第28話 オーバーヒート。熱中症かな
それは唐突に訪れた。
順調に行程を消費していると突然、コノハが蓉子の手を繋いできたので驚いてコノハの顔を見る。
コノハは静かに口を開いた。
「蓉子さん、自己診断プログラムが内部温度の上昇をアラートとして登録されました」
形のいい眉を眉間に寄せて、けれどその表情とはギャップのある淡々とした声を出す。
表情と言葉のすれ違いで、一時蓉子はその言葉が何を意味しているのかわからなかった。
けれど数舜後、どきりと蓉子の心拍の音が響く。
遅れて、ドクンドクンと心臓がうねりをあげて高鳴り始めたことを自覚できた。
無事に東園と西園を繋ぐ通路を消化し、本日の工程の半分をクリアしていたのでどこかで安心していたのかもしれない。
突然の事態に、一瞬だけ頭が真っ白になりつつ、深呼吸を一度、少し間をおいてもう一度して頭を切り替える。
十数秒ほど今の深呼吸で消費したものの、必要な時間だったと割り切る。
「データリンクは正常? それから、予定通りの工程をこなしたら出口まで頑張れそう?」
コノハの目を見ながら、必要な情報がモニタリングしている開發達に届いているのかを確認する。本来であれば、問題のある兆候が見られたら蓉子に連絡が入る筈だからだ。
残りのコースを脳裏に思い浮かべ、おおよそ三十分程という算盤をはじく。
このままテスト自体はGoなのかあるいは、No Goなのか。状況を明確にするために、開發とサポートチーム、モニタリングしているメンバに手元の端末でアラートを送信しつつ、努めて冷静な声を出してコノハに保つかを聞く。
「データリンクは正常ですが、バッテリ消費を軽減する為、五分サイクルにしていたので、もう数十秒ほど必要です」
コノハの方は淡々と蓉子に対して、状況を報告してくれる。
「わかった。緊急アラートを送ったから、開發さんたちも事態を把握したと思う」
緊急事態にも関わらず、蓉子自身が携帯端末程度しか保持していない。
それゆえにモニタリングデータを確認できず、口頭での情報共有をどこかもどかしく思いながら会話を続ける。
あるいは蓉子自身もアンドロイドか何かであったのならば、瞬時にデータを受信して詳細な状況を把握できたのかもしれないとどこかでそんな思考が頭をよぎる。
そんな落ち着かない様子の蓉子をどこか宥める様に、コノハはなおも冷静に報告を続けた。
「このまま内部温度が一定の速度で上がり続けると、冷却装置により一層の残存電力を割く事になりエネルギー効率が破綻しそうです。現時刻を基準にすると、二十二分後に保護機構が稼働、三十二分四十五秒後に最低限の機能を残してスリープモードに移行します」
コノハの冷静な声に、ずるずると混乱の坩堝にはまりこみそうになっていた理性が復活した。
蓉子は自分がいまどこにいるのか、何をしているのか、改めて自覚して短く、適切に、必要と思われる問いを発する。
「原因は?」
状況の把握と、より詳細なレポーティングを目的にした質問だった。
「排熱と冷却システムが上手く稼働していません。テスト時の三十四%ほどの効率です。内部温度の保持が優先されるので、現在残余のエネルギーを余分につかって冷却機構を回しています」
要するにコノハの体温が急上昇していて、内部で熱さましをしようとしたけれど上手くいっていないということだと蓉子は理解する。
それがソフトウェアバグなのか、十一月の気温や湿度、あるいは園内のロケーションにまつわる何らかのファクタによるハードウェアの問題なのか、蓉子では判断できないことも理解していた。
必要なのは、いまここで、どう判断するかだった。
「持ちそうもない、か」
「こちらでも自己判断で、タグを警告から緊急に格上げしたうえで自己診断データを添付してアラートを発報しました」
コノハが言い終わらないうちに、蓉子の携帯端末にコノハの緊急アラートが届く。ちらりとそれを横目にしつつ、次の手を考える。
開發たちからの指示は未だ来ない。サポートチームが駆けつけてくるまでに、まだ数分程度の時間は必要だった。
蓉子が見た所、こうしている間にも見る見るうちにコノハの外から見た容態も悪化していた。ひとまず、近くの腰掛けられるところまでコノハを誘導して座らせる。歩行や立脚姿勢よりもエネルギーを保存できると踏んだからだ。
顔が火照って、息も絶え絶えになっている様子を見て少しだけときめいてしまうと共に、おそらくはテッレの施した芸の細かさに感心してしまう。
これも一つの防衛装置なのだと思うから。それも、テッレさんの親心からくる。
コノハは見た目については文句なく親しみやすい可愛さをもっている。
そんな娘が街中や道端で苦しそうにしていたら、周囲の通りすがりの人も救急車などを呼ばざるを得ないだろうという。
最大パワーについてもコノハはかなり抑制されている。握力やひっぱり力についてスポーツをしている運動部系男性十八歳の平均にあわせていると聞いた。
そんなことを考えながら、油断なく周りを見回す。今のところ、外野からは具合の悪そうな女の子が座って休んでいる程度に見られていて、特に何かを怪しむようなそぶりはみられない。
コノハの状態と周囲とを交互に観察していると反応速度は流石というべきか、先ほどのアラートを受けてサポートチームの二人が車椅子を持って近づいてきたところだった。
二人の協力を得て先ほどと同じように車椅子に入れてバッテリーの回復を図りつつ、エマージェンシーコールで対策室につなぐ。
コールの間、あまり意味がない事は認識しつつ、熱冷まし用のシートを開封してコノハの首筋と額に張り付ける。
すると、開發にコールがつながった。ワイヤレスのマイクとイヤホンが一体化したものを耳につけ、開發への電話に出る。
「テストは中止ですか?」
「中止しよう。今回はこれで十分だ。以後は、車椅子で搬出して予定通りに弁天門側の出口から出て撤収してほしい」
「わかりました。今から緊急での搬送を開始するので、いったん保留にしますね」
手短なやり取りを経て、サポートチームのメンバに状況の終了と、搬出ルートは予定通りという旨を伝える。電話している状態を維持しながら、二人と共に急ぎ上野公園の弁天門側の入り口に寄せていたバンへと向かった。
その間は急ぎに急いだので、通話時間を後から確認した所では、おおよそ十分に満たない程度だった。
ただ、その十分間というのは間違いなく今年一番焦った出来事だと思う。
無事に弁天門から出て、バンの中に乗り込み出発すると開發に改めて繋ぎなおし、報告をする。
予想に反して、電話口の開發はおだやかな口調だった。
「撤収が完了しました」
「お疲れ様」
「怒らないんですか?」
淡々とした言葉に、すこしだけ、ほんの少しだけいらいらをぶつけてしまう。蓉子にとって、今回のテストは大きいものだったのだと今までも自覚していたけれど、より深く自認する。
だから、開發さんに怒ってほしかったのだ。蓉子の至らないところがあったから失敗したという方がわかりやすく反省できる。安易な逃げ道だと言われるかもしれない。
けれど、上席メンバの手を借りて、手配しバトンを次につなげるというポジティブな言い方をすればチャレンジングな、反対に表現すれば欲張りな今回の計画――開發が欠けた分の埋め合わせを弥縫策ではあれど、蓉子がなんとかできると思ったから強く周りにも推進し、間に合わせた。
だから、開發さんに一人の責任者としての蓉子を、責めてほしかったのかもしれないと話している間に思う。
「排熱については確かに課題が残った結果だった。けど、テスト自体はクリアしたとみなしていい基準は越えているんだよ。課題については、またの機会にやればいい。それになにより、奥村さんもコノハも二人とも無事でよかった」
「心の準備はしていたんです。けど、ダメですね。いざというときになって全然ぱにくってしまって」
だから、今は素直な心情を吐露することが出来た。
「応急措置としては十分な対応だったよ」
それに対して、開發は穏やかな声をかけてくれる。
そんな少しだけ落ち着いた時間はオフィスに戻るまでの車中だけで、オフィスに戻った後は、めまぐるしい動きがあった。
いつかの公園の時と同じようにコノハは緊急メンテナンスに入る。それから、蓉子は行動レポートの報告書を各作業に取り掛かる。他のプロジェクトスタッフも、ログ解析やバグの洗い出し、それからもちろんコノハのフルメンテナンスなどにかかりきりになるのだろう。
結果、コノハのメンテナンスが終わり面会が出来るようになったのはまた数日後だった。
「失敗しちゃいました」
開口一番のその台詞とその顔は、動物園のタイミングでギャップを感じさせた違和感のある表情ではなかった。
どのような顔をして会うか最後まで迷っていた蓉子の気持ちを吹き飛ばすかのように、恥ずかしそうな表情のコノハに開口一番、声をかけられる。
コノハはベッドの上で上半身だけ起こしていた。
「ごめんなさい、私がもう少し早く判断していたら」
「いいえ、蓉子さんのせいじゃないです。蓉子さんの指示も応急処置についても、妥当で論理的なものだったと思います」
「知っていますか。私気を失ったように見えた後もきちんとログは記録しているんですよ」
そんなことをコノハに胸を張って言われる。
「それに、蓉子さんこそ火傷などは大丈夫でしたか」
「それは大丈夫よ。ちょっと熱いってなったけど水ぶくれも出来なかったし」
コノハと面会する数日前、動物園の日に帰社して開發さんに口頭で経過報告をしていた時のことを思い出す。
「冷却装置を最大限稼働させたログがあったという一報を受けている」
フェールセーフの一環で、冷却装置は動いていたんだけどそれを最大効率で稼働させたのはコノハの制御だったとのことだ。
コノハの側で一定のメモリ管理や、機能の制御権限が与えられているらしい。
「僕たちはコノハが最大限にこのテストを成功に導こうとしたことを知っている。同時にコノハが君ともっとお出かけしたかったという事も知っている」
真剣な表情で一気呵成にそこまでを言い切ると、開發は一転してふっと淡く微笑む。
「だから、もう少し何かできたかもしれない。そう思うだろうという事もわかるけど、気に病むことはない」
「はい。私、今回の件で大いに反省しました」
「反省も大事だけど、そこまで気に病むことは」
「いえ、それでもやっぱり甘かったなって」
コノハは、蓉子達が世話をして育てていく猫や犬のようなものだとやはり、こころのどこかで思っていたのだと思うのだ。
良き隣人という言葉。多感な数年間を合衆国で過ごしたとはいえ、キリスト教的な文化圏での生育を本当の意味で体験していない蓉子にはその含意をどこまでも推測し、類推するしかない。
だから、どこかご近所さんというのと同じような意味で捉えていたのかもしれないのだ。それは小母さんご老人といった交流する存在と、子供、あるいは飼い猫や犬といった保護すべき存在と同一で。
そして、コノハを後者で捉えていた。
これは開發さんへの何度目かわからない心情の吐露だ。
それでも、これだけは今、誰でもなく開發に伝えておきたかった。
「光栄なことだと思っていたんです。周りの方々が素敵で、いい言葉や応援する言葉をたくさん、本当にたくさんかけてもらっていて」
コノハのテストも順調だった。公園の件はどうしようもない天候トラブルのせいですっきりしない終わり方になったけれど、図書館でも上手くいったし、歩行訓練で外部スタジオを借りた時も特に問題なく終わった。
慢心というのとは少し違うと信じたい。油断というのが一番しっくりくる。
みんな、周りがプロフェッショナルだからなんとかなるだろうという楽観もあった。
足りなかったのは覚悟だ。
蓉子がコノハと共に行動して、彼女を守る最後の壁という認識ではいたのだけれど、だからといってコノハに何かが起こったときに自分の責任で何か処置を行うという心構えがなかった。結局はそこなのだろう。
応急処置のようでいて、あまり意味のない熱さましのシートをコノハに処置したことはその場しのぎに過ぎない。
蓉子はただただトラブルが起こったときには動揺し、他の人に責任と判断を仰ぐしかなかったのだ。
コノハも、そして開發も、テストのときについてくれたサポートチームのメンバでさえも冷静に事態に対処しようとしている中で、蓉子は自分自身が迷惑をかけていたことを思い、それぞれの人間に謝る行脚をしようと決意した。
「でも、コノハの傍でもっと彼女が成長していく様を見届けたいんです。一人のビジネスパーソンとして、私はそれを見届けてみたい。次はきっとうまくやります。そのための準備も勉強もいままで以上にやります」
じっと蓉子の話を聞いていた開發さんは、話し終えた蓉子に対して、うんとひとつ頷いた。
「別に、奥村さんを外すつもりなんてなかったけど。今の熱意はすごく伝わったよ。次もよろしくね」
「はい」
「そろそろ会議の時間だ。奥村さん、今日は本当にお疲れ様」
腕の時計を見て、これみよがしに呟くとそっとデスクを出て開發はデスクから出ていった。
開發さんがいなくなって、すこしだけ張りつめていた場の空気が弛緩する。それとともに、力が抜けた蓉子はその場所でほんの少しだけ泣いた。
その日の夜、部屋に帰って中央のテーブルでハーブティーを飲みながらベッドサイドにあるチェストの方を眺める。
そこには、アロマディフューザーや目覚まし時計、それに蓉子の父から二十歳の時、最後にもらったシュタイフのテディベアが飾られている。
唯一、実家から持ってきてしまったものだ。
しばらくそれを眺めてから、蓉子は週末は部屋の片づけをしてテディベアを実家に持っていこうと思った。
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