第21話 休日の過ごし方

 仕事で忙しかった反動から、休日らしい休日を過ごそうとある日。

 蓉子は久しぶりにゆっくりと友人とお茶をすることにした。相手はアイスランドにも一緒に旅行に行った大学院生の裕子だ。


「こんにちは、なんか蓉子ちゃんほっそりしちゃったね。お仕事、大変なの?」


 にこやかに笑いながら待ち合わせのカフェに現れた長年の友人に、蓉子は苦笑いを浮かべる。

 久しぶりに会った裕子は以前と変わらずにおっとりした様子。

 ただ、時々ぐさりと刺さることを言ってのけるところなども変わりないようだった。

 くるくると七色のように変化する豊かな表情で、本人には恐らく悪気がないのであろう妙に核心をついたような事を言うので蓉子はひそかに恐れてもいた。

 それになにより、指摘の通りに最近仕事で忙しくて、確かに体重が減っている自覚があったのだ。

 それもどちらかというとやつれたという意味合いで。


「大変かな。でも、充実してるから」


 そう苦笑いを浮かべながら返して、手元の紅茶に口をつける。

 口の中に広がる滋味と、鼻をくすぐるフレーバーがいい塩梅で、美味しい紅茶だった。

 このカフェは、震災の復興華やかなりし時代にモガやモボと呼ばれる人たちが足しげく通い、珈琲や紅茶を嗜んだという。

 そんな裕子のお気に入りのカフェの有名なメニューの一つだった。

 銀座の中心街から少し外れた場所にあるそこは喫煙室の一階と全面禁煙の二階があるので、基本的に蓉子達は二階にあがってオペラかフランボワーズを頼むことが多い。

 裕子は普段使いしているので店員の何人かとも顔見知りだという。


 一通りの近況などを話しながら、改めて店員を呼んだ。

 サービスが行き届いているようで、すぐにクラシカルな衣装に身を包んだダンディな店員が登場する。

 裕子がオペラと珈琲を頼み、蓉子もまだ注文していなかったケーキを頼んだ。

 注文を終えて一息ついたところで、裕子がおやという風に蓉子の手を見て不思議そうに少しだけ首を傾げる。


「あれ、爪いまは落としているんだね」

「明日、お茶の先生のところだから。ただ、明日の次はお休みだから久しぶりに爪を整えに行こうと思ってる」


 蓉子はネイルについて、二週間に一度のお稽古の度にわざわざ落としていた。以前、茶髪に染めた時には煩くなかった蓉子の茶の湯の先生は、けれどピアスやネイルにはとても厳しい。

 透明なジェルネイルなどでも、落とす羽目になるので何度かの先生との攻防の末に抵抗を諦めて、蓉子はきちんと落として通う事にしたのだ。

 そんな経緯を話すと、ひまわりみたいな柔和な笑みを浮かべて、にこにことした表情で裕子は言う。


「がんばりますなー」

「裕子こそ日舞はまだ続けてるんじゃないの」

「続けているのは、母の兼ね合いもあるのです」


 裕子の父はオイルメジャーの高級技師を務めていて、BMENAと呼ばれる地域にて一年の大半の年月を過ごしていると以前聞いたことがある。

 彼女と知り合った時は、当初母子家庭なのかなと思ったほどに父親の存在感は薄い反面、母子のつながりは濃かった。蓉子の家は一応、日付が変わる前に帰宅する門限があったが、裕子のそれは午後十時だった。

 母子ひとりずつの暮らしでお互いに精神的に支えあう必要があったからかもしれないと蓉子は推測している。

 裕子の母は自宅で日舞の藤間流の師範をしていたので、あるいは毎日のお稽古をさせる為の躾の一種だったのかもしれない。


「そういえば、この前忠告してくれた件、うちの部署じゃなかったみたい」

「あ、そうなんだ。早とちりしていたみたい。ごめんね」

「大丈夫。そのお陰でいろいろ上の人から話を聞くきっかけにもなったから」

「それはいいことだね」


 そんな風に言って、記憶よりも幾分か大人びた表情で裕子は笑う。


「なんか、蓉子ちゃん。とても充実してる顔だね」

「うーん。そうなんだよね。いままでの所も嫌いというわけではなかったけど、そこまで好きとは言い切れなかった気がする」


 そういうと、裕子は嬉しそうだった。蓉子は照れ臭くて思わず微笑む。そういえば、この子は人の喜びを自分の喜びとして嬉しがることのできる子だったなと蓉子は思い出した。


「いいね。なんかそういうの」


 福岡の事では、色々と友人たちに愚痴ったりもしていたので、裕子もある程度の事情は知っている。

 その頃と比べたら蓉子は自分でも顔色は違うと断言できた。今の部署は言い切れるのだ。好きな仕事をしているのだと。


 蓉子が最近やっていることを守秘義務に配慮してぼかしつつ伝える。ぼかしつつといっても肝心な部分はほとんどなにも伝える事はできない。

 それでも裕子は、それを話す私の顔をにこにこしながら眺めていて、話が終わるやうんと一つ頷いて満足そうな顔になる。


「蓉子ちゃんは、なんというか変な事態に巻き込まれるような感じもあるから、無事にいい所で仕事で来てるみたいでよかった。みんなにも伝えておくね」


 蓉子はそんなに変なことに巻き込まれたりしないと反論しようとするも、裕子の満足げな反応を見てその気力が急激に萎える。

 まあいいや、と内心思ってケーキを一口味わいながら食す。

 それからしばらくの間、他愛のない会話が進む中、ほどよい時間になったので会計をお願いしながらこの後の予定を確認する。


「そろそろいい時間だね。この後、どうするの?」


 裕子はこの後買い物をして帰るそうで、蓉子は少しだけ銀座の街を歩きながら帰る事にして別れる。

 歩行者天国になっている通りにオープンカフェが出来ていて、そこに見覚えのある横顔を見つける。休日の街の中で見るテッレという人はとても上品な人だった。


「奇遇ですね」

「本当にね」


 テッレさんも先ほどまで、このオープンカフェで友人とおしゃべりをしていたらしく、カップのお茶はほとんど残っていなかった。

 友人が別件で移動した後、そろそろ出ようか迷っているところで蓉子が丁度現れたのだという。


「蓉子さん、せっかくだからお茶をしない?」


 蓉子はありがたくお招きにあずかり、オープンカフェの席、テッレさんの向いに座る。

 テッレさんとプライベートの場で話すのは思えば初めてかもしれないなと蓉子は思った。

 必然的に共通の話題であるコノハが話の中心になる。


「わたしとコノハでは下手をすると、孫くらい離れているのよね。だから、私はよき隣人であろうと心掛けているわ」


 親であり、友であり、そして良き隣人であること。

 テッレさんがコノハに注ぐまなざしはとてもやさしい。


「よき隣人、ですか」

「そうね。隣人という考え方は日本ではあまり馴染みがないかもしれない。でも、お客さんという概念があるでしょ」


 テッレさんのいうところのお客さんが私の考えるお客さんではなさそうだったので指摘してみる。


「お客さんというのは、それは」

「あら、ごめんなさい。そうね、北欧でのキャリアを捨ててまで日本に来たのは昔、私が若かったころに旅行した地方でこんな話を聞いたのよ」


 お客さん。というのは主要な街道の交差する追分の付近にあったある村、今では市町村合併で市に格上げしてしまっているが、の風習だったのだという。

 その土地はとにかく風土の異なる土地からの旅人が多かった。とても、多かったのだという。そして、多かったからこそ日本の八百万の神々が時々混ざりこんでいるのだという信仰というか風習があった。

 だから、知らぬ風体であればあるほど、きちんと、けれど過剰でも過少でもなく、もてなすのだという。

 テッレはそのもてなしを受けて、興味深く感じるところがあったらしい。


 それは彼女の知る北欧的なシンプルなデザインとはまた別の、シンプルさだったのだという。足すや引くを考えない、ちょうどいい塩梅という考え方、お客さんというエキゾチックな体験。

 それが彼女を今のコノハプロジェクトに至らしめる要因になったのだとテッレさんは語る。

 テッレは、そもそも大学時代に妊娠、出産を経験しているのだという。


「まだ学生の頃だった。それでもね、大学で学ぶと奨学金が出て、それでインターネット上でイラストを描いて売って生きていたわ。私の素敵なヒトは船長でね。一年の三分の二は世界のどこかの海の上にいるわ」


 若いころは、本当にごくたまにだけれど、彼が帰港する港に歩けるようになった娘を連れて訪れたりしたわねと懐かしそうにテッレさんは語る。

 蓉子はそれをほほえましく思ってしまう。


「絵里から聞いたのでしょう。私ももう少ししたら、彼女と同じように記憶の在り処に戻ると思うのよ」


 石村さんが幼少期をニューヨークで過ごしたというのは聞いていた一方、テッレさんと石村さんの間には、蓉子と二人の間にはないどこか独特の紐帯がある。

 それを羨ましく思いながら、込められた想いを推しはかりきれない、という表情を浮かべる。

 次いで、耳慣れぬその言葉についてテッレさんへ聞き返した。


「記憶の在処ですか」

「そう。別に言い間違えたわけではないのよ」


 そう優し気にテッレは微笑む。

 そうした後、手ずから追加でオレンジペコを注いでから一口飲み、カップの水面に視線をさまよわせながら続きを口にする。


「あなたの祖国、この国では『ふるさとは遠くに在りて思うもの』という言葉があったかしらね。私はもう年を取ったわ、日本での暮らしはとても楽しかったけれど、どうしても記憶の底にある故郷の森や湖の匂い、風の香りが私を誘うの」


 望郷というものだろうか。アメリカで暮らしていた時、四年間の歳月で蓉子自身はそれを感じたことはない。

 代わりに感じたのはアイデンティティのようなものが交じり合う感覚だった。

 自分がどこに根差しているのか、どんな文化の流れの先にいるのか。そんな感覚が少しだけ揺さぶられる。

 日本に戻った後は思い出すこともなかった違和感だ。

 もちろん、蓉子がそれを思い出すことがなかったのは、滞米時間が四年という短くも長い歳月だったからなのかもしれない。

 方や、この目の前の女性はとても多くの時間を異国の地で過ごしたのだから、蓉子には計り知れない体験をしたのだろう。


「コノハはテッレさんの実の娘みたいなものではないんですか」


 そこまで考えながらも口をついて出たのはどこか目の前の先達を責めてしまう言葉だったことに、蓉子ははたと気づく。

 蓉子は、我ながらひどい事をテッレさんに言っているなと思いながらも、それでも聞かずにはいられなかったのだ。

 それに対して、蓉子よりもよほどコノハと多くの時間を過ごしてきた女性はどこか寂し気な表情を浮かべて、静かに答えた。


「子はいつか、親の元を離れるのではないかしら」


 一拍、二拍。三拍目で蓉子は無意識に息を止めていたことに気づいて、蓉子は大きく息を吸った。

 内心でぐるぐると渦巻く言葉の中でこの場で表現したいものを掬い上げようとしては明確な言葉になる前にさらさらと零れ落ちていく。

 なんとか形にして、なにかを言わなければとそんな焦燥だけが募る。

 蓉子自身も、頭でも心でも、目の前の御仁が下した結論を覆しようがないなんてことはわかっている。

 けれど、それでも何かをいいたい気持ちと、必死に探しても立ち止まってもらえるような言葉を紡ぎだせないもどかしさを同時に抱えていた。

 だから、どうってことはない、ただ現状を追認するだけの言葉を蓉子はつぶやく。


「それはそうかもしれません。いえ、私がよくないですね」


 途中からそれすらもどこかテッレに対して失礼だなと思い、蓉子は素直に謝った。謝りながら、自分の顔が歪むことを自覚する。

 自覚したことでより歪む。

 それを真正面から受け止めながら、テッレさんは労わるような表情ではなく、悲しむような表情でもなく、ただひたすらに真摯な表情で応えた。


「ありがとう、蓉子。けれどね、プロジェクトの流れ、人の流れ、時間の流れ。その三つが本当に揃って流れている時間は案外少ないものなのよ。あなたはまだ若い。これから様々な人や世の中、物事が流れていく様を見ると思うわ」


 テッレの言っていることはなんとなくだけれど蓉子にもわかる。

 蓉子が今まで在籍したプロジェクトでも中学や高校の頃の、クラスが一年間に一度、あるいは三年間一度もクラス替えをしないような仕組みだった。

 一方で、現実の社会では下手をすれば一月やあるいは二週間といった単位で人が入れ替わっていく。

 入る人、出る人、流れ続ける世の中だ。

 人を、モノを、経験を流れととらえることは、どこか自然なようにも感じられる。


「コノハもそのひとつね。あの子の流れはこれからどんどん早くなり、急激になっていくのでしょう。それは世の中があの子の誕生を寿ぐということでもあるわ。あなたは日本人だから、進化論を学んだのよね」


 疑問の問いかけに、蓉子がどこかきょとんとした表情をしていたことに気づいたのか、テッレさんは口の端を半分だけ上げて補足する。


「あ、ごめんなさいね。これは別に人種差別やそれに類する意図はないの」


 そう一言断りを入れテッレさんに、蓉子は「いえ、別に気にしないです」と答えながら、話の続きを促す。


「進化というものについて私の理解はあまり明るいとは言えないのだけれど、私の学んだ大学では、レプリカだけれどね。旧人類から私達現生人類迄の骨格標本をスケッチする講義があったの」


 それはテッレさんの昔語りだった。普段、あまり自分の過去のことについて話したりしない彼女の語りは蓉子にとってとても新鮮だった。

 蓉子は同時にある趣味の手向けのようにも受け取れてしまう自分を必死に忘れようとする。


「骨格が違うけど似ている。似ているけどやっぱり違うのよね。進化は、私達が普段確かだと思う頭蓋骨のカタチさえ変えてしまう。プリニウスを知っているかしらね」


 問われた人物、蓉子の記憶の片隅にその名前は残っている。世界史の教科書に出てきた人の名前だ。

 紐づいた記憶を思い出す。


「博物誌の人ですね」

「彼が残したその本には胴体に顔がついて手足が伸びている人間や、手足が蛇のように長い人間についての記述があるわ」


 蓉子は黙って聞く。話の続きがどこに着地するのか興味があった。


「科学的な見方をするのなら、その記載は誤りね。けれど、人の見方は経験や知識のバックグラウンドに支配されてしまう。ところで、あなたはひとつのものをスケッチするのにどのくらいの時間をかけたことがあるかしら」

「高校は音楽選択だったので、中学生の時の約五時間くらいだと思います」


 五十分授業の中でひとつのモチーフを見ていたとしたら、四十分。一月くらいは続いた記憶があるので、週二回あるとして八をかけて出した数字だった。

 悪戯っぽく笑むテッレはいつもの仕事での笑いと異なり、どこか童女のようだと蓉子は思う。

 こんな笑い方もできる人だったんだなと、心の奥底でもう一人の自分が呟く。


「私は九ヶ月、これでもまだ短い方ね。それにコノハを除いてだから」


 どこか童心にかえったような表情で話してくれたのは長い長い時間だった。


「コノハならかれこれ一年になるかしら。彼女の顔は頬の丸み、まろやかなうなじ、おさまりのいいおでこ。日本人にしては少し高めの鼻。目をつむっていても、あの子の顔の手触りと輪郭は思い浮かべられる」


 そこで、テッレは何かを思ったのか、言葉を区切った。一拍か二拍か。そして、穏やかな表情をがらりと変えて、また口を開く。

 蓉子はそれを静かに待った。


「けれど、あの子の後に続くあの子と身体の中身は同じで、外見は違う子達はきっとそこまでの手間暇をかけられてはくれないでしょうね」


 悩まし気に形のいい眉を寄せて先の話をするテッレに蓉子も少し上を向いて、想像してみる。

 製品化、ソリューションとして成立したらきっとそうだろうなと思った。


「多くの流れがあの子の後に生まれるわ。あの子と同じように世界各地で同時に進んでいるプロジェクトからも同じように多く生まれる。蓉子。あなたには良き隣人になってほしいの。これはもしかしたら、現生人類が初めて出会うほかの知的生命体との交流なのかもしれないから」


 コノハのよき隣人になる。それは蓉子がやりたいことでもある。

 それでも、ストレートに「YES」と答えるのがどこか恥ずかしくて、その代わりに口から出たのは話とは関係のない質問だった。

 そんな蓉子の考えはお見通しなのか、肩を震わせて少しだけ笑ったあと、テッレは再びお茶目な表情を浮かべる。


「戻ったら何をされるんですか」

「昔の子供向け童話風に言うのであれば、何もしないことをするのよ」

「……何もしないをする」


 テッレさんの語った言葉をなぞるように蓉子は口にする。


「でも、また何かをデザインしたり創りたくなったら和光に連絡して、雇ってもらおうかしらね」


 和光というのは、テッレさんが開發さんを呼ぶときの呼び方で、開發さんの下の名前でもあった。


「あなたたちコンサルタントは余白は許せても空白は許せないでしょう? 私たちデザイナーはどちらも受け入れられる。それが自分の美意識と感覚にそぐうなら」


 同じ部署の中でも、口さがない人たちの間では、デザイナーと日本の官僚スライドは水と油の関係だとよくジョークに種に使われる。そこにあるブランクを愛する人たちと、ブランクである事が許せない人たち。

 それはけれど、生き方の違いだと蓉子は考えていた。

 デザイナーは一本調子で順当にキャリアアップするという人たちもいる。

 けれど半分か、もう少し多い人たちはかなりぐちゃぐちゃな経歴の持ち主が多いという事を知った。

 それこそ、経歴にブランクがある人も多いのだという。


 官僚は履歴にも、書類にも、ロジックにもブランクを作らないことが大事だとされるとアイスランドにも一緒に旅行した霞が関勤務の友人が言っていた。

 次は自分の話をするように促されている感覚があって、すこしだけ自分の事を聞いてみたいとも思い、テッレに蓉子は自分の話を始める。


「私は前のプロジェクトだと、小さいけれど一つの分野を任せてもらっていたんです」


 仕事の手ごたえもあったし、その年の評価もよかった。だから、自信をそれなりに持っていたし、内心で誇っていた。蓉子は福岡の仕事の後半でも、あまり気乗りしないながらもボスからの評価はよかったことを思い出す。


「でも、ここだと、ダメですね。自分なりに反省して、頑張ってはいるのですが、開發さんとも段々と仲良くなっていると思うのに、どうしても、開發さんから話しかけられている時、手加減されているように思えて」


 一番最初、蓉子がただの若手の女の子のように扱われているんじゃないかと思える事があった。

 代替可能という意味では、たしかにそうかもしれないと思ったから、努力を重ねて、いい提言ができるように学んだり調べたし、開發の様々な知識から出てくる雑談にも食いついていったのだ。


 奥村蓉子個人として見られていないとうのは初めはしょうがなかった。

 けれど、この部署、このプロジェクトで馴染み、コノハとのテストをクリアしていくうちに少しくらいは頼りになる後輩だと蓉子は開發に認識してほしかったのだ。

 自分の中の心情を改めて認識しつつ、蓉子が吐露するとテッレはそうね、と一言いってハーブティーを口にした。

 すこししてから、続きの言葉を口にする。


「あなたの周りの人間を表現するなら、和光は、現実的な夢想主義者、薫は、夢想的な現実主義者」


 開發さん、そして山縣さんの名前。二人ともどこか古めかしいというのは共通して、けれど片方は重厚な、もう一方は雅やかな名前。

 正反対なように見えて、どこか似ている二人。


「そして、絵里は夢想主義的な夢想主義者。私は逆に現実主義的な現実主義者かしらね。プロジェクトは絵具みたいにいろんな人が混ざり合って、ひとつの絵になる。でも、別に生きているのだから常に絵の枠の中に入っている必要はないじゃない。人は常に単色ではないわ。複雑に色合いを変えるし、自分の気持ちが揺れ動いている時には、それとなく淡いオレンジ色のフィルターがかかったりするでしょ」


 テッレの言いたいことはなんとなくわかる気がした。


「あなたは時々、思考にしばられすぎているように思えるわ。あなたのこれまでの人生経験は、ロジカルな思考を求められるものだったのかもしれないけれど。ここでは、自由な感性が大事だわ。あなたならそうね、真面目にふざけてみるといいんじゃないかしら」


 すでに去る事を決めた人が、これから頑張っていこうとしている蓉子に言葉の贈り物を残すのだと、どこかで感じていた。


「真面目にふざける、ですか?」


 だから、その言葉を丹念に受け取ろうと、テッレさんの真意を汲み取ろうとする。


「肩の力を抜きなさい、ここでは失敗が常にあるわ。普通のコンサルワークだと、あまり失敗は許されないのでしょう」

「はい」


 調査した資料の数字の間違いで、あるいは数字から導き出される結論に論理性がないとして、かつてはよく指摘を受けた。

 けれど、それが今の蓉子を支えているものの一つであることも確かだった。


「ここは違う。新しい事をするときに失敗はつきものなの。それにあなたはプロフェッショナルでも、まだジュニアだわ。よい失敗の経験を積むといいわ。それが仕事でも恋愛でも、趣味でも。それが経験を経たあなたを彩る」


 一息にそこまでいいきって、テッレはにっこりを笑う。


「すこし落ち着いて、羽を伸ばしたくなったら私の家にお招きするわ。のんびりと過ごしましょう」

「それはすごくいいですね」


 そうして、つかの間の休日は過ぎ去っていった。

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