第4話 職場見学での遭遇

 忙しい時の月日は本当に瞬きする間に過ぎていく。気づけば、山縣さんとの面接から二週間もの月日が流れていた。

 春夏秋冬で違った顔を見せていた首都東京の地方都市への玄関口である羽田空港。そこへ足を運ぶこともほとんどなくなっていった。

 ようやくプロジェクトの納品も終わり、ひと段落がついたところで、晴れて蓉子はプロジェクトからリリースになる。一つのことを終えたという達成感か、あるいはこれから始まる新しい仕事への期待感か、肌の調子もこれまでよりも幾分かはよくなった。

 というのも、蓉子はもともと皮膚が薄いこともあり、睡眠不足などに陥るとすぐに隈が色濃く残ってしまいファンデーションでもなかなか隠し切れないのだけれど、最近は下地を載せただけで目の下の隈の黒々とした様も、大分薄くなっていたしそれを目敏い同僚にも指摘されることはなかった。


 納品を終えた日。蓉子は会社の近くのカフェに立ち寄って、フレーバーティーを飲んでいた。季節毎に中国茶から紅茶まで十数種類のフレーバーを楽しめるそのカフェは何かの区切りの際にはつい立ち寄ってしまう店だった。

 そんなある種の聖域でほっと一息をつきながら、これまでとこれからに思いをはせる。考えてみれば、会社に入ってから一つの節目が終わったことになる。新卒で入ってからいっままでの間、お世話になっていた部署を卒業する。これは蓉子にとってはそれなりに大きな変化だった。

 元々コンサルティング企業では、一つのプロジェクト毎にチームや働く場所ががらりと変化する事が通例だった。

 蓉子の一つ目のプロジェクトは新橋と汐留の間位にあるオフィスビルで、約半年ほど働いて仕事の基礎のようなものを学んだ。それからいくつかのプロジェクトを経て、福岡のプロジェクトでちょうど一年。はじめは環境が変化するのに不安しかなかったけれど、今では新しいプロジェクト、新しいチームは楽しみになっている。


 新しい部署での契約書類は既に手元に届いていて鞄の中のファイルに綴じてお守りのように持っている。サインは既にしてあるので、これを提出すれば晴れて来月の半ばからは、あの山縣さん率いる部署に異動となるのだ。

 ふと、童顔メガネの不思議なボスを思い出す。ああいう人が率いる部署であれば、本当に自分自身が打ち込める仕事を見つけられるかもしれない。そんなことを思いながら、カップに口をつける。

 窓際の席でそんなことを思いながら薄闇の中で家路を急ぐ通行人をぼんやり見ていたからだろうか、何故か目を惹く人物が通り過ぎた際に初めは誰だか分らなかった。

 知っている人、けれどあんまり話した事のない誰か。

 数舜後、頭の中の別々の箇所の記憶が結び付けられる。

「ああ、ヨーグルトの人だ」

 それは出張から帰った際に、遭遇した男性だった。そういえば、名前もお互い知らないなとそんなことを思いながら、こんなところで見かける不思議な偶然を思考の中で転がせながら、、あまり気にする事でもないかと薄闇の中で雲散霧消させる。

 今は身近な隣人よりも、身近な未来の話を纏めておこうと蓉子は手帳を取り出しつつ、手店員を呼んで追加の注文を行った。

 分かり切っている事を正確に主観なく纏めていく。蓉子が節目で行っているそれは週間だった。所属する部署によって、参加できるプロジェクトが変化するので、これから山縣さん達が進めているプロジェクトの一員になるのだろう。

 また、慣習としてプロジェクト終わりには溜まっている有給休暇を纏めて消化してバケーションにするというのがよくあるパターンだった。

「とりあえず、社内転職が成功したから前から延期していた旅行に行ける。だから、バケーションが最優先」

 有給休暇。そう書いてから少しだけ強調する為にアンダーラインを二本引いて、蓉子はリフレッシュすることを意思決定した。


 慣習にのっとり、蓉子は新しい部署への異動までの宙ぶらりんの二週間は、前から決めていた通りバケーションを取得した。

 最初の数日間は、部屋の大掃除をして美容室に行く。それから久しぶりに一日中好きな本を読んでいた。


 そのあとは一週間ほど、レイキャビクへの旅行だ。

 新日本橋で製薬会社の研究職をしている友人と、筑波の大学のリサーチセンターで助手になっている友人。それから霞が関勤務の友人。

 四人とも大学時代の友人で、蓉子が社内転職するということでお疲れ様会、いわゆる慰労旅行を催してくれた。

 大学の卒業式の際には、扁桃腺が腫れてしまい泣きそうになった私が振袖を着て、それでも卒業式に出た際にいろいろと手助けをしてくれた気心の知れた仲でもある。

 当日、成田空港の国際線ターミナルで集合した蓉子達は、チェックインカウンターによって荷物を預け、身軽になるとさっそく出国ゲートをくぐった。


 製薬会社に勤める友人ー小夜と官僚の卵である穂乃花とは出国ゲート直後のゾーンで分かれる。今回はクリスチャン・ディオールの香水が彼女たちのお目当てとのこと。

 蓉子はリサーチセンターに勤めている友人である裕子はそのまま航空会社の上級ラウンジに移動して腰をおちつけることにした。

 エスカレーターを上がった先にある航空会社の職員にチケットを見せて入室し、ソファ席を探して二人で、席を確保する。

 お互いにまだ朝ご飯を食べていなかったので、サンドイッチやラウンジのカレーを持っ手分けして持ってきた。

 それから蓉子は紅茶を持って、裕子はカフェラテを持って久しぶりの再会を祝う。


「そういえば、ずっと大学卒業してからは染めてるんだよね」


 すこしのんびりとした口調が特徴的な裕子だが、蓉子にとってはこの娘とはどこか波長があうのか四人の中でも特に一緒に行動することが多かった気がする。


 大学時代、黒髪だった蓉子が染めるようになったのは社会人になって独り暮らしを始めた後、今までの自分を変えようと思ったからだった。

 結局、高校の卒業式も、アメリカの大学の卒業式もでることは出来なかったし、日本に戻ってきて編入した大学の卒業式は、出席こそできたものの体調を崩してしまい、お世話になった教授への挨拶も満足にできなかった。

 いまここにはいない穂乃花は、逆に就職活動で黒髪へ変えたタイプだったのだけれど、蓉子の場合は逆に彼女から茶髪に変えた方がナンパやらの被害が減るよというアドバイスを受けて実行している。

 髪を染めた副次的な効果として、出かけると月に三から四度くらいの頻度では下心のありそうな男性から声をかけられていたのが、がくっと減ったので効果があったのだと思う。

 そのため、しばらく黒髪に戻すつもりはなかった。


 友人たちのアドバイス的には、比較的シンプルな服装を好む蓉子は、黒髪だと服装と相まっておとなしい性格のように見られるようで、髪を染めるとようやく服と顔と髪のバランスがよくなるのだという。


「もう少し、年相応の落ち着きのようなものがほしいかな。そうしたら黒髪に戻すかも」


 とはいえ、気に入って髪を染めているわけではないので、たぶんいつかは戻すのだと思う。

 おしゃべりをしていると仕事についてにいつのまにか話題が流れていった。


「でも驚いたなー。本当に転職するんだね」

「仕事を辞めるというか。社内転職をするから、別に会社を辞めるわけではないのよ。部署異動の方が近いかもしれないかな」


 そうなんだと小さく呟いて、なにか思案気な貌を見せた後、裕子から意を決したように切り出される。


「軍事的安全保障研究に関する声明って知ってる?」

「え?」

「蓉子ちゃんの行こうとしている部署。何故か防衛省関係の資金が投入されてる」


 おっとりとした口調の中に、複雑な感情を混ぜ込んで裕子が心配げにこちらをみている。

 蓉子は、食べかけていたラウンジカレーを載せたスプーンを置いて、どう答えようか虚空に視線をさまよわせる。

 さまよわせたとしても、特に答えは持っていなかった。


「えっと、それは」

「共同研究という名目だけど、うちの大学の研究室にもお誘いがきたけど。教授が断ったって」


 ちょっと気になっただけ。関係ないかなと思ったけど、知っていれば少しは違うかもしれないから。

 にこーっと、裕子はもちもちの肌に曇りのない笑顔を浮かべる。

 その後の旅行自体は楽しく、実りあるものだった。

 けれど、どこかで裕子の言った言葉が心の深い所でしこりとなって残った。


 蓉子は旅行後の休日を、どこか落ち着かない気持ちで新しいカフェを開拓してみたり、コンラッドのリラクゼーションサロンに行って体のメンテナンスをしながら過ごし、新しい組織での出社日になった。


「おはよう。久しぶりだね」


 指定された場所にいくと山縣さんが立っていた。彼から新しいセキュリティカードを手渡される。


「こういうのって、もっと若手の人がやると思ってました」

「ああ、本当はそうするんだけど。うちはまだ小規模だから」


 山縣さんについていき、蓉子も同じようにセキュリティカードを翳して、ゲートを抜ける。

 出社を指定されたビルは最近になって竣工したもので、総大理石の瀟洒なエントランスホールだった。

 広々としたそのスペースを抜け、黒いシックなエレベーターに乗り込む。三階まで上がると、降りて再び部屋の前でカードを翳す。


「一応、Offer Letterに書いてあったと思うけど。ここのセキュリティは通常より一段階上だから、入社時にもらった汎用のセキュリティカードじゃ開かないから注意して」


 入室し、物珍し気に周りを見つつ山縣さんについて歩きながら、簡単な諸注意を聞く。


「あれ」


 そこには、自宅マンションのエレベーターで会った人がいた。当然、今日はヨーグルトを持っていない。


「ん? デーくん、いや開發くんか。彼はうちの部署で走らせてるメインプロジェクトのプロジェクトリーダーだね。どうしたの、奥村さん複雑な表情をしてるけど」


 同じマンションに住んでいて、顔を合わせたことも何回かある人を職場で見かけた時の気持ちです。そう伝えると山縣さんはそっか、と軽く流して先へ進むように促してくる。

 どことなくもやもやとした気持ちと、だから近くのカフェで見かけたのかという納得感を抱き合わせで抱えつつ、先へ進んだ。


 一緒に歩いていくと、広いスペースに出た。

 色とりどりの人をダメにするクッションや鳥の巣クッションが平べったい柱に対して並行になるように置かれている。

 壁面には合計何インチだろうか。二桁に上る複数のモニタが埋め込まれ、私の背丈を二倍したくらいの幅がモニターになっていた。


「ここが我々の拠点の入り口みたいなものかな。ミーティングやゲストへのレセプションなんかもここでやるよ」


 珈琲が好きなら、五種類くらいのドリップ方式と十種類から豆が選べるバリスタマシーンもあるしね。

 なにか飲むかと聞かれたので、丁重にお断りして案内を続けてもらう。

 それからは、廊下を走るルンバの群れ。顔認識のテストデモ機。

 様々なIoT器具のデモフロアを潜りぬけて、カラフルなブロックが積みあがった吹き抜けのフロアに入る。上を見上げると三階層の吹き抜けのようだった。


「ここはデザインシンキングルーム。アイディアに煮詰まったりした際に、ここで発散と収束をしてると、同僚がわらわら集まってきて、手伝ってくれるかもね」


 生憎といま利用している人はいなようだったが、周囲には附箋や模造紙、ペン、レゴブロック、それからA1サイズまで印刷可能なプリンタなどが準備されていた。

 模造紙に色とりどりの附箋や矢印が描かれたものが残されている。


「さてと、改めてようこそLast Discoveryへ」


 最近の僕の関心はロボットです。朗らかな調子でそう続ける。


「ロボですか。この部署はAIを主にやるところでは?」

「AIもやるけど、別にそれだけをやるわけじゃあないからね」


 そういうと、山縣さんは壁際によって、小型のモニタの横に据え付けられているラックのタブレット端末をに対して操作した。

すると、どこかの部屋が映し出される。


「デー君。ちょうどいいから、コノハをこっちによこしてくれない?」


 怪訝な顔をしていたのが伝わったのか、簡単な解説をしてくれた。


「ああ、ごめん。彼、開發くんて、英語だとデヴェロップメントじゃない。前、急ぎの調査報告とかで英訳する必要があってね。イケてない翻訳者の人にあたっちゃったときに、Developerて訳されちゃってさ。悲しいよね」


 開發さんという名字は、全国でも三百名くらいしかいない珍しい苗字の人らしい。そんな人がIT企業を選び取るのはやはり名前のなせる業のようなものなのだろうか。


 しばらくすると、車いすを押したヨーグルトパックの人が入ってきた。開發さんだ。

 車いすには、十代後半くらいの女性が座っている。


「おはよう。デー君、コノハ。こちら、今日から僕たちの一員になった奥村蓉子さん。オクムー」


 しれっと謎のニックネームをつけられたのにはスルーした。

 紹介に預かったので、新しく部屋に入ってきた二人に対して、蓉子は挨拶をする。

 コノハと呼ばれた少女は、膝を折って視線を合わせてあいさつするとにこっと微笑んでくれた。

 綺麗な笑顔だ。


「デー君。ちょっとこれからの段取りで話があるからこっちきて」


 山縣さんと開發さんが中央にあるブロックの向こう側に行って、何やら話し始めてしまったので、蓉子はコノハと少しお話することにした。


「コノハさんはえっとインターンとかでここにいるの?」


 目の前のティーンエイジャーの終わりごろ、綺麗目系に育ちつつある少女がここにいる理由にあたりをつけて聞いてみる。

 すると、すこし困ったような表情をしてから、山縣さんの方を見て苦笑いをした。

 なんだろう。いまの意味深な動きは。


「わたしはインターンではありませんよ。強いて言えば、見学者でしょうか」


 目の前の少女はそう言って、薄く微笑んだ。

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