第29話 おわりよければ

 上野公園でのテストから早くも一週間が経過した。

 コノハのボディが誕生してから一周年記念企画。

 翌々週に控えたそのイベントに付属するパーティを盛大なものとするべく、蓉子は奮闘している。

 開幕の挨拶は山縣さんが行うほか、何人かのコノハプロジェクトにかかわった外部有識者もゲストスピーカーとして、呼んでいる。

 その為、バックオフィスと協力して様々な手筈を整える必要があった。

 それは具体的に会場内で流すコノハプロジェクトの変遷をまとめた映像の編集依頼や、ケータリング手続き、その他ゲストへの招待状発送などである。

 蓉子はそんなイベントにまつわる諸事手続きの打ち合わせをしつつ、通常業務をこなしている。

 ちなみに、山縣さんの率いる部署の性質上、デザインファームや広告代理店のような企業とのつながりが強い。

 さらにそれに加えて、近年美大生とくに藝大生をターゲットに多く採用を行っている為、その関係で映像編集に強みを持つ社員を始めとし、建築模型、版画、油絵、彫刻、陶磁器などの技能を持つ人間が存在している。

 そのため、部署内で協力者を募集しつつ、その社員の大学時代や仕事上のつながりでより専門的に各素材を取り扱う企業を紹介してもらうことも出来た。

 そのほか、開發さんやテッレさんに対しては、黎明期から支えたメンバとしてオフィス内にある映像撮影ブースでの撮影をお願いしてある。


 社内には元々、映像を撮影する用途に利用可能な、撮影スタジオが備え付けられている。

 これは、社内の動画アーカイブに機会がある度に載せられるトップメッセージや新卒採用、あるいは中途採用向けの方に向けた紹介ビデオ。

 例えば近年だと、LGBTQなど社会的に関心のあるテーマに関するメッセージを発信する為の収録にも使われている。


 とある日、蓉子と開發はそのブースの一つにいた。

 いわゆるグレイヘア―のおじ様たち、あるいは小母様たちがかっちりとした服を着て半分だけ椅子に腰掛けた状態で、片膝に両手を組んで載せながらインタビューに答える映像を撮影する。

 そんな風にイメージするとわかりやすい部屋。

 壁は加工しやすいようにか緑色一色で塗られている。聞きかじりの知識だけれど、緑色だと後々CG加工や背景の合成がしやすいらしい。


「じゃあ、ビデオ回してもらいますよ」


 シャツの襟や髪型といった最終チェックを専属のスタッフの方に整えてもらった開發に蓉子は声をかける。

 開發さんの髪が固めのムースで整えられているのを見るのは初めて見たけれど、やはり精悍というよりも穏やかな雰囲気が漂うんだなという印象を持つ。

 襟元にはピンマイクもきちんとセットされていていて、何故だかそれを見て七五三を連想した。

 頷いた開發にがんばってくださいと声をかけ、蓉子はブースから出る。入れ替わりにインタビュアー役とカメラのスタッフが入っていった。


 ガラス越しに中の様子を窺う。開發さんは特に緊張したりもせず、滑らかに口を動かしているように見える。時折インタビュアーと談笑しているので、滞りなく順調にスピーチをしている。

 時折、身振り手振りを交えて話すのがどこか面白い。

 しばらく観察してから、仕事へと戻ったけれど、見ている間にIT企業の人がやるろくろ回し的な手の動きは見られなかった。ちょっと悔しく思う。

 その後、三十分程かけて撮影が終わってでてきた開發さんは、特に疲れている様子もなくデスクに向かっていたので、頃合いを見計らって蓉子は湯冷ましの水を紙コップで渡した。


「ありがとう。これリャンバイケンかな」

「リャンバイケン? 湯冷ましの水ですけれど」

「湯冷ましの水を昔、中国ではそう呼んだらしい。前倒れた際に、朱さんからメールが来てね。中国では以前生水が飲めなかったから、みんな一度湯で沸かしたものを飲んでいたらしい。今はもう、大分ご年配の人か健康の意識が高い人くらいしか飲まないみたいだけど」


 データセンターを訪れた際に会う事が出来なかった朱。

 結局あの後、二度三度会う機会はあったものの、なかなかきちんとお話することは出来ていなかった。今度会ったら、お礼をいっておこうと蓉子は思う。

 開發さんは渡されたカップの中身を一息で飲み干すと、もう一杯もらえるかなといわれたので水と白湯を等分でブレンドしたものを渡した。


「朱さんにも感謝ですね。そうだ、さっきの開發さんの話、面白かったです」


 開發さんが大学時代にやりたかった研究テーマは、言ってみれば天才と呼ばれる職人や技術者、演奏家や美術家そういった人たちの技術をブラックボックスのままに再現可能な形にするってものだと以前、聞いたことがある。

 つまり、それはいわゆる。


「天才の再生産ですか」

「スピーチの中でも話したように、結局そのテーマは少し変えざるをえなかったんだけどね。熟練職人の技の保存ていう方向に限定した」


 熟練職人あるいは熟練技術者の技の継承というのは、かなりニーズのある研究らしい。特に日本においては伝統芸能の分野においてさえ、熱心に学ぼうとする外国の方の方が日本の若者よりも多いというデータもあるのだという。


 ミレニアムを迎える少し前、九十年代中盤以降は、近赤外線を利用したアイトラッカーを使った視線に関する研究がマーケティングを始めとしたいろんな分野で行われていたようで、その辺りの年代における文献や研究は流行していたらしい。

 現在でも、少子高齢化の続く日本では、貴重な技術継承に寄与する研究ということで実益に結びつく部分が大きい為か、それなりの規模で続いていると聞いた。


「物事というか、職人が取り扱う対象物が『どのように見えているのか』という観点と、『どのように見ているのか』という観点は意外と違ってね興味深かった」

「私は文教育学部だったので、自分が好きだったり、興味を持っていた作家や作品の研究みたいなことで、関係のあるものを卒業論文にしたんですが、そういうものに何をもって興味をもつんですか?」


 それは、長年疑問に思っていた事だった。二十年生きてきた中で、本当にこだわりたいものに遭遇できなかった蓉子であったから。

 それに対して、開發さんは特に悩んだ風でもなく、なんでもないことのように答える。

 その逡巡、戸惑いの無さにが、ある意味で蓉子が開發さんを最も尊敬する部分かもしれないと思う。

 自分にできない事をできる大人には憧れるものだと思うから。


「教授から与えられるケースもあるし、自分から希望していくケースもある。僕の場合は後者だ。思えば、記録というものに取りつかれていたのかもしれない。コノハを見ているとたまに思う。ああ、これで人類がいなくなって滅びても、それを記憶し、記録し続けられる自主的な存在が出来たんだって」


 けれど、開發さんは蓉子には出来ない答えを出すだけではなく、もう少しひねったというか、頓智の効いたような答えを返す。

 そんな妙にとぼけたような回答を出す大人なのだ。


「なかなか、破天荒といいますか」

「誰でもいい、なんでもどんな仕組みでもいい。僕は、物事は記録されてほしいと心のどこかでは常に思ってる。ライフログという概念を信奉しているのかな」


 蓉子の率直な感想に対して、特に気にした風もなく開發さんがのんびりとした表情でつぶやく。それはインタビューでは踏み込んでいない領域の言葉だった。


「EUとはなんか、相性悪そうな宗教ですね、それ」


 個人情報保護に関する法律の事をちょっとしたジョークのネタに載せて開發さんのいつもの口ぶりを真似て言う。

 かもね。そういって開發さんはゆるく笑む。


「ドラえもんの存在そのものがうらやましいと思ったって話をしたと思うんだ。あれは、本当は記憶や記録をさ、確実に自分たちよりも未来にいきる存在が持っていて、しかも時折思い返してくれるだろう。あれが、本当に羨ましい」


 インタビューで長時間話した影響か、感情がいつもよりも高ぶっているのだろうか。

 今日はわりと本音で話してくれているようだった。


「いわゆる、名前を歴史に残したいんですか」


 それは、少し前から疑問に思っていた事だ。

 栄達というか、そういう野望のようなものはなんとなく、開發さんにはそぐわないような気がしたけれど、試しにと思い聞いてみる。


「残したいという気持ちよりも、もっと包括的なデータベースみたいなものが出来て、かつそこの片隅にでも村人Aみたいな感じで僕の記録が残っていれば、それでいいよ」


 どこかで聞いたことのある概念だった。確か、アカシックレコードというのだったろうか。この世の創生から現在に至るまでの記録、あるいは記録というよりも記憶を概念化した存在。森羅万象が記録されている世界記憶。

 開發さんが仕事をしていくうえで、あるいは生きていくうえで大事にしている軸足。ドラえもんの話を聞き、そして世界の記憶の話を聞き、改めておもしろい人だなと蓉子は思う。

 なんというか、ビジネスパーソンぽくないのだ。言い方が悪いかもしれないけれど、開發の場合は会社に所属して仕事をしているというよりも、仕事をやりたいことをしていたら会社の方が追いかけてきた。

 そんな印象を受ける。あるいはそれが天職というものなのだろうか。そうなのだとしたら、それはとても幸せに思えた。開發にしかわからない苦労や困難があるのだろうけれど。


「いつか、未来の人間がこの時代にこんなやつがいたんだなって、検証可能な形で僕たちの記録を残しておきたい。ただ、それだけなんだ」


 そう言いながら、開發は残っていたカップの中身を飲み干した。蓉子はいま思ったことは心の内にしまっておこうと思った。いま思ったようなことを開發が自分で気づいているのか、それともいないのかは分からない。

 けれど、絶妙にいいバランスで歩みを止めないこの人に、刺激を与えられるなどという事は思っていないけれど。でも、刺激を与えずにとにかくありのままの開發の下で働いてみたかったのだ。


「なんか、そう聞くときちんとしてるっぽいイメージですね。検証可能な生データを残しておく事が大事みたいな」

「たしかにそうかもしれないね」


 だから、少しだけ違った方向から相槌を打つ。それに対してどこか少年らしい笑顔で開發さんはいい意見だ、と頷いてくれた。


「子供の頃に読んだジミー・カーター大統領の伝記にでてくる言葉が多分、そういうことを考え始める切っ掛けだったんだと思うよ」


 唐突に出てきた人名に少しだけ面食らうものの、少し記憶を探れば思い出せた。そして、それと同時に思ったのは意外だなということだ。

 カーター大統領はアメリカではあまり人気のある大統領とはいえない記憶があり、それが故に不思議そうな表情を浮かべていた蓉子だった。

 その様子に開發さんは苦笑する。


「別に僕は彼の政治姿勢や人生観での発言に感銘したわけではないよ」


 怪訝そうな顔をしていることに気づいたのか、開發さんは笑いながら言う。


「カーター大統領の時代に、ボイジャーが打ち上げられたんだ」


 頭の回転が早い開發のような人は、ポンポンと話があちらこちらに事由に羽ばたいていく事も多い。けれど、得てしてそういう話が着地点に戻ってくるのもまた会話の妙味だろうか。

 蓉子は開發のギアを上げ始めた会話についていくように、集中して話についていこうとする。

 いまちょうど話題に上っているボイジャーは、この世の中で地球人類の知る限りにおいて最も遠いところにある人工物として有名だ。異星人とのコンタクトを求めて、ゴールデンレコードと呼ばれるレコードに、五十五の言語で話される音声の情報と、そして様々な音楽が記録されて打ち上げられた。

 その時の大統領がカーターだったとは知らなかったけれど、そういう話の筋のつながりなのかと納得もする。

 とはいえ、伝記から宇宙へと図書ジャンルもスケールも異なるものへの話の展開が目まぐるしい。


「記録ですか」

「そうだね。ゴールデンレコードには多くの音や画像、科学や感じ方についての情報が記されている。人類が滅んでも、どこかの星にたどり着いたボイジャーが発見されたら、僕たちの歴史は続くんだ。それを子供心にとても、ロマンチックだと思った」


 少年の砌の開發が熱心にページをめくっている様子を想像する。

 とあるページで彼の手はページをめくる手を止め、もしかしたら画像かイラストで描かれた今ははるか遠くを旅している機械をきらきらとした目で眺める。

 それは蓉子にはとても麗しい思い出に思えた。


「ちなみに、オムツとビールっていう話を知っているかな」

「それってまたコノハの話に繋がる訓話みたいなやつですか」

「違うよ。統計学的に有名な話」


 聞けば、バスケット分析という手法が発明され、スーパーなどでどの商品とどの商品が組み合わせ買い、つまり同時に購入されたのかを研究した事例がある。

 その調査では、少なくとも当時のアメリカにといて圧倒的にオムツとビールが同時に購入されていたのだという。

 結果、オムツの棚とビールの棚を近くにすることでより大きく売り上げを伸ばすことができたという事例らしい。

 思考が少しだけ開發さんの会話の速度に追いつき始める。会話のラリーは相変わらず早いものの、ちょっと甘く放られた今のようなボールを今の蓉子なら言葉である程度打ち返せるようになっていた。


「なるほど、生データがあれば今をいきる私達ではわからなかったことも、後世ならわかる可能性があるという事ですか」


 いつかのミルククラウンと同じなのかもしれない。情報や事象は常にそこにあったのだ。変わったのはヒトがそれを捉える解像度と、角度だけ。

 それだけで、多くの、そして広い世界がまた開けてくることもあるのだ。


「基本的には、アナリティクスをどのように活用するのか、最初から狙いをある程度絞っておく必要があるんだ。その分析で必要なデータを収集していなかったら意味がないからね」


 一人世帯の若者、ファミリー世帯、高齢者でもそれぞれに購買行動は異なる。さらに現代では生活リズム、都会か田舎か。職業も正規雇用、非正規雇用、ギグワーカーなども登場し、それぞれのふるまいが多様化する。


「パンがなければ、お菓子を食べればいいのにと言った人は、パンの需給がひっ迫している事は読めても、その原因となる原料のデータまでは頭が回っていなかったみたいなことですか」


 蓉子は開發さん風の発言をしようとして、言い切ってから自分でも言葉が若干空回りしているのを自覚した。

 そんな様子を面白そうに見ながら、からかうように開發は言う。


「そう、そんな感じ。それにしても、なんか奥村さん。最近はこうして話していてもあわあわしなくなったね」


 あわあわ、そんなにしていただろうか、と少し恥ずかしくなる。けれど、外面は努めてコントロールして表さないようにする。

 表情を開發さんの前できちんとコントロールできるようになったという意味ではたしかにあわあわしなくなったのかもしれない。


「そうですか」


 クールな風を装い、少しそっけないくらいの態度で言葉を返す。


「あわあわしている奥村さんは面白かったのになぁ」


 引っかかりませんよ、と内心思いながら、開發さんに翻弄されていた頃のことを少しだけ懐かしく思う。考えてみればこの部署に来てから半年が経過していた。


「開發さんのそういう所、注意した方がいいです」


 照れ隠しのような気持を持ちつつ、口から出るのは気持ちとは少し違った言葉。

 もどかしい、言葉の応酬が、いろんな方向からゆさぶってくるとぼけたような言葉が、いつの頃からか好ましいと思うようになっていたことを自覚する。


「そうかな。そうかもしれない」


 嬉しそうに笑う開發さんの笑顔はいままで見た中でも一番きれいに見えた。

 そのまま、自分たちのデスクの方に戻ろうと歩き出した私の背中に一言。


「そういえば、黒髪にしたのも、なにかの心境の変化?」


 すこしだけどきりとした。反応するのにしては遅すぎるけれど、どこかで待ち望んでいた言葉。


「はい」


 感情をできるだけ表にださないように、けれど最高の笑顔でいえるように振り返って一言、返す。

 それを聞いて、まぶしいものをみるように目を細めた開發さんの姿がまぶたに焼き付けた。

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