第6話 アンドロイドとの出会い

 開發さんに蓉子が連れてこられたその場所は先ほどの衝撃からイメージしていたものとは異なっていた。

 アンドロイド。ロボット関係の映画やSFについてあまり造詣の詳しくない蓉子からすれば、それは聞きなれない言葉だ。どちらかといえば、スマートフォンの方を想起するくらいには。

 だからその言葉には、どこか無機質な風情さえ漂うように蓉子には思える。自分とは関係のないどこか遠い場所の話。

 蓉子は唇を緩く結んで、首を少しだけ傾ける。それは困ったときに出る癖のようなものだった。


 開發さんはそんな蓉子の様子を見ても特になんらかの補足はないようで、どこか爽やかさの漂う笑顔でついてくるように言った。

 そう言ったきり後ろを振り向かずに歩いていく開發さんの後ろについていきながら、蓉子は緊張を隠すことが出来なかった。

 二人でエレベータに乗り、エントランスの階まで戻ってくる。

 迷う様子もなくスタスタと早い足取りで目的地まで進む開發さんに、少しだけ小走りになりながら蓉子はついていく。

「ここだね」

 途中で二つのセキュリティゲートをくぐり、目的地についてしまった。

 恐る恐るといった具合で蓉子は開發の後ろから身を乗り出して中の様子を窺う。

 そこには、蓉子のイメージしていた白衣の研究者たちとラボのような何か分からない機材が沢山あるという感じではなかった。


 第一印象では、どこか子供部屋に近いイメージだ。中央にベッドが置かれていて、そのベッドはどうやらひまわりの花弁を象ったデザインになっている。部屋のインテリアも花をあしらった照明や、宝箱に似た小物入れ。

 シンプルなデザインのインテリアはあまり見られず、楽し気な彩に満ちている。

 ただ、巧妙にそういったものに埋め込まれている機器類がここが見た目通りの場所ではないと蓉子に訴えかけてくる。

 部屋の隅にある大きな木の柱には様々な計器類が設置されているようだし、この部屋に入ってくる手前の部屋ではこの部屋の監視映像らしきものと各種の湿度や温度、それ以外の様々な数値が表示されているモニタが存在していた。

 だから、どこか病室と似ているんだなと蓉子は思う。

 そんなことを考えながら、開發さんの横に立って改めてコノハに紹介される。


「蓉子さんですよね。さっきぶりです」

「新しくこの部署に配属になって、さっきコノハの正体も知ったからよろしくね」


 朗らかに話す開發に対して、蓉子は少しだけ恨めしく思う。

 少しくらい考えを整理する時間がほしかった。

 開發さんは紹介したあとは特に話すことはなさそうにしている。なんとなくわかっていた事だが、この場で蓉子をフォローする気はないらしい。

 ただ、あとはよろしくと言われても犬猫とは違う。人間、人間かぁと蓉子は内心で自分が何に困っているのかわからなくなった。

 人間ではないという事だけで、どう接したらいいかわからなくなってしまう。

 年下の同性の子と接するように話しかければいいのだろうか。あるいはもっと違った先生とかそういった方と接するような方がいいのだろうか。

 とりとめのない考えはぐるぐると頭の中を駆け巡って、蓉子を苛む。

 これは、なんだろう。とまどいに近いだろうか。

 あまり親しくないたまに話すくらいの関係性の男の子から、度胸試しなのか告白されて断った後、顔を合わせざるを得ない時のふるまいに困るのと少し似ているかもしれない。

 この場合、気持ちの整理がつけば特に問題ないのだけれど。

 さっきから黙っている蓉子に対して、コノハの方から私に話しかけてくる。


「こんにちはー、さっきも会いましたよね。今日はどうしたんですか?」

「えっと、こんにちは。その、言い辛いかもしれないけれど、コノハさんはアンドロイドなんですか?」


 もう少しなにかなかったのだろうか。そんなことを思いながら蓉子はコノハに問いかける。

 なんとなくそこをはっきりさせておこうと思ったからだ。


「はい。アンドロイドですよ」


 そう言ってはにかむように笑う仕草も、表情も自然で、どこかで些細な違和感を探そうとしていた蓉子の予想に反して、外見上でそういう類のものは見つからなかった。

 肩の力が抜ける。いつの時代、どこの国でも人が誰かと出会うときには、何らかの緊張があるものだろう。

 それが幸せな出会いなのか、それともそうではないのか。いままで生きてきたなかで数多くこなしてきた通過儀礼のこれはそのひとつだと蓉子は自分に言い聞かせる。

 そこまで考えてから、そう考えてること自体、この出会いを特別視しているじゃないと自分の言葉が内に響くのを蓉子は自覚する。

 考えるのをひとまずやめようと思った。

 この子は、年下の一人の女の子だ。血が通っていなくても、きちんと向き合おうと屈託のない笑顔を浮かべるコノハに対してしどろもどろな対応をしては失礼だろうから。

 そんな蓉子の葛藤具合が表情に出ていたのだろうか、それまで黙っていた開發が合いの手を入れてくる。


「コノハ。自己紹介をしてみようか。奥村さんにまだきちんと挨拶できてないだろう」

「そうでした。すみません、奥村さん。わたしはコノハ。福祉型のテスト機です。男性型の防災機と同時期に設計され、七年の歳月を経て完成しました。数日前から脚部はメンテナンス中なので、座った状態で失礼します」


 そう言って、開發さんに挨拶できましたよーと満面の笑顔で報告する姿を見て、蓉子は自分の中のわだかまりのようなものがなくなっていることに気づく。

 頭を撫でられて気持ちよさそうにしている姿をみて、変なこだわりを持つ自分が馬鹿らしくなったのかもしれないなとも思う。


「コノハさん、ごめんなさい。さっきはちょっと動揺してた、私」


 突然頭を下げて、謝る蓉子の様子にコノハはきょとんとした表情を浮かべる。

 頭を上げて、蓉子はぽやんとしたコノハの目を見つめる。コノハの虹彩はよくみると独特な螺旋を描いていた。


「食べられないかもしれないけど、仲直りの証」


 蓉子は以前購入して入れていたミルクキャラメルの袋をバッグから取り出す。その中から一つ取り出して右手の上に載せた。

 それを見せて、端をつまんでコノハの方に差し出す。

 コノハは両手をあわせてお椀の形にしてくれたので、その中にミルクキャラメルを落とす。


「コノハは飲み物は飲めるけど、食べ物はまだ食べられないんだ」


 横から優しげな声で、開發さんが言う。仕事一辺倒であまり他の人に気を遣わないのかなと思っていたものの、意外に適切なタイミングで手を差し伸べてくれている。

 面倒見はいいのかもしれないなと蓉子は思った。


「コノハ。今日からよろしくね。改めて、奥村蓉子です。蓉子って呼んで」

「はい。これから、よろしくお願いしますね。蓉子さん」


 それから色々なことを話す。コノハの好きな色、好きな服。それから、ここでの生活について。

 時折、開發がコノハの話に補足してくれる。コノハに関わるプロジェクトにはどうもあまり新人が来ることがない様子で、蓉子に対してどういう風に説明すれば理解が早いのか試行錯誤しているということが分かった。

 これからコノハの運用試験が本格的に始まっていくようで、人がそれなりの規模で入ってくるようだった。

 蓉子が入ってきたのはとてもいいタイミングらしい。

 一方で、コノハが肉体を得てから、まだ九ヶ月ほどしか経過していないらしいことには驚いた。


「コノハはまだ学習途上なので、出来れば彼女の眼を見て話しかけてあげてほしい」


 開發さんはそういっていくつかの注意事項を説明する。

 大人よりもどちらかといえば、子供と普段話すようなことを意識してあげてほしい。そう告げて、他にも注意事項を教えてくれた。

 音声データだけではなく、表情、特に口元についても学習データとして重要なので、マスクをしないでほしいこと。

 コノハを入れた状態で、五名以上でのグループ会話は現状だと困難であること。

 そんな彼の説明をコノハは微笑みながら聞いている。

 今はベッドの上で上半身を起こしているコノハに対して、ベッドの傍に椅子を置いて病院のお見舞いのような形で開發さんと蓉子は会話している。

 一般的な距離感にも関わらず、コノハの肌は滑らかなことに蓉子は本日何度目かわからない驚きを覚える。


「コノハの微笑み、綺麗ですね」

「ありがとうございます。蓉子さんの笑みも綺麗だと思いますよ」


 コノハの切り返しはずるいなと蓉子は思う。自分の頬が少しだけ赤くなっていることも自覚する。

 単純なオウム返しのロジックだとは思うけれど、この目の前の存在に褒められるのはそう悪い気分ではなかった。

 開発さんは蓉子のそんな様子に気づかないように、補足的な話を続けていた。


「コノハの笑みはもっとはっきりしたものだったんだけどね、ニヤリみたいな」


 コノハと最もよく接して、しゃべっていたのはテッレだったのだと開發さんは少し懐かしいと言いながらその当時の写真を、部屋の一角に投影した。

 唇が綺麗な半円弧を描くはっきりした笑みを浮かべたコノハが写っていた。

 幼さがところどころに残る風貌のコノハとはっきりした表情はどこかアンバランスだと蓉子は思った。


「確かに、ニヤリという感じの笑みですね」


 さきほどまであっていたテッレという人物について、蓉子とてまだ会ったばかりなのでそれほどきちんと人となりを分かっているわけではない。

 ただ、その特徴的な笑顔を思いだして開發さんの言葉に頷いた。

 ただだとしたら、どうやってここまで自然な笑みを浮かべられるようになったのだろうかと蓉子が浮かべた疑問に応えるように開發さんは続ける。


「ここまでの自然な笑みを出来るようになったのは、石村くんのお陰かな」


 石村絵里さん。それは、蓉子にとって、この組織に引っ張り込んでくれた恩人だ。仕事が出来る女の雰囲気を全身から醸し出しているので、別に不思議ではなかった。

 半ば納得しながら、蓉子は開發さんの言葉の続きを待つ。


「彼女。このプロジェクトではコノハのトレーニングプログラムを管理しているから。コノハに百日ドローイングを課したんだよ」


 美大出身なものだから、とその発想はなかったなとでもいうように開發は蓉子に説明した。美大にもよるが、同じ題材で百日間、デッサンを続けるという課題があるらしい。同じ題材と毎日、向き合う。

 蓉子とて、毎日化粧で自分の顔とは一定以上の時間、相対している。

 けれど、見たものを見たままに書き写すというはまた違ったことなのだろうというのは容易に想像がついた。

 眉といういってみれば外見上は一本の線を描くのにも、習熟は必要だ。それに、化粧は自分の活かしたいものを活かし、目立たせたくないものをより目立たなくするためのものだ。

 一方で、デッサンは違う。自分の顔というものを紙の上で、しかもありのままで表現するのは人間にとって自分の負の側面と向き合う事と等しいのかもしれないなと蓉子は思う。

 アンドロイドがそれをどう思うのかはわからないけれど、とも一方で思った。


「自画像をコノハに百日間、描かせ続けたんだ。鏡で自己認識をさせながら、人口知性が自分をどうとらえるのか」


 人口知性の場合、外身は基本的に毎日変わらないからね。僕たちもそれは興味があったんだと開發は面白がるように蓉子に言う。

 ちらりとコノハの方を見ると、曖昧な笑みを浮かべて話を聞いている。蓉子が見たのに気づくとほややんと笑った。

 かわいいなと蓉子は内心思いながら、開發の方へ向き直る。


「なかなか結果は興味深いものだったよ。それはあの笑顔を見ればわかると思うけどね」

「かわいい笑顔ですね」

「石村くんの発想力には驚かされるよ。おっと、そろそろ一時間経ってしまったか。次の会議に行かないといけないから、プロジェクトの紹介は今日はここまで、必要な資料なんかはメールで届いているはずだから確認してほしい」


 開發さんはそういうと、もう少しここでコノハと話をしてから帰るといいと行ってどこかへと去っていく。

 定時になったら上がっていいからと、最後になかなかうれしい言葉を残して。

 蓉子はもう少しだけ、コノハと話してからオフィスフロアへと上がる。

 メールチェックをして、資料を読み込んでおこうと思った為だ。

 そのついでに、このオフィス自慢のコーヒーを飲んでおこうと珈琲マシンの場所まで赴く。オプションメニューでソイラテまで作れることに驚きながら、豆を選んでカフェラテをオーダーしてマシンが稼働するのをぼんやりと眺める。

 珈琲マシンはL字型の受付エントランスの一角に置かれている。こおは出入口に近い場所だ。だから、外部からの来客の様子も分かる。

 近くには大型のモニターがある為か、ゲストと大きく描かれたカードをつけたスーツ姿のいわゆるグレイヘアの男性たちが、ストールを巻いて赤みがかった茶髪のソフトモヒカンの男性に案内されて、ビデオを見せられていた。

 都市OSという文字やデジタルツインという文字が見える。導入としてエストニアの事例を引き合いにした映像が流れていた。

 蓉子は視線を転じる。

 ストライプのシャツにジーンズで黒縁メガネをかけた出で立ちの男性を傍に控えさせた女性が、五名くらいの男女混合のゲスト達に仮想の街を模したミニチュアキットの所に案内している。そのキットの中には複数のミニカーが行きかっていて、それぞれの車のパーツ毎の摩耗具合や修理のタイミング予測といった数字がミニチュアの脇に据え付けられたモニターに表示されている。

 情報量がとても多い光景だった。一方で、これは蓉子自身が望んだことでもある。

 一歩進んだ未来というものを見てみたいというのが蓉子の偽らざる本心だった。蓉子は昔から、未来を描いたシナリオを読むのが好きだったのだ。別に空飛ぶ車や宇宙を自在に飛び回るといった方面への興味はあまりない。

 だからそれは例えば、毎日の肌の状況を診断して、最適な基礎化粧品をパックシートの形でプリントしてくれる美容品や家に居ながらにして、店舗にいるかのように試着できるといった少し未来かもしれないけれど、少し手を伸ばせば到来するかもしれないという少し先の未来の話が蓉子は好きなのだ。

 

 カフェラテの抽出が終わったので、自席に戻る。それから、定時まで送られていた資料に一通り目を通して、退社した。

 帰宅してからは鞄をいつもの定位置にそっと置いて、ルームウェアに着替えその上からカーディガンを羽織る。

 それから、電熱ケトルで湯を沸かし、1LDKの部屋の中央においてあるテーブルの上でハーブティーを淹れた。これは蓉子のお気に入りの銘柄で、平日はいつも飲んでいるものになる。

 福岡出張やその後の証跡対応に追われていた時は倒れるように眠っていたものの、プロジェクトも部署も変わって久しぶりにもてた自分の部屋での静かな時間だった。

 蓉子にとっては、この時間がどこか愛おしくもある。

 まだ曖昧なイメージではあるものの、やはり異動願いをだしてよかったと改めて思う。

 新しい部署は初日にしては、非常に多くのインパクトを蓉子に与えたが、それはどこか好ましい変化への誘いのようにも感じられたのだから。

 蓉子自身、会社の中で様々な組織が発行しているニュースレターを読んでいる。

 だから、AIと人の協力で多くの事が出来るという話は多少聞いていたけれど、あそこまで進んでいたというのは知らなかった。

 それほどに新しい。驚くほどに。

 以前、玩具デザイナーをしている蓉子の母が話していた興味深いおもちゃを思い出す。

 それは通信機器と発声器を備えたバッジのようなものが本体で、それをぬいぐるみにつけて子供に遊ばせるものだった。

 バッジは親の持つ携帯アプリ側と通信が繋がっていて、予め登録されている台詞リスト、あるいは昔ばなしといったものをバッジから子供に聞き取りやすい高めの声で話すことが出来る。

 携帯アプリ側で話す言葉の編集もできるので、ぬいぐるみを介した子供とのやりとりもできるという製品だった。

 そしてそれを発想し、作ったのはおもちゃメーカーではなく広告代理店なのだという。

 ある意味、新しい時代というのはいろんなところで始まっているのだなと蓉子は改めて思う。

 世の中には様々な働く人がいて、その人たちの中でも日常から新しい非日常的なものを生み出しているのが弊社であれば、あの部署なのだろうと。


 ドイツやアメリカが好きで家の車をドイツ製の外車にしていた父が一歳の誕生日から毎年の誕生日プレゼントとは別にシュタイフのテディベアを贈ってきていたので、もし子供の頃にあったのならそのおもちゃを母は喜び勇んで購入して使ったろうなと思う。

 そのおもちゃでやっていることはシンプルで、発想がすごいというものだったけれど、そこに今日あったコノハという要素が例えば加わったら、ぬいぐるみが一人でに動いてしゃべりだす子供向け映画でありそうなことが現実になる。


 そこまで考えて、大きく両手を組んで背伸びをした。

 なにはともあれ、明日から頑張ろうと思った一日だった。

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