第11話戦争は続く 2

 満州方面では、ソ連軍の大軍が、雪崩を打って国境を超えて侵攻を開始した。日本側が予想出来なかった速度で、欧州宣戦から移動したこととなっていたが、ドイツ軍の侵攻にもかかわらず、極東に大量の兵器、人員を置いていたのだ。だから、T34戦車の大軍は、戦後の広報映画でしかない。大量の戦車は確かに進撃したが、一時代前のものがほとんどだった。そして、ソ連の大軍は、国境付近の日本側要塞を突破できず、迂回して侵攻した部隊も、日本軍野戦陣地に阻まれて、激戦を展開するものの、押しとどめられてしまった。その事情は、南樺太、千島列島方面でも同一だった。南樺太には、直前に追加配備された歩兵1個大隊を中心とした樺太第一支隊が、一式47㎜速射砲18門を中心に、ソ連軍戦車多数を撃破するなどして、他の部隊と協力して、その猛攻を撃退していた。T34以前の戦車だったため、一式速射砲は無敵ぶりを発揮した(わけだが)。正面装甲を一撃で易々と貫通して…、とかその威力は日ソ両方から証言多数という状態。一式速射砲同様に、火力が一般の歩兵の数に比べて格段に強化した支隊である。もちろん、日本軍の一般水準との比較としてである。20㎝、40㎝奮進弾もあり、連隊砲、迫撃砲も充実していた。更に、後方からの攻撃のため米軍から供与された上陸艦船で上陸したソ連軍は、海軍陸戦隊の88㎜砲搭載重戦車に蹂躙されてしまった。

 ところで、この一連のソ連の侵攻は、日本軍の侵攻に対する防衛的反撃であるとの主張であり、戦後しばらく、正式な共産党の真実の歴史とされていた。そこには、まことしやかに、御前会議で数日以内でソ連軍を撃滅出来ると誰々が言ったとも記されていた。

 また、満州開拓団は、事前に配給された兵器を携えた青年団が女子供老人を守るように、引き上げを始めていた。この頃になってようやく生産が計画を越えるようになり、海軍陸戦隊向けどころか、陸軍からの要望分だけでは、さばききらなくなった火器が配布されたのである。というものの10人に一人が所持する程度の数だったが。

「一体、こういう無計画な生産をするのか!1機でも飛行機が欲しいという時期に、陛下の赤子に土下座して謝れ!陸軍は、こんなおもちゃ、ガラクタはもう引き取れないといっているぞ!」

 野村は、今度こそはと思って海軍の作戦会議の席上で怒鳴った。

「野村君。いい加減にしたまえ。昨日も、阿南大将や東条首相と話しをしたが、陸軍は感謝していたよ。」

 山本五十六の言葉に、野村は目を剥いた。葛西などが反論すれば、陸軍が悪く言っているとの声、海軍将兵の声の証拠があると大声でいうところだったが、山本五十六相手にそういうことは言えなかった。そんなものはなく、単に声の大きさの補助でしかなかったからだ。彼の「詳細な資料がある」は伝家の宝刀ではあったが、この瞬間、その伝家の宝刀が無くなったのである。それはともかく、「海軍の消化不良、陸軍の栄養不良」とは言われていた。1年前は、

「何とか間に合うだろうか?」

「とりあえず、ある分を送りますから。」

と言っていたものが、

「これも、あれもありますから、どうですか?」

と進める場面が、陸戦兵器関係ではあった。生産がピークに達したのはP51の援護が加わってB29の爆撃が始まる直前の6月だった。

 陸軍の5式戦車、陸軍は4式戦車の生産に集中することとしたため生産をしない決定していたが、海軍では、技術交流でもらった図面等から(陸軍、メーカーからの技術支援も受けただが)、陸軍の88㎜高射砲をかなり乱暴に軽量化させたものを搭載し、装甲を強化する過程で斜め装甲にして、エンジンは4式の400馬力や航空機の発動機を装備させて、生産、装備まで到ったものである。この時、海軍では一式戦車の75㎜正面装甲、陸軍の88式75㎜高射砲の突撃戦車タイプ、回転砲塔で同一装甲、火力ながら、それ故に鈍足タイプ、それに航空機発動機を装備した高速タイプ、これに水陸両用の短8センチ高角砲搭載の三式内火艇、人員輸送装甲車4式内火艇と混乱に近い生産状態ではあった。製造工場は別々になるよう極力生産性を高めるように配慮はしていたが。

 ちなみに、陸軍の4式戦車は本命の5式戦車砲、鋳造砲塔の開発が間に合わず、88式高射砲流用、溶接砲塔装備型を生産を行っていた。本命の生産が始まったのは8月になってからである。初期タイプは、何とか満州、千島列島戦線で少数が間に合っている。

 日本海上空で、ジミー中尉は下方に紫電改1機を発見した。すぐさま愛機のP51Dを急降下させ、一連射で撃墜、“やった”と心の中で凱歌をあげたが、はっとして後方を見ると別の紫電改が忍び寄っていた。スピードをあげ、できるだけ的にならないように低角度で上昇するが、なかなか振り切れない。彼の僚機のマイクが、その紫電改に一連射、見事に撃墜。彼の戦果を祝う間もなく、マイクの後ろに食いついてきた紫電改を発見した。ジミーは急旋回し、その紫電改の後方について一連射、その

紫電改は堕ちていった。ジミー中尉とマイク中尉は、互いの活躍を身振りでたたえ合った。しかし、

「マイク。また、きたぞ!」

とジミーは無線機に向かって叫んだ。ジミーは、すぐさまマイクの後ろについた紫電改を撃墜したが、その自分に別の紫電改が取り付いているのに気付いた。スピードを上げてふりきったが、マイクが心配になり、マイクを探すと紫電改がまた1機後方に食らいついていた。直ちに急旋回して、その後ろについて一連射して、これを撃墜した。この日、マイク中尉はさらに別に1機撃墜していたので、紫電改の撃墜は5機となり、ジミー中尉は6機撃墜で、ともに紫電改撃墜でのエースとなった。彼の隊は、この日12機の紫電改を撃墜し、紫電改キラーと呼ばれるようになった。それでも彼は、

「この日、1機がやられた。自分の機もマイクの機も、帰ってから調べてみると、かなりの銃弾を受けていた。少し間違えば、危なかった。どこまでも食いついてきて、高高度でもなかなか振り切れない紫電改は大敵だった。」

と語っている。

 一方、同日、紫電改に乗った松井上飛曹は、

「上にP51を見たため、急上昇して20㎜銃4丁の一連射で撃墜、逃げるもう1機を追うが、相手も速度を上げて、上昇していく。9000㍍を越えるとこちらが苦しくなるので、早く撃墜せねばと思い、少し遠いが射撃すると急所に当たったのか、撃墜できた。しかし、後方に別のP51が追ってきているのに、危ういところで気が付いて、急旋回。新たに1機が加わっていたので、まず1機を撃墜、残りの1機を追ってこれを撃墜したが、直ぐに別の1機が迫ってきたので急降下で逃れた。自動空戦フラップと20㎜銃4丁の威力と紫電改の速度は心強かった。これなしには、P51には勝てなかっただろう。自分の隊は、この日18機のP51を撃墜したが、損害は皆無であり、自分の機も命中弾は皆無だった。P51はやや優速で、高高度での性能は上回っていたので、運が良かったとしか言えない。」

と語っている。

 ちなみに、海軍の88㎜砲搭載戦車の米軍の評価は、M26戦車に比べるとかなり劣るし、主砲の寿命、機動性等散々な評価ではあったが、最後に

「それでも、これが大量装備されなかったことは、米軍にとって幸いであったという事実は否定できない。」

と結んでいた。

 

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