第16話 見直す
日に日に暑さを増す、とある日のランチタイムで久しぶりに蓉子は外食へと赴いた。
それは、開發さんを誘ってのランチだった。もちろん、誘った理由はある種の覚悟を、決めたからだ。
ランチ場所は美味しいと評判の個人経営の洋食店で、オフィスから十分と少し遠い。周辺企業のお昼時間と被ると行列ができる為、早めに出てきている。
蓉子は歩きながら、考えてきた話をどういう風に開發さんに切り出そうか考えていた。
ただ、職場から離れるとぼけっとする様子で先を歩くその先輩の後ろ姿を見て、蓉子は思い直す。
さりげなく、そしてしれっと言ってしまおうと思ったのだ。
気構えずに、あるがままで。
「開發さん、以前のコノハのプライバシーの件です」
先を行く背中に声をかける。いまはそれだけで伝わる。
「うん」
振り向かず歩みを止めないその背中に、蓉子は続けて話しかける。
物理的な距離はほんの数歩なのに、その声はどこまでも平坦で、距離の遠さを感じた。
「私は私なりのやり方でついていってみせます」
「そうなんだ。ありがとう」
案の定というか、職場の外では覇気のない返事だった。開發さんは仕事の時と仕事から離れた時で雰囲気は変化せず、シームレスだ。
けれど、仕事をしていない時にはより思考に比重が傾いてしまうのか、かなりぽややんとした反応ばかりになってしまう。
ここ数か月マンションで挨拶したり、仕事をしていく中で開發さん仕草として、学んだことだ。
どこか自分自身との類似性を感じて、蓉子は内心苦笑しつつ、どこか予想通りの反応に安堵する。
これはありふれていてなんでもないような、けれど大切なやり取りなのだ。
開發さんの反応はとても簡素で、そっけないものだったけれど、もやもやとした何かは固まって、蓉子の中の空白を少しだけ埋めていた。
蓉子は結局、開發さんを信じることにした。
だから、その為にも、もう少しだけこの目の前の御仁の事を知ることも大切だと思っている。
「開發さんはそういえば、なにが切っ掛けでこのプロジェクトに携わっているのかって、前聞きましたよね」
短めな横断歩道で立ち止まる。周囲のスーツ姿の男性たちが足早にわたっていくのを横目に、開發さんは立ち止まっていた。
追いついて、自然と少し下がったところに蓉子は立ち止まる。まだ、横に並ぶのは早いとそう思うからだ。
「うん、山縣さんの話をした時だね」
蓉子が停止したのを見計らったタイミングで会話の続きが始まった。
開發さんはどこか遠い昔を思い出すような声を出す。
「そもそもどうしてだったんですか。山縣さんの誘いに乗ったのは」
山縣さんと開發さんの関係というのはどうにも謎な部分があるように蓉子には思えた。
なんとなく、二人の馬が合いそうな感じはするけれど、実際のところはどうなのか少しだけ興味もあった。
いわゆる男性同士の友情というか、信頼関係のようなものが見え隠れするのだ。
男性の視線を基本的に遠ざけようとしてきた蓉子にとって、比較的安心できる存在として二人がいる。
その二人の関係性というのは、仕事の為にも、あるいは自分の為にも知っておきたいと思った。
「僕は、昔ドラえもんていう作品を泣きたくなるくらいに渇望していてね」
意外なといえば、意外な切り口だった。そして、蓉子としても自分で聞いておいてなんだけれど、結構深い所を話してくれるのだなという驚きも同時にある。
「山縣さんからちらりと聴きましたけど、意外な印象でした」
まだ、信号は赤だ。短い横断歩道だというのに、反比例するように信号待ち時間は長い。
ただ、今はそれが有難いとも思った。
開發さんはそうかな、と柔らかく微笑みつつ、そんな大した話でもないよ、と素っ気なく言った。
けれど、仰ぎ見たその横顔は、どこか遠いまなざしを湛えながらこう続ける。
「うちは共働きでね。両親ともにほとんどいなかった。まあ、僕も別に両親がいなくても図書館に行ったり、自分で興味のあることを追い続けたりしたからいいんだけどね」
そこで言葉を区切る。どこか美しいというより整った顔立ちに乗っているのは哀愁の表情だった。
「いいんだけど、代償行為とでもいうのかな。ドラえもんがすごく好きだったよ」とそんな風に開發さんは続ける。
なんとなく話が脱線しているようにも思えたので、蓉子は失礼かなと思いながらも単刀直入に合いの手をいれてみる。
「えっと、あのすみません。それは話が繋がっていますか」
「ごめん、懐かしくなって唐突な話になってしまった」
はっとしたように開發さんは謝り、少しだけ漂っていたぴりぴりとしびれるような空気が弛緩していく。「ドラえもんってさ、のび太のすぐそばにいるよね。のび太がジャイアンにいじめられた時も部屋に帰ってきて、彼は言うんだ。どらえもーんって」
再び話始めた開發さんの横顔は、先ほどとはうって変わってなにかに熱中する子供のようで、悪くないなと蓉子は感じていた。
ただ、語っている中身がドラえもんというのは人を選ぶかもしれないけれど、と少しだけそう思う。
開發さんの話は続く。
「それって、そこにドラえもんがいるってことがすごく当たり前だからなんだよね。のび太にとって、自分の部屋にはドラえもんが漫画を読んでいたり、ごろごろしていたりするのがさ」
蓉子は開發の言葉を聞きながら自分自身の育った環境を思い起こしてみた。奥村の家の環境は客観的に見て幸せだといえる。両親がいて、兄と妹が一人ずついる。
途中四年間は合衆国で暮らし、蓉子の場合は大学時代の途中で編入することになった。もちろん世の中にはいろいろな考え方があり、一概には言えないものの、多分幸福な部類だ。
だから、その作品を見てもそこで描かれる家庭環境について、特に思う事はなかった。だけれど、開發の場合、あるいは羨ましく思ったりという場合もあるかもしれないと思うくらいの想像力はあった。
「そういう存在がほしかったというわけですか?」
両親がいなくて、鍵っ子だったという話を聞いて家に誰かがいてほしかったのかなと思ったものの、開發の反応を見るとどうにも違うようだった。
(そもそも、そんなある意味で当たり前の反応を返すような人が、こんなある意味で変な人にはならないか)
そのことに自分で言っておきながら気づく。
「もうちょっと僕は捻くれてるかな。そういう存在がほしかったのは確かだ。でも、どちらかというとどういう世界が見えているのかを知りたかったかな」
「それは……」
「ドラえもんの性能であれば、のび太の身長・体重・体型なんて、すぐわかる。SF映画を参考にして云えば、もしかしたら将来の犯罪者になりうる要因や因果関係の計算式も完成しているかもしれない」
そこまで一息に行って、想像がつくかなと柔らかく微笑んで蓉子に対して、開發さんは問いかける。
子供の頃のありのままの見方ではない、大人の見方を。
それは子供の頃に少しだけ見たドラえもんとは、全然違った景色だ。
黙り込んだままの蓉子の様子を見て、開發さんは言葉を続ける。
「つまり、どういう人間が犯罪者になるのか、どういう事件が起こるのかもデータさえ用意しておけばわかるよね。そういう可能性を秘めていながらもでも、ドラえもんはのび太と友情をはぐくむにとどめた。それが僕には好ましい」
いくつもの手段を取りうる立場にあった未来のロボットの最終的に選んだ選択肢が、『見守る』という最も牧歌的な手段である。
そんな事実が少年期の開發さんの心に影響を与えたのだという。
「なんだかちょっと、悲しい話ですね」
何故だろうか。心の底から湧き上がってきた感情をそのまま口にした。蓉子には自分でもどうして、そう思ったのかは分からない。
「悲しいかな。興味深い話だと思うけど」
信号が青になり、周囲の人間と動きを同期させて歩き出す。
洋食店までは、そこから数分で辿り着く。たどり着いた後は、三人ほど待っていたので無言で並んだ。
お互いに、さきほどの話の続きを切り出さない。
数分が経過し、前の人間がいなくなって席に案内されランチの注文をした後で、蓉子はさっきの話の続きを切り出した。
洋食店としては席は広々としていて、周囲との間にもやや広めの空間が広がっている。
「ドラえもんが世界をどうみていたかはまあ、置いておくとしてですね」
話がまた脱線したような気がしたので、本論に戻す為にいったん蓉子がブレイクをいれる。
「おいていかれちゃうんだ」
開發さんがきちんと言葉を返してくれることに少しだけ嬉しくなる。
けれど、茶化すような言い方をたしなめるようにこう言った。
「茶化さないでください。なんというか、単純に開發さん、やっぱり寂しかったんじゃないでんですか?」
その時の開發さんの顔は見ものだった。数秒微笑みのままでフリーズして、瞬きの合間に表情が消えていた。どちらかというと放心とか無心に近いのだろうか。
常に穏やかな表情をしている人から笑みとかそういうものをそぎ落とすと、ちょっと怖くなるのだなと蓉子はその時に知った。
別に開發さんを傷つけるつもりはないのだ。ただ、話始めてしまったからこのお話をどこかに着地させたいという気持ちだけで、続きを蓉子は口にする。
「ドラえもんがほしいっていうのが通り一遍のありきたりというと変かもしれませんけど、普通の答えだと思います」
開發さんは黙って蓉子の言葉を聞いている。開發さんにとって幼少期の記憶を抉られるような感覚かもしれないのに、不機嫌な様子もなく蓉子の言葉を単に言葉として受け止めている。
「でも、違ったんですよね。ドラえもんの視線が知りたいって、小学生ではなかなかでない発想だと思います。そういう発想が生まれたとしたら、大人になりたかったんじゃないかなと私は思いました」
一息に蓉子はそこまで言い切る。それに対して、開發は静かに口を開いた。
「大人?」
「ドラえもんて、私にとっては大人というか、なんでしょうね。おじいちゃんやおばあちゃんのような扱いなんですよ」
蓉子は両親にはそれなりに叱られたけれど、祖父や祖母は甘やかしてくれた。なんならお小遣いだってくれる。
小学校の時はドラえもんはのび太たちと同じ子供的な立場だと思っていたけれど、中学高校と進んでふと何かの切っ掛けで振り返ってみると、孫が訪れると精一杯甘やかしてくれる姿とドラえもんが重なったのだ。
だから、一呼吸おいて表情を動かさずにただ開發の双眸を見つめて、話している間に蓉子の内心で考えが固まり、練りあがったその言葉を口にする。
「大人として、自立して両親と対等な立場に立って、話したかったんじゃないかなーと」
気づくと開發さんは真顔から復帰して、おもしろいものでもみたかのような顔をして蓉子を眺めていた。
店内は満席でがやがやとしているにも関わらず、蓉子にはしわぶきひとつ立たない無人の舞台に立っているかのような錯覚に襲われた。
開發は眦一つ動かさず歪んだ形のよい唇を動かして、固まっている蓉子に告げる。
「お話はそれで終わり?」
「はい、そうですけど」
タイミングがいいのか悪いのか、お互いの席に注文したハンバーグステーキがセットされる。
お互いに先ほどまでの状態がリセットされ、改めて先ほどまでの話がお互いになかったかのように仕切り直される。
「奥村さん。そういえば、何学部だったの」
「文教育学部ですけど」
「そうか。いや、なんでもない。でも、面白かったなぁ」
これは図星だったのだろうか。それとも、的外れだったのだろうか。開發さんの楽し気な表情からはうかがいしれにない。
笑いながらでもこの人は、ナイフ捌きが上手いのだということは分かった。
そんなことを思っていたからだろうか、意趣返しのような開發さんの言葉に思わず吹き出しそうになる。
「それにしても、奥村さんは食べ方が上品だね」
「なんですか、急に」
「いや、一切れたべる度にさ、利き手じゃない方の手を口に当てて食べてるから」
開發さんは意外に男性らしい食べ方をしているのだなとは思っていたけれど、蓉子の側は特に上品に食べていると意識はない。
両親は特に厳しいしつけをする人たちではなかった。
むしろ、今でも通っている裏千家の先生の方が厳しい。ネイルも落とし、ピアスも全部外さなければならないのでお稽古の前日は少しだけ憂鬱な気分にもなる。
「開發さんは意外に男らしい食べ方されますよね」
とはいえ、別に海賊のように大口を開けて食べているわけではない。
ただ、ながら食べとでもいうのだろうか。この人の場合、メインのタスクを処理する傍らで栄養補給している感が強いのだ。
「前にも行ったけど朝とかはヨーグルトだからね。ながら食べはマナーが悪いということもわかるけど、こればかりは効率の問題かな」
別に開發さんの生き方に口をはさむつもりはないが、栄養面は大丈夫なのだろうかと多少なりと心配になる。
「シリアルとかではダメなんですか。そっちの方が栄養がありそうな」
「シリアルとかスーパーフードみたいなやつも試した時期あるけどね。あれって、五工程あるから」
お皿を出す。シリアルをお皿に開ける。牛乳を冷蔵庫から出す。牛乳を注ぐ。かき混ぜる。
まあ、確かに五工程はあるかもしれない。お皿を洗うことも入れたらもっとだろう。
「ヨーグルトはさ、冷蔵庫から出してふたを開ければ食べられるし、そこにプロテインをふりかけみたいにかけても、シリアル食べるよりは短いんだ」
なんという子供みたいな事をいう人なのだろうか。熱弁する姿に失礼ながらもそんなことを考えてしまった。
そういえば、と今日改めてコノハと向き合った感想のようなものを開發さんに話す。
「コノハは何というか、お嬢様みたいですね」
物腰が柔らかく、茶の湯やお花までできるようになろうとしている。
実家に相当する弊社も太いときたら、お嬢様といってみてもいいような気がした。
「うちの会社なら、君もそれなりにいいとこのお嬢さんでしょ」
そうかなといった後に水を向けられる。
「いえ、そんな感じでは」
「大学はあのティーパーティーを常にやってそうなとこじゃなかったけ」
蓉子の出身である女子大学は確かにそういう風な諧謔の対象になる名前だけれど、別に年中ティーパーティーをしているわけではない。
「私、でもあの大学二年間しか在学してないんです。高校二年生の頃から四年間アメリカへ行っていたので」
それだと、大学三年生で編入ってことか。そんな時期にっていうのは、と何か口ごもるような事を言いかけ、意を決したのか開發さんは続きを口にした。
「すごく微妙な時期だね。ご家族の仕事の都合とか?」
「はい。父が商社の仕事関係でアメリカに赴任したので、それに家族ごとついていくことに」
それは、何とも言えない苦い記憶の一つだ。高校の二年生の初めにそれを私は知らされて、クラスメイト達が修学旅行の計画を練っている中、引っ越しとなった。
反抗期らしい反抗期というものをした記憶はなかったものの、その時は初めて本気でグレようかと思ったくらいで、父とは一切口を聞かなかったことを覚えている。
それとは反対に、子供向け知育玩具のデザイナー母は、その留学をきっかけに仕事を辞めて在宅ワークというかフリーランスのような形になった。
元の職場と契約を結んだらしく滞米中は寄り添ってくれたので、とても感謝している。
「学部も院も東京だから、そういう話を聞くとちょっとだけ興味深い」
それからは、お互いの大学時代の話などをして、おだやかにランチの時間が過ぎていった。
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