 足の鈍い痛みに、私は小さく悲鳴を漏らす。私の隣に座っているアルベーダが私の足を踏んでいるのだ。

「そうそう! それでこの者は吾輩の下僕でなあ! 小間使いなどさせておるのよ! それでほら、今回もその、西での案内役にと思ってな! そこの泥色の小娘と共に連れてきたのだ」

「あらそういうこと。でも馬車くらい分けてもよろしいんじゃなくて? 特にその泥娘、てっきり肥溜にでも落ちたのかと思いましたわ。あ~臭い臭い。ただでさえ薄汚れた庶民たちと一緒というだけで気が参りそうですのに」

 そう言ってぶもももぉと汚い笑い声を立てる。

 コイツ……。

 足の痛みも怒りで上書きされた私にアルベーダが耳打ちする。

「いいか、余計なことは言うでないぞ。貴様は吾輩のモノだ。であれば貴様の功は全て吾輩のモノ。違うか?」

 そう言って一層強く足を踏むアルベーダ。

「は、はい。我が主、アルベーダ様の、仰せの、ままに」

「ふん、吾輩に逆らってみろ、どうなるか分からんぞ。貴様も、そっちの小汚い泥娘もな。分かったか?」

「……」

「分かったか」

「はい」

 分かればいいのだ、とアルベーダは足をどけた。代わりに私の太ももに手を置いた。服越しとは言え生温かさを感じる。ゆっくりと撫でさするようにして小指の方から段々と内股に手を滑らせた。

 俯いて目を瞑るしかなかった。

 泥色。帝国では西の民の肌を揶揄してそう呼び習わす。泥男とか泥女とかいうのは言うまでもなく西の民の蔑称である。

 私が帝都で王侯貴族と顔を合わせるようになって気付いたことだが、帝国では身分と容姿に密接な関わりがあるらしい。特に髪と肌の色。王族は金髪で色白。王族以外の帝国人は赤や茶色の髪に黄色人種的な肌の色。そしてそれ以外の容姿の人間は例外なく異邦人。例えば黒髪は王国人、褐色の肌に銀髪ときたら西の民。そういうわけで、人を見た目で判断し、安易に貶めることが可能なのだ。

 新設設計だ。分かりやすい。

 アルベーダもシルベーダもサタリアも金髪で白い肌をしている。間違いなく王族の血筋。アルベーダの帝位継承に関する発言がいかに浅慮かは推して知るべきだ。

「さて、これからの段取りだが先ずは――」

 私の返事を聞いた後でアルベーダが場を仕切り直したところでガガガガと車輪が地面にこすれる音がした。やがて馬の嘶きと共に馬車が動きを止めた。揺れる車内。

「一体何なのだ⁉」

 狼狽えるアルベーダ。

 今に分かるさ。

 私はすぐに察した。そろそろだと思っていた。竜の関所。いつしかそんな呼び名が定着したこの場所。この場所を通るとどこからともなく竜が現れてゆく手を阻む。私は勿論、マルタも商隊の構成員たちも慣れたことだが、貴族のお三方は違う。

 竜の鳴き声と共にまた馬車が揺れる。

 お、これはなかなか近くにいるな。

「なななな何事、ですの⁉ ああ⁉ あああ!!」

「サタリア卿落ち着いて下され! 落ち着いて、落ち――ヒィッ!」

 取り乱して奇声を発するサタリア。短い悲鳴を上げるシルベーダ。声も出ないアルベーダ。そろって車窓の向こう側を見ている。

 やがて日が沈む頃合いである。少し前までは傾いた日が馬車の中を照らしていた。しかし今、馬車には巨影が落ちている。

 恐怖に歪む貴族の顔は、少し可笑しい。

 ああ、なにもこんなに近くに来てくれなくてもなぁ……。

 馬車の外、鱗に夕陽を受けてキラキラさせている竜。その姿をみてどこか懐かしく、また嬉しく思った。ふと、マルタが袖を握る手を緩めていることに気付く。どうやら彼女も同じ気持ちらしい。

 竜はゆっくりと馬車に近づいて、そして扉をひらけば触れてしまいそうな位置にまで来てしまった。

 不意に馬車の屋根からゴトッと音がした。その音に貴族三人が思い思いのビビり方をしたかと思うとそれを皮切りに三人とも暴れだした。緊張の糸が切れ、恐怖に身を任せ荒ぶっている。また、上からゴトッゴトッと音がして再び貴族たちが固まる。

「うるさいよアンタら! 今更騒ぐことでもないだろ!」

 エンナの怒鳴り声だ。

 そのあとすぐシュゴオだかボォォォだかいう音が聞こえた。そして案の定竜は飛び去って行ったのである。羽ばたきに馬車がまた強く揺れ、貴族共の顔面が一層青くなったことは言うまでもない。

「エンナ。なんだってまた馬車(そんな)の(とこ)上(ろ)にいるんですか?」

「あれ? アンタだったのかい? ったく――」

 私とエンナは互いに顔が見えないまま会話していたが、彼女が呆れた様子で馬車の屋根から飛び降りてドアを開き、中の私たちを覗く。

「ゲッ……」

 ゲッて。

「私とマルタは大人しくしていましたよ」

「見りゃあ分かるよ」

 馬車の隅で威厳の影もなく縮み上がっている貴族たちを見てエンナは頭を抱えている。

「き、貴様、もしや炎の行商人か⁉」

「⁉ あ、兄上、炎の行商人ってあの⁉ 帝国最強の、あの炎の行商人ですか⁉」

「未だにその名で呼ばれるとはねえ……今じゃただの用心棒でございますよ領主サマ。どっかの誰かさんのせいでね」

 そういってエンナは私を一瞥する。私がにっこり笑って返すと大きくため息をついてまた話し始めた。

「いいですか領主サマ御一行。竜の前では出来るだけお静かに願います。でないと――」

 シュボっと、ライターの火でも点けるように掌に炎を浮かべる。

「消し炭になっちまうよ」

 貴族相手に随分と傾(かぶ)いてくれる。……が、今ばかりはひゅ~カッコイイ~、などと言って冷やかしたい気分だ。

「フロイト、マルタ、来な。アタシの馬に乗せてやるよ」

「いいえ、このままで」

 そう返すとエンナは脈ありなのにデートの誘いを断られたような決まりの悪い態度になった。見兼ねて私が「じゃあ火を貰えますか?」と付け加える。

「――ほらよ」とエンナは私の咥えた煙草に器用に火をつけてみせた。

「じゃ、またあとでな」

 微笑んで、馬車の屋根の上に飛び乗り商隊の戦闘の方へ馬車伝いに跳ねていった。

 以後の旅路は借りてきた猫三匹と同乗することになる。

「いいにおい」

 マルタが言った。


    ●


 山を抜け、谷を通って西の村に着いた。マルタの故郷だ。この村も以前とは少し様変わりしている。前は石だの木だので作られた簡素な家屋が散見される程度の殺風景なところだった。今では家屋の数も増え、中には多少凝った作りの建物もちらほら見える。帝国からの物資受け取り地点として商会の人間と西の住民が活発に行き来する場所だ。素朴な西の風土に飾り気の有る帝国風の趣が加わって少し不思議な雰囲気だ。商会の人間向けの宿屋や食事処もある。

 なんでも今日はBBQみたいなことをやるようで、木造の宿屋街の一角に職員たち数十人が集まって飲めや歌えや、といった様子である。私は特に興味はなかったが、マルタが「行きたい。お肉食べる」と言うので顔を出してみることにした。

「すみません」

「ああ? なんだい? 嬢ちゃん」

 私が声をかけた男、商会の戦闘員だろうか、屈強な男だ。酒臭い。だいぶ出来上がっている。よっぽど楽しいBBQらしい。マルタに少し肉を貰ったらすぐにお暇しよう。

「この子にちょっと肉を分けてもらえませんか?」

「なんだ肉? この肉が欲しいのかい?」

 男は串にささった肉を振って見せる。

「はい」

「ふ~ん……よォ! 聞いたかよ! この嬢ちゃん俺の肉が欲しいんだと! よぉ!」

「おいおい肉が欲しいって? 串刺しの肉か? 串刺しの肉の棒か?」

「串刺しの肉の棒を食べたいってなあ! そういうことだよなあ! どういうことだ?」

「串刺しにされたいってことじゃないのか~? 肉の棒で!」

「でけえのだ! でけえのを一発お見舞いしてやれ!」

「誰のが一番デカい? 俺だぁ!」

 周りの男たちもヒャハハ、ガハハといかにもならず者らしい品のない声で笑う。

 楽しそうなのはいいが……酔っぱらいは面倒くさいなぁ……。

「おいおいお前らその辺にしとけって」

 見かねた様子でモヒカンの男が他の男たちを諫める。

 この世界でもここまで見事なモヒカンは初めて見たな。まるで世紀末だ。

「だってよォ! タフガイさんよォ! 肉がほしいって言うんですぜ? 俺の肉が欲しいって! ヒヒヒ……ック」

「飲み過ぎだなお前は」

「嬢ちゃんも飲むかい⁉ ヒハッ」

 酔っぱらいが酒をグイグイ差し出してくる。

「いえ、私は――」

「こらやめろって全く。嬢ちゃんもすまねえな、みんな酒が回っちまってる。肉は好きなだけ取ってっていいからよ、大目に、見て……やって――」

 モヒカンの男は段々と眼を細めてやがて言葉を途切れさせた。数秒の沈黙の内に血相を変えて声を上げた。

「会長⁉」

 バカでかい声だった。騒ぎの中にも響き渡るほどバカでかい声。先ほどまでの喧騒が嘘のようにその場が静まり返る。

「しッ、失礼しました会長ォッ!」

 モヒカンの男が背筋を正してビシッと敬礼する。

 敬礼って……まあそうか一応軍みたいなもんだし。

「はぁ? 会長だぁ? な~~~~~~~~~んの?」

「馬鹿! 会長は会長だろうが! ウチの商会の! 一番偉い人!! フロイト会長!」

 モヒカンのこの言葉でようやく周囲の人間は事態を察したらしい。「ざわつく」を字で書くよりも分かりやすくざわついている。

「会長ってあの会長か?」

 そうです。私が会長です。

「会長におあのもこのもないだろう」

 その通りです、おそらくこの国に「会長」の肩書を見っているのは私だけです。

「じゃあ本当にアレガ噂のフロイト会長……」

「うら若き乙女の身で今や一国の商売全てを牛耳っているとも噂される、あの……」

「超絶美少女と専らの噂の」

「王家を除けば帝国随一の富豪とも噂さだ」

「そんじょそこらの貴族じゃ頭が上がらねえって」

「今回の軍属化でますます偉い方々とお近づきになられたとか」

「この前山を買ったと聞いたぞ」

「山を⁉」

「近々川も買うらしい」

「川も⁉」

 買わんわ。山も川も。山買ってどうするんだ。芝刈りでもさせてやろうか。川も――いや川はアリだな。帝都と大都市を結ぶ川。今は貴族に特権的に施入されているが戦争が終わったら船でも作って踏み込んでみるか。いよいよ東インド会社みたいになってくるな。

 ここで一足遅れて酔っぱらいもやっと目の前の美少女が何者か分かったようで一気に顔が青ざめる。酔いもさめる。

「け、敬礼!」

 既に敬礼の姿勢で微動だにしないモヒカンを以外の全員が酔っぱらいの一声で一斉に敬礼する。

 筋骨隆々の男たちに揃って敬礼されると若干引いてしまう。

「ああ、はい、はいはい」

 と、私が右手を軽く上げておろすのを待ってから男たちも敬礼を解く。

 商会を作ったはずなのに、いつの間に私設軍隊を作り上げていたんだろう。軍属になったとはいえここまで染め上げた覚えはないが……。

「かッか、かか会長ォ! 先ほどのゴッご無礼、まことに申し訳ありむぁせんっだ、しゃああ!」

 元酔っぱらいは舌だけまだ酔っているのか緊張からか噛み噛みだ。

「ま、まさか会長閣下であるとはつゆ知らず……!」

 閣下て。

「それはもういいので、あの、肉を」

「は――ハッ! おい! 肉だ! 閣下に肉をお出ししろォ!」

 元酔っぱらいの怒号に応だかウスだかの野太い返答があって少しすると、肉串が山と積まれた皿が運ばれてきた。恐らくありったけの肉。本当に山。

 食わんわ。こんな山ほど。

「お納めくださいぃ!」

「いえこんなに要りません」

「なぁッ!」

 肉串の山から一本取ってマルタに手渡す。

「これでいいですか? マルタ」

「もう一本」

「はいはい」

 もう一本取ってそっちは私が持っておく。

「フロイトも食べる?」

「いえ、私はいいですよ」

 この肉は多分私の口には合わない。匂いがダメだ。受け付けない。

「危ないですからね、喉を突かないように食べるんですよ」

「んんー!」

 よほどお腹が空いていたのか、マルタは口いっぱいに肉をほおばってがつがつ食べる。がつがつと、それはもう、がつがつと。

 一本目の串を食べ終え得たマルタに持っていた二本目を渡したところで男たちの一人が声を上げた。

「あ、あの、フロイト閣下!」

 決死思いが溢れんばかりの表情だ。

「お、お会いできて光栄であります! じ、自分はその……か、会長閣下のぉ……ファッ、ファンであります!!」

「お、俺ッ――私もであります!」

 私も私もとファン宣言が感染していく。

「私も! お目に掛かれて天にも昇る気持ちです!! 必ずや御身の安全をお守りします! この命に代えても!!」

 うわぁ。私は会社でも軍隊でもなく宗教を作ったのか? 彼らにとっての私って一体何なんだ……。

「ああ、はいそれはどうも……」

「……………………………………」

「……………………………………」

 沈黙。或いは静寂。その場の誰もが押し黙る。

 なんだこれは。……帰るか。

「じゃあ私はこれで」

 お肉ありがとうございます、と付け加えてマルタと共にその場を後にした。

「ぅおつかれさまでえええええええええぇぇぇす!!」

 の斉唱とBBQの炎の光を背に受けながら。

 ……この調子では外を出歩くのは気が引ける。さっさと宿に戻ろう。

 私とマルタの宿はもちろん村長の家だ。つまりマルタの実家。実家訪問。ご両親に挨拶するぞと襟を正していたのだが、最初に尋ねた時には二人とも出払っていたようだった。それならばどうにか暇をつぶそうと、今しがたBBQを冷やかしてきたわけだ。

 お肉を食べてご満悦のマルタを連れて再度村長宅に伺うと今度はご両親二人が出迎えてくれた。髭村長のピルグルと褐色美人のシグさん。久々の再会ということもあり、また状況も相まってご両親は感極まってひしとマルタを抱きしめた。感情を溢れさせる二人とは対照的にマルタはいつも通りだった。二人に抱きしめられるや否や「うわー」とセリフの棒読みみたいな声を出していた。その後も両親の言葉にそっけない返事をするだけだった。

 私はその光景を少し不思議に思いながら見守った。

 エンナからマルタの無事は聞かされていたはずだ。それでもここまで感極まるものなのか。大の大人が二人そろって感情を露わにする。心配しているだろうから早くマルタに会わせてあげたいとは思っていたのが……。親ってこういうものなのか? 忘れてしまっただけかもしれないが、私には分からない。

 ひとしきり感動の再会を堪能した後、落ち着きを取り戻したピルゲル村長が話し始めた。

「いや、見苦しい所をお見せしました。申し訳ない」

「お気になさらず。無理もありません」

 泣きはらした眼で少し恥ずかしそうに笑うピルゲル。シグさんはまだマルタを抱きしめている。

「エンナさんから話は聞いています。貴女は娘の命の恩人だ。どうお礼をしたらいいか……」

「お礼なんてそんな」

「そういう訳にもいきません。そうだ、お食事はまだですかな? よければご一緒に。精一杯おもてなしさせて頂きましょう」

 腹は減っている。断る理由はない。

「では、お言葉に甘えて」

「すぐに支度しましょう。さ、シグ。マルタもお腹を空かせている。」

 未だマルタから離れないシグさんの肩を抱き、言い聞かせるように言葉をかける。

「おなかすいた~」

 さっき肉を食べたはずのマルタがそう言うとシグさんもようやく落ち着いたようだ。

「どうぞ、おかけになってお待ちください。マルタも少し待っててね」

 そう言うとご両親はすぐに夕餉の準備を始めた。言われた通り食卓に着いて待っているとあれよあれよという間に料理が運ばれてきてあっという間に食事の準備が整ってしまった。以前西を訪れた時よりも随分と豪華な食卓だ。素朴な味のパンみたいなもの、モンスターの肉に加えて野菜や魚介の類もある。味もやはりどこか帝国風の料理が見られる。

「見違えたでしょう、この村も」

 肉を食いながらピルゲルが言う。

「ええ、なんとうか――豊かになりましたね」

「ハハ、そうでしょうとも。帝国から山ほど物資が送られてきますからなあ。上手い飯が食えるし、人もよく働くようになりましたよ」

 ガハハと景気よく笑う髭村長。そのよこでシグさんは少し含みのある表情をしている。

「……戦争の様子はどうですか」

 少々単刀直入が過ぎる気もするが、敢えてそう訊いてみた。

「戦争ですか――。まあ楽なもんですよ。士気は高いしこちらには地の利がある。それに何より武器がいい! あの銃とかいう武器はすさまじいもんですな。威力、射程共に弓が玩具に思える程です。アレを前にしては王国軍は手も足も出ない。このままいけばこちらの勝利は時間の問題でしょうな!」

「それでも」

 唐突に、怪訝な顔で口を開くシグさん。

「それでも傷ついている人がいないわけではありません。幸いこの村は戦地からはまだ遠い所にあります。でも、だからこそそこから逃げてきた人も、ここにはいるんです。家をなくした人、家族を亡くした人――その話を聞く度に思うのです。戦争が起こったことで確かに豊かにはなりました。でもその陰は確実に存在している……その陰が今にも私たちの身に及ぶのではないかと」

 至極真っ当な懸念だと、私はそう思う。いくら強力な兵器を用いても戦闘がある以上は人が傷つく。体が傷つくばかりではない。圧倒的な力を以て人を害する行為はいつしか本人の精神をも害するようになる。人が荒む。人が荒めば場も荒む。戦場とはそういう場所だ。西は確かにモノが溢れた。しかし同時に戦で荒れた。そして一番甘い汁をすすっているのは帝国であり――私だ。


 これはあまりに――都合が良すぎる。


 やはりこんな卑怯な戦略に加担するべきではなかったんじゃないか? 戦争のリスクを西に背負わせたまま利だけを搾取するような真似をすべきではなかったんじゃないか?いや、そんなことはない。そんなことはないはずだ。だって――

「こらシグ、滅多なことを言うもんじゃないぞ。帝国の、ゲシュタルト商会の助けがなければ我々は王国にいいように蹂躙されていたに違いないんだ。それにここが戦場になることなんてないさ。もしそうなっても今の我らには戦う力があるし、商会の皆さんもいる。きっと大丈夫。大丈夫だ。」

「そう――ですね。ごめんなさいフロイトさん。娘の命の恩人にこんなこと……私どうかしてました」

「いえ、そんな……」

「このままいけば王国を返り討ちに出来る。村も豊かになる。それもこれもみなフロイトさん、貴女のおかげだと思ってる。私たちだけじゃない、この村の人間は皆あなたに感謝しているんですよ」

 そんなことはない、と謙遜しようとして言葉を飲み込んだ。

 事実、感謝なんてされる資格はない。

 謙遜の言葉はとりもなおさずただの否定になる。この人たちの言葉に否定を返すのさえ躊躇われる。今の私はそれほど申し訳なさで潰れてしまいそうになっていた。

 戦争の陰がここにも及ぶかもしれない。シグさんの言葉が引っかかり反芻する。

 もしそうなった場合、間違いなくその責任の一端は私にある。

 私が無理にでも一言、西へ物資を運ぶのは難しいと言っていたら現状は違っていたかもしれない。帝国が第三者として中立的な立場で介入し、王国と西の武力衝突を最小限に抑えるとか、そんな方向に話が転がったかもしれないじゃないか。

 やはり、私か? 私が西を戦禍に突き入れたのか?

 回り始めた思考が罪悪感に押されて次第に悪い方へ悪い方へ流れていく。身の内がアツくなり、体表は冷えて嫌な汗をかく。尚もとぐろを巻いていた思考は、そして吐き気をはらんで頭をもたげる。

 私の脳から伸びるそいつは真っすぐ下に降りてくる。

 やがて目が回る。

 頭の中の蛇が咽(のど)に至った。

 今にも脳髄を吐き出してしまいそうになる。


 そして――ドン。と、両肩に衝撃を受ける


 肩から、冷えた体の表面に、手の温度が伝わっていく。よく知った温度だ。

「………………エンナ」

 椅子に腰かけている私、その背後にいる人物、私の肩に手を置いている人間、一瞥もなく私はその名を口にした。

「死にそうな顔してるよ。呑み過ぎかい?」

 肩から手を離し、私の横に立って横目で見下ろしながらそんなことを言う。

「吐くほど呑めないのは知っているでしょう、まったく」

 この角度からだと彼女の顔の傷がよく見える。おかげでその横顔はより凛々しく、頼もしく、またかえって美しさが際立って見えるのだった。

 アマリオ君といいエンナといい、本当にこの姉弟は世話好きだ。

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