第8話 一緒に帰る

 開發さんに呼ばれて、いろいろと来週以降の予定について話を聞いていると、いつのまにか定時を過ぎていた。

 蓉子は帰るように促される。その一方で開發さんも身支度を整えているので、聞いてみると今日は開發さんも早めに上がるらしい。


 結果、どちらから言うとでもなく、開發と蓉子はビルを出て、肩を並べて歩き出す。

 同じマンションだから仕方ないよね、となぜか自分に言い訳するようにして。


「そういえば、奥村さんはアシモフのロボット三原則を知っている?」


 無言のままでも気まずいと思って、なにか話題を探そうとしていると開發さんの方から蓉子へと話題を振ってくれた。

 ただ、投げかけられたのはどうにも打ち返しづらい会話のボールだ。

 ありがたいけれど、いきなりそんなことを問いかけてくるのはどうなんだろうという疑問符が浮かぶ。

 もちろん顔の表面にはおくびにも出さず、にこりと微笑みながら答える。


「知ってますけど。中身はうろ覚えです」


 答えつつも笑顔の裏で答えた内容を反芻する。 蓉子としては、名前くらいはどこかで聞いたことがあるけど、中身はロボットは自分を守らないといけないくらいの言葉だった。

 あまり興味もなかったので、覚えていることに驚いたくらいだ。


「多くの偉大なSF作品で使われてきた原則なんだけど、中身は意外と知名度ないか」


 開發さんの反応は一方で、よくわからないものだった。

 まあ、仕方ないかな。残念そうな感じで肩を落とす仕草をする開發さんに蓉子は慰めの言葉をかける。自分のことを棚に上げて。


「人間は日常生活で必要でない学問は案外覚えていられないものですよ」

「そういうものかな」


 僕は日常生活で必要なことも、覚えていられないけどねとシニカルな笑みを浮かべて隣に並んだこの男の人は蓉子に言う。

 そこで蓉子は変化に気づいた。以前と会話をするときの距離感は変わらない。けれど、いまの開發さんはすたすたと歩いていったというのに、歩調を合わせてくれている。

 一人の人間としては認められたのかもしれない。そんなことを内心思っていると、話題が転じていく。


「ちなみに、明日は奥村さんのデビュー戦。初めてのプログラムとして公園へ行くコノハを介助してもらいたい」

「公園のお散歩ですよね」

「そうだね。外出は実は近場では何度かあるんだけど、その時に二足歩行のモジュールが過重バランスを制御しきれなくてね」


 今回は車椅子だから大丈夫。それに、と柔らかい微笑みを浮かべて開發さんは続ける。


「十代後半の少女と僕よりかは、君の方が断然目立たないしね」


 開發さんの言葉につられて想像の翼を広げる。

 蓉子が通行人ならば、確かに十代後半の車椅子の少女と二十代後半の男性は物語性を感じてしまうだろう。

 二度見くらいはしてしまうかもしれないなと開發さんの意見に納得する。


「わかりました。あと、さきほど言われた課題図書っていうのは本当にわたしのおすすめでいいんですか」


 今日の業務時間中に、開發さんから蓉子がお願いされていた依頼の一つが課題図書の選定だった。

 課題図書といっても会社の休憩場所に置く本を選定するわけではない。

 どうも、その課題図書はコノハに読み聞かせる本を選定するという作業らしい。

 特に個人個人の思い入れがある本というのが基準として伝えられている。

 以前、蓉子が解析関係のプロジェクトにかかわった際には大量の教師データを読み込ませていたという記憶があったので、片っ端から青空文庫やそれに類する高品質の無料テキストを大量に渡せばいいのではないかと開發さんに言ったのだ。

 けれど、開發さんから返ってきた答えは読み聞かせをしてほしいというものだった。


「テキストデータの読み込みと、読み聞かせってそんなに変わるものですか」

「表情の変化、声音の使い方、あるいは時に腕の制御まで」


 読み聞かせは多くの要素が必要になる動作だというのはわかる。けれど、いまは多くの本が電子書籍化され、テキストデータで存在している時代だということくらい、どちらかといえば書店で本を買う派の蓉子も知っている。

 蓉子としては、生データをそのまま読み取らせるのではなく、読み聞かせをしてわざわざ聴覚から、視覚から情報を与えるというやり方はなんだか不思議に思えた。

 特に、開發さんおような技術に詳しい人があえてアナログな方法をとるというのは奇妙にさえ思える。

 そういえば、聞こうと思って聞けていなかったことを思いだした。


「ちなみに、課題図書ってあそこの部署の人全員一冊ずつ出してるんでしたっけ」

「出してるよ。リストで確認できるけど、石村くんなんかは『利己的な遺伝子』を入れた」


 その本の名前は読んだことはなかったものの、聞いたことはあった。たしか、それなりに古い本だったように思う。


「『人間失格』を入れた人もいたし、テッレさんは極地圏の写真集を入れてたな」


 写真集ってありなんですか。そう聞こうとした蓉子を開發さんは制して、続ける。

 もちろん写真集だとちょっと趣旨からは外れるよ、けれどもねと前置きして、でもと開發さんはどこか嬉しそうに口にした。


「コノハはそれを宝物だと認識してる」


 それは大切なものをいつくしむかのようだった。大人の男性の口から、宝物という言葉がでるのは、蓉子としてはどこかおかしみを覚える。

 これが、石村さんが以前言っていたギャップというやつだろうかとも思う。


「彼女――コノハはね。いま世界にあるといわれる45ゼタバイト。これは世界中の様々な場所に在る砂粒を45回集めることができる数だけど、その中から僕たちの与えた本という情報に価値を見出した。僕は普段、物語を読んでも感動しない人間だけど、これはちょっとだけ泣いた」


 開發さんとしては、無機質な評価ルーチンではない見た目は人間そのままの、自己学習を繰り返して成長していくコノハが、そう評価してくれた事がうれしいのだという。

 いままでいた職場の人間とはかなり異なる人たちだなと蓉子は改めて思う。

 山縣さんといい、開發さんといい返ってくる反応がストレートではなく、なんというか斜め四十五度くらいか剛速球で反応のボールを返してくるようなイメージなのだ。

 とはいえ、蓉子にとって、それは別に嫌悪感を伴っているものではない、どちらかといえば好感が持てるものだった。


「どうして宝物と思ってくれたのか。彼女の思考という意味では丹念にログを追っていかないとわからないけどね」


 開發さんが言うには、コノハが何に興味を持ち、何を自分の中のデータベースに照会したのかは日々の主要な監視ポイントの一つなのだという。

 人間は日常を過ごす中で無意識のうちに優先度をつけて、物事を判断しているからだという。

 単純な例で言い換えれば、飢餓状態にある時には当然ごはんを食べるということの優先度が高くなる。裸でいたら、服を着るという優先度が高くなる。そういうことだろうと蓉子は考える。

 裸でいる時に、好みの服とそうではない服が用意されていたら、好みの服を選ぶだろう。けれど、裸でいる時に、もう一人の同じ背格好の人間がいて、その人が服を着ていたらどうだろうか。

 相手が服を着ていて、自分は着ていない。そんな時に、恥ずかしさを優先させてどこかに隠れようとするのか。あるいは服を切るなどして一部だけでも分けてもらえないかと頼むのか。相手の服を奪うことを選択するのか。あるいは、そもそも服を着ないことを選択するのか。

 蓉子はそこまで考えてから少し考えすぎたかなと思い、開發さんの話に集中する。


「僕たちはコノハの知識データベースを形作る際、どういう形がベストかを話し合った。思考ルーチンなんかとは別の、純粋に彼女にプリインストールされた社会常識、彼女が後天的に得た知識、技術、あるいは学習フィードバックを格納する器さ」


 そこまで言い切ってからもちろんと開發さんは付け加える。コノハのボディにデータベースを埋め込む方式ではなく、コノハと会社で用意したサーバーで通信させて知識を引き出す方式にしたのだと。


「それってネットワークが切れたら、コノハはどうなるんですか」

「完全に切断され、その状態が継続することは当初想定からは考えにくい。ただ、瞬断などは常にありえる。だから、僕たちは日常生活に必要な知識類。横断歩道の渡り方、この施設内とその周辺の地図データ、各種挨拶など必要だと思われる知識は彼女の中にインプットしてある」


 そう答えながら開發さんは知識の選定には苦労したよと苦笑いする。


「彼女がプリセットした知識以外で後天的に獲得した知識は基本的にネットワーク越しに格納されるんだ。けれど、その写真集をテッレさんにもらったことを彼女は宝物というカテゴリの中に書き込んだ」


 一転して、とてもうれしそうな表情を浮かべた開發に、蓉子は山縣さんの話をぶつけてみることにした。


「そういえば、山縣さんから聞きました。開發さんはドラえもんを欲しがった人だと」

 

 言ってみて反応を窺う。意外なことに開發さんはどこか照れくさそうな表情を浮かべていた。

 意外なものをみた思いで蓉子は開發さんの話に耳を傾ける。


「ガタさんもなかなかいってくれるね。あの人だって、ある種の巡礼者みたいなものだけどね。あの人は人間の可能性を信じているし、それと同じくらいには人口知性の存在を信じようとしてる」

「どういう意味ですか」

「後事を託せる人口知性を創りたい。そういうことかな」


 開發さんは相応しい言葉を探すかのように思考の深みに視線を漂わせ、わずかに掬い上げた言葉を発した。

 その言葉は蓉子にとってそんな風に感じられた。

 案の上、開發さん本人も自分が発した言葉が予想外のようで、少しだけ驚いた様子を見せる。

 蓉子は次の言葉を待つ。こういう言葉のやり取りの時間は嫌いではないなとそう思いながら。


「なんだろう。言ってみれば、スタニスラフ・ペトロフのような判断が出来る人口知性を育てたいのかもしれない」


 開發さんは初めはどこか自信なさげに。それからようやく、自分の発した言葉に自信を持てたのか、最後の方はずいぶんと力強く言い切った。

 全然知らない人だと、内心で思いながら蓉子は答える。山縣さんや開發さんの言う固有名詞は専門的なものからそうでないものまで、大体の言葉を聞いたことがないのだから逆に笑えてきたほどだった。


「ロシアっぽい感じの名前ですね」

「冷戦華やかなりし頃のソ連の将校の名前さ」


 どこか遠い目をしたままに。開發さんはそう静かに答えた。

 どのように受け答えをするかを迷っていると、そんな蓉子の様子に開發さんは微笑み、こう続けた。


「そして、世界を救った男の名前でもあるんだよ」


 ふざけたような感じでもなく、開發さんはそう信じていることが伺える。それにしても全然知らない人だと改めて思いつつ、蓉子は答えた。


「世界を救ったわりに、すみません。寡聞にして存じ上げませんでした」

「あまり有名じゃないからね。でも、世界への貢献という意味ではキューバ危機をなんとか回避した両国の政治家や軍人に匹敵すると僕は思うよ」


 開發さんが蓉子に語って聞かせたところによるとペトラフさんは、核ミサイル監視衛星の司令官だったようだ。彼は、合衆国から核ミサイルが発射されたというアラートを冷静に判断し、機械の不備だと判じた。そして、事実それは機械の不備だったのだという。

 ただ、冷戦時代のソ連で彼の行動は問題とされ、その後不遇の人生を送ることになる。

 一通りの説明を受けて、蓉子は素直に思ったことを口にした。


「壮絶ですね」

「事実は小説より奇なりかな」


 そう言って、零れ落ちるように小さな声で開發さんは続ける。


「山縣さんは人間の善性も悪性も知ったうえで、善性を信じられる知性を育てたいんだと思うよ」


 ロマンチストっぽいそんな目標に蓉子は驚きつつ答えた。


「本人がおっしゃられていたんですか」


 山縣さんの顔を蓉子は思いうかべる。さきほどは驚いたものの、改めて考えると意外としっくりくる気がした。


「ぼくとガタさんは飲み仲間だから」


 お互いにお酒は飲めないから、あの人はコーラ、僕は紅茶か珈琲をのみながらねと続けたので、初めはなるほどなと思いながら聞いていたものの、最終的にそれは一般的な飲み仲間ではないと思った。

 開發さんの話を整理すると、この部署の黎明期には徹夜明けの朝五時などでオフィスに二人がいることもざらだったようだ。

 そんなことをいう開發さんの様子をみて、蓉子はこれは男性同士のあれだなと推察する。


「麗しい友情ですね」

「そんな大したものじゃないけどね」


 でも、ホモフィリーではあるかな。蓉子はホモという単語に反応しかかるも、後に続いた言葉的に同一とかそういう意味だろうなとあたりをつけて、無反応を貫く。


「類は友を呼ぶってことだね。人は自分と似た人間とつるみたがる」


 ただ、僕たちが似たような人間ばかりになったら、コノハの養育に悪いでしょと開發は言葉を続けたので、蓉子としては反応に困った。


「だから、いい意味での異分子が必要なんだ。奥村さんみたいな人がね。」

「そうでしょうか」


 謙遜ではなく本音でそう答えると開發は意外そうな顔をして蓉子を見た。


「いい友達になれそうな気がするよ。奥村さんとコノハは。なので、あの子をどうかよろしくね」


 真面目な表情で、真摯な気持ちでその言葉を開發が言っているのは分かる。

 だが、どうしてもその表情と言葉が蓉子のツボにはまってしまった。


「お父さんみたいなことをいいますね」

「お父さんだからだよ。山縣さんもお父さんだ、テッレさんはお母さん」

「家族ですね」

「コノハには多くの保護者が必要だと思うんだ。いまはまだ、少なくともそういう守ってくれる人間が多く多彩で豊かな関係性の中で、コノハとは向き合いたいと思う」


 開發さんの言葉は終始真摯なものだった。

 隣を歩きながら、垣間見たその横顔は決意に満ちたもので、普段あまりそういう方面で感情が高ぶらない蓉子でもドキリとするほどに綺麗だった。


 その日、翌日の準備をしてから布団に入って寝る前に、ふと蓉子は自分が明日コノハと公園にいくのを楽しみにしている事に気づく。

 蓉子は就職してから一つ目のプロジェクトでも、福岡のプロジェクトでも夜寝る際には、翌日起きるのがつらいと思っていた。


 渡されたタスクをこなして、期待される水準のもう少し上にストレッチして、成果を出す。

 その繰り返しでビジネスパーソンとしての能力は鍛えられた。


 蓉子が社会人経験を積むに従い成果が求められる一方で、もちろん残業すればその分の給与は支払われるし、どちらかというと時間をかけずに効率的に仕事をこなす方が好まれる。

 だから、ニュースで見る両極端、つまり働かない大人と働きすぎる大人のどちらも蓉子の中では遠かった。


 就職してからも、就職する前も蓉子は自分が仕事でこれに費やしたいと思うものが何なのかはわかっていなかったように思う。

 当時は、少し未来の社会というものを見てみたいというのも、もちろん本音ではあるもののどこか外面だけだった。


 ふと、蓉子の友人の言葉を思い出す。

 営業で大きな商談をとった時が嬉しいし、インセンティブの割合も大きいから一挙両得という話をしている友人は外資系の薬剤メーカーでいわゆるMRをやっていて、既に結構な資産を持ち始めていたけれど、お金がほしいわけでもなかった。


 司法試験に受かった友達は司法修習生として、職業意欲に燃えていて、この前お茶をしたときには何か困ったりしたら相談してねと言われたけれど、特に法律的に困っていることもない。

 ぼんやりと知り合いの顔を思い浮かべる。みんなそれなりに仕事をして、それなりにお金をもらっていた。


 最近、以前は仕事というかキャリアについて考える時、蓉子が感じていたなんとなくのもやもやが最近消えている。

 人口知性というものにもしかしたら、私個人として興味を抱き始めているのかもしれないなと蓉子は思う。

 だから、仕事上の関係というフィルタを通さなくても、コノハは仲良くなれそうだった。

 彼女がこの先どうなっていくのか、プロジェクトのいったんに関わった人間としてとても興味がある。


「なんとなく、仕事でやりたいことがみえたかもしれない」


 思わず誰もいない寝室でつぶやき、はっとして周りを見回すけれど誰もいない。

 たまにはそんな夜も悪くないと、蓉子は思った。


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