第5話 贖罪

 なんと、シャワーがある。水量の調整はできず、出すか止めるかのシンプルなものだが間違いなくシャワーだ。流石は王侯貴族の住む城と言ったところだ。風呂場自体の広さもエンナの屋敷のものよりずっと広いし内装も凝っていて華やか、金も時間もがかかっていると一目でわかる贅の尽くしっぷりである。シャワーから出た湯が床を打つ音もよく響く。

 石鹸も随分といいものを使っているらしい。とてもいい匂いだ。どこから差し込んでくる光で仄暗いくらいの視界。目の前の大きな鏡に映された少女の体が湯気でかすみ、やがて鏡面が滴で曇ってぼやけて見えるようになる。

 響く流水の音が私を徐々に曖昧にしていくようだ。

 しかし湯気は思いのほか虚しく、私は広い浴室と共に温度を失っていくだけである。

 体を洗わなければ。

 布のような何かを手に取り、濡らして石鹸を泡立てる。それを右手に持って、どこから洗うべきだろうか? 

 アイツに執拗なまでに舐められた顔からか? べたべたの脂ぎった手で撫でまわされた四肢から? アイツが覆いかぶさってきたときに密着した胸や腹からか? それともアイツの寝汗やら唾液やらがしみ込んだ臭いシーツほとんどに絶えずずっと触れていた背中から? いや汗まみれの顔を近づけて頬ずりしたり匂いを嗅いだりしていた髪からか?

 何度も吸われた口から?

 ぶよぶよの舌を入れられた耳か?

 鼻の奥にはまだアイツの匂いがこびりついてる気がする。

 手だって何度もアイツの体に触れさせられたし。

 舐めたらそれ以上は許してやるとか言ったくせに!

 最後は結局私の中に、入ってきて――――――!

「………………い。…………ない」


 き――――ったないきたないきたないきたないきたないきたないきたないきたないきたない汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚き汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚き汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚き汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚き汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い


    ●


 体を綺麗にし終えて、私は湯船につかろうと思ったのだが少し入ってすぐ気持ち悪くなって止めた。そのままシャワーのところへ戻り、お湯を出してその下に膝を抱えて座った。

 アルべーダは罪には罰が必要だろうと言った。あのマヌケにしてはいいことを言う。その通りだ。しかしアイツはうわべだけでそう言っている。罪に罰が必要な理由、それをあの少ない頭で考えたところでせいぜい見せしめにして犯罪を抑制するため、とか罪によって生じた不公平を罰によって均すため、とかその程度の答えしか得られまい。為政者らしいと言えば為政者らしいし、無論間違えではない。しかしそれだけではない。罰がそれだけのためにあるのなら、神に祈る人間などいないのだ。

 神よ、罪深き私をどうかお赦し下さい――なんて、人が口にすることはなくなる。

 罰は、他の誰でもなく罪人のためにこそある。犯した罪は罰によって償われ始めて赦される。罰無くして人が罪から救済されることはない。罪とはそういうものだ。例え刺さった時より大きな痛みを伴うとしても除かなければいつまでも痛み続け、時に膿んで身を腐らせる、棘のようなもの。

 人が神に赦しを請うとき、それそのものが罰である。罪の告白。自らの身の内に在る棘をそれと認めて己が手で引き抜く苦痛。それは十分、罰に値する。であればこそ、神とやらは己の罪を悔い改める者に分け隔てなく赦しをお与えになるなどと教えられているのだ。

 さて、では私の罪はどうなる? 私は確かに罪を犯した。帝国への反逆罪とやらのでっち上げの事じゃない。異世界で商会を設立して荒稼ぎして成功者になったこと。これは紛れもなく有罪だ。世界に対して公正じゃないとかチートだずるだとか、そういう話じゃない。そんなものはクソくらえだ。これは私の罪だ。私による私だけの私に対する罪。己の信条に背いたという大罪。大嫌いな異世界に迎合したという意味では反逆罪。

 他の誰が何と言おうがこの棘は確実に深く刺さって私を苛む。これが罪でない筈がない。

 それはいい。しかし、私は神に赦し請う気など毛頭ないということ、これが問題だ。普通この手の罪を赦すのは神とやらの管轄だが生憎私はいかなる神も信じてはいない。己で己に罪有りと裁くことはできても許しを請う相手がいないのであれば罰は成立しない。このままでは私は赦されぬ罪に責められ続けることになる。

 だから、ちょうどいい。こうしよう。


 アイツは、アイツに犯されるのは、私に与えられた罰である。


 随分と長いこと湯に打たれていた。絶えず響く水の音はやはり私を薄めて曖昧にしていたが、股の鈍痛が和らいだことで肌を打つ水の感覚がかえって私の体を意識させるようになった。

 そろそろ出よう。風邪をひいてしまうかもしれない。

 しばらくは贖罪の日々が続く。


    ●


 煙草に火をつけて街並みの高い所から順に影が消えていくのを眺めた。

 アルべダリアは活気を取り戻した。むしろ以前より活気にあふれているはずだ。往来には露店が並び、そこをいく人々の顔色も明るい。前にも増して整えられた道には馬車がひっきりなしに行き交い、人の声やら車輪の音やらで随分と騒がしい街になった。無論、私のおかげである。

 個人的にはこうやってキツめの煙草がいつでも楽しめるようになったのがうれしい。

 私とゲシュタルト商会のおかげ。私がアルべーダに捕らえられた日から約二ヶ月。街と商会は癒着によって双方の利益を確実に増大させた。当然の結果だ。こんな無茶くちゃな独占と徴税がまかり通るのだから正直儲かって仕方がない。今ではエンナもアマリオ君もそれぞれの業務で首が回らない状態だ。もちろん商会の人間も増えるには増えたがこの二人ばかりは代えの効く人材ではない。特にアマリオ君には本来私がこなすべき業務もいくらか負担してもらっている。

 それで当の私は何をしているの。、ことあるごとに領主の元に呼びつけられ、領地の財政コンサルまがいの仕事をしては夜にはあの豚野郎に弄ばれて朝帰り、だ。アルべーダはよほど私のことを気に入ったらしく、些細なことで私を呼び出したかと思えば仕事を終えるなりまだ明るいうちから私を寝室に連れ込む。数日間泊まり込みで仕事をすることも珍しくはない。

 留守がちなせいで顔を合わせることも少なくなったエンナには流石に気付かれていないと思う。

アマリオ君はもとから世話焼きな彼だが最近はいっそう私に対する気遣いに余念がない気がする。自分の仕事も忙しいだろうに、本当に人がいい。ついつい甘えてしまう。

 でもいいじゃないか。私とアルべーダのことを知られたからって何だと言うんだ。なんでもない。なんてことはないんだ。

 なんでもない。そう呟きながら今朝もいやに活気のある街並みを家に向かって歩いた。

 朝は嫌いだ。眠気と虚脱感でまだ閉じていたい目に容赦なく飛び込んでくる不躾な光。冷たい空気を読まず妙に熱をもった朝日に私の体ごと精神をじりじりと灼かれる。いい加減にしろ、少しはこっちの気持ちも考えろと吠えたいところだがその気力さえ奪うのが朝である。たまにそんな人間もいる。私はどちらも嫌いだ。

 鎖を引きずる音が聞こえた。街中では初めて聞く音だ。

 音の方へ眼をやるとそこでは足を鎖に繋がれ、手枷をはめられた一団が列になって馬車の荷台へ乗り込んでいるところだった。ある建物の出口から次々と出てきては馬車に積み込まれる男、女、男、男、子供、女、男、女、女、子供、女。

 奴隷か。同情しないわけではないが、この世界にも元から奴隷はいたし白昼堂々奴隷を運んでいたって今となっては特に驚きもしないが……。それに奴隷と言ってもそれは身分の呼称に過ぎないし、生活は保障されているわけだし、彼らにも彼らなりの事情があるだろうし――。

 今の私と奴隷の彼ら、果たしてどっちがマシだろう。

 奴隷商人の会話が聞こえる。背の低い方が言った。

「最近えらく調子が良くてよぉ! 金は貯まるし飯もうめえ。全く商会さまさまだぜ!」

 背の高い方も続けて言った。

「ああ、その通り。しがない行商人でいるよりずっといい。俺もお前も雇ってもらって正解だ。どうしてこんなに儲かるのか不思議だよ」

「なんだお前知らないのか? うちの商会が儲かってんのはな、商会長が領主様によろしくしてもらってるからだぜ。いろいろ手取り足取りよぉ。有名だぜ?」

「な――よろしくって本当か? 領主様の屋敷によく出入りしているとは聞くが……」

「そうだよそれしかねえだろ。女なんだから使えるものはなんでも使わにゃなあ。しかし体売るだけで商売になるんだから楽でいいよなあ」

「おい! 滅多なこと言うもんじゃないぞ」

「なんだよホントのことだろう? みんな思ってるぜ。淫売もあそこまできゃあ大したもんだってな。ま、確かに美人だからなあ。最近は髪も伸びて女らしくなったし――」

「おい、そこの奴隷商人」

 私はたまらず背の低い方に声を掛けた。

「は? なんだねお嬢さん」

 背が高い方は私を見るなり固まってしまった。でもそんなことはどうでもよかった。

「その子をどうするつもりですか?」

 背の低い奴隷商が連れていた小さな子供。女の子にしては短めの白い髪、褐色の肌、紅い瞳、とろんとした表情。見間違うはずもない。


 マルタだ。


「なんでお前さんにそんなこと――」「あ。フロイト」

 私に気づいたマルタがそう呟く。

 それを聴いたとたん一気に色を失った奴隷商を私はただ睨む。

「しッッッ、失礼しましたぁ!」

 ただでさえこの街で商業を牛切っていると言っていい私に頭のあがる商人などいない。しかも殊、奴隷商とあっては尚更である。

「よろしい。それで、この子をどうするつもりですか?」

「へえ、この馬車は帝都行でして、そこで売りに出す予定ですが……。なんでもおえら様がた向けに、と聞いております、へえ」

「帝都で、ですか?」

 それも『おえら様』に? マルタを奴隷として売るってのか? いまも私の袖を握って何だかよく分からないよ……みたいな顔で私を見ているこのマルタをか? 冗談じゃない。もう一度言おう。冗談じゃないぞ!

「分かりました。この子は私が買います」

「はい⁉ 買うってそいつをですかい?」

「そうです、お金を払って買うんですから文句はないでしょう」

「いやあそいつは困りますよ会長さん! こっちにも、その、事情ってもんがありますし、それにそいつはさるお方たってのご要望だとかで――」

「いいから! 倍、いいえ五倍出します。さるお方とやらにはご要望の奴隷は見つからなかったとでも言っておけばいいでしょう。後で商会(ウチ)から代わりの奴隷を手配してもいい。奴隷二人で五人分の売り上げです。文句がありますか?」

「そういうことならまあ……こっちとしても構いませんが……」

「なら早く鍵を、この子の枷を外してください。代金は今日中に」

「フロイト、おなかすいた」

「ええ、もう少し待ってくださいね。戻ったらすぐご飯にしますから」

 こうして私は強引に奴隷商からマルタを買い取って商会本部、というかエンナ邸へと連れ帰った。


    ●


 この国で奴隷制を確立させたのは私だ。そう言っても過言ではない。ゲシュタルト商会が設立される以前から奴隷そのものは少数ながら存在していたのだが、その多くは出自不明、ということにされていた。しかしその実、彼らは不当に拉致された人々であった。街の周辺に出没していた人さらいの正体はつまり奴隷狩りだっったのである。もちろん誘拐は犯罪なので取り締まるべきなのだが如何せん証拠がない。奴隷自体は合法であるから売りに出された奴隷を証拠にはできない、というのが表向きだった。実は奴隷の需要は非常に高く、高値で取引されるためその出どころには目を瞑るという暗黙の了解が存在していた。

 商会が街と結託して事業を展開し始めた時点でもこの奴隷闇ビジネスは横行していたのだが、それならばと私が奴隷市場をまるまる合法的にとりこむモデルを提案したのだ。街の外を根城にしていた人さらいの野党崩れたちを奴隷商人としてゲシュタルト商会が雇用し、比較的健全な方法で奴隷を調達して販売。終始合法的なビジネスとして我がゲシュタルト商会による新規事業開拓の一歩となった。急速に発展していく帝国経済に追いつけず脱落した辺境の村々の人間や没落貴族、重債務者なんかを奴隷として買い上げるのが健全かと訊かれたら返答には困るが合法ではある。それにある意味経済奴隷は救済なのだ。

 しかしだ、何故マルタが奴隷として売られる羽目になったんだ? マルタ達の住む西の地は私とエンナの意向で商会の物流網からは外してある。というか、王国との領土問題を抱えている以上、一企業である我々が堂々と足を踏み入れられる土地ではない。そもそも西の地への入り口だって私とエンナしか知らない筈だ。あそこは商会設立後もエンナが飽くまで個人的に行商に向かう時だけ通ることにしていたのだから。西へ行こうとしたら先ずまともに山を越えなければならない。コストパフォーマンスが悪いからそんなことはするな、と奴隷商たちには通達してある。仮にあの抜け道を誰かがたまたま見つけたとしてもあの道の途中にはドラゴンが、火を吹く竜がいる。どんなワケかは知らないがおそらく、同じように火を操るエンナだからこそ通れた、通してもらえた道だ。エンナも確かそんなことを言っていたような気がする。あの道が使われたとは考えにくい。

 ではどうして? マルタ、君はどうしてこの国に来てしまったんだ?

 目の前ではマルタがもぐもぐとご飯を食べている。もぐもぐと、それはもうもぐもぐと食べている。ああほっぺにソースがついてまあ。

「これはこう、フォークに巻き付けて食べるんですよ、マルタ」

 ごはんと言っても米ではない。私たち二人はエンナ邸に戻るとメイドさんに頼んで食事を用意してもらった。私としては先にお風呂に入って体を綺麗にしてやりたかったのだがマルタはどうしてもお腹が空いたと言うので先に食事をとることにした。パスタ……のような何かである。スパゲッティのような何か、いやほぼスパゲッティそのものなんだが。なにせ異世界の食べ物だからな、スパゲッティのような見た目をしているからと言ってこれをそのままスパゲッティと言ってしまっていいのかどうか……。白いソースがかかっているところを見るとカルボナーラに似ているが。

「欲しいの?」

 不意にマルタが手を止めて私の方を見て言った。

「い、いいえ私は」

 昼食にはまだ少し早いし。

「すごくみてたよ? はい、フロイトも食べて。あ~ん」

 テーブルに向かい合って座っている私の口にめがけて身を乗り出し、パスタを巻き付けたフォークを差し出すマルタ。

 ああっとその体制はいけない! 伸ばした腕のせいでだぼだぼの袖が肩の方にずれて腋が露わになってしまっている! 目一杯腕を伸ばしているせいで顎があがっていて唇のふくらみやまつ毛の長さがよく分かる! おでこもやはり綺麗な曲線を描いているし――というか襟! 襟元! そのだぼだぼの襟でそんなに前のめりになったら私の一からだと服の内側が……み、みみ、見ッ! 見えッッッ!

 もし、もし見えてしまっていてもマルタはまだ子供で私は美少女でここは異世界なので法的にも社会的にも全く問題はないのだが、マルタもいずれ大人の女になるわけだし、そういう不注意は要らぬトラブルを招きかねないんだから、やはりここは振る舞いには気をつけなさいとでも言ってやるべきなんだろうか? などと思いつつもこんな超絶可愛い幼女のあ~んに抗えるはずもなく、目を瞑って私も身を乗り出し、差し出されたパスタのような何かにパクついた。麺の一本一本に絡みつく滑らかな舌触りのソース。優しくクリーミーな味わい。チーズ特有の強烈な旨みと香りの奥に肉由来の旨みがひっそりと、しかし確かにあって時折舌を刺激するスパイスが風味を引き締め後味のくどさを打ち消している。咀嚼すればするほどほのかに感じられるようになる麺に潜んでいた素材の味、素朴な甘みをもう少し味わっていたいと思うのに気が付けば麺は舌によって喉へと導かれ、やがて食道、胃へと落ち、お腹に感じる質量が満腹感と多幸感に変わる。

 うむ。これはカルボナーラだ。


    ●


 わっしゅわっしゅと頭のてっぺんから足の先まで洗ってじゃぱっと湯をかけるマルタはそれはそれは綺麗になった。上等なお風呂は初めてだったようで、頭を洗ってあげている時は手足の指をにぎにぎしてうずうずしていた。しかし体を洗う頃には、くすぐったさも助けて辛抱たまらずといった感じできゃっきゃうふふとはしゃぎだしてしまった。「こらじっとしてなさい!」と浴場に響かせた声もむなしく、服を着たままだった私はびしょ濡れになってしまった。

 子供を風呂に入れるなんて初めての経験だったものだからどうにも手際が悪いな。うまくやれば暴れられずに済んだんだろうが。

 仕方がないので私も一緒になってカポーンと湯船につかることにした。マルタがちゃぷちゃぷと湯船のお湯で遊んでいる。

「マルタ。あなたなんであんな所にいたんですか?」

「あんなところって?」

「あの奴隷商のところですよ」

「どれいしょ~?」

「えっと……私に会う前は何をしてたんですか? お父さんやお母さんはどうしたんです?」

「ああ~――えっとね。私たち帝国の小さな街お使いにいったの」

「お使い?」

「そう。たまに村からお使いにいくの。十人くらいで」

「へえ……いつも着いていくんですか? そのお使いに」

「うん。だって私がいないと竜が通してくれない。私が手伝ってあいさつするの。村にも火が使える人はいるけど、私がいないと大きな火は出せないから」

「ああ、成程それで……」

「で、いつもの街は何だかボロボロになってたの。これじゃお使いもできないしどうしようって。とりあえずみんなで泊まれるところを探したんだけどどこにもなくて。やっと親切な人が泊めてくれて、次の日の朝に馬車で送ってくれるって言ってたんだけど、気が付いたら知らない場所についてて、みんなともはぐれちゃった。どんどん知らない場所に連れていかれちゃうし、どうしようかなって思ってたらフロイトにあったんだよ。えへへ」

 ……えへへ、じゃないだろう。今の話で大体想像はついた。恐らく宿を貸してくれた親切な人とやらにみんなまとめて奴隷として売り払われた。そんなところだろう。こんな子供が知らない土地で知らない人間に囲まれて、独りで。だのにこの子ときたら……。

「――怖かったでしょう、マルタ」

「? なんで? こわくなかったよ。私つよいから」

「……そうですね。あなたは強い」

 マルタの母、シグの言葉を思い出す。身に余る力は身を亡ぼす。

 この子は危うい。

 マルタは私の膝の上できょとんとした顔で私を見ている。その頭にそっと手を置いてそのまま頬へ。

 こんなに強くて弱くて危なっかしくて、そして愛おしい人間は見たことがない。もうこの子を一時(いっとき)でも一人にしてはいけない。

「フロイト、あつい」

 ぼんやりした目と口でマルタが言う。

「そうですね、そろそろ上がりましょう。のぼせてしまいます」

 マルタの手を引いて浴場を出るとメイドが一人、脱衣所でなにかごそごそやっていたようだったが私の姿を見るなり手を止めた。以前の私なら変な声を出していただろうが流石に女の体にも慣れたし、日々激務に追われていると身の回りの世話をメイドに頼むことも多い。一糸纏わぬ姿をメイドに晒すことくらいなんともないのだ。

 しかしこのメイド、見ない顔だ。こんなメイドいたっけか?

「これはこれは、フロイト様。いつもよりお短い湯あみでしたね」

「? ええまあ、この子がいたもので」

 マルタは私の手を握ったまま半身やや隠れるようにして私の後ろからメイドを見ている。

「まあその子が例の! なんて可愛らしい!」

 この女、金髪セミロング。切れ長の碧い眼をキラキラさせている。ロングスカートのメイド然としたメイド服が似合って……ないのか? 分からん。なんだろう、違和感がすごい。口調のわりに見かけが幼いせいか? マルタよりは上、私よりは下。身長も年齢もそんな感じ。

 突然の違和感とここでなにしてるんだとかこんなやついたかとかの疑問で困ったことに「あの……」としか声を出せずにいると、そのメイドはハッとしてすぐ取繕た。

「これはこれは私(わたくし)としたことが、失礼しました。えっと、お召し物をお持ちしましたのでどうぞ。ちゃんとお二人分ございます。フロイト様が小さなお嬢さんをお連れになったと聞きまして、私、腕によりをかけて選びましたので。ささ、遠慮なさらず……!」

 一見冷静に見えるがこのメイド、言葉の節々からウッキウキに浮足立っている心が透けて見える。マルタもそれを察してか、心なしか警戒しているように見える。奴隷商すら怖くないと豪語した強い子マルタが、だ。大丈夫か……?

「なんでしたら、私がお着替えを手伝わせていただきますわ……フフ」

 ああ、これはヤバい。と、私とマルタは二人そろって身に迫る危険を明確に察知したが時既に遅し。このメイドの毒牙からは逃れられぬ運命(さだめ)にあったのだ。それから目くるめく嵐の着せ替え大会が勃発したのである。

「先ずは定番、メイド服! こちら、私共が着用しているものとは違いよりキュートさに重きを置いたミニスカートで装飾過多なものとなっております。胸にあしらった大きなリボンがポイントです」

 黒地に白のレースをあしらった半袖トップスとミニスカオーバーニーソ(白)の絶対領域による適度な露出、黒白チョコレートカラーの三色が絶妙なコントラストを演出している! 赤いリボンは最高のアクセントだ! というかミニスカはすっごくスース―する!

「続いてチャイナドレス! エキゾチックでエキサイティングなこちらの衣装は敢えて華美な刺繍などを廃して比較的シンプルなデザインを採用しております。それ故に際立つ計算された良質なシルエットが着る者の美をより一層引き立てます」

 採寸もしてない筈なのにぴったりのサイズ感! 色もマルタの髪色に合わせることで確かにラインが映える! 魅惑のスリットは言わずもがな! というかこのチャイナドレス、すべっすべで肌触りがめちゃくちゃいいぞ!

「お次は巫女! 神聖の純白と神秘の深紅が魅せるのは正にこの世とあの世の狭間にあるかのような妖しくも艶やかな姿。神事仕様の頭飾りと千早で華やかさも申し分ありません」

 くっ! 神々しい! 袖や袴、簪の装飾が揺れる度に私の心も揺さぶられる! こんな小さい子に本格的な巫女装束を着せるなんて、これじゃまるで神の使い――いや最早、神の御子のようだ! というかこの服結構重いぞ!

「さてさてここで満を持してのバニーガール! セクシー且つアダルティな印象の強いお召し物ですが質感にこだわって素材を厳選、形も一般的なレオタードではなく燕尾服やタキシードといったフォーマルなテイストを取り入れることで胸元と下半身の露出を抑えて上品な仕上がりに。その分、背面の布面積は少々大胆なことになっておりますがこれくらいなら問題ありません。このまま街にだって繰り出せます。長めの折れ耳は私の好みです」

 なんてけしからん! と言いたいところだが前から見ると確かに露出は少なく上も下もマットなモノトーンでそろえられていやらしさを感じさせない。しかし背中がだめだ、防御力が低すぎる! お尻の丸い尻尾もこれはこれで破壊力が高い! この格好で街を歩くと言うなら私が後ろからだっこして歩く! というかタイツってなんか履いてるのに履いてないような不思議な着用感だぞ!

「極め付きはこれ、海外のメタルバンドTシャツ! 黒地に妙に仰々しくて謎の多いイラスト、海外規格のあてにならないサイズ感、お世辞にもいいとは言えない肌触りに至るまでを私自ら完全再現いたしました。実売品と比較しても遜色ないと自負しております。バンドロゴの入ったキャップと合わせて強烈な個性とバンドへの溢れる愛をアピールしましょう。大丈夫、決してダサくありません。ダサくないんですそういうモノなんです」

 ダサい! だがそれがいい! 凶暴性を表していると思われるイラストとマルタの可愛さのミスマッチ――はっきり言おう、可愛いに決まっている。ギャップは全人類に効く!そしてデカすぎるサイズ感もまたマルタのあどけなさを引き立てる。履いてない? いや、ショートパンツが隠れてる! 技あり! というかマルタが着てるのはゴリッゴリのエイリアンコアバンドのなのに私のはその辺の衣料品量販店で売ってるメタリカのニワカっぽいやつじゃないか!

「さあまだまだありますよ。次はどれを着て頂きましょうか……?」

 といった具合に、マルタと何故か私も一緒に着せ替え人形にされてしまった。この狂宴はしばらく続いた後、諸悪の根源であるメイドの満足を以て幕と相成った。

 マルタのとびきりキュートな姿を拝めたのはいい。眼福である。しかしそれよりも……

「あのぅ……」

「はい? いかがなさいました? フロイト様」

「この服っていったい……」

「もちろん、すべて私の手作りです。趣味が高じてと言いますか。気に入ったものがございましたら是非お持ちになって下さい」

「いえ、それは結構なんですが」

「あら、ひょっとして、お気に召しませんでしたか……?」

 落ち着いた物言いの中にもどこか落胆の見え隠れする表情に多少の引け目を感じてしまう。

「……頂いておきます」

「フフフ。お優しいんですのね。思った通りのお人です」

 この女、さてはわざとか。

「でもお気を付けください」

 と言うやメイドは私にぐいぐい近寄ってくる。あんまり近くに寄って来るので反射的に後ずさりしてしまう私であったが、脱衣所も無限に広がっているわけではないのであっという間に壁際に追い込まれてしまう。私より背の高いメイドは、左手を私の顔の横の壁に押し当ててそこから肘をまげる。金髪碧眼の女の顔が更に私に近づいた。私はメイドが壁に落とす影の中にすっぽりと納まってしまっていた。

「その優しさに付け込んで悪さをしようという輩がいないとも限りません。実はかく言う私も……」

「えっとそれはあのどーゆう――」

「フフッ。冗談です。しかし、最近なにやら浮かないご様子です。なにか困ったことがあれば遠慮なく私に相談なさってください。この世界の、他の誰でもない私だからこそできる話、というのもあるはずです」

「それは――」

 私の顔つきが変わったのを見て、ようやくメイドは私から離れた。

「ああ、でもその際はできるだけこっそりお願いいたします。何しろ私、アマリオ様からフロイト様に近づくのは自重するようにときつく言われておりますので。それではもう遅いですし、今夜はこれで失礼いたします。フロイト様、マルタ様」

 くるりと踵を返してロングスカートを翻し、首だけ振り向いて「よい夢を」、そう言って彼女は脱衣所から去っていった。

 別れ際にあんなキザな、しかし妙に絵になる所作で良い夢をなんて歯の浮くようなセリフを言うやつ、初めて見た。しかし、これではっきりしたことがある。

 彼女がアマリオ君の言っていた女癖の悪いメイドだということ。それともう一つ。

 彼女はこの世界の人間ではないということ。


    ●


 日本もアメリカも中国もないこの世界で、どうして巫女装束やチャイナドレスやメタルバンドTシャツが用意できるだろうか。百歩譲って巫女装束やチャイナドレスはいいだろう。飽くまで中世ヨーロッパ「風」のこの世界でも「異国の装い」ということならギリギリ納得できないではない。もっともその場合、その都合のいい設定じみた衣服事情はこの異世界が被造物である、という私の胸中で未だ拭えぬ疑いを強めることになっただろう。

 しかしだ、メタルバンドTシャツだけはあり得ない。どう頑張ってもこの異世界にメタルバンドは存在しない。『異世界のメタルバンド』なんてちぐはぐすぎる。似合わないにもほどがある。異世界よりもむしろ元の世界の実在のメタルバンドの売り文句にありそうだ。

  困ったことがあれば相談しろ、か。私のこの容姿、明らかに抜きんでた経営手腕、そして何よりフロイトという名前――。元の世界の人間から見れば、私もそうであるということは一目瞭然というものだ。勿論、あのメイドだって気付いているに違いない。そのうえで相談しろなどと言ってきた。転生者同士、二人だけで話がしたいということなのか言葉通り何か協力してくれるのか、ひょっとしたら元の世界に戻る方法を知っているかもしれない。そうでなくとも、この世界に来て初めて自分以外の転生者を見つけた。その事実だけでも大きな収穫だ。しかもこんな身近にいたなんて。なんというか、少し安心した。漠然と光明が見えた気がする。

 とにかく、何をおいても先ずはあのメイドともう一度会って話をしなくてはならない。いや、会って話をしたい。

 そうはやる気持ちを抑えつつ、私は今マルタの髪を梳いている。マルタの髪は短いが、だからといって風呂上りにそのまま放っておいていいようなものではないのだ。パジャマに着替えて私の膝の上ですっかり眠そうにしているマルタ。

「さあ、髪、終わりましたよ」

 私がそう言うとマルタは「うん、ありがと」とだけ言って私の膝を下りてとてとてとベッドの傍へ。そのままぴょいっとお腹からベッドにダイブしてうつ伏せのまま手足をわさわさ動かしている。

「すべすべ~」

 どうやら初めて触れるシーツの感触がお気に召したようである。

 そうだ、メイドと会っていろいろ話すのもいいがその前にマルタをどうにかしなくてはならない。きっと両親も心配しているだろうし。早く家に帰してやらなければ。明日はその手牌をしよう。メイドに会うのはその後だ。

「フロイト~はやく~」

「ええ、今行きますよ」

 私はもうこの子を一人にはしないと決めたのだ。それは夜寝るときだってそうだ。一人にはしない。一緒に寝る。幼女と同衾なんて世が世なら即刻極刑も免れないところではあるが、何度も言うように今の私は美少女だ。すべてが赦される。なにもやましいことなどない。

 私がベッドに入るとマルタはちょっとだけ私の方に近づいた。私がうつ伏せになったマルタの顔を覗き込むと、よほど疲れていたのか既に瞼が閉じたり半開きになったりしている。

「おやすみなさい、マルタ」

 そういって彼女の背中に右手を添える。小さい体に確かな体温と鼓動を感じる。背中に手を添えるだけで鼓動を感じられることに少々驚いたり、子供の体温の高さを意外に思ったりしているうち、気付けばマルタは寝てしまっていた。

 月並みな言い方だが寝顔は天使のようだ。この子がすさまじい力を行使するところを目の当たりにしてしまった私も、こうして眠っているマルタの姿を見るとやはりこの子は普通の女の子だと思わされる。

 私が守らなくては、と、そう思わされる。


    ●


 翌朝、私はマルタにゆさゆさされて目を覚ました。

不覚だ。マルタが目を覚ます瞬間を見ようと思っていたのに! 私が起こされてしまった。しかし、まあ幼女に起こされる朝もこれはこれで僥倖である。というか朝から最高。

 そのまま朝食を摂ってメイドに警戒しながら着替えをしてマルタと一緒に屋敷内を軽く探検した。初めて見る豪邸にワクワクを隠し切れないマルタは可愛かった。マルタの好奇心がひと段落したところでエンナ邸別館、別名ゲシュタルト商会本部の会長室、つまり私の仕事部屋に入った。ということでこれからマルタを家に帰す算段を立てる。マルタは部屋の中で本を読んだりしている。読めるのか?

 さて、マルタを家まで護送するのに商会から割ける人員は書類上十分ある

 しかし問題はこの中に炎を出せる人間がいるかどうかだ。西の地へ行くには例の抜け道を、竜の関所を通らねばならない。そのためにはどうやら竜と同じように火を噴かなければいけない。

 幸い、マルタがブーストしてくれるのでエンナ程の火力は不要で僅かばかり火を起こせるくらいで良いのだが。ふむ。どうやら適任者はいないようだ。どうしたものか、単に火柱をあげるだけなら火薬を用いれば何とかなるが、それをドラゴンさんが看過してくれるかどうかは怪しい気もする。火炎放射器を使うのはどうだ? いや、結局それも同じことか。というか、この世界に火炎放射器なんて存在するのか? 帝都にならあってもおかしくなさそうだが……見つけ出して取り寄せるのには相応の時間を要する。ならばおとなしく適任者が確保できるまで待っているほうがいいか。

 そうだいっそのことエンナを呼び戻すか? ああ、それがいい。西の地への抜け道は極力誰にも知られたくないからな。エンナを呼び戻して、それで、当然私も同伴でマルタを家まで送り届けよう。これで決まりだ。エンナの今の出張先は……遠いな。使いを出しても届くのに三日、知らせを受けたエンナがすぐこちらに向かったとしてもアルべダリアまでまた三日といったところか。いやいやあの女のことだ、『一日で戻ってこい』と言えばきっと飛んでくるだろう。

 とすると、伝令に三日、エンナの帰還に一日、その翌日に出るとして出発は五日後か。マルタと過ごす五日間は長いようで短いんだろうな……。はあ。仕事は全部休んでマルタと遊ぼう。五連休勃発だ。一角の経営者ともなれば気まぐれでゴールデンウィークを錬成するくらい容易いのだ。

 これでエンナとマルタと私の三人旅になる。私にとっては久々の旅路になるな。エンナともゆっくり話したりできるだろうか。

 そんな淡い期待を自覚して少々照れくさいような気分になった時分に会長室の扉を叩く者があった。破顔一歩手前の顔を慌てて取繕う。「どうぞ」と出来るだけ落ち着いた声音で応える。扉がガチャッと開いた。商会本部の事務職員だ。どうやら仕事の話らしい。

「失礼します、会長。今、よろしいでしょうか」

「……ええ、構いませんよ」

 無論嘘だ。私はたった今自らに五連休を与えたばかりなのに早速返上する羽目になりそうなのだ。正直職場の人間と言葉を交わすのも気が重い。

「お客様がお見えです」

「客? そんな予定はありませんが」

「ええ、それが帝都よりのお客様で、なんでも皇帝陛下直々に遣わされた方だとか……」

「皇帝陛下の使者……が、一体何の用だというのです?」

「さ、さあ……何しろ、使者とは言え一介の事務職に過ぎない私では口を利くのも憚られるような身分のお方ですので……」

「待たせているのですか?」

「はい、表でお待ちいただいています」

「ハア……まあいいでしょう。すぐここへ通してください」

「分かりました!」

 事務職員は最後だけ嫌に元気よく返事をして部屋を後にした。

 全く……お偉方を玄関先で待たせるとか何を考えてるんだ。いや何も考えていないのか。お偉方と呼ばれる方々はなあ、ほんの些細なことで逆鱗に触れたかの如くお怒りになるそれはそれは珍妙な人類なんだぞ。少しの非礼だって即こちらの致命傷になりかねないんだからな。うちの職員はどうやらその辺の理不尽さを理解していないらしい。気は進まないが今度マナー講師でも招いてお辞儀の角度からノックの回数までありとあらゆる不条理を叩き込んでみるか。

 と、いうところで不意に会長室の扉がガチャァ! 開く。今度は勢いがいい。

「ほう、これが音に聞こえしゲシュタルト商会のフロイト会長、その部屋かね。ふ~む、しょうしょう地味ではないかね?」

 ……前言撤回だ。うちの職員はノックを知っているだけコイツよりマシだ。このいかにも特権階級ですと言わんばかりの男こそマナー講師の刑に相応しい。判断には一瞥で足りる。間違いなく、コイツが皇帝の使者だ。

「これはこれは、わざわざこのようなところまでご足労頂き、恐悦至極でございます。申し遅れました、私がゲシュタルト商会会長、フロイトでございます。長旅でお疲れでしょう、ささ、どうぞおかけください。先ほどは気の利かない部下がとんだご無礼を。厳罰に処しておきます故、平にご容赦を」

「ふ~ん? ……分かっているじゃないかね」

 男は部屋の中央のソファーにドカッと座る。この低いソファー、普段は誰も使わないのだがとりあえず雰囲気で置いといたのが役に立ってよかった。本革の高級そうな椅子と仕事机、低いテーブルをはさんで向かい合わせの一対のソファー。この2セットがあればどこでも大体は上長室の雰囲気が醸し出せる。きっと場末のスーパーのゲームコーナーやさわやかな春の野原においてもイケる。冬だと寒いので厳しい。

 君もかけたたまえ、と言われるのを待ってから私も向かいのソファーに腰掛ける。ワシは偉大なる恐怖帝より遣わされた使者、帝都北方の生まれ、ワッツァ―家の第三云々、と長い名乗りが始まる。細部まで詳細に覚えるつもりはないので適当に聞き流し、頃合いをみて話をこちらから切り出す。

「それで、ワッツァ―様。今日はいったいどのようなご用向きで?」

「ふむ。ええ~ゲシュタルト商会会長、フロイト。君に帝都への召集命令が下った。これは恐れ多くも、偉大なる恐怖帝直々の命である。急ぎ馳せ参じるように。ということだ。早速支度をして直ぐ帝都へ向かいたまえよ。」

「……はい? 帝都へ……ですか?」

「左様。訳は知らぬが偉大なる恐怖帝のお考えは、我々の了見を超えるということだろう。当分は帝都で生活することになるやもしれんな。さ、早う支度をしたまえ」

「お、お待ちください! あまりにも急過ぎます! それに帝都に長期滞在なんて……その間、商会長としての業務が滞ります! 四~五日程度なら問題ありませんが、それにしたって準備に十日、いえせめて七日ほどお時間を頂けないでしょうか⁉」

「七日って君、準備にそこまで長いことかかるまいよ。第一、君だけ先んじて帝都へ赴き、必要なものは後から運ばせればよろしい。君の得意分野であろう」

「いえ、ごもっともですが、その準備といいますのはこの子を遠方に送り届けることなのです。ちょっとした事情で私自ら送り届けねばならないものでして……」

「ん? 褐色の肌に白い髪の幼子……女の子か。と、いうことは……うむ、問題ない。実は皇帝陛下よりこうも託っておる。

『商会長の身辺に西の地の子供があればこれも同行させよ』

 とな。その子供も連れて行きたまえ」

 マルタも連れてこいだと? 離れなくて済むのは結構だが一体なぜそんな――。

「ふむ、ところでフロイト君。君、噂通りの美人じゃないか…………私好みだよ、うん」

 ……クソ、これだからこの手の男は嫌いなんだ。

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