第14話 気まずさからの逃避

 どうやって部屋に帰ってきたのか、覚えていない。

 正確には覚えているけれど、どこか遠い薄霧のようなもやがかかる。


 これは、蓉子が集中しているときによくある傾向だった。昔から、悩みごとがあるとそれに極度に集中する。

 一応、その間でもご飯を食べたり、改札を潜ったり、メールを書いたりは出来る。

 ただ、どこか心あらずな状態になるだけだ。

 いまはいろんなことを思う時間がないぐらい会社にいる時間が蓉子は好きだった。

 仕事に疲れて同じプロジェクトチームに所属する様々な方々とたくさん話して、週末には体を休ませるというシンプルライフ。

 意図してそうした生活を送ってきたように思う。

 暇さえあれば思い込むタイプだから、だからちょっとしたもやもやを考えないようにしていたことをぶつけてしまった。


(開發さんはどう思っているだろうか)


 化粧を落とすこともせず、そのままベッドにダイブする。

 この前の掃除の時に模様替え代わりに出した、クジラ型の冷感クッションに頭を埋める。

 埋めたままの姿勢で、あとでメイクがうつっちゃったところを拭かないとなと思いながら、今日会ったことを蓉子は反芻する。

 まず初めに開發の顔が浮かんだ。それから一拍置いて、コノハの顔が浮かぶ。

 そうしてからどうしても、どういう表情を浮かべたらいいのかわからなくなった。


「不味いなぁ。いや、ほんと不味い」


 蓉子以外誰もいない部屋の中で図らずも声をだしてしまう。

 自覚症状はある。改めて聞いた開發さんの真摯な言葉は、蓉子の中の古くやわらかい部分を着実についたのだ。

 それは蓉子の中で育っていったもやもやだ。

 だから、なにも言い返せない。言い返す必要もないのだ。


(どこかで私も思っていたかもしれない事だから)


 どこか共感を覚える小説家の書いた好きな作品。蓉子がその作品を好ましいと判断するタイミングというのは、自分でもんぼんやりと考えていたことが、概念として、セリフとして、登場人物の生きざまとして、その物語の中に出てきたときだ。

 この人はああ、私の考えたことをとっくに考えていて、そして文字の形で結晶化できる人なんだ。

 そんなことを思って、蓉子はうれしくなる。

 つまり、それはその人のファンになると言い換えてもいいのかもしれない。

 子どもの頃に通っていた馴染みの駄菓子屋でお気に入りの駄菓子を見つけた時みたいに、そうした文章を見つけると、頬がどうしても緩んでしまう。

 身もだえる。

 開發さんがかつて、蓉子に語った言葉のうちのいくらかはそういう類のものだった。

 そして、同時にそういう同じことを考えている彼が、蓉子には許容できない考えをしていたのがどうにも許せなかったのだ。

 もちろん、勝手なことだとは思っている。

 人間が常に白黒はっきりした考えを持っているような生き物ではないし、そこに幻滅するということも普段ならば、滅多にない。

 だから、蓉子としても驚くべきことに、いま頭でわかっている事と直感にも似た心の想念が一致していないのは、珍しいことだった。

 開發さんは、蓉子にとって自分の考え方にカタチを与えてくれる人だ。その一方で、与えられたカタチに真っ向から反するような言葉を悪びれもなく言い出していた。

 矛盾に、右顧左眄する。

 そこまで考えてから、一度深呼吸をしてベッドに寝転がった。右腕を額の上に載せて、天井を見つめる。


「人口知性は、モノか、パートナーか」


 ゆっくりと今日の昼間の会話を回想する。その上で、開發さんと口論した言葉を一語一語、噛みしめるように発音した。

 何がどうして、ここまで感情が散れぢれになっているのだろうと蓉子は思う。

 思ってから、明白なことなのだと、はたと気づく。開發さんに、精神不安定な女だと見られるのが嫌だったのだ。

 だから、次に向き合うときまでには、自分の中できちんとした考えを纏めておきたい。

 考えがぐるりと一周して、開發さんと同じ答えに蓉子が行きついたときは、それはそれだ。素直に謝ればいい。


 現実的な見方をするのであれば、このままブレ続けたら、ある種の優しさを持つ開發さんは、山縣さんにプロジェクトから私を外すように上申する。それもごく短期で、確実に。

 優しくフィットしない人間をプロジェクトに残すよりも、他の場でパフォームする事を促す人だ。すでに一人、促されてプロジェクトを卒業していったた事例を見ていた。

 あるいは、卒業まではいかなくとも、プロジェクト内で別のチームに異動になるかもしれない。


 プロジェクトマネージャーである開發さんの権限は強い。そのくらいは比較的簡単にできることだろう。

 でも、それだけは嫌だったのだ。

 もう、コノハプロジェクトは手掛け始めた自分の仕事だと思えた。


 今のプロジェクトは、福岡でのプロジェクトの失敗以来、なんとなく仕事をしてきた蓉子が初めて本腰を入れて取り掛かることのできる仕事なのだ。

 つい最近まで、誰かに自分の仕事を誇ることは出来なかった。

 けれど、今ならできる。


 だから、きちんと自分の中で答えを見つけて、それを羅針盤にもう一度、開發さんと話そう。

 蓉子は、そう心に強く決める。

 方針が決まると、なんだか心まで軽やかになった感覚があった。どれだけ思い詰めていたのだろうかと、内心苦笑する。

 そもそも会社的に見たら、とんでもないポカだなと、蓉子は思った。


 今後の為、さらにはコノハを守るのに必要なデータを取得する為に、いくつもの測定手段を用意してそれを取得しているのだ。

 そして、現状の法制度下において、コノハはモノだ。人権や生存権、あるいは人類の近代史の中で時に闘争を経て勝ち得てきた権利の対象にはならない。

 対象にならないからこそ、想定される脅威に対して監視することで防止する。

 そういうことを、開發さんは言いたいのだろう。


 そこで、そういえばとひとつの疑問を抱く。なんでコノハはティーンエイジャーの姿をしているのだろうか。


 ベッドから起き上がって、会社支給の情報端末を立ち上げる。

 一定以上のセキュリティ・クリアランスの高い資料はみれないが、週次定例やプロジェクト計画の資料は、大したセキュリティ・クリアランスでもない為、自宅からでも閲覧が可能だ。

 過去に開發さんから送られてきているメールから、該当の資料パスを見つけ出す。

 当然、それはメールの最上部の分かりやすい位置にあった。

 以前は、存在を教えられたもののどちらかといえば概要やスケジュールの把握といった部分に、蓉子の関心が置かれていた。

 だから、デザイン面には特に触れることはなかったのだ。

 数分後、ほしい情報の箇所を見つけ出す。


「あった。プロジェクト計画書」


 コノハのプロジェクト計画書の初版作成日は今から五年前の日付で存在していた。作成者は連名で山縣さんと開發さんの二人の名前が記されている。

 スライドで百枚以上にもなるそれを時間をかけて丹念に読み進めていく。デザインのことだけではない、他の様々な記載も見逃さないように。

 意気込んではいたものの、知らない事が出てきて、これまではポーズだけできちんと向き合えていなかったことを自覚しながら読み進める。


「石村さん、初期からいたんだ」


 初期の体制図――おそらく最初の提案資料から引用されてきたものだと思う。

 そこに記載されたプロジェクトメンバの中に石村さんの名前もあった。それからも、ページをどんどんと送っていく。


「ここだ」


 そこには、基本理念として、ドラえもんを規範としてという一文が明記されていた。開發さんが押し通したのだろうなと自然に蓉子の頬が緩む。

 資料を作った人間を知っていて、しかも一緒に仕事をしたことがあるような人だと資料の構成や記載の中にその人独自の癖をみつけて、なんとなく資料自体に親近感が沸く。

 度々見つける癖に内心にんまりとしながら、詳細なコンセプトプランなどを読んでいく。

 一時間か二時間か。そして、読み終わった。冷め切ったカップの中身を飲み干してから、どこか放心したように蓉子はつぶやいた。


「そうか、アイボと同じなんだ」


 犬型ロボットとして二桁年月のキャリアを持つアイボは、あるタイミングで家庭のセキュリティ担当という側面を持つようになった。

 赤ちゃんがいる家庭では、成長記録としての自然な姿での写真を撮り、健康状態をモニタリングして緊急時には親へのホットラインを送るようになっている。


 コノハは、元々のコンセプトがアイボの持つ側面『共に在り、寄り添う』に近い。

 彼女が存在する理由、それは芸術性の保存だと開發さんはかつて、蓉子に語った。

 美術や音楽を熟練の域まで、あるいは天才として若くしてその域に達した人の世界の限界を押し広げようとする国宝級、あるいはそれに準じる人たち。

 彼ら、彼女らの技術をブラックボックスのままに、習得し保存する。

 そのために、教え子として、弟子として。あるいはそれらの存在のライバルとして。将来の可能性を感じさせる存在としてコノハは誰かの技術を接ぎ木のように継いでいく。継いだ先に広がるのは、技術の伝承、伝播だ。途絶えさせず、それを消化する為に、コノハから誰かへまた技術の伝承を繋げていく。

 その為に、誰からも嫌われにくく、そして教えを受けるのに過不足のない手足の長さを持つ年齢設定として、コノハはティーンエイジャー後半に設定されたと記載がある。

 開發さんがかつて語っていた研究テーマに非常に近しいように蓉子には思えた。このコンセプトを立案したのはきっと開發さんだろう。

 同時にスキルの継承。わからないな、とも蓉子は思う。


 自分の培ってきたものを誰かに受け継がせるということはいい事だと思う。ただ、それほどの価値があると人に認められるほどのスキルをもたいない身では、想像の埒外だ。


「あー、でもそうか」


 夏目漱石や太宰治が今も生きていて、小説を書き続けていたら彼らは何を書くのだろうというIfを考えたことくらいはある。

 それと同じように、素晴らしい演奏家、作曲家の技を彼ら、彼女らが没した後も味わいたいと思う事はきっとあるのだと思う。

 彼ら、あるいは彼女たちがその先へ進んだら、どこへ辿り着いたのか。


(この情報を踏まえた上での、――私のこのプロジェクトでの役割)


 改めて自分の立ち位置を認識する為に、内心でつぶやく。

 開發さんの補佐をして、様々なチームのコミュニケーションを促進し、上手く連携させてコノハプロジェクトのパフォーマンスを上げることだ。


 コノハのプライバシーやらを考える事は職務外といえる。

 チームとのコミュニケーション。考えてみれば、週次定例で顔を合わせる以外ではこのプロジェクトにかかわる人たちに話をきちんと聞いたことがなかった。


 コノハ自身にも。話を聞いてみたいと思った。そう考えると一人で悶々としていたのが馬鹿らしくなってくる。

 部屋の隅に置いてあるスマートスピーカーに声をかけて、入眠用の音楽として静かなジャズを流しながらその夜は眠りについた。


 明日から、前向きに生きていこうと思いながら。


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