第13話 ヒトかモノか

 コノハのメンテンナンスルームを一望できる部屋にはモニター設備があり、各種計器類が確認で出来る。

 実は、蓉子がここに入った機会は何度もない。どうしても気分が乗らないときにくるといいよと石村から教えられていたものの、いままではいろいろと順調で忘れていたくらいだった。

 千々に乱れた思考が少しだけまとまり始めた気がした。


 そこで紅茶と珈琲を一つずつサーバーマシンで入れてきた開發さんが入ってくる。

 振り向いた先には、石村さんの姿。一瞬、蓉子がみたことに気づくと片手を少しだけこちらに向けてひらひらと振った。

 苦笑いをして、蓉子は近くまで歩いてきた開發さんに目を転じる。

 開發さんは持っているカップを二つ前に差し出しながら、いつもの調子でどっちがいいと問いかけてきた。


「コーヒーで」


 蓉子はそう言葉少なに答える。そのまま開發さんから珈琲を受け取った。

 一口つける間に蓉子の隣、人が一人分座れる隙間を挟んで、開發さんは座る。その妙な距離感に、先ほど怒ってしまった自分を思い出す。

 そんな内心の苦笑を見透かしたのか、開發さんは座って珈琲を飲むばかりで、口を開こうとはしなかった。

 蓉子もなんともいえない気まずさを感じて、黙りこくる。


 それからしばらくは無言の時間が過ぎた。

 お互い、どういう風に言葉を切り出したらいいのかわからないからだろう。どこか、空気が息苦しい。

 蓉子がこの空気に耐えかねて、立ち上がろうとしたことに気づいたのか、開發さんの方からゆっくりとした口調で話を始めた。


「奥村さん。僕はね、コノハがメンテナンスされている間、ここに座って5W1Hをときどき考えるんだ」


 浮かしかけていた腰を下ろして、開發さんの言葉に耳を傾ける。

 これは、中学英語で習ったあれだろうか。

 それともTPO的な何かだろうか、疑問に思ったものの口には出さず、再び開發が口を開くのを待った。


「まあ、何を言い出しているのだって感じだよね」


 そんなことを自嘲気味に言ってから、開發さんは一口カップに口をつける。

 それから言葉を慎重に選んででもいるのか、少しずつ少しづつ語り出す。耳だけを傾け、蓉子は次の言葉を待った。


「WHO。いつだって僕たちはこれを気にしてしまうのかもしれない。肌の色、性別、人種」


 そして、肉の体を持つか、機械の体を持つか。銀河鉄道999はまあ知らないよね。

 開發さんはそう最後の言葉だけ少し冗談めかして言ったものの、声音はどこか切実だった。


「When。いつなのか、これは難しい問いかもしれない。社会的な成熟、文化的な成熟、倫理的な成熟。それらがバランスよく成り立たないとダメだ」


 彼なりに自分自身への問いかけを続けた結果を蓉子に教えてくれようとしているのだという事がわかった。

 はっとして、開發さんの方を見ても彼はどこか虚空を見遣り、自分にあるいは私に言い聞かせるように続ける。


「Where。どこで、僕は世界中で、あるいは宇宙空間でになればいいと思ってるけど。まずは日本かな」


 ドラえもんの生まれた国だからね。口癖のように、そう呟く。


「What。なにを、なしたいのか。かけがえのないパートナーにしたい。彼女が一々外出許可に申請や認可を取り付けなくても、大手を降って自由に自分のいきたいところにいき、自分のしたいことをする。もちろん、法律は守ってね。そんなことをなしたいのさ」


 それは、子供の憧れのような。ちたりと横目で開發の方を見る。

 在りし日の夏休みに、蒼穹の空の彼方、どこか遠い場所へいけるように思えたあの頃を思い出す表情をその時の開發さんはしていた。


「Why。なぜなのか。ぼくたちがそれを為したいからだ。それを成し遂げたいからだ。未来の子供たちと大人たちの為に」


 蓉子は、ただ静かに最後の自問自答を待った。5W1H。最後に続くのはHowだ。


「How。どのように。道筋はすでに引いた。鉄道は既に走り出した。だから、あとどのくらい時間がかかるのかは、僕たちの努力の問題だ」


 口を閉じ、手に持った空のカップを握りこんでからまた口を開く。


「こういう話を改まってする機会はなかなかなかったから、今回の件はちょうどよかったのかもしれない」


 そう言ってほほ笑んだ開發さんの表情はかつてエレベーターで見たものとおなじ、くしゃっと笑った素朴なものだった。


「僕はだから、いまこの場所で誰かからトマトを渡されたとして、それが火星で育ったトマトでも、アンドロイドが作ったトマトでも出されるんだったらぼくは食べるよ。それがトマトである限りは」


 そういった開發さんの瞳の奥には何があるのだろうか。興味深く思って、見つめ返してみても蓉子には何がそこに息づいているのかわからなかった。

 矜持か、自嘲か、誇りか、惰性か。そんなどれかであってどれでもないかもしれないものが宿る横顔を見ながら、代わりにこう問いかける。


「完全自動運転で話題になったじゃないですか。その車に事故が起こったとき、乗っている人はどんな罪なのか、あるいはそれは罪なのか。もし、コノハが被害者になってしまったら、加害者になってしまったら」


 完全自動運転はまだ、実現されていないけれど、それが実現された暁には、移動は作業場所へと意味を変えるだろうと言われている。言ってみればタクシーと完全互換になるという事なのだ。

 あるいは、上位互換なのかもしれないけれど。

 ただ、タクシーと完全自動運転の車に乗る際の違いは、料金を払うかどうかというありきたりなものよりもまず事故を起こした時に、責任は誰がとるのか、というものだ。

 タクシーは人間の運転手が乗っているから、その運転手が責任を負う。

 翻って、完全自動運転はどうだろう。責任を負うのは、車を製造したメーカーなのだろうか。

 それとも完全自動運転を行うAIを開発した企業なのだろうか。

 あるいはただ乗っていただけの人なのだろうか。

 蓉子も以前、考えたことがあったけれど、そこに答えは出なかった。

 現代の巨人。GAFAMと呼ばれる企業群が、社内に哲学者を招き入れる理由がよく分かる。


 蓉子達、現代人は人類が在りし日、憧れと共に眺めていた丘の向こう側へ来てしまったのだろう。

 過ぎたる科学は魔法に同じというフレーズもどこかで聞いたことがあるけれど。

 普段生きている世界が、変わり始めている、あるいは大きく変化したという実感が。世界が動いているんだという実感が、社会人になって数年が経過して芽生えていた。

 だから、これは単なる質問だ。この質問の先に、開發さん達が目指そうとしているものの輪郭を捉える為の。

 そうすれば、納得という形で蓉子の内から湧き出た感情を抑えることができるだろうから。

 そんな思いを載せた蓉子の問いに、開發さんは静かに答える。


「現行の法律下では、まずコノハが被害者や加害者になることは出来ないんだ」


 登録上は彼女は弊社の所有物だから、被害者や加害者は弊社になるね。そう真面目な貌でいう。


「そんなことを聞いたわけじゃないってことは分かりますよね」

「わかるよ。もちろん、わかる。なんども考えたさ、彼女には加害者にはなってほしくないし、被害者にはもっとなってほしくない。でも、僕はね。彼女が『被害者』『加害者』になりうる資格を持ってほしいとは思ってる」


 蓉子はその言葉に、初めてコノハがアンドロイドだと分かったときに、彼が言っていた言葉を思い出す。

 開發さんはこういったのだ。人間じゃないんですか、という蓉子の言葉がポリティカルコレクトネスの対象になることを皮肉にも願っていると。


「人口知性を、肉の体を持たず機械の体を持つ彼らを僕たちのかけがえのないパートナーに、いずれはしたいと思うんだ」


 ドラえもんの生まれた国だから。そう横に座る彼はそれを魔法の言葉のごとく嘯く。


「家には刑務所作業製品のハイチェストがあるよ。誰が作ったのかはわからない、現代は関係性が希薄だ。近所でさえ、人間という種族の共通点や性別といったわかりやすい点を除けば、名前すら知らない誰でもない誰かがそこら中にいる。誰でもない誰かが、肉の体をもつか機械の体を持つか」


 熱に浮かされたかのように饒舌に喋る彼の姿に少しだけ驚きながら、耳を傾ける。


「些細な問題だとは思わない? コノハを誰でもない誰かにしたい。そう思っている。でも、今は無理だ。だから、機械が誰かに危害を加えたり、誰かから壊されたりしないように僕たちは万全の準備を施す」


 開發さんが繰り返し言っているのは、蓉子の感情論への論理的な答えだ。頭のどこかではすでにそれに納得を覚え始めている。

 だから、これは感情を鎮める為の儀式のようなものだ。会話のやり取りをする毎に、蓉子の中の感情が説得で鎮められていく。

 これが、大人になる。ということかもしれない。


「女子トイレにコノハが入ったときもカメラは切らないんですか」

「もちろん切るよ。ただ、確かにそれはこちらの判断で切っているね。ただ、コノハが女子トイレにいく機会がほぼないってことを除けば」


 小気味よいテンポで、会話が踊る。お互いに発した言葉が相手からどのように打ち返されるのか、なんとなく察した上での言葉の応酬。

 ポンポンと打ち返されては打ち返すリズムが何故だか心地いい。


「私はコノハのプライバシーについて、もう少し多方面から考えたほうがいいと思ってます」

「僕はその意見を尊重したい。ただ、もちろん即応できる事と、出来ないことはあるんだ」

「私はもう少し自分の中の考えを纏めてみたいです」

「じゃあ、仕事に戻ろうか」

「はい」


 それから、お互いに自分の仕事に戻った後、午後の初めよりは集中できた。

 言いたいことを吐き出したからかもしれないし、一段深く開發さんの考えに触れることができたからかもしれない。

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