第10話 車椅子での散歩
蓉子が気合を入れて臨んだ会議ではあったものの、朝一番の会議は肩透かしのように終わった。
余りにもあっさりと終わってしまったので、思わずえっと言ってしまいそうになるくらいだった。
なんともいえないもやもやを抱えた解消しようと、会議が終わった後に、近くで談笑していた石村さんとテッレさんに話しかける。
「石村さん、テッレさん。おはようございます」
「蓉子ちゃん、おはよう」
朗らかな笑みを浮かべた石村さんはパンツスタイルで随分と活動的な様子だった。対照的に、ゆったりとしたワンピースを身に着けたテッレさんが蓉子の感情を見透かしたように、声をかけてくる。
「なんだか、拍子抜けしたという顔をしているわね」
「はい……。本日の予定確認はつつがなく終わるのはいいのですが、これだけでいいのかなと」
蓉子が気にしているのは、先ほどの会議が簡単な予定と連絡経路の確認などを済ませただけで終わってしまったからだ。
なにか見落としがないか、現地にでる身としては気にかかるところだった。
「蓉子ちゃんの心配は最もだけどさ、それって長々と会議で話し合っても担保できる事じゃないからね。それぞれが必要なことを積み上げているから、ここでは積み上げたことを確認するだけなんだよ」
冷静な声で石村さんが告げる。数十人規模、百人規模で関わっているこのプロジェクトで、一々細かいレベルまで確認していたら、いくら時間があっても足りないのだと、そう告げていた。
「そういうものなんでしょうか」
「そうね。時間だけを問題にするのなら、こう考えるのはどうかしらね。この会議は例えば十分くらいで終わってしまったけれど、各チームの人間はここに至るまでに数十時間、数百時間、数千時間をかけているの」
テッレさんが石村さんの言葉を補って、やんわりと不安を取り除こうとしてくれる。
二人の言葉を受けて、蓉子はどこかすとんと納得する部分があった。
それかわら我に返る。二人とも、そろそろ自分のチームに戻らなければならない頃合いだろうに、蓉子の為に時間を割いてくれたのだ。
その気遣いが、ありがたかった。
「すみません、当日だからか。不安になってしまって」
お礼をいうと、二人ともが別に気にすることはないという風な言葉を言って持ち場へへ戻っていく。
蓉子はよしっと、気合を入れるとコノハの元へ急いだ。
コノハの待つ階層へ辿り着くと他のメンバは既に準備が出来ていた。謝罪しつつ、オフィスの中で用意された車椅子に、コノハを介助して乗せる。
他のメンバの補佐を受けつつ、蓉子は開發さんから出発する準備が整うと緊急連絡用の端末を渡された。
それからサポートチームのメンバと開發さんに見送られて、出発する。
今日のプランでは、蓉子とコノハはこのままオフィスを出て公園まで向かうコースをとる。一方で、開發さんを含めた幾人かは公園近くに複数の車へ分譲した状態で待機する。
石村さんなどは、オフィスに残って通信状況やログ監視、いざというときの遠隔サポートを行う予定になっている。
蓉子にとっては、このプロジェクトに配属されてからすぐの大役といえる。
コノハの車椅子を押しながら、どこか手や足が強張ってしまっている自分を自覚していた。
けれど、同時に握ったハンドルを介してコノハの重みを感じて、先ほどの石村さんやテッレさんの言葉を思い出す。
あれほどのプロフェッショナル達が多くの時間を費やしてこの場があるのだ。蓉子もそれに恥じないくらいの働きはしたい。
スムーズに動き始めた車椅子と共に、風が巻き起こって穏やかな外気が頬にふれる。
六月ももう終わりに差し掛かっていた。
これからどんどんと暑くなっていくのだろうな。そんな季節の移ろいを感じながら蓉子は車椅子を押して歩き続ける。
コノハは初夏の始まりに相応しい麦わら帽子と涼し気な色合いのワンピースを着ていて、目に優しい。
重心をなるべくずらさないようにして蓉子の負荷になることを避けてくれているのだろう、コノハは首から上の最小限の動きで辺りを見回している。
コノハは基本的にこうした機会でもないとオフィスの外に出ることはないのだ。
外出時にコノハがまるで幼子の用に周囲を観察する傾向にあるというのは、今朝の会議でソフトウェア関係の担当者から言われたことだった。もちろん、そうした行動をコノハが行っているのは彼女が子供のような性格設定だからではなく、不確実な外部環境から多くの情報を集めようとしているからだという。
だから、本当はもっといろいろなものをみたいだろうに、最低限の動きしかしていないというのは蓉子への配慮なのだ。
気配りに感謝して、蓉子は車椅子の主に声をかけた。
「ごめん、私あんまり車椅子を押したことがないから、大丈夫?」
「大丈夫です。蓉子さん。私こそ、重くないですか」
オフィスを出てからここまで十数分。
コノハの体重は当然、見た目の通りのティンエイジャー女子の体重ではない。蓉子が聞いたところでは、十五歳の女の子の平均体重のざっと四倍から五倍はあるらしい。
そんな重さを平均的な筋力しかもたない蓉子では押せるはずもなく、その辺り抜かりなく車椅子にパワーアシスト機能が付いているので特に負荷を感じる事はなかった。
「私は大丈夫。車椅子のお陰で、とても軽いかな」
蓉子はコノハと二人でその後もとめどなく会話を続けながら、オフィスビルから徒歩二十分ほどの公園へ向かう。
横断歩道では、保育園の園児たちにコノハが手を振って挨拶したり、散歩中の小母様の大型犬が車椅子の方に近づきかけるなどの事態があったけれど、特に何事もなく到着する事は出来た。
今回コノハのプロジェクトチームがフィールドワークに選んだのは親水公園だった。
これは公園の規模が狭い場合、なんらかの事態が発生した際に周辺住民への隠蔽が困難という理由らしい。
勿論、そうしたフィールドワークの候補地選定のリクエストについては許認可官庁、この場合は総務省が出している。
その際に、一定以上の規模の公園であることが外出許可を申請する際の許認可条件があったのだと、以前開發さんから聞いていた。
やがて、たどり着いた親水公園は都内でも大きいもので、散歩コースやサイクリングロード、遊水区域などを含むその場所はお年を召された方々のゲートボール場やベビーカーを押した奥様方、スーツを着たサラリーマンなど多種多様な人たちで溢れている。
「そういえば、コノハの洋服って誰が用意しているの? 自分で買い物にはいけないでしょ」
「テッレさんと石村さんが相談してくれているみたいです」
なるほどなーと得心する。おしゃれさんなわけだ。
話を聞くと、どうやら以前食堂で会った太田さんの奥さんの作品も何着か混じっているらしい。
それから、散策用のコースをのんびりと行きながら、私は今日の目的を反芻した。
『1時間程の外出で、特に問題なく人間と同じように見られること』
大したことがない目的なのではないかと一瞬思ったものの、外部試験をするのには上述の通りかなり様々な認可や、管理された環境下での試験科目をパスしていなければならない為、これが初めての外出になるそうだった。
「珍しい?」
周囲をきょろきょろと見回すコノハに声をかける。
「ここに来るまでの道路情報を含めて、ある程度の事前情報はストリートビューでインプットしていたのですが、公園は公式ホームページしかなかったので」
地図データと周辺の視野画像データを統合中です、となんとも機械チックな返答を返される。
蓉子はしばらくその場にとどまって、彼女の外界への興味関心がひとまず満たされるのを待った。
心地いい風にあたって少しだけぼんやりしているとコノハから話しかけられる。
「蓉子さん、あそこにカワセミがいますよ」
蓉子が指したのは、五十メートルは先の木立で、私の視力ではどう頑張っても見つけることが出来ない。
それにしても、私がすれ違う人側だったとしても違和感を感じない自然な仕草だった。最も町中に出かけて、大勢の人にすれ違う中でこの人は肉の体か機械の体かなんて考えた事はないけれど。
「んー遠いなぁ」
「もう少し、木立のある方に行ってみませんか。珍しい鳥がいるかもしれません」
意外な提案に立ち止まって少し考える。
今日の試験では特に公園内のルートなどはおおまかに指定されているが、コノハの提案は蓉子に委ねられたフリーハンドの範囲内で決められる場所だった。
コノハの好きなようにさせてみよう。
そう考えて、蓉子はコノハに対して首肯した。
「行ってみましょうか」
蓉子はコノハの車椅子を押して、ゆっくりと木陰の方へ向かった。
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