第188話 一人だけ
「げ、芸術品が……っ」
「腰痛消しだろ? ちゃんと効果はあるぞ」
わなわなしているソレイユに言う。
「今一体いくら値がついていると思って……っ」
「二人に吹っ掛けて二倍?」
「……っ」
涙目でキッと睨んでくるソレイユ。
「職人が歳月をかけて彫ったであろう芸術品を!」
「落ち着いてください。確かに佩玉が一つのままではいらぬ争いに……」
ファラミアがソレイユをなだめる。
その佩玉は俺が適当に彫ったやつです。
「このガラスだって、なんで納屋などに……っ! あれを見た私は危うく卒倒するところだったし、建築職人は卒倒したのよ!」
「鍵はついてたろう?」
保管場所の納屋にはちゃんと子どもたちの侵入防止に鍵はしてたぞ、怪我されても困るし。
「申し訳程度のね! しかもこのガラス、何をやっても割れないし。ガラスに合わせて窓の大きさを変えたのよ! どの金ランクの方とお知り合いなのか知らないけれど、どれもこれも雑に扱っていいものじゃないわ! いったいいくらすると……っ」
「落ち着いてください、相手は領主です」
「いや、まあそれはいいけど。なんだったら兄ちゃんでいいぞ。ソレイユ二人も紛らわしいし」
普通の契約にある雇い主を「敬え」という言葉は「ないがしろにしない」に置き換えた。敬われることする前から平伏されても困る。
「アウロもキールも反応が薄いのよ……っ! ファラミアまで……っ!」
「申し訳ありません。驚きはするのですが、持続が。チェンジリングは興味のない事柄にはこだわりませんので……」
涙目で訴えるソレイユを無表情で慰めるファラミア。
「それはそうと、ニイチャン様はわたくしをお雇いになってよろしかったのでしょうか?」
強引に話題を変えてきたファラミア。
「それに様をつけるのか? ソレイユ付きだし、ソレイユと相性がよければいいんじゃないのか? それとも仕事が無理とか、他の従業員と喧嘩するとかあるのか?」
俺の名前はイッパイアッテ……。いや、ニイ=チャンという中華風名が追加された!
「ご領主様ですので。わたくしはソレイユ様に関すること以外はあまり表情も動きません、何より黒い精霊とのチェンジリングです。普通の方は気味悪がります」
「無表情には慣れてる。黒い精霊とのチェンジリングだと何か悪さがしたくなるとか、いるだけで影響があるとかあるのか?」
怖い顔のオプション付きで慣れてます。
「特にございませんが……」
「じゃあいいだろ。人間関係はソレイユが間に入るなり調整するって言ってたし」
そのへんは丸投げだ。元々丸投げのために雇ったし!
「ええ、もちろん」
ソレイユを見ると落ち着きを取り戻して、力強く頷いている。
よし、佩玉やガラスはうやむやになった!
そんなこんなで塔に戻る。もうお昼をだいぶ過ぎてしまったけど、今から弁当だ。
空井戸の縁に腰かけて包みを取り出す。本日はネギ味噌の焼きおにぎり、シャケおにぎり、沢庵、小さめの丸干しイワシを焼いたやつ。塩分補給、塩分補給。やっぱり竹欲しいな、曲げわっぱでもいいけど。
香ばしいネギ味噌をもぐっとやって、沢庵をかじり、丸干しイワシをがぶっとやって、ふんわり握ったシャケおにぎりをぱくっとやる。濃い目に淹れた緑茶で口中さわやかに。
さて続きと行こう。板に乗って、くるくると巻上げ機の綱を緩めてゆく。揺らめくランプの小さな火さえ熱く感じる。精霊を呼び出してもいいんだけど、魔法陣にどんな影響があるかわからない。予想もつかない追加効果がついたら怖い。
なので真面目にガリガリと暑さに耐えながら、井戸の石組みを削りながら魔法陣を描いている。酸欠にならないだろうなこれ?
大丈夫、明後日はレッツェと森の探索だ。それを目標に今日明日と頑張れば出来上がるはず。ああ、でも井戸の周りをモザイクにしても綺麗かな。
この井戸の石積みは内部が大理石、がりがり魔法陣を削るために高いけどお願いした。そしてこちらは大理石を使う時は何故か継ぎ目を極力消す文化を持っている。タイルみたいに貼っても、間の
日本だとタイルの目地は太くないと地震の時とか石同士がぶつかって割れそうで怖いけど。
そういうわけでとても綺麗に仕上げてくれて、ありがたいことにがりがりしやすい。そして気を使ってくれたのか、素材が余ったのか、床からの出っ張り部分は外側も全部大理石。せっかく綺麗に作ってくれたのだ、他も綺麗にしたくなるのは人情というもの。
うーん、でもモザイク並べるの魔法陣より大変だな。魔法陣が完成したら、精霊に手伝ってもらおうかな。さて、どんな模様にしよう?
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