第9話  翌日、公園へ

 鳥のさえずりと共に意識が急速に浮上する。どこか浮遊感にもにたその感覚は熟睡できた時のサインだった。

 蓉子はベッドに入った時間の割には、心地よく目覚めることが出来たことに内心苦笑しつつ、カーテンの隙間から零れ落ちてくる光に包まれながら瞼を開けた。

 ベッドサイドの目覚まし時計によれば、いつもより起床時間が三十分ほどはやい。起き抜けに開けた窓から流れ込む空気は、柔らかな日差しがほどよい気温と相まって、どこかいつもよりおいしく感じられた。


「公園デビュー日和かな」


 思わず、そう呟く。もちろん、蓉子ではない。コノハのことだ。

 お腹はあまり減っていなかった為、朝食をヨーグルトとプラムで軽く済ませつつ、モバイル端末で今日の資料のチェックを進める。

 簡素な朝食内容は時短という意味合いもあるけれど、開發さんがヨーグルトを大量に買っていたのにつられてしまったという意味合いがどちらかといえば大きい。

 あまり人の食べているものにつられる蓉子ではないのだけれど、なんというか久しぶりに食べたくなってしまったのだ。

 だからか、衝動的につい先日立ち寄った高級スーパーで生乳ヨーグルトを買っていた。遠い昔、子供の頃に好きだった銘柄を蓉子の母によくねだっていた記憶も併せてよみがえる。

 蓉子は物思いにふけりながら、手早く朝食を済ませると無難な色のトップスを選んで、身支度を整える。

 身だしなみをいつもよりも念入りに玄関の全身鏡で確認した後、蓉子は一度深呼吸をしてから扉を開けた。


 すると、右手の方で先客がちょうどエレベーターに乗るところだったので、駆け足で滑り込む。蓉子の住んでいるのは7階なので、ちょっと歩いて降りるには面倒な階層だった。

 朝からそれなりに運がいいらしいと思いながら蓉子が乱れた息を整えていると、エレベーターに既に乗っていた人物に話しかけられる。

 顔を上げると開發さん立っていた。


「おはよう。奥村さん」

「おはようございます」


 その場では挨拶だけを軽く交わし、蓉子と開發さんはエントランスから出ると自然と、同じ方向に歩き出す。開發さんの方が歩くスピードが速い為、少し後ろを追いかけるような形で。


「君、背が低くなった?」


 僕の勘違いならいいんだけど、と前置きしてそう真面目に聞いてくる開發さんに、苦笑しながら答える。


「今日はヒールが低いですから」


 そう答えると、そうか不整地だしなと先を行く開發さんは小さく呟いた。蓉子はそんな開發さんの様子に吹き出しそうになりながらもなんとか我慢する。

 今の部署に来てから、多くの不意打ちで腹筋は鍛えられる一方だった。


「そっか公園だからね。そういえば、一週間くらい経過したけど。どうかな、この部署。もう慣れた?」


 先程の会話には納得したのか、開發さんは雑談から上司としての会話に切り替えてくる。

 特に他意はなさそうな質問だった。

 蓉子は新参者に対して初めはネガティブな反応を示されるのかと懸念していたということは伝えず、今の素直な気持ちを伝えることにする。


「面白い人ばかりですね。やりがいもありますし、異動してよかったなって思います」


 これは蓉子が昨日、寝る前に思ったことでもあった。開發さんに答えを返しながら、今までこの部署で出会った人を脳裏で指折り数える。

 皆自分の能力に自信をもって仕事に取り組んでいる一方で、特にマイナスな印象の人物たちではなかった。


「それはなによりだ」


 蓉子の答えに満足したのか、あるいは世間話の一環だったからか、開發さんはとくにそれ以上、会話を続けようとはせずにそれからしばらくの間、無言が続いた。

 だからか、それなりに早い開發さんの速度に引きずられるように蓉子の想定よりも早めに地下鉄の駅に入り、乗る予定だった電車の一本前の比較的すいている車両に二人で滑り込むことに成功する。

 開發さんはそれ以上、話しかけてくるようなこともなかったので、お互いに吊革につかまりながら、思い思いに過ごす。

 どういう事をしているのか、ちらりと横目で見るとプライバシーフィルタが貼られていて僅かばかりしか画面を見れなかったものの、どうやらタブレット端末でメールを確認しているようだった。

 仕事熱心な様子に蓉子は思わず話しかける。


「朝も仕事ですか」


 突然、蓉子に話しかけられたからか、ゆっくりと画面を名残惜しそうに見ながら、開發さんは身体だけは蓉子の方へ向き直る。

 数秒間遅れて、顔をあげた開發さんは意外そうな表情を浮かべた蓉子にこともなげに答えた。


「僕はあそこをファミリーだと思ってるよ。ここの組織全体をね。だから、これは仕事じゃなくて趣味みたいなものかな。この先、コノハがどのように育っていくのか僕にはわからないけど、彼女が組み込まれたアルゴリズム以外の判断で僕たちの事もそう思ってくれるとありがたい。いまのこの一分一秒はとても貴重なものだからね」


 そう言って、身体と顔をさきほどの体制に戻す。それからはもう、蓉子の方を向く様子はない。

 開發さんはここからは、画面から目を離さずに会話を続ける気のようだった。


「そういえば、石村さんてここで教師みたいなことをしてるという話を聞きましたけど」


 せっかくの機会の為、蓉子は以前ちらりと聴いて気になっていたことを確認してみる。

 折よく電車が駅に停車し、他の乗客たちが大量に乗り込んできたことで、ある程度スペースがあった蓉子と開發さんの間の空間が狭まった。

 流石にスペースが狭くてタブレットを持ち続けている事に不都合を感じたのか、開發さんは今度こそ端末を鞄に仕舞って完全にこちらへ向き直る。


「ああ、前にコノハに百日ドローイングを課したといったと思うけど、彼女は美術・音楽・古典という分野の教師みたいなこと。デジタル風な表現を用いるのであれば、エクスペリエンスデザイナーをやってもらっているんだ」


 相変わらずというべきなのか、開發さんの言っている意味はわかったものの、内容が蓉子にはよく分からない。まだまだ、新しい用語がでてくるようだった。

 蓉子がそんな疑問符を浮かべている様子に気づいたのか、開發さんは用語の意味がわからなかったよねといいながら補足をしてくれる。


「石村くんがやってるのは、肉体を持たないAIに対するAIトレーナーと、あとはマーケティング系のプロジェクトで顧客体験をデザインするCXデザイナー呼ばれていたものをあわせたような仕事だね」


 そういって開發さんが蓉子に語った石村さんの仕事内容のさわり的な部分はかいつまむと以下のようなもののようだった。

 石村さんの行っている仕事は大きく二つに分類されるそうだ。

 一つ目がコノハが学習する為の基になる適切なデータの選定。

 学習する為のデータは教師データと呼ぶようで、そのデータの質を高めて、総合的な学習効果を高める為の仕事をしているらしい。

 二つ目の仕事が、コノハモデルの将来的な量産販売を見越したテストトレーニングメニューを考案し、実践させているらしい。


「このトレーニングの目的が芸術分野の保存というものでね。一般的な人口知能、AIの活かし方は人間との共同作業の効率を高めるということなんだ。今回の場合は単独でもより高い成果が見込めるようにある種の生きた学習経験を積んでもらっている」


 開發さんは電車内ということもあってか、コノハという固有名詞や社内用語を使わず、普遍的な用語だけを使って教えてくれる。

 さらに、一般的な話だけれどとさらに前置きを置いて、続けて蓉子に説明してくれる。

 アンドロイド、いわゆる人口知能と人間とでは、得意な分野と苦手な分野が重なってない事が重要なポイントらしい。

 人口知能の長所としては、疲労しないし細かい作業を何千時間、あるいは何万時間も継続しても苦痛には感じない。

 ただし、短所としては新しい価値観や概念を生み出す力には乏しい。

 それを補い合うというのが人口知能の昔からのセールスポイント、とのこと。


 例えば病院や役所で何分待てば、窓口で要件を伝えられるのかという待ち行列問題の解決、複数の訪問しなければならない家があったときに、どの順番で回ればもっとも効率的に回ることができるのかといういわゆる「巡回セールスマン問題」の解決。


 あるいはもっと身近な例で、請求書照合の自動化、コールセンターの初歩的な質問を全部人口知性で捌いて、複雑な問題になったら人間のオペレーターに変わる方式など具体例や適用事例を次々と上げる。


 気持ちよさそうに話す開發さんの話の腰を折るのも憚られたので、ひたすらに話が途切れるのを待つ。

 周囲をそれとなく伺うと、蓉子よりもどちらかというと周りの若手ビジネスパーソンの方たちが耳を傾けているように見えた。


「開發さん、あの……」


 流石にこれはまずいだろうという危機感から、開發さんに注意を促そうとすると、蓉子の動きに先んじて開發さんに会話をクローズされる。


「もう、駅につくから。話はこれで御仕舞、また興味があったら別の機会に話すよ」


 開發さんが言い終えるのと同時位に、蓉子たちの電車が駅につかづく為、スピードを落とし始める。

 そのまま会社の最寄り駅についたので、人の流れに乗って駅の中を歩き出す。

 地上出口までは開發さんと距離が離れてしまった事もあって、会話は途切れた。出口にでるあたりで、追いかけて合流し続きを促す。

 そのまま、お互いに話の続きをせずオフィスの中に入り、会議室に移動する。今日の朝一は開發も含め、蓉子たちのチームは会議を行う予定になっていた。

 他の人間が誰もいなかったので、蓉子は開發に先ほどの話の続きを問いかけることにした。


「コノハの自己紹介で以前、福祉型って言ってませんでしたっけ」


 その時の光景を思い出してみてもやはりそういっていたように思う。

 蓉子の疑問に対して、開發は自身の端末を取り出しながらなんでもないことのように言った。


「公共の福祉だね。正確には」


 言葉遊びをされているような感覚を蓉子は覚えた。


「何が違います。それ」


 意図的にジト目をつくってモバイル端末を立ち上げ始めた開發の端正な顔を眺める。彼は余裕のようで、蓉子の目を見たまま口の端を上げる。

 空中で見えない火花が散った。


「人口知性をよき"隣人"に」


 それが、僕たちの掲げるお題目でもあるんだよと開發は言う。それから一度息を吸って、開發は天井を向いた。

 つられて上を向いた蓉子には、ただ間接照明が埋め込まれたただの天井しか見えない。

 というか、場違いにも天井はああいう感じになっていたのだとなと少し新鮮に思った。

 ゆっくりと息を吐いた後、開發は考えをまとめたのか蓉子に向けてこう続けた。


「コノハを僕たちと同じように知性ある存在と認めて、人口知性として市民権を認める。それが僕たちの考える社会的なソリューションだ」


 予想外といえば、予想外で。

 そもそも、コノハが最終的にどうなるのかという考えをもっていなかった蓉子には、その構想が夢物語なのかが分からない。

 それとも目の前の人物を含めた頭脳集団が集まって検討した結果、収束された現実的な解法としての提言なのかもしれないと一瞬思ったものの、どちらにせおすぐには判断できないものだった。

 そして、現実的だとしてもそのことがどのくらいの困難さを持っているのか、蓉子には想像できなかった。


「卑近な例では第二、第三のラッダイト運動を回避する為に。あるいは、総務省の頸木を緩める為に」


 どこか偽悪的にも思える表情を浮かべて、開發は続ける。そこに蓉子がなにか言葉をさしはさむ余地はなさそうに思えた。

 だから、あるいはそれは自分自身に行っているのかもしれない。


「善良な一個人であり、同時に邪悪な組織人である僕たちは彼女を守る。少なくとも、赤ん坊だって親が成人するまでは見守り、いつくしむだろう」


 どこか、抑揚の感じられない声でそこまで一息に言い切って、開發は一度、息を吸った。

 言葉を差しはさむタイミングを見出して、蓉子はひとつ疑問をぶつけてみる。


「ラッダイト、ああ機械打ちこわし運動ですか。産業革命のときに、手工業の労働者たちが俺たちの仕事を奪うなーって」


 先ほどまでのどこかけんもほろろな様子からうって変わって、少し笑顔を浮かべて開發は答える。


「AIが仕事を奪うなんて話は昔からあるし、昔あった仕事はたしかにいろいろとなくなってる」


 電話交換手、港湾の主に肉体労働者、タイピスト、最近では一部電車で運転手すらいなくなってるよね。

 でもね、と重ねて開發さんは言う。


「時代の流れ、経済構造の変化、コノハはそういうものに対応する為の人口知性ではないんだ」


 話を纏めるとコノハは、人間の可能性を広げる方面で活動することが想定されているモデルらしい。

 美術館のキュレーター、音楽のチューター、古典の研究補佐。


「崩し字を読める人口知性は最近では珍しくもないかもしれないけど、コノハは芸術・文化活動特化だからヴァイオリンや琴なんかと共に、裏千家の茶道や小笠原流の華道の師範免許取得を視野に入れてる」


 芸術は人間の限界を広げる可能性で、その可能性を広げる一助にしたいと開發さんは熱のこもった言葉を続ける。

 私の裏千家の先生はかなり厳しい方だけど、コノハの先生はどういう人なんだろうと蓉子はふと思った。

 そもそも彼女は正座をできるのだろうか、そんなことも脳裏に浮かぶ。


「すごい熱意ですね。でも、総務省の頸木というのは」

「コノハを含む人口知性入りロボットは、いま所轄官庁でもめてるんだ総務省、経産省、防衛省、警察庁のよつどもえかな。文科省も科学技術庁を抱えているから、名乗りをあげていたけど、前者とは流石に真っ向から対抗できなかった。すったもんだした挙句に、結局総務省になったというところかな。正式な認可、国のお墨付きをえたのはよかったんだけど。その結果、手続きが重要になってね」


 そこで一度、開發さんは言葉をきる。


「今のところ、コノハ一人で出歩かせることは出来ない。必ず人間の判断者が必要なんだ」


 そうしてから、蓉子の上司でもある男性は淡々と事実らしき言葉をありのままに述べた。

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