第610話 神々
深夜。
せっかくなので塔の風呂に浸かる。月が煌々と照っているので見える星は少ない。凪いだ海に映った光がゆらゆらと。
桃を剥く。
カシッと齧ると硬い桃も好きだけど、今日は柔らかな桃。皮はぺりぺりとすぐ剥けて、一拍置いて汁気が滲んでくる。そこを大口を開けてがぶっと。口の中に果汁が広がり、柔らかな果肉が甘さを主張。汁が垂れるけど気にしない! だってここは風呂だ。
塔の上には青い薔薇が満開。薔薇の間に名前を知らない小ぶりな花が揺れている。
『青の精霊島』、青い布と青い花の溢れる島というコンセプト。白い花も、ピンクの花もあるけど目立つ場所には青い花が植えられている。俺の塔も青い薔薇と少し紫がかった藤みたいな青い花が咲いている。
うん。季節を無視してこぼれるように咲いている。四季咲きって一年中咲いてるわけじゃないよね? 咲いてるの? まあいいけど。
桃を食べ終えたら月を眺めながら、スパークリング白ワインと洋梨のシャーベット。いい夜だ。
風呂から上がって、ついでに夜の島を散歩。店が閉まっている遅い時間、観光客の姿はない。防犯の意味もあって、店の閉まった夜中に観光客が出歩くのは遠慮してもらってる。
いい酒を置いているせいで酔っ払いが大量発生するので、それは宿屋内に留めておきたい何か。
住人は流石に夜の街が珍しいってこともないらしく、人気がない街に水路を走る水の音が響く。月の光が水を黒く光らせ、石畳と石の壁を青白く見せている。
その中をそぞろ歩く。
月光の精霊たち、夜のしじまの精霊たち、花の香りの精霊、夜の帳の精霊、あふんの精霊。いや、あふんはいいです、お仕事ご苦労様です。俺は怪しい者ではないので、見に来なくていいです。
足早に街中を離れる。もっとこう、ゆっくり見せてくれ。静かなとこに行こう、静かなとこに。
「……?」
そう思って歩いてたんですが、もっとひどいところに到着しました。
鉄の格子の向こう、なんか影がすれ違うたびカキンカキンチンチン鳴ってる。島の畑、本当にチェンジリングたちの修行の場になってた。
見なかったことにしよう。
「我が君」
踵を返したタイミングでにこやかにアウロ。
いつの間にそばにきたんですか。そしてなぜ、草を指に挟んでるんですか? こんな時間に草取り?
「こんばんは。怪我はしないようにしろよ?」
「そこは心得ております。職務を休んだ者は、我が君のくだされた菓子が食べられないことになっておりますので」
さも当然みたいな顔をして説明してくれるアウロ。
どういう心得方なんだ?
「まあ、菓子を渡しておくので補充しておいてくれ。明後日ごろ改めて顔を出すので、ソレイユにも伝えておいてもらえると嬉しい」
アウロに菓子の袋を渡す。
人数が増えてきたせいで菓子の量が増え、若干サンタというか大黒様というか、イケメンが愉快な絵面になってるけど。
「あっ! 貴様……っ!」
「深夜ですよ」
シュッとキールに向かって何かを投げるアウロ。
手に持ってた草?
「ちっ!」
キールが飛ばされた草を叩き落とす。草で。
いや、なんか草にあるまじき速さと音が出てない? 気のせい? もしかしてこの戦い、草取りを兼ねている?
「こちらは我が君が従業員一同に下されたもの、横領はしませんので安心してください。大半が甘い香りのものですしね」
アウロは甘いモノについては、守備範囲から外れている。食うけれど、そう好きではないのだ。
菓子の横領というのもへんな言葉。でも大真面目にやりとりしてる2人。そして鉄格子の向こう側から他のチェンジリングも無言で見ている気配。殺気に近い気配の原因が菓子なんですが、どうしたら。
「じゃあ、また明後日」
ぶん投げて山の家に【転移】した俺です。
そのまま眠って、起きられないかなとも思ったけど、夜明けと共に目が覚めた。リシュの散歩の時間はどうやら体内時計に組み込まれているみたい。
「おはよう」
リシュをわしわしと撫でて、着替える前にリシュの水を新しくする。
着替えて牛乳を飲み、散歩に出発。朝霧の中、山の様子を確認しながら歩く。時々精霊たちの悪戯跡にびっくりすることもあるけど、広葉樹の美しい山だ。実のなる木や草もある。
とてとてと走るリシュの後ろ姿。尻尾も後頭部も可愛い。
水辺のイシュに挨拶し、朝の光と戯れるミシュトに手を振る。果樹園と畑ではカダルとパルに会い、土や木々の話をする。
朝食後にはヴァンが現れ、剣の稽古に付き合ってもらい、それを眠そうな顔で眺めているハラルファ。
夜になればルゥーディルが陰に佇む。――寝室は遠慮してもらってます。
姿があっても、なんか存在感が希薄な時は話さないことも多い。多分自分の本性を出してる時というか、眷属たちとつながって個としての意識が薄い時なんだろうね。
そういう時は俺の方も挨拶しない。話しかければ存在感が戻ってきて、普通に会話が始まるんだけど。
神々との交流は不思議な感じだ。
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