第3話 転属面接

 福岡から帰還した後の最初の土日、その片方は前から友人が行きたがっていた神保町のアボカド料理がメインのカフェに行くことになっていた。


 駅前で待ち合わせをした後、友人の先導で蓉子はその森のバター料理が沢山あるといわれるカフェへと案内される。待ち合わせ場所から十分程、駅ビルの上層階にあるそのカフェはエレベータから降りるといい匂いが漂ってきていた。

 ただ、それはお目当てのアボカドというよりもカレーらしき匂いだったけれど。

 温かみのあるインテリアに囲まれた四人掛けの席に友人と二人案内されると、蓉子は疑問顔で友人の注文を真似して、週替わりランチというものをオーダーする。

 数分後、蓉子の疑問顔はなるほどといった表情に変わった。

 タイカレーにアボカドが載せられて出てきたときには、ここまでこだわるんだと内心驚きつつ、おいしさに舌鼓を打つ。

 友人曰く、その時はグリーンカレーだったけれど、イエローカレーとレッドカレーとでローテーションらしい。

 ちなみに、一緒に行った友人のおすすめはイエローとのこと。記憶の片隅に一応気に留めておこうと思いながら、蓉子はスプーンを手に取った。


 蓉子と小学校の頃から仲の良い彼女の場合は、大学時代からワンピースを多用していたけれど、今もまだオフの日はワンピースらしい。

 他愛のない話を繰り返しながらも、蓉子の学生時代よりも少し太くなった二の腕と、彼女の細いそれを見比べて密かにため息をつく。

 今のままでいいのかな、という思いはかつては同じ道を同じように歩いていた友人がすごく先に進んでいることを目の当たりにするとき、よくでてくる。


 目の前の友人は中学受験をして音大付属系の学校に進んだ後、最終的に東京芸術大学の音楽学部を卒業した。

 卒業後も継続的にプロとして活動できている一人で、ミケランジェロ・アバドという国際ヴァイオリン・コンクールでグランプリを受賞している。


 グランプリの実績を引っ提げて新日本フィルハーモニー楽団で活動後、退団して今はソロ活動をしている。

 かなり売れっ子らしい。蓉子も過去彼女がソロで行ったコンサートに足を運んだ事があるが、数百人規模での開催だった。


 いわゆる成功している女性。阿部優というブランドはそれだけの価値を積み上げている。

 音楽家は自分自身が商品という面もあるから、美容にもかなり気を使っている事がわかる。

 きめ細やかな肌というのは、いつみても少しの憧れと、維持する為のコストと労力を思って圧倒される。

 蓉子は毎週飛行機に乗って、乾燥対策に四苦八苦している自分の肌に、いたわれなくてごめんねと言いたくなった。


 髪も社会人になってから明るい茶色に染めているので、丁寧にケアしないと痛みが早い。

 アボカドを堪能した後、二人で靖国通りを並んで散歩し、九段下を通り過ぎたところにあるパン屋兼カフェでお茶をしてから別れた。


 大学時代の気の置けない親友と過ごした週末が明けて、東京のオフィスに出社後、HR(人事)から一通のメールが届いていることに気づく。

 そこには端的な記載だけがあった。


 今週は契約が来週で満了を迎える為、プロジェクトの上層部は福岡で提案活動をしている一方で、蓉子たちは各種の契約に紐づく納品物の整理や作成対応を東京で行うスケジュールになっている。


「面談の日時は……明日の1900から。直接じゃなくてCallか」


 蓉子の勤めている会社では外資系のお陰か、いわゆる転属希望(社内ではTransfer Requestと呼ぶ)はドライに処理される。


 職場の上司に決定権はなく、社内のカウンセラーと呼ばれる社員一人一人についている職位が上のメンター的な役割を果たす先輩社員の承認と転属先の部署のマネジングディレクターの承認が下りれば、それで手続きの大半は終わる。


 外資金融にも同じ名前の役職の人がいるけれど、蓉子の会社のケースだと平のマネジングディレクターは日本の企業でいうと部長クラスで、部署のボスになるクラスだと専務以上に相当するだろうか。


 面談が終わると、あとは新しい給与や待遇が記されているOffer Letterにサインをすれば、その契約が効力を発揮する日をもって社内システム上の職位や所属も新部署のものへと更新される。

 面談は通常、Hire Managerと呼ばれるベテランマネジャークラス(おおよそ課長クラス)でも経験を積んだ人が一次面接を受け持ち、その後その部署のボスが出てくる二段構えだった。


 一次面接は既に突破しているので、この通知は最終面接のものだ。いよいよ、所属先のボスとの面談となる。


 ただ、そのクラスの人になると基本的に多忙なので、蓉子のような平社員だと直接顔を合わせての面談というのは行われ難い。

 今回も多分に漏れず、モニター越しでの開催だった。


「さてと、今日も頑張りますか」


 面談の為の会議依頼がそのすぐあと、面談をするボスの秘書さんから来たので、Acceptしておいて、今日の仕事にとりかかった。

 翌日は朝から曇り空で、なんとなく気分がすぐれないものを感じつつ身支度を整えて、玄関を出る。

 エレベータホールでボタンを押して待ちながら、寝癖がないかを再度チェックしているとすぐに上から降りてきたエレベータの扉が開いた。


「あ、どうも」

「おはようございます」


 狭いエレベータの中に先客は一人だけで、福岡出張から帰ってきた時にあったヨーグルトの人だった。

 軽い挨拶を交わして、乗り込む。すぐに扉はしまった。


 中途半端に顔見知りになってしまったが為に、エレベータが地上へ降りていく二十秒くらいの時間がどこか気まずい。

 扉が開いて、すぐにスタスタと歩き出そうとする蓉子の背中に彼の声がかかる。


「よい一日を」


 とっさになんて返したらいいかわからず、上半身だけ振り返って蓉子は頭を下げるとそのままエントランスを抜けた。

 多分、顔は赤い。どちらかというと恥ずかしさで。そんなことを蓉子は思いながら足早に歩く事にした。

 そこでふと蓉子は疑問に思う。

 一つ目のプロジェクトが終わった直後に、このマンションに引っ越してきたものの、あの男性を見かけなかったのは福岡出張で大分家を空けていたからだろうか。


 朝のちょっとした出来事はあったものの、その日の仕事は順調で、あっという間に面談の時間になる。

 事前に予約していた電話会議用の個室に入って、Call MTGの準備をした。


 定刻通り、面談は始まった。はじめの挨拶はそうそうに、すぐに本題に入る。


 画面の先の新しい上司になるかもしれない人、山縣さんは事前に情報を集めたようにひどく童顔だった。

 本人も気にしているのか、太いフレームの黒縁メガネをかけているけれど、どうも逆効果じゃないかなと場違いなことを思っていた。

 もし髭をそって髪を整えたりしたら、大学生くらいでも通じるかもしれない。

 ただ、声自体はどこか深みのあるかなり聞き取りやすい声で、私が不埒な事を考えるのを妨げた。

 よし、冷静になろう。


 弊社では、グローバルレベルで各社員のプロジェクト履歴やどのようなスキルを持っているのかを確認する仕組みがある。

 それによると、山縣さんは主にNから始まる親方日の丸の3文字略語の企業をメインで担当してきたらしい。マネジングディレクターに上がってから二年はそのうちの一つの企業を担当していたものの、新しいこの部署が新設されるに伴い、部署のリードに就任したという経歴だった。


「奥村さんは、今のプロジェクトだと、ERPの導入してるんだ。SAPの人か。ちなみに、うちの部署に興味持ったきっかけは?」


 生まれてから二十五年間寄り添ってきた奥村という名字を、背伸びした大学生みたいな人が呼ぶのは面白いなと思いながら話す。


「今のプロジェクトで関わっているのは確かにERPプロジェクトの機能配置の調査などです。ただ、それより前にはソーシャルBPRやデジタルマーケティング的な施策を同じクライアントに行っていました」

「同じクライアントといえども、大分内容違うから大変だったんじゃない?」


 適宜、山縣は細かい質問をしながら話を促してくる。どうにもそのペースに載せられて、あまり話すようなことではない部分まで言葉にしてしまっているなと蓉子は内心思う。


「はい。デジタルマーケティングの方は残念ながら契約が打ち切りになってしまったので」

「異動はほぼ自動で、ドナドナみたいな感じかな」

「はい……。それで、ERPのチームになったのですが、やはりもう少し長い期間、クライアントのダイレクトな反応がわかるプロジェクトにかかわってみたいと思いました。また、こちらの部署の石村絵里さんが知り合いで、この部署であれば長いスパンでダイレクトに反応がわかるプロジェクトにかかわることが出来るよと」


 ただこの話は前回のマネージャー面談でも聞かれていたので、準備していた通りの回答を答える。

 会社の先輩である石村さんは、弊社でいくつかある特殊な組織の一つ、目の前の山縣と同じL.Dと名前が付いた部署の肩書を持っている。そして社内ではいろいろと名の知れている人でもあった。


「ああー、イッシーね。そういえば、この前会った時言ってたな。なるほどね。人手が足りてないから大歓迎だよ。いつから来れる?」


 唐突に山縣さんの雰囲気が変化する。蓉子は狐につままれたような表情をしていたかもしれない。

 何故なら、山縣さんの言葉はあたかも面接がもう終わりで、合格を告げられたように聞こえるからだ。

 蓉子は言葉の意味を一瞬とり間違えたのかと思った。平静を装って、疑問符を浮かべながら山縣の方をみると別に失言や口が滑ったというような表情ではない。

 もう一度、先ほどの話を反芻しても最初に聞いたときに理解した言葉の意味と変わらなそうだった。

 まだ始まってから数分しか経過していないのに、呆気なく面談が成功しそうな雰囲気に蓉子は少し戸惑いを覚えつつ、聞かれたことに答える。


「今のプロジェクトが落ち着くのが月末で、一応すでにプロジェクトのマネージャーにはお話をしています」


 想定外の事に戸惑いつつも、声が震えなかったのは自分なりに合格だなと思いながら。

 蓉子は咄嗟に想定していた回答の方へと話の内容を寄せて答えることにした。

 内心の葛藤などは気づかないのか、あるいは特に気にした風もなく、山縣は言葉をつづける。

 薄々思っていたものの、この目の前の御仁はかなりマイペースのようだと蓉子は抱いていた山縣さんの人柄のイメージに多少の修正を加えた。


「なるほどね。じゃあ来月の月中かな。うちは聞いているかもしれないけど、ちょっと特殊な部署だからグローバル承認とか含めて、手続きにはリードタイムがかかっちゃうんだよね」


 もちろん、蓉子自身は社内転職の為のリクエストを出す前に、特殊な部署だということは事前の下調べの中で理解していた。

 弊社の部署はおもしろいもので、管轄が日本のヘッドクオーターのもの、APACとよばれるアジア太平洋地域の管理のものとグローバル管理のもの、それぞれ三レイヤーで分かれている。


 以前、蓉子が石村に相談がてらで聞いた話によれば、山縣さんの率いる組織を含めた特殊な部署というのは全部グローバルで管理されているらしい。

 当然、それぞれ国毎に所属できる人数も制限されているようだった。


「わかりました。よろしくお願いいたします」


 話が終わりに近づいてきた気配を感じて、蓉子は画面の向こうへ頭を下げる。山縣さんは鷹揚にそれを受け、朗らかな笑みを見せた。


「はい。よろしく。近日中にHRからメールが行くと思うので、そこからいろいろ手続きが始まると思います」


 これは決まりということでいいのだろうか。いまだにどこか腑に落ちないものの蓉子としては、合格なのであればそれ以上にこの場で望むことはなかった。

 始まってまだ十分経過したかどうかというのに、すでに面談の終わりの足音が聞こえてくるような雰囲気には多少なりと面食らう。ただ、どうも山縣はなんとも消化不良な蓉子の様子に気づいている節があって、どちらかといえばその様子を面白げに眺めているように感じられる。

 それなら、いっそ聞いてみたほうがいいのかもしれない。そう判断する。


「あの」


 質問をしようと声を上げかけると、山縣さんの後ろに男性が表れて彼に耳打ちする。

 二言、三言そのまま話すとその男性は出ていったものの、山縣さんが振り向いたときには、少しだけ空気が変わっていた。

 申し訳ないという風なオーラを全身でまといながら申し訳ないという声音で山縣さんが頭を下げる。


「ごめん。質問の受付をしたいところだけど、またの機会でもいいかな」

「それは、えっと。合格なんでしょうか」


かなり緊張しながら、問いかけた質問にすこしだけきょとんとした顔になって、にへらっと彼は笑う。


「うん。合格。イッシー、うちの部署のキーパーソンの内の一人である石村の伝手をたどって、ここにいる時点で僕は基本的に落とさないから」


 にこにことしながら、山縣は朗らかにそう言った。

 その声でほっとして、どこかまだ強張っていた肩の力が抜ける。山縣は弛緩した蓉子の様子を見て、タイミングを見計らうかのように再度話しかけてくる。


「ちなみに、二つだけ質問をしたいんだけどいいかな。これは別に合否とは関係なくて、うちにきた際にどこに配置するのか、俺が参考にしたいだけなんだけど」


 質問されて、コミュニケーションをとる為にこの場に来ているので、質問されるのは別に良かった。

 むしろ、自分を呼ぶとき、俺なんだなと蓉子はそちらに気を取られた。

 意外な一人称だなという衝撃が再び、山縣さんの童顔と相まって蓉子のツボにはまった。


「はい。お願いします」

「一個目なんだけども。りかちゃん人形とシルバニアファミリーはどっちが好きだった? もちろん、プライベートな範囲での質問になるから、答えなくても大丈夫です」


 童顔で、俺で、分厚いフレームの黒縁メガネの人物にリカちゃん人形とシルバニアファミリーについて問われる。会場を間違えたかな、そう一瞬だけ思うもよく考えると別に答えたからといって不具合はないように思えたので、そのまま思ったことを蓉子は口にした。


「シルバニアファミリーです」

「おー、そうなんだ。理由を聞いてもいいかな」

「箱庭感が好きだから、でしょうか」


 蓉子は昔から小さな箱庭をつくるようなゲームや遊びは結構好きだった。

 実家には小さいながらも庭があり、いくつかの野菜を育てていたからかもしれない。


「俺が言うのもあれだけど、いい答えだと思う。ちなみに男性社員だったら仮面ライダーか戦隊ものかどちらが好きかを聞く」

「そうですか」


 少し呆れたような声音になってしまっただろうか。

 目の前の新しいボスになる男性は属性を盛り盛り積み重ねていくので、なんとも反応し辛い。蓉子は内心でお腹がいっぱいですと精一杯の抗議をした。


「もう一つだけ質問いいかな」


 ふと、山縣さんの声はふわりと馴染む心地いい声色だなと蓉子は気づく。

 それにどうにも声をかけるタイミングが呼吸一つ分のタイミングもずれないどこかあらがえないタイミングで差し込まれている印象だった。

 面接というよりも、どこか雑談に近いようなのどかな雰囲気作りもうまい。

 だからか、侮れない人なのだなという思いは抱きつつも、特に身構えることなく首肯する。


「はい」

「アキレスと亀って、知ってる?」


 蓉子としては、何が来ても笑わないようにお腹に力を入れていると、また予想外の方向からの質問だった。

 かすかな記憶を手繰り寄せて、答える。


「アキレスは亀に追いつけないパラドックスですよね。通り一遍の話しか分からないですけど」


 そうだね。と軽く頷き、彼はさらに質問を重ねる。


「どっちと友達になりたい、あるいは両方でもいいけど。アキレスか、亀か。あ、ちなみにこれ性格診断とかはでない、と思う。これも、別に無理に答えなくても大丈夫です」


 性格診断ではないというところだけ、すこし自信なさげに言いつつもなんらかの答えを求めているのは明らかだった。

 アキレスと亀。

 前者はおぼろげすぎて力強い小母様にアキレス腱をつかまれて川に漬けられているイメージと、映画『トロイ』のブラッド・ピッド演じるアキレスのどこか傲慢さのある生意気青年のイメージが交互に現れてなんとも言い難い。


 まあでもと蓉子は考える。アキレスは仲間だったり友達の為に、戦うところは格好いいし、友達になったら楽しいタイプだろうと。

 亀はディズニー映画のリトルマーメイドのアリエルの目付け役のじいみたいな人を思い浮かべたけど、あの人はよく思い出すとカニだった。

 だから、きっと亀もいい人だろうという風にどこかリラックスした表情で山縣に答える。


「どっちもですかね」

「なるほどね。ありがとう、そして、ごめん。さっきの質問二つは忘れてほしい」

「えっと」

「いやさっきの質問は、インタビューでお断りするときにする質問だったんだ。合格するヒトには別のことを聞いておきたい」


 最後に謎めいた質問をしておくと、そっちに印象が引きずられるからね。後腐れなく、本来の仕事に戻ってほしいから。

 説明はいまいちよくわからないものの、山縣さんの次の言葉を待った。


「異動の承認は確かなので、さっきの質問は忘れてね。あと、出来れば口外しないでくれると助かるな」


 演技にはとてもみえないすまなそうな表情で頼まれたので、蓉子は反射的に頷く。


「気を取り直して、ものまね鳥の話をしよう」

「ものまね鳥、ですか?」

「ものまね鳥をまねる話」


 それから山縣さんの話は続いたものの、最後は再び誰かが呼びに来たようで、山縣さんは足早に部屋から出ていく準備をしながらこの後のフローについて語っていた。

 結局、面談の最中にめまぐるしく印象が変化していった山縣だったが、蓉子にとっての最終的な印象は嵐のような人だなというのが正直なところだった。

 大分、曲者なのかもしれないとも同時に思う。

 自分なりの総括を終えて、蓉子はどういう事を話したのかをその場で石村にメールで連絡した。


 お礼を最後に書いて送信ボタンを押すと、蓉子は用意していたお茶を飲んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る