第20話 データセンターへいこう

 その日は朝からオフィスではなく、別の駅で待ち合わせをしてから仕事を始める事になった。

 開發さんと石村さんと蓉子、三人で朝9時にメトロの地上出口で合流すると、誰からともなくおもむろに歩き出す。

 今日の目的は、コノハのバックエンド処理を行っているデータセンターへ訪れる事だった。


 蓉子はデータセンターという建物自体に入るのが初めてなので、実をいうと少しわくわくしている。

 何を見る事ができるのだろうかと、そんなことを思いながら建物へと入る。その前に石村さんの動きにならい、鞄から羽織るものを取り出した。

 開發さんからも石村からも、訪問日には羽織るものを持ってきておくといいよというアドバイスをいただいていたからだ。

 その為、そろそろ夏も盛りの頃に関わらず蓉子はカーディガンと、念の為ということでストールも持ってきている。


 蓉子の予想に反して、建物は普通のビルのような風情だった。

 エントランスに入ってから多少不思議に思ったことは、警備員の方ばかりでほとんど人の姿は見かけないということだろうか。

 蓉子以外の二人――開發さんと石村さんは既にIDを持っている為、蓉子だけエントランスの右手にあった受付で、事前申請していたIDカードを受領する。

 この部署にきてから大分持ち歩く為のIDカードが増えてしまったなと蓉子は思いながら、新しいカードをカードホルダに加えた。


 エレベータで上層階へ上がった先は、事前に抱いていたイメージ――システマチックで近未来的な内装とはだいぶ異なっていた。

 そのイメージのギャップたるや、エレベータからフロア内の通路に出て、思わず周囲を見回してしまったほどだ。

 そこには温かみのある木目調の内装が広がっていた。

 そのまま開發さんの後ろについて、カードキーを通しプロジェクトルームに入っていく。

 そこは先ほどとはまたうって変わった印象だった。窓が大きくとられている為、光が多く差し込むフロアだった。

 調度の類も、全体的に白いデザインで整えられていて、神聖さすら漂っている。

 白がメインにも関わらず不思議と病院のようなイメージは感じられないのは、デザイン性の高い家具類がセンスよく配置されているからだろうか。


 ここは比較的最近できたデータセンターらしく、新進気鋭のデザイナーの方を起用してここで働く人のモチベーションを上げるようなデザインを狙ったらしい。

 たぶん、データセンターというよりも、どこか厳かな神殿をモチーフにしてデザインをしたのだと思われた。


「なんか、神殿みたいですね」

「面白い事を言うね、蓉子ちゃんは。データセンターは差し詰めアテナイのパルテノン神殿かな。かつては神殿で神からのオラクルが告げられたみたいだけど、現代ではデータセンターに眠るデータ達がアナリティクスという神託で未来を語るんだよ」


 あまりそういう事には開發さんは興味がないのか、データセンターにいる方々がどういう人となりなのかは石村さんから主に聞く。

 目的地は入ってすぐのフロアではないようで、そのまま歩き続ける二人に続いて蓉子が歩いていると、お手洗いの前で開發さんが立ち止まった。

 お手洗いかな、だったら私も行こうと思い蓉子が声をかけようとすると、どうも違うようで、開發さんはトイレの出入り口にあるマークをしげしげと眺めている。


「このデータセンターに来るとちょっとこのピクトさん、いいなと思っちゃうよね」


 石村さんも苦笑しながらトイレの人型を眺めながら感心したように頷く。


「まあ、インターネットのサーバールームにスカートでくる女子はいないですしね、ああそういうのをきちんと意識してくれてるデザイナーなんだなって私もポイント高いです」


 そうだよねと頷く開發さんと石村さんの世界についていけなくなった蓉子は聞かぬは一生の恥だと思って、声を上げる。


「どういうことですか」


 開發さんが少し横に退いて、先ほどまで見ていたトレイマークを蓉子が見やすいようにした。

 蓉子は近づいていつも通り過ぎるだけだったそのマークを注視する。

 けれど、開發さんが何を意図しているのか、眺めてみても蓉子にはわからなかった。

 その事実に対して、少しだけ不甲斐なさの色を滲ませたことに気づいたのか、開發さんが珍しく助け船を出してくれる。


「このピクトさん――人型のユニバーサルデザインマークをみてごらん、木の色だよね」


 開發さんの言葉で蓉子ははたと気づく。

 確かに、普通は青だったり赤だったりするトイレのマークがそこでは素材の色、特に青や赤では塗られていなかった。

 それから、ほとんど同時に女性のマークの方がスカートをはいていない事に気づく。

 ポニーテールの髪形をしているので女性という事は分かるけれど、珍しいなと思い指摘の声を上げる。

 石村さんが言ったように冷えるという話を聞いていたのと、蓉子も普段スカートをはいていない事もあって、今日はパンツスタイルで来ている。

 同様に石村さんの本日の装いもワンピースやスカートをあわせたスタイルではないので、不思議と服装が一致していた。


「このマーク、スカートを履いていないですね」


 蓉子が指摘すると、なにか思い入れがあるのか嬉しそうに開發さんはマークに近づいて持っていたペンで空中に〇を描くように人型のマークを指した。


「そこがまさにポイントだよね。ここをこだわるんだなって思って、ちょっとこのデザイナーに会いたくなったんだ」


 それから、顔だけ蓉子の方に向ける。


「デザイナーが意識して作ったんだね。データセンターで実際に働いて、このトイレを使う人の事を考えるとこれは通常使われる赤青、スカートズボンていうピクトさん達よりも、相応しいと思う」

「蓉子ちゃん。開發君は、作り手の意気込みみたいなのが感じられるとなんか使いたくなるんだよねって言いたいんだと思うよ」


 蓉子素直に頷き返していると、石村さんが可笑しそうに目を細めながら合いの手をいれた。

 蓉子の表情が呆気にとられたような顔から、腑に落ちた様子に変わったことで自分が熱弁をふるっていたことに気づいたらしい。

 開發さんは「ごめん、長々と」と蓉子と石村さんに謝り、移動を再開する。

 それからはスムーズに移動が済み、待っていたデータセンターの人たちと合流して挨拶を行うことになった。


「新人さんですね、よろしくお願いします。天童です」


 茶色のもじゃもじゃ頭が特徴的な男性が、そう言ってにこやかに微笑みながら、片手を差し出してくる。

 天童さんはなんというか非常に雰囲気がアメリカナイズドされた風な人物だった。人の懐に入るこむのが上手そうな人だなというのが蓉子の抱いた第一印象になる。


「石村さんもマネージャーに上がったら、今度は奥村さんと二人で来てくれるんですかね。そうしたら、ここも花やぐなぁ」


 にこにこと笑いながら天童さんは、とめどなく石村さんは会話を続ける。


「天童さん、口ばっかり。前私だけ来た時、やっぱ開發さん呼んでもらえますって真顔で言ってたじゃない」


 からかうような口調で石村さんが応じていた。


「いやー、申し訳ない。あの時は寝不足で」


 なんだかんだで仲がよさそうに思う。天童さんも弊社の社員で、コノハプロジェクトの一員として週2回、ここで勤務しているらしい。


「朱さんはどこですか」


 仕事の事を考えていないときの朱さんは、どこか寝ぼけたようなまなざしをしているものの、若くして既にシニアマネージャーになっている英才とのこと。以前はアメリカでの仕事が多かったようで、ここ数年は日本にいるので帰国しやすくて嬉しいらしい。


 アナリティクスチームは、そんな上海出身の朱さんがリードをしていて、その下にインドの方が2名、UKの方が1名、そして天童さんというチーム構成だった。

チームの共通言語は英語だが、朱さん自体は日英中の三か国語を流暢に操り、他のメンバもトリリンガルのようで特に言語で困るという事はないことに純粋に驚く。

 ちなみに天道さんは日英仏とのこと。


「すいません。朱さんは今日、奥さんが体調悪いとかでお休みですね」

「まあ、しょうがないか。簡単な顔見せのつもりだったから特に予定とか確認していなかったし」


 開發さんが仕方ないねとでもいいたげな表情を浮かべる。私も少しだけ残念だった。

 横浜市某所にあるデータセンターに来た当初の目的は顔見世とご挨拶ということもあり、定時には仕事を終えて中華街へ移動することになった。

 開發さんだけはこの後も何か仕事を残しているらしく、データセンター内に残るらしい。


 石村さんのおすすめの店があるらしく、手早く携帯電話を取り出してあっという間に予約を取ると、率先して歩き出す。

 その流れのままに私はついていく。


「なんだか、久しぶりだね。こうして、蓉子ちゃんと二人でおしゃべりするのも」


 出来るOL風というよりもどこかボーイッシュな魅力の引き立つ今日の服装で、石村さんが微笑むと、喧騒の中にある中華街でもどこか爽やかな雰囲気が漂う。


 中華街の大きな門をくぐってから案内された店は餃子の名店とのことだった。二人で餃子3人前を注文して、お酒も頼む。

ビールはあまり得意ではないもののあまりバリエーションもなかったので、檸檬サワーにしておいた。石村さんもワイン党のようで、少し考えていたけれど、結局ビールを注文するようだった。


 今日は一杯だけにしておこうと決めて、出されたグラスで乾杯する。


「蓉子ちゃんはそういえば、このプロジェクトに私が勧めたのもあるかもしれないけど、申し込んだ決め手って何なの」


 石村さんは社会人五年目だ。弊社では女性社員のネットワーキングを図る為、毎年三月八日に行われているインターナショナルウーマンズデイのイベントセッションで同じテーブルになった縁で知り合いになった。


 略してIWDと呼ばれているその日は女性社員が有給休暇扱いになり、社内で大きなイベントが開催される。

 グローバルに活躍する女性起業家や女優、歌手、研究者など様々な社会に出て活躍している成功した女性たちが登壇し、キャリアや今手掛けていることについてスピーチする日だった。


 そのプログラムの中で会社の制度への意見などを吸い上げようと年次や所属がバラバラの女性社員を6-8人前後、いわゆる「2枚のピザ理論」の人数に分けてひとつのテーブルにつかせディスカッションさせるという試みをしている。


 その中でディスカッションすることで、意外に年次が離れていたり、所属が違う女性たちと仲良くなれる効果があった。


「以前のIWDの時にもお話したかもしれませんが、私いま三年目なんですけど。やりたいことってなかったんですよね」

「うん」


 食べる手を止めて、上品にテーブルの上で手を組んだ場所に品のいい顎を載せながら、石村さんは蓉子の話を聞く体制に入った。


「流されて生きているなって、別にレールの上を走るのが嫌だというわけではないんです。ただ、これだって思うものをそろそろ見つけたかったから、というのが答えなのかもしれません」

「なんか、蓉子ちゃんらしくていいと思う」


 綺麗な笑み。コンサバティブなファッションを好む石村さんは飲み会の場でみるとより大人っぽくて、仕事もできる人なので、自分との落差に少しだけ落ち込む。


「私、らしいですか?」

「蓉子ちゃん、天然なところが多少あるけれど、キャッチアップが早くてだいたいのことを卒なくこなせるってイメージなのね」


 私、天然だろうか。落ち込んでいた所に追撃をうけて、ちょっとだけ内心ショックを受ける。


「卒なく何でも出来る人って、自分のやりたいことととか向いてることを探すのに苦労するんだろうなって。私の友達にもそういうタイプがいるから」

「絵里さんのお友達。その人は結局、どこに落ち着いたんですか」


 楽しそうに語る石村さんに、つい興味を持って聞いてしまう。それに対して淡く微笑むと、石村さんは答えた。


「その娘は、高校、大学時代と模擬国連にハマってたのね。でも全国大会でも優秀な成績残してたんだけど、卒業旅行はアフリカの喜望峰に行くような娘だったなぁ。大学は法学部でそのままロースクールに進んで弁護士になるかと思ったけど、それを飛び越えてUNHCRに入った」

「国連高等弁務官事務所ですか」


 国際機関の就職に蓉子は詳しくはないけれど、確か学士であれば、初めはインターンとして就職し、実績を認められて正式採用というプロセスが主流だと聞いたことがあった。

 石村さんの発言からすれば、もう正式採用されているのだろう。

 自分の選んだ道で、自分の選んだ生き様を貫いているその話に、蓉子は羨ましく思った。

 そんなことを思った蓉子の内心を察したのか、石村さんは笑みを濃くする。


「うん、なんというか。突き抜けたんだなって。今は青山にいるから、たまにご飯食べたりしてるよ。結構破天荒な娘で、内に秘めた情熱がすごいの。私も影響されて、ちょっとあきらめてた夢をそろそろ果たそうかなと思ってる」


 それから、石村さんがニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインへの留学を検討しているという話を切り出された。

 来年にもその計画を実行に移す予定なのだという。

 そしてそれは、暗に石村さんのコノハプロジェクトからの卒業を意味していた。


「あの、このお話ってどなたまでご存知なんですか」

「山縣さん、開發君はもちろん知ってるけど、あとはほとんど知らない。テッレさんには相談に乗ってもらったことがあるよ。向こうの大学の講師を務めている人がテッレさんの知り合いらしくて」


 そんな中でマネージャー昇格したらとかの話をされても、困っちゃうよね、とどこか遠い目をしながら、石村さんは心情を語る。

 その横顔は愁いを帯びていて、この人のそんな表情をはじめてみた。


「絵里さんの立場だと、いろいろと難しいですよね」

「この前、評価面談をしたんだけど、私の評価者って開發君なのね。彼からはいずれにせよ、MGR昇格で推してくれるって言われた」


 開發さんはすごく石村さんのことを評価していると思う。

 そして、石村さんはすごく仕事ができる人だ。だから、それは当然の帰結だと思う。けれど、同時に開發さんから評価されるこの人のことをとても羨ましいと思う自分もいた。


 そして、石村さんの語る確固たる夢は、輝いて見えた。


「私、絵里さんのキュレータの夢、応援します」


 だから、この言葉は混じりけのない応援の言葉ではないのだと自覚しながら。石村さんを励ます。


「ありがとう」


 私の気持ちを知ってか知らずか、とても嬉しそうな綺麗な笑みを浮かべて感謝の言葉を返される。いまはその笑顔がとてもまぶしいと思いながら、話を別の方にそらしていく。


「ニューヨークの方ではソーシャルアートも盛んだし、いずれ成長したコノハをアーティストとして私の担当する美術展に招くのが夢かな」


 そこから石村さんの講義が始まった。

 ソーシャルエンゲージメントアートというのは、アートは社会との接点を忘れるべきではないという思想の下で展開されている運動というのがポイントらしい。


 アメリカのとる市と廃校になった小学校を拠点に展開されているアートでは、バオバブの木を1000本用意して売るという一見アートではなさそうなことがアートイベントとして行われた。

 その意図はどういうことかという、バオバブの木を購入した人たちが市の所有地か自分の所有地に好きに植えられるというアートなのだという。

 自分で体験できる。そして、その体験を知らない誰かにもシェアできるというアートだ。

 どういうことかというと、苗木の状態で格安の値段で販売されたそのバオバブたちは市内の様々な場所に植えられる。

 そして、成長していく中で市の中の緑が増え、1000本の樹が各所でそだつことで、一つのアートとして完成するという試みとのこと。


 参加型ではないけれどラッピングというモチーフを大規模な作品に仕立て上げる夫婦もいるらしい。

 こちらは、国会議事堂や大型建造物、それか銅像などをラッピングすることで、社会のある種の分断を表現するほか、建物自体のシルエットの美を再発見させることに主眼を置いている。


 そうやって様々な作品を語る石村さんの表情は生き生きとしていて、テッレさんや開發さん、山縣さんの横顔とも重なる。

 みんな、やりたいことをやるために仕事をしているのだなというのがわかるのだ。


 かつての蓉子なら、それを羨ましがって、何もない自分にへこんだことだろう。

 けれど、今はコノハのプロジェクトを完成させたいという仕事上でのやりたいことがある。


 石村さん達のやりたいことに比べればスケールは小さいかもしれないけれど、それが仕事の夢だ。そう自信をもって語ることが出来る。


 蓉子にとって、そんな事を思う一日だった。


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