第17話 総務省への申請
それから一ヶ月ほどは、特に何事もなくプロジェクトは進んでいった。
もちろん、些細なトラブルや技術的障害、進捗の遅れなどは日常茶飯事のようにあったけれど、それらを通していろいろなプロジェクトスタッフと対話する機会を得て、蓉子は知己を増やしていった。
それにはもちろん、周囲のプロジェクトメンバに対して、蓉子がより積極的に交流をするようになった事も影響している。
また、この期間の間に、前回の実地試験の失敗をリカバリするべく、素材系のチームが奮闘して、コノハが完全防水になったのが変化といえば変化だろうか。
そんなさなか、開發さんから今まではとはだいぶ異なる毛色のお仕事を任される。
お盆も明けと予告された蓉子のお仕事はいつもとはだいぶ毛色が異なり、開發さんの補佐役として官庁街へ訪問することだった。
意外な仕事内容に少しだけ内心でワクワクしつつ、蓉子はお盆休みに入る。
今年は、大学時代の友人たちとの予定が実家への帰省タイミングなどで上手く合わず、全員がそろう日程を調整して、一泊二日で京都嵐山を訪れた。
嵯峨野の竹林とトロッコ列車を見てみたかったというのもある一方で、近年リノベーションされた町屋に泊まってみたいというプランと軽井沢でグランピングをするというプランの二つが出て、話し合いの結果嵐山になったという次第で、結果的に満足する事が出来た。
蓉子自身も京都の旅に心を惹かれて票を投じつつ、旅行を通して一つの目的を持っていた。
それは、一緒に旅行に行く友人である霞が関で総務省勤務の奈々に、お盆明けのお仕事に関して質問をすることだ。
実は、訪問する先の香西さんという課長の所属部署と、奈々の所属部署が比較的近い仕事をしているようで、事前に情報を知っておきたかったのだ。
彼女は香西さんについて生憎と、名前は知っているもののどういう人かはわからないらしかったけれど、情報を集めておくという約束をしてくれた。
旅行が終わった後、お盆中に省内の友人知人に聞いてくれたのか、連絡があった。
いわく、かなりお堅い人とのこと。
そんなことを思い出しながら、蓉子は地下鉄駅「霞が関」に初めて降り立つ。
昼過ぎの地下鉄駅はそこまで人が乗り降りしているようには見えず、スタスタと先を進む開發さんに遅れないようについていく。
この部署に来てから、初めての名刺交換のチャンスに多少浮き立っているのは否めない。
「そういえば、総務大臣の方は弊社のプロジェクトみたいなのに、積極的に関与して得点をあげたいみたいなことはないんですか」
開發さんに純粋に気になった事を聞いてみる。
「弊社の件なんかも、報告は上がってるだろうけど実際の内容は伝わってないと思うよ」
世間一般でのいわゆるAIについての所管が総務省になっているお陰か、そのなかの十把一絡げになっているのだという。
AI、つまり人工知能を利用した産業は現在成長期にあり、人口減少に苦しむ日本においてかなり魅力的なものらしい。
「階段どっちですか」
階段の手前で、時間を確認した開發さんに話しかける。
開發さんはちらりと腕時計をちらりと眺め、口を開きながら歩き出す。
「左手が外務省、右手が総務省。うちは総務省だからこっち」
開發さんの腕時計は、パテックフィリップやオードマピゲではなく、アップルウォッチだった。
官庁訪問だけれど、開發さんらしく格式ではなく実用性で選ぶらしい。
さもありなんと納得して、蓉子は後に続く。
ちなみに下手な時期に外務省や文科省などの方面に出るとデモ隊に巻き込まれる可能性があるから注意とのこと。
階段を上がると、すぐに庁舎の目の前に出る。流石に、中央官庁というところだろうか。階段の出入り口の位置を自分の会社や部署の近くまで伸ばすというのはなまなかなことではないように蓉子には思われた。
手慣れた手つきで開發さんが来庁手続きをして、そのまま少し待つことになった。開發は持ってきていた別の書面を早めに読み終えてしまいたいらしく、自分の世界に没頭してしまった。
蓉子としては、このまま幾ばくかの時間が過ぎることは、初めて訪れた官公庁を観察するうえでは願ったりのことなので、静かにその場に佇んで待つ。
ほどなくして現れた中年の男性に案内された先の会議室に入ると、痩身の女性が立っていた。
開發さんが軽く頭を下げるのに併せて蓉子も倣う。
「はじめての子だね」
「香西さん。こちら、私の補佐に入ってもらった奥村です」
開發さんに紹介してもらい蓉子は相手と名刺交換を済ませた。
名刺入れの上に相手方の名刺を置くと、開發さんが早速話を始める。
「今回の外出計画は事前に提出した通り、図書館に行くことになります」
官公庁でも近年進めているらしいペーパレス化の一環で、お互いにタブレット端末を持っての会議となった。
開發さんは鞄から小型の短焦点プロジェクタを持ち出して、壁際に自信の端末の拡大画像を表示する。
お役所系はいまだにBluetooth無線接続もないモニタが多くてね、とここを訪れる前に虚し気にそう言っていた事を思い出す。
(開發さん、意外とガジェット持ちなんだ)
「外出手続きの書類は受領して、認可はお出しすることができますが、今回は今までとは異なるリスクが二つあるように思えます」
あまり化粧っ気のないながらも綺麗な肌をした局長はそういうと、ピンとした背筋を伸ばしてリスクを丁寧に指摘した。
「一つ目は、外出での初二足歩行という点です。後述する人相手のコミュニケーションをとるという事と重ね合わせるとどうにも不要なリスクのように思えます。例えば片方だけならば、こちらとしても認可を出しやすいです」
車椅子で行って、図書カードを作るプラン。あるいは二足歩行で図書館を訪れ、図書カードは作らずに帰ってくるプラン。どちらかであれば、と補足する。
「それは厳しいご意見ですね」
黙って最後まで聞き届けた後、楽し気に開發さんは言う。
するとそれを切っ掛けにしたのか、場の雰囲気が変わる。
少し砕けたような言い方で相手に開發が話しかける。
「香西先輩。同じ研究室の誼じゃあないですか」
(この人、悪い大人だ)
驚いた――というのが蓉子の素直な気持ちだった。
誼というあたりまで開發さんが言ったタイミングで、蓉子が思ったことをそのまま表すとそういうことになる。
どこか偽悪的な雰囲気を漂わせるその姿に腹立たしさを感じたが、黙っていた。
開發さんの目が真剣だったからだ。
だからこれは、開發さんが腹芸をしているという意味での驚きだった。
そういうことが出来ない人だと蓉子はどこかで思っていたから、何故だか裏切られたようにも思ってしまったのだ。
だけれど、思い直せば夢を追う大人は、少し悪い人くらいでちょうどいいのかもと、考えた末に思い直す。
香西もそんな偽悪的な様子を心得ていると言わんばかりに少し不機嫌な表情になって話を続けた。
「私は現実的なものの見方をしているの。開發君」
どこか、やれやれという思いも含めた上で相手方の香西さんも少しだけ親し気に開發を呼んだ。
蓉子にとっては香西さんは初めて会う人物なので当然だともいえるが、どこかしら緊張をはらんだ空気があるのだ。
それと比較して、開發さんと香西さんの間の空気は気心のしれた間柄の相手とポーズだけは喧嘩をしているような、どこか予定調和のような何かを感じられる。
それこそ、ただの先輩と後輩の間柄ではなかったような。
助け舟なのか、あるいは自分の中ではっきりさせておきたいことを明らかにするために、お二人は同じ研究室の先輩、後輩なんですねとは聞いてみたかったけれど、聞けなかった。二人ともまだ目が笑っていないからだ。
「とはいえです。香西先輩の前だ。二足歩行の方は諦めましょう。図書館ではね」
にらめっこのような構図になってから、幾ばくかの時間が経過して、開發さんが折れた。
ほっとして、蓉子は大きく息を吸った。そこで、自分が息をひそめていたことに気づく。けれど、香西さんはまだ戦う構えを解くわけではないようだった。
「図書館では、というのは非常に気になる言い方ですね」
意味ありげな言葉尻を捉えて、鋭い視線で開發さんを射抜く。
その視線の鋭さに開發は肩をすくめた。
「文字通り、今回の図書館プランでは、諦めるという意味合いです」
「図書館の外では話は別というようにも聞こえるのだけれど」
「それはまあ図書館の外なので。卵をひとつのカゴに盛るなというのであれば、困難は分割しなければ」
許容可能なリスクとして扱うことができ、解決可能な単位へとね。そう言って、別の今日の会議用フォルダとは別のフォルダに格納されていたデッキを開いた。
頷きながら香西は開發が画面に映すものとは別に手元用の資料を圧縮したものを選択肢、香西さんへとメールで送り出した。
香西さんが手元の端末でそれを開き、声を上げた。
「これは」
そういえば、コンサルタントが背景の人はパワーポイントのスライドをお絵かきと呼び、広告代理店がバックグラウンドの人はデッキと呼ぶ傾向があることを蓉子はこの部署に来てから知った。
デザイナーがいる場でお絵かきをできるかと聴いたりすると、お互いにお互いの理解の下で話はじめたりする悲劇が生じたりもする。
書記をして議事の内容を自分の端末に記載しながら、蓉子はどこか置いてけぼりになっている自分を自覚して、目の前の事とは関係ない事を考えていた。
「一方はこれで十分だと考え、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生むのでは」
開發さんがそう口にしながら新たに見せたそれは、香西さんの意見を肯定するものだった。
「こういう駆け引きをするくらいに、あなたはこの事業に真剣に取り組んでいるという事は分かったわ。でも、出来るものと出来ないものがあることは分かってちょうだい」
「香西先輩の言う通りです。僕もここは引きますよ、香西先輩の意見に沿ったできる案というのも、すでに持ってきていますしね」
手厳しいという表情を浮かべる開發さんだが、声はどこか明るい。
「あなたがいた時代の先生のご苦労が偲ばれるわ」
「そうですか。案外、楽しそうだったと思いますけどね」
「あなたが、夢を追いかけて実現しようとする世界は、こんなところで躓いてはいられないものでしょう。新たな計画は受領しました。十数日以内には認可を出せるでしょう」
やはり数日単位では比較的簡単だと思われた外出認可でも下りないらしい。スピード感というよりも必要な手続きの数が多いのかなと見当をつけて納得しながら、情報端末などをお互いに仕舞い始める。
それから数件の簡単な事務連絡を交わしてから会議は散会になった。
開發の後に続き、礼を言って会議室を出る。
「ちょっとお待ちなさい、奥村さん」
はい、と反応して蓉子は香西さんの方へ向き直る。なんだろうか、と思っていると近寄ってきて耳元で囁かれる。
「彼、最近は何か焦っている気がするから、あなたがよくサポートしてあげてね」
どういう意味だろう、と振り返ると香西さんはすでに会議室を出て別の方向へ動き始めるところだった。
軽く背中越しに手を振られている。また、来なさいと告げられているようだった。
開發さんの焦り。なんだろうかと疑問に思いつつ、エレベーターホールまで戻る。
香西と何か話してたね、などという事を言われることもなく開發さんは携帯端末でメールを打っていた。
こちらが戻ってきたのに反応して、開發さんがボタンを押下する。
特に会話は発生しなかった。
エレベータの中で、香西から言われたわけではないけれど、今日の話を反芻する。
書類で組織を動かす人と、権限を委譲されある程度の部分まで自分の裁量で動かせる人の価値観の摩擦だと思った。
(香西さんは香西さんでここまで昇進してきた中で培ってきた価値観と自負があるのだろうし、開發さんは自負はなさそうだけど、実現したい世界と必要な手続きみたいな部分が見えている)
今回のテストが当初計画通りにいかず、二つ設定した目標の内の片方しか実現できなくても恐らく開發は困らない。
全く困らないというわけではないと思うけれど、スケジュールを組み替えるのは比較的日常茶飯事だ。
そして、まさにそういう計画分野を、開發さんは院の時代から研究し経験してきている。
開發さんがこの話で折れたのも計画通りなのだろう。どちらかというと、今回の件は貸しというと変な表現かもしれない。
ただ、そういったものを相手に作ることを狙ったように蓉子には思えた。
現在の状況において、管理されていない環境下、しかも不整地での二足歩行と上下動はコノハにとっても技術陣にとってもそれなりにチャレンジだ。
一方で、ソフトウェア的な面でもコノハの擬態性、ある程度手続き的なメソッドがある。
とはいえ部署外の第三者への対人での積極的な会話はハードウェア面に比べれば難易度は低い。
それでも、初テストである以上は慎重に行うべきものだという事が蓉子にもわかる。
ただどこかで、急ぎすぎている感覚を覚えたのだ。
香西の言っていた焦りというのはこういう話なのだろうか、とどこかで得心する。
開發さんは最近、働きすぎているようで、どうにも顔色が悪そうだったというのもその感覚を後押ししていた。
また今度、何人かでご飯にお誘いしようと蓉子は思いながら、開發さんと二人でタクシーに乗り込み、帰社の途についた。
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