第12話 メンテナンス

 会社に戻ってからすぐに、コノハは全身のメンテナンスに入った。


(なんともなければいいけど)


 防水被膜の確認や水の内部浸透チェック、それからもちろん公園でのログ調査も。様々な問題点や改善点の確認も含めて、この機会にいろいろとチェックするということを告げられた。

 どこか意気消沈していた蓉子には開發さんからコノハプロジェクトのクライアントとの追加契約関連のヘルプ作業と、各種管理系タスクが山ほど積まれた。


「いつものように大掛かりなメンテナンス後、またテストだから。よろしくね」

「はい」

「開發くんも、もう少し蓉子ちゃんをいたわってあげればいいのにね」


 それを見かねたのか、困ったメンズだとぷりぷりした様子をみせた石村さんは、何かしら手を打ってくれると約束してくれた。

 そんなそんなと口頭では答えたものの、どこかで嬉しく思う自分に気づいて、後で少しだけ赤面する。

 考えてみれば、コノハを介していろいろな話を開發さんとするのが蓉子にとってはとても楽しみになっていたのかもしれない。

 あの公園の日、車の中で話したきり、慌ただしくしている開發さんとはメールやタスク管理ツールのコメント越しだけの交流だけ、直接会話も出来ていない。

 元々、大きな規模のメンテナンスは実は一か月に一度くらいの頻度で行われている。

 コノハの蓄えた膨大なログデータを吸い出して、解析をするアナリティクスチームや石村さんのトレーニングチームが連携して、今後の対応に活かすのだという。

 基本的な所要日数は、数日かかるようで、その間に開發さんは主に社内調整やそういった直接的にコノハに関わらない部分の仕事を進めているのだという。

 最近は蓉子が定時で帰るように促されているのとは正反対に、開發はよく会議ブースにいたり個室に籠って作業をしていたりする姿を見かけていた。

 残っていた細かい仕事を早めに片付けて、連絡しても忙しいのか定時で帰っていいよとしか返ってこない。

 誰に対してなのか、ため息をひとつついてからその日はオフィスを後にした。


 翌日は早めに出社して、昨日の件も含めて来週の週次進捗に向けた資料作りの為にカフェラテを入れてきたところでちょうど開發さんと遭遇する。

 青白い顔をしていた開發は、蓉子を見るとちょうどいいと独り言ちて、そのまま二人で会議ブースに入って作業する事になった。

 開發さんと二人。

 高級なレストランの座席のような本革張りのソファが置いてあるミーティングルームでお互い向かい合わせに座る。

 促されるまま蓉子は、手慣れた壁に埋め込まれたモニターの方へ端末のモニター映像をつなぐ。

 ケーブルで一々接続せずに、bluetooth接続できるのがありがたい。

 開發の主宰する会議資料を次から蓉子が作ってもらえないかという話だった。石村の手回しが早いのか、偶然なのかをふと脳裏に思い浮かべつつ、話についていくために目の前の状況に集中する。


「会議のアジェンダはこれで確定でいいですか」


 先週のスライドをベースに今週分へのアップデート内容を開發さんがすらすらと言い、それを蓉子がメモする形で進んでいく。

 

「それは大丈夫。ただ、いま調整した所、パワーポイントのデフォルト設定で塗ったからRGB値が微妙にズレてる。あと、防水のJIS規格の件、デザイナー系の人には伝わらないから、隅っこに出典と説明載せといて」


 蓉子が分からない用語や注意事項についても、適宜開發さんが補足し、附箋オブジェクトにフィードバックコメントを記載しながら進めていく。

 この部署にはコンサルタント、デザイナー、マーケター、ソフトウェアエンジニア、ハードウェアエンジニアなどがいる。

 とにかく様々な人間が集まっている為、仕事で使う用語、スケジュールの考え方、コミュニケーションの取り方全てが異なっている。

 話す言語と、同じように聞こえても意味する単語の異なるバックグラウンドの人たちが同じ会議で限られた時間で会話する。

 その上で、会議資料は分かりやすく噛み砕きつつ、内容を担保する必要があった。


 週次進捗は、それらの人たちの認識をあわせる上で欠かせないものだった。

 合同で何かのワークショップをする際にも、マーケターの考え方とデザイナー、コンサルタントではその向き合い方に千差万別の違いが生じる。


 デザイナーは、人にもよるが本当にギリギリのギリギリでアイディアが出てポーンと数時間で素晴らしいものを作れる人も多い。

 けれど、コンサルタントはしかるべき手続きがあり、一週間後、一か月後、そして一年後、あるいはもっと先までのしかるべき計画やマイルストーンを立てて、進捗させることを好むというよりも仕事のメソドロジーとして体得している。


 一方で、マーケターは数字との戦いだ。計測可能な数字をベースに話をするという部分ではコンサルタントとマーケターの相性はいいけれど、その数字の細かさ・スパンが違う。


 似ている単語、異なる意味。

 異なる時間感覚に、同じスケジュールでも密度と意味の違う仕事の進め方。

 数値に対する感覚も、工学系とデザイン系、コンサル系で全部がそれぞれ違う。

 それを取りまとめるのが開發さんの役割で、蓉子はコノハと接する時間以外はその補佐としてお手伝いをしていたが、もう少し役割を拡大していく方向に舵を切ったらしい。

 開發さんに認められたような気がして、蓉子としては嬉しく感じる。


 元々この調整の仕事は多岐にわたっていて、コノハのトレーニングを担当しているチームと、コノハのテストを担当しているチームの橋渡し。デザイナーチームと素材チーム、ロボティクスチームの仲立ちなどもしている。

 前者はコノハのスキル習熟度を発表会という形式で内部に向けて開いていたりもして、その日程の調整やささやかながらパーティもするのでケータリングの手配もしていた。


 発表会というのは、ピアノやヴァイオリンだったら演奏をし、絵だったら個展のような形でコノハの描いた作品がオープンスペースに並んでいるので、それを立食形式のパーティをしながら眺めるというものだ。


 回を重ねる毎に、プロの演奏家をお呼びしてコノハと交互に演奏してもらったり。美大出身の社員の伝手でいくつかイラストを手配してもらい。その中からコノハの描いたものを当てる催しなども行う。


 後者は人間に見えるのかという擬態性と、素材の強度や耐久性の面でよく衝突が起こる。なんともしがたい場合が多いけれど、今回はなんとかできそうだ。そう蓉子は思った。


「耐水被膜の件は、テッレさんとメーカーサイドで調整していて防水被膜に全身取り換えできそうだよ」


 ありがとうございますと、開發さんに応じつつ、これからは雨が降っても心配をしなくていいのはとてもいいことだなと内心安堵する。

 現在の耐水レベルでも内部回路がショートするなんてことは滅多に起こらないと頭ではわかっていても、万が一を想定して真っ青になっていた。

 開發との打ち合わせと作業を兼ねたワークが終わると、二人で遅めのお昼に食堂フロアへ上がる。

 流石に人は疎らだった。


 時間を確認すると、時刻は既に一四時半を回っていた。

 お互いにランチを注文して、窓際の席に座る。


 開發さんは日替わりのバケットとサワラのポワレのランチセットにしたようだった。

 蓉子は手早くキノコの和風クリームパスタにして日当たりのいい席を確保する。

 他愛もない話をしばらく続けながらランチをとる。

 すると、聞き捨てならない話があった。


「もう一度言ってください」


 少しだけ強い言葉だった。言ってしまった後、少しだけ後悔する。

 言わないで、スルーすることもできたはずなのだ。けれど、放ってしまった言葉はもう戻らない。


「彼女が見たもの、聞いたものは全てログとして残すとともに、映像・音声記録としても補完している」


 カトラリーを置くともういちど、ごくごく平坦な口調で同じ言葉を繰り返した。

 しばしの沈黙が漂う。


「それは、あまりにも」


 プライバシーと続けようとして、彼女をいつのまにか人間のティーンエイジャーの女の子と同一視していた自分に蓉子は気づく。

 コノハの外見に引きずられているというのもあるかもしれない。ただ、それが危険なことなのかそうではないのか現時点で判断はできないとも思った。

 開發さんはどこか口を開くのを躊躇しているような様子を見せたあと、意を決したのかどこか言葉選びに迷いつつ言い切る。


「落ち着いてほしい。コノハはまだ生後一年にも満たない幼子に等しい」


 その声は、相手に威圧感を与えない柔らかな声を出そうとしている事がわかる、そういうメッセージ性を込めた声だった。

 つまり、私は気遣われているのだろう。さきほどの自省もあって、よりへこむ。


「でも、全部を監視しているというコトは、すみませんがぞっとします」


 それが感情論だということは分かっていた。

 ただ、言い出してしまったことをなんの切っ掛けもなく引っ込められない意地のようなものだったのかもしれない。


 蓉子の発言に対して、今度は迷う事もなく開發は言葉を返す。多分、彼の信念にも直結することだからだろう。

 その言葉は淀みなく蓉子に対して向けられた。


「嫌悪感というやつを抱かれるのは分かってる。けれどね、彼女はまだ『モノ』だ。まだ、ね。僕たちはレディを育てているわけではないんだ。これは悔しいと僕も思ってる」


 開發さんは明示的に、コノハをモノなんだとよ、と表現する。

 親し気にコノハに話しかけ、ドラえもんの夢を語る過去の姿とのそれが矛盾なのか。現実的な姿勢なのか、蓉子にはわからなかった。

 なんとか返す言葉を探して内心に意識を向ける。けれど、どんなに探しても、いま語らなければいけない言葉を見つけることは出来なかった。

 開發さんは、蓉子の戸惑いをよそに、ただただ真摯に言葉を紡ぎ続ける。


「アフロディーテは、現代の人間には助けを差し伸べてはくれないんだよ。だから、僕たちピュグマリオンはガラテアに命を吹き込むために、様々な対策を打つ必要がある」


 冷静に、そして諭すような口調。

 蓉子がいつもの状態だったら、そうですよねと言ってすぐに笑い話にもできたかもしれない。

 けれど、何故かそのときはダメだった。何がダメなのか、表面では怒りつつ、内面において蓉子は開發さんの言葉で自覚する。

 絞り出したようなかすれた言葉で、内心の想いを吐露した。


「私は、コノハがイライザ・ドゥーリトルだと思ってたからなのかもしれません」


 有名な映画の中の登場人物にコノハをなぞらえて言葉を返す。この意味が通じているかはわからない。

 開發は黙って聞いている。


「コノハは、ガラテアではなくイライザで、私達はヒギンズ教授なのだと」


 ギリシア神話のピュグマリオンとジョージ・バーナード・ショーの同名の戯曲では相当に内容が異なる。

 ギリシア神話でのそれは、女性は一人前の人間ではないのだ。

 それに対して戯曲の方も初め、イライザはギリシア神話とは異なり最初から人間であるにも関わらず、前半はいわゆる大人の男の人たちの実験動物のようなまなざしを感じる。ただ、後半そして、終盤になるにつれて、そのまなざしが変化する。

 一人のそして一人前の人間として、見られるようになるのだ。


「すみません、お昼食べ終わったのでもう行きますね」


 考えが千々に乱れてまとまらないなか、蓉子は開發さんとの席を辞して食堂の外へ向かった。

 十分に離れてから、少しだけ振り向いた先に、開發さんはまだランチの席に座っている。

 手を組み合わせておでこのところにあてて、なにか考えているようにも見えた。

 そんなことがあったせいか気分がいまいち乗り切らず、午後は仕事に集中できなかった。


 気分転換に以前、教えてもらったコノハのメンテナンスルームを一望できる部屋へ移動する。

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