第5話 同僚とのランチ

 結局、その後もどってきた山縣さんとコノハさんが会議があるということで、去っていく。

 お昼の時間になったということで、蓉子は開發さんに連れられて、食堂へと赴く事になった。

 自席に戻って取ってきたタブレット端末を片手に持ちながら歩く開發さんに話しかける。


「ヨーグルトお好きなんですか」


 あの時聞いてみたいと思っていたものの、さすがに初対面で聞くには憚られた質問だ。


「朝晩はヨーグルト食べてるよ。プロテインのふりかけかけて」


 なかなか衝撃的な回答に、開發さんの体型を頭のてっぺんからつま先まで横目で眺める。今日は上下をバーバリーのジャケットで揃えているようで、シルエットがシャープだ。全体として男性にしてはやや細い。

 けれど、首筋は骨ばっているものの、腕の辺りは筋肉質そうなふくらみになっている。


「ダイエットというよりも、筋トレですか?」

「健康維持かな」


 そう答えた後。さらりとなんでもないように、野菜の取り忘れとか、諸々をサプリとプロテインで補ってるんだと開發さんは淡々と回答する。

 照れや気恥ずかしさみたいな要素が皆無なので、きっと素顔の言葉なんだろうなと蓉子は感じた。


 それ以上、この話題をするのは止めにして、蓉子はもう一つ聞いてみたかった話題をふってみる。


「開發さんはどういう経緯でここに?」

「僕は元々、博士までORをやっててね。研究室のボスと仲がいい研究室のOBが山縣さんだったから、引き抜いてもらった」


 開發さんの口からさらっと聞きなれない単語が流れていく。丁寧に説明してくれそうな人だし、聞いておいた方がよさそうだなと判断し、蓉子は問い返すことにした。


「ORですか」

「ああごめん。オペレーションズリサーチの略だね。おおよそ理工学部の経営工学科とか工学部の計数工学科とかで学べる」


 先ほどヨーグルトについて聞いた時よりも、かなり熱心に答えてくれる。専門分野の話を専門ではない人に熱心に語りたがる理系男性特有の症状だとかつて友人に教わったことを蓉子は思い出す。

 開發さんは続ける。


「卑近な例で言うと、なにかを作るとき、あるいは誰かになにかのプレゼントを上げたりするとき、複数の選択肢がある際に、どの選択肢をとれば、満足度の高い結果になるかという数式を作り、誰かの意思決定を支援する学問だ」


 それから、開發さんはお茶目な表情を浮かべこう続けた。


「宇宙ロケットはオペレーションズリサーチの発展がなければ作れなかったと言われるんだ」


 最後の言葉には蓉子もちょっと興味をひかれた。あとで調べておこうと頭のメモにオペレーションズリサーチという名詞を残しつつ、開發さんの後についていく。

 エレベーターで二十三階に上がりながら開發さんから蓉子は食堂の説明を受ける。なんと、このビルではその階全体が食堂になっているのだという。


 エレベーターホールから食堂フロアへの道は既に多少の行列が形成されていた。

 開發さんは少し遅かったかなと蓉子に向けて言いながら、並ぼうかと言って最後尾へと移動し始める。

 行列が出来ていたことで蓉子はゆっくり外から中を見る事ができた。そのフロアはどこか大学のキャンパスを思わせる風景とでもいうのだろうか。フードコートのように入り口からブースが並んでいて、奥の方に様々な種類の席があるというレイアウトだった。

 左側は麺やごはんといった和食コーナー、洋食コーナー、中華コーナー、イタリアンコーナーや、栄養バランス補助の為の総菜などのコーナー、サラダバーゾーンが存在する一方で、右側には有名ファストフードチェーンや牛丼チェーンも入っている。


「好きなものをとったら、ちょっと席を確保しておいてもらえるとありがたい」


 ごめん僕は電話が来ちゃったからとそう開發さんは言って、電話に出ながら列を離脱してエレベーターホールの方へ戻っていく。

 蓉子は和風のキノコパスタとコンビネーションサラダ、トマトジュースをとって窓際の日当たりのいい席に着いた。

 会計で現金が使えず、電子マネーやキャッシュレスアプリのみしか使えないのは少し驚いた。

 五分ほど経ったころ、絵里さんを先頭に開發ともう一人パーマの男性がトレイを持ってこちらに歩いてきたので、蓉子は立ち上がり手を挙げる。


「久しぶり。蓉子」

「お久しぶりです。絵里さん、今日のワンピースもお綺麗ですね」


 石村絵里という女性は蓉子の記憶の限りでは、常に気を抜かないファッションをしている。ご多分に漏れず、今日も素敵な服装だった。

 黒のシックなワンピーススタイルで、高級ホテルのロビーにいても違和感は感じないだろう。


「ありがとう」


 久しぶりに会った際の軽い挨拶を交わすと四人で席について食べ始める。


「こっちの彼は、まだ知らない人よね。デザイナーの太田くん」


 さっきのパーマの男性はデザイナーだったようだ。特徴的な有名紳士ブランドらしき服を着て、少し異色の空気を放っている。


「はじめまして、太田さん。奥村です。そのお召し物、素敵ですね」


 太田さんは蓉子に服が褒められたことが気に入ったのか、ふふんという感じに笑みを浮かべた。


「初めまして、奥村さん。この服。嫁が作ってくれたんだよね。リクエストで俺の好きなブランドに寄せてほしいって言ったら作りこんでくれて気に入ってる」


 蓉子が聞いたところによると、太田さんの奥さんは、テキスタイル作家のようで、趣味で服を作ったりもしているらしい。

 素敵な夫婦だなと思いながら蓉子は話を聞いた。


「でも、この組織。デザイナーの方もおられるんですね」


 今までの人生の中で、蓉子は母を除いてデザイナーという職業の人と遭遇したことがなかったので、肩書きの名乗りには少し驚く。

 蓉子の母は、蓉子が子供の頃から、子供だった私以上にいろいろなものに興味を持って観察をする人だった。


 玩具デザイナーとして、幼い蓉子がどんなものに興味を持つのか、どうして興味を持つのか生きた実例として実施体験するというのもすこしはあったのかもしれないけれど、子育てをしながら、それを大変なことではなくいつも楽しい事として捉えることのできる人なのだと今なら思う。

 そのためか、蓉子の母は母で、たまに家でデザインをしているのを見たことがあっても、職業人としてのデザイナーとして捉えたことがなかった。


 ちなみに、太田さんは、UI/UXデザイナーとして山縣さんの組織の中やそれ以外の組織の様々なプロジェクトから引き合いがあるので、パートタイムで入っている凄腕らしい。


 直近は社内のコラボレーションツールとして、魔法カメラというアプリケーションを作ったそうだ。

 それは、カメラアプリケーションの一種で、社内に飾ってある絵画や写真をそのアプリを起動した状態でフレームに入れると、フレームの中で絵画や写真の登場人物たちが動き出したり、そこに映っていた人物のインタビュー映像が流れたりするアプリらしい。

 社内のコミュニケーションやコラボレーションを促進する為、写真の内のいくつかは掲示板のような形で社員からのビデオメッセージと、実際に飾る写真の応募をするといったユーザ体験の仕組みをデザインするとともに、アプリ上での動きを細部にわたって調整し、体験の価値を最大化するのが太田さんのロールなのだという。


 蓉子は素直にこの部署はすごい方、珍しいスキルを持った方が沢山いますねと伝える。

 それに対して、そうすごいものでもないよ、と何でもないことのように太田さんは言った。


「ここはかなり多彩なスキルを持った人がいるからね。経歴やバックグラウンドが複雑な人も多い。俺みたいな広告代理店上がりのデザイナーもいるし、クオンツ上がりのデータサイエンティストもいるよ。技術者もメカトロから何からいるけど、唯一哲学者はいないかな」


 冗談めいて最後に付け加えたのは、いわゆるGAFAが導入しているイン・ハウス・フィロソファーの事だろうか。

 どうしてだか空港で裕子が話してくれた話題が脳裏によみがえる。それを聞こうか考えていると、太田が気になることを呟いた。


「そういえば、奥村さんは石村ちゃんから招待されてきたのか」

「招待? ですか」

「うちの組織のボスである山縣さんは基本、あの人の面談までたどり着いた人は拒否らないんだけど、その手前の面接では知り合いが中にいるかが一つの判定基準になってるってことかな」


 そこまであまりしゃべらなかった開發が太田のつぶやきを引き取って続ける。

 伝手を利用して、あの面談に立つことが出来るまでが本当の面談という意味だろうかと蓉子は思う。

 つまり、私がここにいられるのは石村さんのお陰ということだろうかということに思い至り、改めて蓉子はお礼を言おうと思った。


「絵里さん、改めてありがとうございます」

「そんな。私は大したことしてないし。蓉子ちゃんのこれまでの実力だよ」


 この人は、的確にこちらがうれしくなる事を言ってくれるなと蓉子は思いながら、食事を続けた。


「ちなみに、この後の予定は聞いてるかい?」


 開發さんが私に確認してくる。


「いえ、特に聞いていません」


 蓉子の答えに開發さんはそうか。参ったな、と呟いて髪の毛を片手でわしゃわしゃとかき混ぜた。それから、石村さんの方を向いてなにかの確認をする。


「今日のメンテナンスはショートだよね」

「はい。お昼開始の十五時終わりですね」


 石村さんが手慣れたように合いの手を入れる。


「ありがとう。じゃあ、テッレさんと先に面通ししておこうか」


 新しい人がまた出てくるようだった。次の方はテッレさんというらしい。

 食事が終わると、石村さんと太田さんと別れ、蓉子は開發さんに先導されて別の階へ移動する。

 移動した先には既に連絡がいっていたのか、エレベーターホールでアジア系ではない年上の女性が待っていた。


「こんにちは。奥村さんですね。お話はかねがね」


 挨拶をされてやはりと思う。それがテッレさんだった。

 テッレさんは物腰のやわらかい人で、テッレルヴォ=パッカネンさんというのがフルネームとのこと。

 名前の由来には、魅力的な森の神の娘という意味があるらしく、40代くらいの北欧系の美人らしい全体的に白っぽい透明感のある人だった。

 いわゆる金髪白碧。

 話すと暖炉の傍の安楽椅子で眼鏡をかけながら毛糸を編んでいるような、そんなほんわかした空気感を漂わせている。


 テッレさんは北欧のデザインファーム出身らしい。元々は家具デザイナーでルート・ブリュックのデザインに感銘を受けてその道を志し、十年以上にわたってキャリアを積み上げると、物体の表面、自然のテクスチャの再表現に軸足を移して、活動しているらしい。


 与久兵衛さんという国宝指定を受けた人形師の方と一緒に今は新しいプロジェクトにいきいきと取り組んでいるとか。


「デザインとは単にどのように見えるか、どのように感じるかということではない。どう機能するかだ。これはアップルの創業者スティーブ・ジョブズの言葉だ」


「製品をデザインする事は、関係性をデザインすることに等しい」


 スティーブ・ロジャースの言葉の方が私は好きね。悪戯っぽい笑みを浮かべて、テッレさんは誰かの発言を引用する。テッレさんの発言に笑みを浮かべながら、開發さんは蓉子の方へと振り返る。


「現段階では、インタフェースがともかくも重要でね。山縣さんはそこにこそ多くの戦力を費やす方針だ」

「えっと、どういうことですか」


 突然、話についていけなくなった蓉子は思わず問い返してしまう。するとテッレさんはどこか納得した顔でまた騙すようなことをして、とあきれたように開發さんを見て言う。

 これもイニシエーションというやつかなと、とそうテッレさんに答えてから開發さんは蓉子の方に向き直って言った。


「さっき、コノハと会ったろう」

「はい。ランチ前に」

「彼女はアンドロイドなんだよ。人工知能、この部署では人口知性と呼んでいるものを搭載したロボットといった方がいいのかな」


 思わぬ発言に少しだけ固まる。


「えっと、彼女は人間じゃないんですか?」


 おずおずと聞き返してみると、開發さんは一瞬、寂しそうな顔をした。

 確かに聞き取りようによってはよくないニュアンスだったなと反省して、蓉子は謝ろうとする。

 けれど、それは開發さんに首をふって制止された。


「その言葉が、十年後にはポリティカルコレクトネスの対象になることを僕は期待しているのかもしれないな、嫌な期待だが」


 そういう世界になるんじゃないかと思ってるよ。そう続けて、彼は持っていたコーヒーを一口飲む。


「彼女の肌の質感は、テッレと人形師の与さんの共同作品だよ。不気味の谷と呼ばれる、3Dオブジェクトが抱える人間らしく見えないという問題を越えてくれた」

「驚きの事実が判明した所で、そろそろメンテナンスも終わるから、会っていこうか」


 そう言って、開發さんは笑った。

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