第23話 動物園へ行こうプロジェクト始動

 倒れた開發さんの代わりに、翌週の週次定例は山縣さんが登場した。

 蓉子が会議の場を整え、司会を務める中、山縣の挨拶に移る。


「二十一万七千、五万四千。これらの数字がどういう数字かわかりますか」


 山縣さんがマイクを持ち、日本語のスピーチが始まる。もちろん翻訳メンバがついて、同時に英語にも訳されていく。

 残念ながら今回、山縣さんは電話会議での参加だった。シンガポールにいるらしい山縣さんは開口一番、数字を出して質問をする。

 山縣さんの挨拶については、多くの場合において基本に忠実にサジェスチョンから始まる。


「この数字の答えは、それぞれ日本国内の工場と海外の工場の数です」


 蓉子の印象では見ている視野がやはり違うのだろうなというところだった。山縣さんはよく全体での話では、こういう風な話――サジェスチョンから入る印象が根強い。

 いままでの全体会議での演説も、なんらかの数字、なんらかのたとえ話をだして聴衆にその部分への興味を引かせてから、本題へ移っていく。スピーチの手法の中でもオーソドックスなメソドロジーの一つ。


 それに山縣さんは、すごく声がいいというのも聴衆を引き付ける要素だろう。

 いわゆる腰骨に直撃して腰砕けにするようなイケメンボイスの類ではない。成人男性としてはやや高め、ただどこかで落ち着きを感じさせる深い大人の男の人の声だ。


 十人くらいの男性が話していても、少し高めだから少し場の会話から浮き立って聞こえてくる。だからか、聞き取りやすい。

 山縣さんクラスの人ならば、専属でボイストレーナーをつけていてもおかしくはないから、それが天然か人工物かはわからない。けれど、どちらにしても磨かなければここまで聞き取りやすい声質にはならないと思う。


 努力かお金か。いずれにしても、なにかをコストとして支払ったからこそ得られたであろうその声が、彼の確かで豊富な経験に裏打ちされて語られるからこそ、聴く価値があるのだと思わせる。


 翻訳されて聞いている人への密かな優越感みたいなものが沸き上がる。今まで働いてきたプロジェクトの中で上司が外国籍の方だったのは初めのプロジェクトのUKの人だけだった。


 その人もすごく魅力的な言葉を語っていたと思う。

 蓉子は彼の話す英語の表面上の意味を知ることが出来ても、その言葉の奥にある通底的な部分はくみ取れるほどに英語に堪能ではないんだなとまざまざと自覚する。


 当時、周りのネイティブが笑っているポイントで、そのうちの半分くらい話す英語の意味は理解できても何故そこで笑うのかがわからなかった。

 それは今でも私の課題の一つだ。でも、今は日本語のネイティブであることに感謝して、その言葉の意味をくみ取ろう。そんあことを思う。


「いま俺たちは、機械工業と電子工業の融合が推進される世界の最先端にいます。僕たちが共に歩みを進めているコノハは、前世紀では創ることができなかった。今の俺たちが生きている時代、十年前には無理だったものが次の十年には当たり前の仕事になる時代です」


 続いて例を挙げる。メッセージングアプリからウェブサイトから何から登場し、普及しているAIチャットボット。

 ARやVRを中心としたミックスドリアリティの技術、そしていつか開發さんとも議論した自動運転。


「ジャパナイズドされた用語だけど愛・情熱・素直の三つを忘れないでほしい。クライアントは、知識がないコンサルタントは許してくれるけど、情熱がないコンサルタントは許してくれません」


 会議スペースの周りを見回す。

 みんな、山縣さんのスピーチに聞き入っていた。


「このプロジェクトも大きくなりました。そして、複数の分野が融合するパートが多いです。担当している分野のエキスパートでも、隣り合った関連する分野でではビギナーというのはよくあります。コノハへの愛を持ってほしい、彼女を一人前にするのだという愛を。そして、自分の担当している分野への情熱も勿論ですが、このプロジェクトではプロジェクトで働くすべての人にリスペクトを捧げてほしい。捧げられてた人は捧げる人へのリスペクトを持って返してほしい。そういう関係性の中で、知らない分野については取り繕うのではなく、ごまかすのでもなく素直に知らないと表明し、教えを乞うてほしい。この三つをきちんと守っていくことでこのプロジェクトはゴールにたどり着けると俺は確信しています」


 そうして、終わってみれば呆気ないほどに山縣さんのスピーチは終わる。余韻の残る中、一度電話会議のマイクを切った山縣さんがもう一度オンにしていう。


「オクムー、この後の進行お願いします。必要なものはわかるよね」

「はい。こちらで引き継がせていただきます」


(ここで渡されるのか)


 内心、どこでパスされるのか待ち構えてはいたもののこんなに前触れもなくいきなり渡されるとは思っていなかった蓉子は少し驚く。

 マイクをオンにして山縣さんに声をかけ、日本の会場にいる五十人足らずと、電話会議から参加している百名程のメンバに向けて、整えた声を出す。


「次のトピックは、本プロジェクトの現在の状況についてです」


 本来は開發さんが語るトピックだったものを蓉子が話す。

 コノハプロジェクトとして、新素材のテクスチャを利用した外部スキンの擬態性試験、車椅子を利用した外部移動試験は完了している旨を告げて、いよいよ次の段階へ進む旨を連絡する。


 コノハプロジェクトは全部で段階20まで定義されていて、車椅子と外部スキンの試験が完了した時点での状況は四段階目――Wave4の完了判定がされたという状態になる。

 ちなみにWave1はチューリングテストの合格で、上半身の外装スキン完成と複数人の状態における会話の成立だった。


 現在残っている契約は、Wave5と6の為、開發が率いるプロジェクトチームが各種テストや調整を進める一方で、契約チームがWave7と8の契約に動き始めている。

 クライアントとなるのが総務省であるため、今回のプロジェクトは珍しくグローバルなメンバが参画しているのにも関わらずプロジェクト標準言語は日本語でもあった。


「以上が現在の状況についてです。皆様の普段の努力で無事、Wave4の完了判定を乗り切ることができました。引き続き、Wave5についても宜しくお願い致します」


 要点をかいつまんで話しつつ、特にミスなく状況説明を終えた。次は、ロボティクスチームからの新技術要素の説明だ。

 ロボティクスリードが英語で話しつつ、今度は翻訳チームが日本語で副音声放送をしているのを横目にしながら、私も次の段階について思いをはせる。


 Wave5では、二足歩行による不特定多数の人間がいる場所の滞在が完了要件になる。

 ロボティクス面での新しい技術要素が多く加わることになるのだ。

 今まではどちらかというと擬態性、それから会話や処理能力といった意味でデザイン面やソフトウェア面での試験項目だった。

 けれど、今回の実地試験では二足歩行という面でそれが異なる。

 今までは車椅子だったということもあって、充電面でも車椅子に充電用バッテリーを仕込むことで解決していたが、そこも課題になる。


 スピーチを聞いていて、意外だったのがモーションセンサーや対物センサーの処理が一段と難しくなるという点だった。

 コノハは車椅子の時でも比較的きちんと障害物を認識していたと思っていたけれど、それは車椅子とコノハを一つの物体としてみなしていたから処理が簡単だったらしい。


 人間はそうではない、腕や顔、足それぞれの部位によってもそれからパーソナルスペースによっても適切な距離を保たなければならない。


 コノハ自身だけの姿勢制御処理をしていればよいわけでもない。

 彼女の体重は200キログラムを超える。子供が突然飛び上がってコノハが倒れた先にご老人でもいたら、致命的な事態になる。


 突発的な負荷がかけられた際にきちんと二本の足で姿勢制御できるのか、倒れざるを得ないときには、1秒に満たない時間で倒れる先を検討して決定しなければならない。


 ロボティクスチームのリードはそういった諸々の処理を組み込むためにwave5までロボティクス面での試験は盛り込まないでおいてもらったが、なんとか形になった旨を満面の笑みで報告する


「二足歩行か」


 車椅子の少女は、やがて立ち上がり自分の道を自分の足で歩き始める。どこか寓話的だなとふと蓉子は思う。

 この会議にこぎつけるまでに、蓉子は何通ものメールと小規模な打ち合わせを経ている。

 そんな日々を少しだけ思い出す。


 石村さんから、開發さんが倒れたことを聞いた日の翌日。

 蓉子は山縣さんに直談判を申し込んでいた。

 そして、開發さんが一時的に欠けていても、この計画を遅延なく進めたいという旨をストレートに伝える。

 もちろん、その時点でなにかしらの対応策があったわけではない。ただ、計画面の最終承認者が山縣さんである以上、承認を得ることは絶対条件だった。

 そんな決死の思いを伝えた蓉子に対して、肌艶と顔立ちのどこか幼さを感じる風貌から大学生にもみえるいつもの表情で、笑顔でいけるでしょと一言だけ口にして、どっさりと蓉子に宿題を出した。

 宿題というのはもちろん言葉の綾で、開發さんが抜けた穴を埋める為に連絡と協力を仰ぐチームのキーパーソンのリストと、それから必要な資料のリストだった。

 それに基づいて蓉子は様々な人間の協力を仰ぎ、直接山縣にレポーティングをしつつつ計画を進めてこの場に立っている。


 結果、Wave5の試験は一か月後に実施される。開發さんが倒れたことによる影響はそれなりに残っているものの、延期もなく、テスト内容の変更もなくである。

 そうして、この場にこぎつけられたことを山縣さんのスピーチが終わり、閉会を宣言するなかで蓉子は伝えた。

 冗談めかしてこの借りは高くつくよなどという言葉が飛び交う中で、隣に座る石村から「頑張ったね」という一言をかけられ、思わず涙ぐんだのもむべなるかなと蓉子は我ながら思う。


 大きな波乱もなく全体会議を終えた蓉子は、家で作り持ってきていた蒸し鶏と香味野菜、クリームチーズのサンドイッチを食べながら、次の会議の準備に追われた。

 午後一の会議は、全体会議で流れを作った後の工程、具体的な実施テストに向けての課題の棚卸会だった。

 当然参加者は全体会議から引き続いて主要なチームが参画している。山縣は別件で出れないものの、ロボティクスとソフトウェア、バッテリー、運用サポート、トレーニングの各チームと蓉子だ。

 社会的な課題に類するものについては、蓉子でもなんらかの意見が出せるものの、基本的に技術的なものについては各技術系のチームリードの判断を尊重する形になっている。


「試験は当初の予定通り、一か月後、土日は流石に人込みが激しいと思われるので平日に実施予定でいいの?」


 ロボティクスチームのメンバからの質問に蓉子は頷き、試験についての詳細を補足する。これは開發さんと蓉子とで骨組みを作っていた頃から含められていたものだ。


「そういえば。新しいモデルはできているんだっけ」


 ふくよかな体型を持つソフトウェアリードの野口が口火を開く。


「出来てます。石村さんのところで現在テストとトレーニングに入っている所です」


 蓉子がそう答えると、会議の出席者の視線が石村さんに集中した。石村さんは集中する視線にも悠然とした態度を崩さず、淡々と状況を報告する。

 改めて蓉子が思うこのプロジェクトにおいて、通常のシステムやロボット開発とやはり異なるのがトレーニングチームの存在だった。

 もちろんユーザへのトレーニングではなく、コノハに対するトレーニングだ。通常のシステムやロボットでは様々なバグ、欠陥のようなものがあるものの仕様通りに動くものだ。

 けれど、コノハは自立判断をすることが出来るし、それだけではなく学習能力が存在する。

 人から自然に見える歩き方を学習するのにコノハが要した時間は二週間だったが、自然なように見せて軽く走ることを学習するのに要した時間はその半分にも満たなかった。もっとも走るという行動は実戦レベルではなく脚部の各関節部位の摩耗、損耗が激しく現状では適さないという程度にとどまってしまったけれど。

 

(私がここに着任してからもめまぐるしい変化をしている。もう会話と表情はとても自然で違和感がない)


 そういった要素がある為、現実の環境での実施テストにおいてもハードウェアやソフトウェアで多少問題があっても、トレーニングや学習次第ではカバーできる選択肢が生まれることになる。

 トレーニングチームとしての発言は重みを増すのだ。

 だから計画の肉付けを行うように辺り、様々な部分で石村にはお世話になった。内心で蓉子は礼を言いつつ、話に耳を傾ける。


「テスト自体は順調に消化中です。極度の泥濘地でもなければ足を取られて転ぶ可能性も低いです。ただ、連続での歩行はせいぜいが二時間です」


 そう述べた石村の言葉に呼応するように会議室のメンバだけでなく、リモート先の複数の拠点のメンバからも声が上がる。


「スカイツリーからでているスカイツリーシャトルならかなり上野動物園に近いところまでアプローチできる」

「言問通り方面からバスでアプローチすれば上野駅よりは少ないのでは」

「車椅子のバッテリーパックで、コノハは一回フル充電可能なはずだ」

「ならば、上野動物園の入り口まで車椅子ではダメなのか。徒歩かつ車椅子持ち込みをすれば」


 そのまま、ソフトウェアチームやロボティクスチームの参加者の面々が喧々諤々の議論をはじめて、蓉子は目を丸くした。

 実施テスト実施場所の環境情報を作成したり、現場での支援を行う運用サポートチームなどからも意見が上がっている。

 時折、各リードが話を敷衍して、技術系ではない参加者にもわかりやすく解説してくれたりする中で、すごい速さで議事が組みあがっていく。

 書記を担当していた二年目の後輩が泣きそうになりながらタイピングをしている様子を見ながら、蓉子も目の前の議論に集中して、成功させたいという気持ちをより強くした。


「すごいと思うわ。この初めてのお使い感」


 そんな喧々諤々とした会話の中で、隣に座る石村さんが蓉子にだけ聞こえるようにぽつりとつぶやく。

 思わず、石村さんの方を見てしまった蓉子に対して、石村さんは微笑んで告げた。


「開發君が作り上げてきた風土なんだよね。チームのさ、こういう雰囲気」

「私は結構好きです、この雰囲気、このプロジェクトの前へ進んでいるんだぞっていう感じが」

「私もよ」


 同性でもどきりとする素敵な笑顔で、その先輩は微笑んだ。

 この日を境に、実施テスト成功に向けた機運が大きく盛り上がっていくことになる。

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