第13話戦争は続く 3

「それでは、出撃できるんだな!」

 フィリピンの小さな入り江に、隠された蛟竜の秘密基地では歓声が上がっていた。甲標的丙型は既に稼働不能となった一隻を除いて全てが戦没、蛟竜3隻の内の1隻は戦没、残る二隻も稼働不能に陥っていた。部品取りして、整備員達の努力で、なんとか1隻の蛟竜が稼働状態になったのである。どの隊が乗り込むかで少し揉めた。戦没=戦死ではなく、艇を失って乗員だけが陸路で米軍機やゲリラ、米兵の目を警戒、隠れて戻ってきたのも一度や二度ではなかったため、乗員が艇よりも多い状態にあった。すったもんだのあげく、結局、割り振り表に従うことになった。夜間に出発、少し潜航、電池推進、十分基地から離れたところで、浮上、ディーゼル機関推進に切り替えて、小さいセイルだけを水上に出して進む。小型機用のものを改造した電探が航空機を探知じ、逆探も反応した。緊急潜航で微速で進む。ディーゼル油の匂いなどで、途端に息苦しくなる。震動で休んでいられる時がない。それでも五人は、声を落とし黙々と作業をつづけた。水中聴音器の反応が。慎重に震度を上げ、潜望鏡を伸ばす。潜望鏡と小さいセイルには、電波吸収塗料が分厚く塗られているが効果は限定的であるから、米軍の電探に発見されないように手早くしなければならない。

「米艦隊発見!」

 水中聴音器には、水中探信儀の音波音が耳に痛いくらい入ってくる。艦隊は、斜め前方を横切る形で進んでいる。魚雷攻撃の準備をする。最後尾の輸送船に照準を合わせる。艇長の発射命令で魚雷が発射、艇が水中で跳ねるように動く。すぐにバランスを戻し、急いで潜航を始める。すぐに、周囲で爆発音があり、艇は激しく揺れる。 

「魚雷命中音!」

 艇内では、小さな声で歓声が上がった。長い爆雷攻撃が続いた。時折、電灯が消えたが何とかしのぎきって、微速で離脱し、スクリュー音が聞こえなくなるところまで来て、潜望鏡を上げて周囲に艦影がないことを確認して浮上した。5人はしばし空気の旨さを再確認した。その後、もう一度、攻撃の機会を得た蛟竜は残る魚雷を発射、命中音を確認、その後の反撃は執拗に、長時間続き、もう駄目か、浮上して斬り込もう、全速力で体当たりを試みようとまで思い詰める状態にまでいたったが、何とかこらえ、脱出に成功した。行動期間の5日を超えても帰還しないため、諦めていたところに疲労困憊しつつも、帰還を果たし、基地では久方ぶりの歓喜に包まれた。その後、同蛟竜は7回出撃してが、終戦記念日の日まで生き残った。もう一隻の蛟竜、最後の甲標的丙型は2回目の出撃で戦没。3隻の乗員は3名が戦死、10名が帰還。3隻になってからの戦果は艦船十数隻を撃沈破となっている。ただし、米軍の記録では、巧みな回避で命中魚雷は不発も合わせて5発、撃破4隻にとどまっている。しかし、米軍も、執拗な襲撃による警戒、反撃による著しい負担を強いられたことを高く評価し、かつ、あれだけの警戒、護衛の中で4隻が撃破され、最後まで活動を米軍により終わらせられなかった同隊は、最も成功した小型潜水艦の作戦の一つであったとしている。

 魚雷艇隊の方も、残った最新の発射菅装備の2艇が修理をしつつも、出撃を繰り返し、終戦の日まで戦い続けた。2隻になってからの戦果は輸送船二隻撃沈だけで更に少なかったが、その攻撃は高く米軍から評価された。 

 ちなみに、フィリピン戦全期間を通じての特殊潜航艇丙型・鮫竜型29隻の損失、魚雷艇30隻以上損失、米国側の公式発表では、艦船被害十数隻となっている。ただし、正確な輸送船の損失数はその後も明らかにされていない。ちなみに、米魚雷艇は、フィリピン戦の期間に、日本の魚雷艇との交戦により、30隻隻以上以上が損失している。

 ソロモン海での戦いでは、慌てて、各種中古航空機発動機を装備した魚雷艇が建造(濫造にも近かったが)、配備がなされたが、17ノットから30ノットまで性能がまちまちで、陸軍の大発護衛等に出撃したが、性能差以上に、性能からくる統一的な戦いができず、乗員の練度不足等で米軍魚雷艇に翻弄され、損害多発、護衛している陸軍側から

「居ても居なくても同じだ。」

と罵られる始末だった。それでも、魚雷を降ろして速度をも焼け石に水、さらに機銃も軽機関銃にでかえってやられ放題、降ろす暇なく鈍足な艇が取り残され、大発付近にいてかえって活躍し、陸軍側から感謝されたので、それではと鈍足でも重武装ではとしたら翻弄、間に合わず軽武装のままの艇1隻が意外に活躍、そのうち、突然米駆逐艦が現れた万事休すというところで、新しく配備されたばかりで魚雷を降ろしていない2隻がいたため、被害は最悪の事態に到らなかった。これを経て、各武装タイプを組み合わせて戦う方式を整え、なんとか戦えるようになり、陸軍側からも頼りにされるようになった。

 この後、陸軍の高速武装艇が配備が始まり、また軽量ガソリンエンジンの量産化が軌道にのり、38ノットを発揮できる魚雷艇・砲艇が量産化、配備が19年後半にはかなりすすんでいた。20年になって、魚雷落射機ではなく、発射管装備型が配備されるようになった。それが、フィリピン戦に間に合った。こちらも野村中将達から、不必要、航空機に集中すべしと非難された。ソロモンの頃は、彼らは、何で事前に用意していなかった、何時優秀な魚雷艇が配備できるのかと追及したのだが。

 ルソン島での戦車戦も、まだ続いていた。戦車の補給を得られない日本戦車隊は、戦力差が開く一方ではあるが、捕獲したM4戦車を加えて、何とか戦い続けていた。陸軍の3式戦車はM4戦車に性能的に劣っていたが、奮闘していた。米軍の高速徹甲弾は3式戦車は勿論、海軍の重装甲突撃戦車も簡単に撃破できるはずで、瞬く間に日本軍戦車を壊滅させられるはずなのだが、そのような記録はない。M4の戦車砲が、海軍砲車の60、80、100㎜装甲は勿論、三式戦車の50㎜の前面装甲を長距離から楽々貫通して、日本側、三式戦車は手も足も出なかったらという記録はない。M4の高性能ぶりの証言は日米ともに多数あるのにだ。かえって、日本側の戦車砲の威力を評価する記録が米軍にあるほどである。どちらにせよ、25㎜装甲、47㎜砲の97式改より、3式戦車は倍の装甲、倍以上の火力、海軍戦車はそれ以上であり、少数ではあるが日本軍機の地上攻撃、輸送中での損失での数の減少で、戦力差がかなり縮まるわけであるから、その分、日本軍戦車部隊がより長く奮戦できることになった。M4の性能が、全般的には、かなり優位にあるのは事実ではあるのだが。

 一方、日本海には米英潜水艦が侵入していた。津軽海峡に設置されている陸軍の水中探信儀が潜水艦の侵入を捕らえた。数は、最終的に十隻以上と推定された。ほぼ同時に対馬海峡からも次々に侵入が確認された。こちらも10隻以上。それまで聖域といえた日本海に侵入が確認されたことは、予想されていたことては言え、衝撃だった、日本側にとっては。米国にとっては英国の技術支援により、対潜機雷の位置測定が十分出来るソーナーが実用化、装備艦を実戦化出来たからであったが、天皇の海に侵入する、制圧したという宣伝的な意味が大きく影響していた、大挙した侵入作戦の実施は。

 その中の一隻、シードラゴンは侵入3日目、3隻目の獲物に向かって、艦首魚雷発射管4門から4発の魚雷を発射した。急いで、潜望鏡を下ろし、急速潜航に入る。続いて方向転換、迫ってくる駆逐艦に向けて艦尾魚雷発射管2門から魚雷を発射する。戦艦への魚雷の命中音に続いて、駆逐艦への魚雷命中音が艦を揺らした。微速で離脱する。周囲から、スクリュー音がバッシブ・ソーナーに入ってこなくなったのを、確認して海面近くまで浮上、レーダーアンテナを海面上に出して、周囲の海上、空域に脅威がないことを確認して浮上する。かなり艦内は息苦しくなっていたため、争うように乗員達は艦外に出た。見張り員も出る。3日間、全ては順調だった。戦果も戦艦1隻をはじめ6隻を撃沈破している。はじめの頃の暗い雰囲気は消えていた。1945年前半六カ月間で、米国海軍は潜水艦41隻を失った。投入した潜水艦の半分近くを失っている。前年1年間では、損失は46隻だった。日本側の対潜能力が急速に向上しているという事実と最も戦死率が高いことに恐怖感が高まっていた。しかし同時に、一番戦果をあげている艦種とその乗員としての誇りがあり、戦闘意欲も高かった。

「艦長。他の艦はどうなっているのでしょうかね。」

 艦長にならんだ副長が、質問するではなく呟いた。

「分からん。が。」

と一旦言葉を切った。

「日本海上空を、我が空軍機が援護してくれているはずだ。何とかやっているだろう。」

 その上空をP51の4機編隊が通過していった。艦上から、足下を気にしながら、全員が手を振った。

 実際、潜水艦を追うため、東海や二式練習飛行艇などの低速機はもとより、96式陸攻、一式陸攻、更には急いで発進した彗星が、P51やP47の戦闘機やB24,B25などの爆撃機、哨戒機に撃墜される被害が頻発していた。さらには、小型木造駆潜艇、魚雷艇から海防艦、駆逐艦も、米軍機による損害が多発していた。

 25㎜銃を撃ちまくり、アンテナなどを破壊し、船体に損傷を与えながら突進してくる小型艇をあわやというところで、飛来したP51の銃撃でもう一歩のところで、海の藻屑となった。

 飛来したゼロ戦が、銃撃を開始し、セイル付近に20㎜銃弾弾多数が命中したが、その時も、駆けつけてきたP51が、ゼロ戦を撃墜してくれた。

 日本側も、直ぐさま海防艦や駆潜艇、魚雷艇などを増強、対潜機も多数日本海側に回した上、ゼロ戦をはじめとした戦闘機を対潜艦艇、対潜機の護衛に投入している。

 対潜機や対潜艦艇に殺到する米国空軍、海軍機を、そうはさせじとするゼロ戦、紫電改などの姿がいたるところで見られた。

「魚雷、発射音!」

 護衛艦を狙った魚雷を回避し、丁型海防艦第156号は、三式探信儀で位置を捕らえた場所に艦首から120㎜迫撃砲弾を撃ち込む。対潜用前投兵器としての爆撃砲は一時、陸戦用に不足したため消えていたが、最近は装備を待つ迫撃砲が港に待機しているとういうこととなっていた。さらに、陸軍側から要請があればすぐに提供するということもあった。生産が計画以上に軌道にのった結果なのである。接近して、四式をはじめとする各種爆雷を爆雷投射器から投射する。

 1号3型電探が敵機を捕らえた。爆撃機と戦闘機10機合計ていど。

12㎝高角砲や25㎜銃が、火を噴く。三式弾の花が咲くが、そう簡単に落ちてくれるわけではない。

「ゼロ戦…、紫電改も来てくれたぞ。」

 艦内、艦上から歓喜の声が木霊した。激しい空中戦が展開される中、爆雷攻撃が続く。油が海面に現れた、更に船体の一部と思われるものが浮かび上がり、撃沈を確認ということとなった。蒸気タービンで、航続距離が短いが、速度が速いとはいいながら、あくまでもディーゼル機関艦との比較であり、17ノットそこそこの低速艦ではあったが、日本海を縦横に駆け巡り、第156号は協同撃沈も含め10隻の潜水艦を撃沈した、と日本側の記録ではの話しである。

 損害は艦船約100隻が撃沈破され、70隻の潜水艦を確実撃沈としている。

 一方、連合軍側は、戦艦2隻撃沈をはじめ艦船300隻撃沈破、損失潜水艦19隻、帰還3隻と記録されている。

 なお、この間、日本側は日本海上空で300機を撃墜、対潜機20機、戦闘機等50機が損失、米側は400機を撃墜、戦闘機・爆撃機等60機損失となっている。

 なお、戦後シードラゴンは、唯一生還した潜水艦として、その英雄物語は、色々な形で映画化などが何度もなされた。ちなみに、英軍潜水艦は2隻生還しているが。 

 どちらにせよ、戦果と被害では、連合軍側にとっても悪くはなかったし(約5対1以上)、本来の陽動作戦としても十分成功と言えた。

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