第18話 図書館へ行こう
その日、蓉子は真剣に図書館というものに向き合っていた。
正確には、どうすれば図書館で本を借りられるのか、そんなある種当たり前に思える行動を行うために必要な、図書館の細かい規則を調べている。
勿論、この前総務省に出かけていった案件と関係している。
コノハの次のテスト実行計画の詳細化の為だ。
ある程度、調べた内容についても一段落したので、一息ついているとちょうど近くに開發さんが歩いていた。
さっそく捕まえて、仕事の愚痴のような、あるいは雑談のような話題をふる。
「図書館はほんと、何年ぶりでしょうね。高校や大学の図書館ならまだしも、公共図書館なんて中学校以来かもしれません」
開發さんは、特に急いでいるようでもなかったらしく、少し苦笑しながら立ち止まってこたえてくれた。
「最近の図書カードの作り方からまずは調べないとね」
調べ物の状況を慮ってか、開發さんが珍しく直接的なアドバイスをくれる。
先日会った総務省の香西さんが言い残した言葉通り、それから二週間余りでコノハの実施テストの許可自体は下りた。
満を持して、コノハを図書館に派遣することになるものの、許認可の前提条件として綿密な行動計画を提出しなければならない。
これは香西さんが開發さんに嫌がらせをしているのではなく、元から必要な書類のようだ。
「私が来るまで、デスクワークがあまり得意じゃなさそうな開發さんがやってたなんて、尊敬します」
「僕はあまり得意ではないから、石村くんとかに手伝ってもらってたよ」
朗らかに答える開發さんに、石村さんなら確かに得意そうだなと得心しながら、行動計画で分からない部分をついでとばかりに質問攻めにした。
そのお陰もあって、どこに何を書いていくか、おおよその目途が立つ。
コノハがロボットやアンドロイドの類だというのは、図書館司書の方や一般利用者の方にばれるわけにはいかないのだ。いまはまだ。
ただ、電子書籍が普及した影響もあって公立の図書館を利用した記憶がだいぶ遡った時代にしかなかった蓉子は、行動計画詳細の草案を書いていく段階で苦戦することとなった。
開發さんが持っていた情報端末を開いて、蓉子の近くで自分の作業を開始したので、遠慮なしに質問していたものの、すでに開發さんに聞いてもすぐには答えがでない段階に差し掛かっていた。
冷めてしまったルイボスティーを一口飲んでから、開發さんになんとなく話をふる。
「国立国会図書館が使えればあそこがよかったんですが」
「あそこはだって、身分証必要だからね。僕は文書偽造犯になりたくないなぁ」
情報端末から視線をそらさずに瞬時に返答を返してきた事に驚きつつ、調べてみる。
すると、国会図書館では確かに初めての入館の際には、身分証などが必要である旨が書いてあった。
開發さんはこういうところが意外と侮れない部分だなという事を改めて蓉子は認識しつつ、会話を続ける。
「ちなみに普通の図書館もカード書くのに必要じゃなかったでしたっけ?」
「ここ港区だからね。うちの会社の名刺を使えばいいんじゃない」
開發さんがこともなげに言いかけた台詞を途中で制して、蓉子は重ねて尋ねる。以前なら、多分それは出来なかったことだ。
こういう切り返しができるようになった点が、少しだけ成長したなという自負を持ちつつ、開發さんの反応を待つ。
けれど、開發さんの返答は意外なものだった。
「コノハは学生では?」
「まあね。だから、こんなのを用意した」
そう言って開發さんが取り出したのは、見覚えのある様式の学生証だった。
写真に写るコノハはどこか幼く見える。
大学の入学証の為の写真を撮るのは高校時代という事で、黒いセーラー服を着ている。コノハの外見はティーンエイジャー後半、少女とは呼べない、女性になっていく頃の外見だ。
丸襟のブラウスの上に、少し古風な感じのするジャンパースカートらしきものを着ていてどこか幼げに感じる。確かにこの制服と顔の雰囲気なら、全体的に細めにデザインされているコノハにすごく相応しい。証明写真特有のある種の落ち着いた雰囲気が、もしかしたら生じるかもしれない何らかの違和感を埋めてくれるかも知れない。
そういう意味で作ったのだろうか。
「この制服はどうしたんですか。大分古風ですけど」
「それは、石村くんのだね。実家にあったやつをコノハに着せ替えして撮影したらしい。一応、ライティングとかも気を遣って撮影したらしいから違和感ないでしょ」
この写真を撮影した頃のコノハは、瞳の部分の表現が上手くいっておらず、近距離から見ると違和感が生じる精度だったらしい。
それを光の当て具合カバーしたようだよ、と開發さんはこともなげに言う。この人はなんだかんだと会話しつつも、実は解決策を決めていたらしい。
「奥村さんの出身大学、ティーパーティが多そうだけど実はそうでもないのかな」
ぼんやりとした表情で開發さんは手元の学生証を見ていた。
「どういうことですか?」
開發さんがどこか質問してほしそうな雰囲気を醸し出していたので、ストレートな物言いで確認してみる。
その視線を静かに受け止め、開發さんは口を開く。
「いや、会議は踊る、されど進まずにはならなかったなって。ごめん、これは諧謔です」
聞くと、私の母校の名前が少し読み方というか表現を変えれば、お茶会と表現する事ができるものだったので、ウィーン会議にうまくなぞらえたかったらしい。
開發さんは最近、こうしてよく分からない彼なりのジョークを飛ばすようになっていた。
「いえ、とりようによっては問題発言ですけど、それよりもこの学生証」
(これは私文書偽造なのではないだろうか)
そもそも、開發さんの手にあるのは学生証だ。それも蓉子の出身大学である国立大学の。そもそも高校にすら通っていないコノハが受験をしているわけもなく、明らかに偽造だった。
「これって、法律違反では」
「そこはそれ、今回の件は官公庁がクライアントだから、色々と顔を繋いだ成果でもあるよ」
飄々と答える開發さんの様子に、蓉子はなるほどと頷くしかなかった。どちらかと言えば、呆れた表情をしていたかもしれない。
開發さんは蓉子の様子に苦く笑い、男性にしてはほっそりとした、けれど骨ばった手を掲げて指を一本立てた。
そのまま、蓉子に諭すように言う。
「いわゆる伝手だよ。実はきちんと書類も申請も通してある。この前総務省行ったときに受領したんだ」
「伝手ですか?」
「スマートスクール・プラットフォーム実証事業でね、総務省と文科省は組んだ実績もあるので、その辺の話を含めて将来的な利益分配の融通を見越した案を提示したら、国立大学の学生証発行してくれたよ。一年近くかかったけど、それでも相当早い方じゃないのかな」
開發さんは薄く笑う。またどこか偽悪的な表情だ。
そんな張り付けた仮面のような笑みを浮かべたまま、大きなプロジェクトが故に利益のパイの切り分けには工夫が必要なのだという。
それは言い換えれば、利益分配に際して、ある種の借りを相手側にきちんと作っておかないと寝首をかかれる可能性があるということだ。
この場合の借りは文科省で、貸しは総務省だよと開發さんは冷めた目で蓉子に告げた。
ああでもねと、開發さんはいつものとぼけた表情に戻り、指を組んでから言葉を続ける。
「実は公立大学は総務省の管轄だから、公立大学の方が本当は望ましいんだけどね。関係部署が減るという意味では」
にこやかな笑みを浮かべてそうのたまう開發さんに蓉子は呆れた表情を形作って対応する。
この組織に来て何度かコノハのテストにも同行した蓉子には、様々な手続きがそう上手く進むものだろうかという疑問が浮かぶ。
様々な書類が必要だったはずだし、様々な根回しのようなものも必要だったろう。
けれど、蓉子の所に開發からそれらの仕事は降りてきていないし、その辺りのマネジメント作業をする余力があるのは今の体制ではおそらく蓉子だけだった。
たぶん無理をしているのだろうなと見当をつけつつ、同時にまだそこまで信頼を勝ち得ていないのかなという思いも蓉子は心の奥底で抱く。
そんな内心を見透かされないように、蓉子から話題を変えることにした。
「それで、問題の図書館プログラムの件ですけど」
「そうだね、順調?」
「全然です。いえ、進捗はもちろんあります。というか、一番の難関で議題にあげようとしていた身分証明書をきっちりと開發さんが仕立て上げてくださったお陰で、心配の種がかなり消えました。最初偽造文書かと思いましたけど、手続きはされているそうですし。私図書館についての話題で、今日ほど心臓がどきどきしたことないんですけど」
多少抗議の意味も視線に込めてみたものの、開發さん相手には無のつぶてだった。
どこか飄々とした態度を崩さず、一枚の書類を取り出してくる。
「やましい事は何にもないけどね。所轄官庁からの許可は出てるし、擬態テストが失敗してもそういう実証実験ですので、ご協力お願いします的な要請書もったでしょ」
「持ちましたけど」
開發さんから事前に言われた通り、文書を作成して社内の法務部へチェックプロセスを通していたデータが手元に届いていた。いくつかの文言が修正され、注記が増えている他は概ね、蓉子が書いた文章だ。
「国ぐるみのところまで巻き込めた時点で選択肢は広がるからね。覚えておくといいと思うよ」
開發さんはそんなことをいいながら、実物も印刷してきたよとA4サイズのペーパーを取り出してひらひらと蓉子の目の前でふる。
それをクリアファイルに挟んで、受け取る。
「持ちました。持ちましたけど、ドキドキしますよ」
「いいね。コノハと奥村さんが吊り橋効果で仲を深めてくれたら、きっとこのテストは成功するよ」
それにしても、と蓉子は開發について思う。
最初のヨーグルトの印象がインパクト大だった為に、目につかなかった理系男子らしさみたいなものを最近になり、ひしひしと感じつつあるのだ。
石村が夢見るメンズと呼んでいたこの目の前の御仁――子供みたいなまなざしを持った大人の純粋な眼差しをした相手からの、なんでできないのという目線はなかなかつらい。
そんな事を思っていると開發さんが真剣な表情で蓉子に向き直った。
「結局ね、いざトラブルが発生したときは最後に頼れるのは奥村さんだ」
ゆっくりと噛んで含めるような口調で開發は言う。
(真剣な表情への切り替えがわざとなんじゃないかってくらいに早い。そして、タイミングがずるい)
そんなことを思いながら蓉子は聞かざるを得ない。
「僕たちも勿論バックアップに入ってる。でも、現場にいないということはどうしても一手の遅れを生んでしまう。だから僕たちが現場にいない以上、最終的な決定権は人間である奥村さんの手にある」
開發さんはそこで言葉を区切った。また、朗らかな表情になっている。
言っていることに間違いもなく、どこか開發らしい思いに満ちていたので、蓉子には頷くより他はなかった。
「まあ、失敗しても最悪はSNSでニュースになるくらいだよ。法務部とも連携はしてあるから、メディア対応の準備だけはしてあるし」
手回しの早い事でと思うと同時に、すごいなぁと開發を見ながら蓉子は改めて思う。
昔の蓉子だったら、なんで仕事でそこまで頑張れるのかわからなかったように思う。
けれど、開發や石村、テッレ。そして、本当に様々なチームの人たちがコノハの成長の為にがんばっている姿をここまで見てきているのだ。
自分たちのやりたいことをやれているから、自分たちの一人一人が自分たちのできる事を、自分たちひとりひとりでは出来ないことでも誰かやどこかと連携して、最善を尽くそうとするのだろう。それは、蓉子がかつてできなかったことだ。
週次定例にはたまにしか参加しないけれど、四半期に一度、山縣さん主催のプロジェクト全体ミーティングがある。
そこで、こういうことを言っていたことを思い出した。
『スチュワードシップ』
元々は、機関投資家の受託責任についての言葉らしい。他者から預かった資産を、自らの責任と名の誇りにかけて、真摯に運用する誓いの言葉。
山縣はプロジェクトにおいてもそれは同じなのだと語る。
人口知性は、フォン・ノイマンから連綿と続く地球外生命体ではないもう一つの隣人の可能性なのだと。その可能性の種を守り、未来に結実させるのがこのプロジェクトに参加することの意義なのだという。
ジョン・フォン・ノイマン。彼はハンガリーに生まれ、第二次大戦へのカウントダウンが進む暗い情勢の中、政権による弾圧を避けてアメリカに移り住んだ数学者で、「人工知能」という用語を送り出したジョン・マッカーシーに数々のアドバイスの贈り主としても知られる。
過去の人たちが繋いできた可能性を、広げ大きくし、未来へ受け継がせる。
そういう姿勢でプロジェクトに向かい合う事を期待します。
童顔で黒縁メガネというどこか愛嬌のある顔で山縣さんが、そう言って挨拶を締めくくると、自然に拍手が生じていた。
少し前の記憶から、目の前の開發さんに意識を引き戻し蓉子は力強く頷く。
「やってみせますよ。バックアップはお願いしますね」
「きちんと背中は預かるよ」
自然なやり取り、その裏には山縣さんや開發さんを始めとしたさまざまな人たちの想いが秘められている。
無駄には出来ないなと蓉子は思った。
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