第18話終戦が過ぎて 3

 8月15日が過ぎても、満州、樺太、千島列島での戦いは続いていた。

 ソ連国境方面の日本軍要塞は一つも、今だ陥落していなかった。定数ぎりぎり、しかも訓練の浅い将兵ばかりで、装備も海軍の余剰兵器の供給で何とか充足しているという状況ながら、欧州方面で活躍したT34戦車などの装備が回ってこないソ連軍に対して善戦していた。野戦においても、野戦陣地で何とか抑えていた。樺太では、海軍の8㎝、10㎝、12㎝対戦車奮進弾と発射器が8月15日以前に到着し、47㎜速射砲等とともに、ソ連戦車に対して猛威を振るっていた。ただ、反動が嫌われていた、個人用対戦車弾発射筒が、奮進砲が供与されると、一転噴煙がでないと言って高評価を受けるという皮肉な事態も生じてはいた。千島列島では、再三の上陸作戦作戦失敗が続いたが、米国からの上陸作戦艦艇の供与を受け、米国はかなり渋ったものの結局供与したのだ、執拗に繰り返したが全て大きな損害を受けて失敗した。とはいうものの、8月15日以降、自衛範囲内での戦闘を命令したものの、表だった弾薬、兵器の供給ができず、ソ連潜水艦16隻を撃沈した海防艦120号も、弾薬、爆雷の供給を断られる場面が再三あった。ただし、あくまでも建前で、持ち出しを黙認されていたが。また、高速潜水艦ハー215も出撃し、何度もソ連艦隊、船団を襲撃し、さらにソ連潜水艦を2隻撃沈している。6ノットのシュノーケル航走でほとんど作戦中海上に出ることなく、同装置の有効性を実証した。作戦海域が近かったこともあるが。

 しかし、スターリンはあくまでも、力による、ソ連の軍事的勝利による占領、領土奪取にこだわった。それが9月半ばになると一転して、日本軍自信による武装解除、降伏を、受け入れる方針に変わった。ソ連内部の派閥の関係等があったが、欧州方面の戦力を極東にそれ程向けられない政治的事情とこれ以上時間がかかると米国の態度が変わる可能性があると判断したことによる。戦火は呆気なく消えた。しかし、この方針転換はスターリンにとって屈辱でしかなかった。満州、樺太、千島列島方面の日本軍将兵等は全員シベリア抑留にしたのである。そして、この方面での戦闘を認めた者を平和に関する犯罪として、A級戦犯で裁くように要求した。それは認められなかったが、シベリア抑留させることを密約がなされた。

 兎に角、皇紀5年又は昭和20年又は1945年9月12日、第二次世界大戦の戦火は完全に消えた。

 戦艦大和以下戦艦7隻、就役したばかりの雲龍型空母7隻以下空母15隻をはじめとする艦隊が無傷で、陸軍の15㎝高射砲、20門が空を睨んでいたが、航空機2万機以上、戦車数百両が健在だったが、大日本帝国は事実上消滅した。整然として全てを引き渡しが行われた、研究資料もしっかりと。

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