第25話 自分の足で

 コノハプロジェクトに配属されてからすでに四ヶ月が過ぎ、木枯らしが舞い始めた季節。

 倒れていた開發さんが、ようやく職場に復帰した。


 その日開發さんがオフィスに現れると、それに気づいた何人かがすぐに駆け寄っていく。

 複数名に囲まれて挨拶をされている様子に開發さんの人望が伺えた。

 Slackにも開發さんが復活した旨がすぐに流れて、即座に反応や返信がつく。元のメッセージに連ねられたスレッドの中身をいくつか見ていくと退院そのものを寿ぐものが多い一方で、栄養失調という原因について命を大事にという類のメッセージも目立った。


 蓉子もSlackで開發さんが現れたのを知って、人の波がすこし落ち着きそうなタイミングを見計らってから挨拶に出向く。

 自分のデスクにいた開發さんは、メールと社内Slackの内容を別のウインドウに表示して静かに読み込みつつ、別のウインドウでは資料を作っているなど早速復帰初日から全開でいるようだった。


 開發さんのデスクの傍にはプロジェクトメンバからの花束や、有名菓子店のスイーツ、それから悪い冗談か高級な栄養ドリンクなどがところ狭しと置かれていて、少しだけ目に楽しい。

 それはきっと、誰よりも熱心にこのプロジェクトに取り組んでいた人への分かりやすい報償だから。

 多少ブラック労働環境に見えてしまうというか。実際問題、開發さんはブラックな働き方をしているのだと思われることには多少目を瞑る。

 実は昨日、蓉子も山縣さん経由で出回ってきた出社情報の噂を聞いていた。

 そのため、石村さんと合同で購入したおつかいものとして著名な銀座の和菓子店の水ようかんをそっと置いてある。

 以前、それが好きだとふとした時に話していたのを覚えていたからだ。


 誰が置いたか果たして気づくだろうかとそんな思いが頭をよぎりながらデスクに近づく。距離が詰まるにつれて、久しぶりに見た開發さんの面差しがとてもシャープになったように感じられた。

 ただ、青白い肌はしておらず健康に以前よりは気を遣っている様子が伺えて、その部分については安堵する。

 病院食で健康に気を遣うもなにもないかとそんなことを思いながら近づくと、開發さんが蓉子の方をちらりとみた気がした。

 いざ開發さんの無事な顔を見たら、直属の部下としてはどういう風に声をかけたほうがいいのだろうかだろうか。少しだけ迷ったものの意を決して声をかける。

 なるべく明るい声をだすように意識して。


「お久しぶりです」


 声をかけて、少しだけ反応を待つ。

 数秒が経過し、ゆっくりと顔をこちらに向けつつも目線はまだ画面上にくぎ付けになっている様子だ。

 そんななんともいえない空気の中で、開發さんは蓉子の声に反応してくれた。

 そのままの状態で久しぶりに、開發さんの声を蓉子は聴いた。


「半月じゃお久しぶりって感じもないけどね、ただ奥村さんを初め多くの人に迷惑をおかけしました。そこは謝らないといけない」

「いえ、それは」

「それに、奥村さんが予定通り進めていこうと、色々な調整をしてくれたというのもガタさんから聞いたよ」


 しゃべりながら目線を画面から外して、こちらに完全に向き直る。

 それから蓉子の目を見て、そう言って「ありがとう」とシンプルな言葉を続けた。そうしてから、頭を下げて感謝する開發さんに蓉子は慌ててお辞儀をする。

 開發さんからストレートに感謝されたことが、どこかこそばゆい。

 蓉子はどこかむずむずとする感覚を逸らせるため、事前に伝えられていた石村さんからの伝言を伝えた。


「ちなみに、明日のお昼は中華がゆで美味しいお店を石村さんが抑えているみたいですよ。私と三人でささやかにどうですかとのことです」


 頭をあげた開發さんは、初めきょとんとしていたものの、したり顔で頷いた。


「中華がゆって、ああ、ぼくの胃腸が弱ってるからってことね」


 図星です。外面では微笑みながら、内心ではその気遣いには気づけるんですねと蓉子は思いながら、開發がいなかった時期の情報アップデートの為の共有を続ける。


「全体会議も無事に終わりました。ところどころで山縣さんのお手をお借りしちゃいましたけど」


 相変わらず、「山縣さんはいいスピーチでした」という掛け値なしの真実も併せて付け加えておく。

 ただ、スピーチ以外にも様々な面でかなり時間を割いてもらったのだ。

 そこだけは本当に申し訳なかった旨も併せて蓉子は開發さんに伝えた。


「それはしょうがないよ。ガタさんにも後でお礼をいっておかないとね」


 それはもう、みんな心配したんですよ。そんなことを言いながら仕事の話を続ける。


「奥村さん。今回の件、改めて助かった」

「開發さんはもう少し自分の事を大事にした方がいいと思います」


 開發さんから、個人として褒められた事を内心では喜びながら、心からの言葉を贈る。

 皮肉をスパイスとして添えて。そんな冗談めいたやりとりを開發に対してできるくらいには、蓉子も慣れてきたのだ。

 コノハにまつわる仕事に携わってから、数か月、確かな実績に裏打ちされた自信が培われていた。


「そうだね、ありがとう」


 惜しむらくは、この期に及んでもプロジェクトの事を第一に考える仕事人間に対して、少しだけのスパイスではあまり効果があるようには見えなかったことだろう。

 それが少しだけ残念だなと内心蓉子は思う。もちろん、表情には出さない。

 それも結局、開發さんの負担が減るくらいに仕事をできるようになるにはどうすればいいのだろうかと密かに闘志を燃やしつつ、話題は他の報告へと移していった。


 開發さんに状況の報告をしていたこともあって、その日の午前中は瞬く間に過ぎていった。

 石村さんからは個別で連絡があり、先に出ているということだった。

 その旨を開發さんに伝えた後、流れで二人で予約されているレストランに歩きながら、今度は他愛もない会話をする。


「町中を歩いているといろいろと思う事があるよ」


 開發さんの突然の話題の振り方もなんだか久しぶりだなと思いながら、話を受け返す。

 ちらりと隣を歩いている開發さんを窺うと、どこか遠い目をしていた。


「例えば、なんですか?」


 心得たもので、こういう時の受け答え方も今の蓉子は嗜んでいる。その合いの手を受けて、開發さんは話を次の段階へ進めていった。


「僕たちが二人ともARグラスをかけて歩いていたとしたら、例えば駅から五百メートル以内の距離まできたら、どこどこ駅はこちらの方向で何メートルですって出たりするとしよう」

「はい」

「それは、奥村さん的にはありだと思う?」

「ありだと思いますけど。特に地下鉄の出入り口は分かりにくい所にあるものも多いですし」


 開發さんの言っていることは、実際に現在の技術でも出来る範囲の言及だ。

 それに対して、開發さんは蓉子に是非を聞いた。その理由を推しはかりながら、蓉子は思ったままを答える。


「僕もありだと思う。じゃあこれはどうかな。僕たちの来ている服、その辺の通行人が歩いている服などの身に着けるもの、それぞれにタグ情報がついていて、それを読み取って広告を出す」

「広告ですか。服、あるいはアクセサリーや靴の」

「そうだね。アクセサリーはちょっと微妙かもしれないけど、服とか靴とかにどこのメーカーのものか表示される、あるいはレンズの片隅に広告がでる」


 開發さんの言った世界を少しだけ想像する。

 どうやって随時動き続けている物体のタグ情報を読み取るのだろうかみたいな事を考えかけて、その思考はすぐに止めた。

 開發さんとの会話は思考のゲームのようなものだと蓉子は考えている。

 だから与えられた想定の中で、それを考えてみる。服や靴は言うまでもなくとても身近だ。そのためか、いつもよりも想像はしやすかったように思う。


「グラス側で有料課金していればOn/Offが可能なら、また購入してる人がタグがあれば安く買えるみたいな恩恵を享受していたりすればありだと思います」

「奥村さんはそうなんだね。僕はこれはなしだと思う。僕はあまりブランドには興味ないけど、服を買っているわけで広告を買っているわけじゃないしね」


 蓉子が肯定の意味の意見を言ったのに対して、開發さんは否定側に立った意見を言う。

 それはとても意外に感じられた。

 あまりプライバシーのような部分に頓着していそうにない典型的な人物像が開發さんという上司だったからだ。少なくとも、蓉子にとっては。

 あるいは単に、ディベートの形式を整える為に逆サイドに立ったということなのかもしれないと思いながら、少し先を歩いている背中を追いかける。


「町中を歩いていて、あの子の靴かわいいなって思ったりしたら、後でインスタグラムで探したりしますし。ある程度広告効果もあるのかなと私は思いますけれど」


 クリスチャン・ルブタンやシャネル、バーキンなどは存在そのものがアイコンであり、広告みたいなものだと蓉子は思うのだ。

 だからこそ、その延長性で考えるのであれば、開發さんの提示したあり得るかもしれない未来像の仮定に対して、特に違和感を感じなかった。

 それを興味深そうに聞いている開發さんは別の想定を提示する。


「もっと適切な事例がないかな。ああ、犯罪歴か」

「犯罪歴が表示されるんですか。グラス越しに。それは人権侵害かなと」

「そうだね。かつては顔の入れ墨なり、指なり腕なりで表していたみたいだけど、現代社会ではそれは受け入れられない」


 逆にSF映画の中では通行人の顔がわからないようにするスキンみたいな概念も登場したね、と誰に言うでもなく呟く。


「突然、どうしたんですか」


 今日はいつになく饒舌な上司に、やはりまだ本調子ではないのだろうかと心配になりながら聞く。

 それに対して返ってきたのはどこか無機質な回答だった。


「そろそろ、政治的な話も奥村さんにし始めた方がいいかなって」


 その言葉の意味するところに一瞬で思い至り、蓉子は一瞬立ち止まり、それでも歩みを止めず進んでいた開發を慌てて小走りで追う。

 会話ができる距離まで追いついてから少しだけ呼吸を整えて、はっきりと言った。


「回りくどすぎますよ。もしかして、コノハは出来るんですか。今の会話内容」

「身長、体重なんかも割り出せるし、指名手配犯の顔写真の情報なんかと顔認識を連動させれば、ある程度整形してても同定できる動く監視カメラみたいな事も出来る」


 今聞いた内容についての回答をどこかで聞きたくないという戸惑いのようなものがあった。

 そんな蓉子とは裏腹に、開發さんは淡々と受け答えをする。


「まあ、まだ有識者懇談会とかそういうレベルだよ。さっきの話。僕の話から、何をどこまで想像し、考えているのかまでは分からないけど。直接かかわるのは、奥村さんにはまだ、早い」


 「私にできることはありますか」と、そう聞こうとしたのを察知されたのか、先回りして開發さんに蓉子の言葉は封じられる。

 追いつきそうだと思うたびに、この人たちにはまた別の扉、別のステージがあるのだなと感じられるのだ。

 蓉子はどこか客観視した視点から開發さんと会話する自分を見下ろしながら話を続けた。


「私も慣れてきました。少しくらいならお手伝いが」

「大丈夫。奥村さんにはそれよりも、今はまだコノハやチームの方を向いて仕事をしてもらいたい」


 それでもと言い返そうとした蓉子に、「僕がいない間のメールのやり取りをざっと見たけれど、僕がいない方が奥村さんが輝いているように見えて、ちょっと見誤っていたなって思ったよ」とわかりやすい、けれど嬉しい話題そらしを開發さんは言ってくれる。

 そんなことではごまかされませんという強い意思を込めて、開發さんと相対する。


「奥村さんにお願いしたいことはこれから増えていくと思う。それだけの実績を上げているし、僕がいない間のメールをみたらそれを為せるだけの能力も機転もある」


 そう言ってじっと、蓉子の顔を見ている。目は口程に物を言うという表現がにつかわしいほど鉄壁だ。それは開發さんが時折見せる線引きの証だ。

 もうこれ以上この場で語ることはないとそう語っているようだった。

 無機質な無表情というのは恐れ以上に蓉子に無力感を覚えさせる。

 通常のプロジェクトであればPGMOあるいはPMOの立場にいる蓉子はアクセスできる資料も、出席できる会議も多い。

 それでも本当にコアな会議には、参加することが出来ないでいる。それは自分の自信を持ったが故の、蓉子自身も驚くほどの向上心の発露だった。

 開發さんに少しづつ認められている感触はあるのだ。けれど経験が足りない。職位が足りない。だから、ここまでだよ、と見えない線を引かれる。

 見えない景色を見てみたいと蓉子は思う。開發さんや山縣さんはずっと先を歩いているからだ。何を見ているのか知りたいし、同じ目線で話をしてみたいとそう思うのだ。

 だから、今はその思いを胸の内に秘める。熾の焔のように静かに灯し、きっといつかはと進む力になるのだから。


「わかりました」


 だから、蓉子はわかりましたとただそれだけを口にする。その背景にある様々な思いをいったん脇に置いて。

 そんな言葉を、あえて額面通りに受け止めた開發は、少しだけ言外の情報をもたらしてくれる。


「ありがとう。チームの外に向き合うのはいまはまだ、総務省の申請許可位にしておこう。余計なしがらみを背負わしたくはない」


 だから、蓉子に言い返せることはなかった。

 そのあとのランチでは、石村さんから一か月分のスープデリパックをプレゼントされてたじたじになっている開發さんが印象的だった。


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