第10話戦争は続く1
戦況の膠着は、日本と比べてはるかに余裕のある米国国内にも不満の声が、上がっていた。米国にあっても戦争経済であり、配給制となっているものは少なからずあり、生活はそれなりに不自由なものが続いており、サイパン島上陸作戦が失敗、その後のフィリピン上陸作戦の成功、クリスマスに“フィリピンに再び帰って来た”という派手なパフォーマンスで一時埋め合わされたものの、半年が経過しても、日本軍との激しい戦闘が終わらないフィリピン戦線に不満が出ていた。そのため米国はソ連に対して早期対日参戦しなければ、千島列島、南樺太確保を条件に日本と講和する、ソ連が極東に、何時でも戦端を開けるように、独ソ戦にあっても、大量の兵器を保管していたことは知っている等脅しをかけていた。
昭和20年7月1日、ソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破棄して、対日侵攻を開始した。それだけでなく、沿海州の飛行場から、P51が飛び立ち、中国奥地、フィリピン、アリューシャン列島の飛行場から、既に日本本土爆撃をおこなっていたB29の援護開始したのだった。B29の日本本土爆撃は、その距離以上に苦しんでいた。
まず、海軍の雷電。海軍航空第二技術工廠にまかされた、火星10系の改良を進め、手っ取り早く実用化、部隊配備した11型は、本命の火星20系の三菱、海軍航空技術工廠の22型がもたつく中、改良を重ね、性能を向上して活躍、その11型系の成果を逆導入した純粋三菱の33型系が本命として19年末に実戦化、部隊配備、その優れた上昇性能、高高度性能と長銃身の20㎜銃4丁の火力で、B29のパイロット達を恐怖させていた。陸軍もハー112高高度性能向上型装備のキー100、キー96(双発二人乗り)の装備も進み雷電に次ぐ活躍をしていた。海軍の月光は、火星エンジン10系統高高度性能向上型に換装逐次更なる向上型に換装、斜銃は長銃身20㎜銃3丁装備型が夜間迎撃に活躍していた。ちなみに、下方斜め銃三丁装備の地上攻撃型もゲリラ的に活躍ぶりしていた。末期には護エンジン高高度性能向上型装備タイプも登場して、P38を振りきったとの記録がある。零戦の両タイプも高高度性能を向上、紫電改も誉高高度性能向上型装備の真打ちが登場、「これは改良型ではない、新開発機だ。」と搭乗員が絶讃したキー43こと隼の三型の高高度性能と火力をより向上させた四型も実戦参加していた。これは
「次元が異なる隼だ。」
とまで評された。
15㎝高射砲も、まだ10門だが、射撃を開始していた。
硫黄島への米軍の上陸作戦も失敗、10日間の攻防の末、海兵隊は追い落とされた。それにより生じた硫黄島沖縄海戦は、双方20隻近くの空母を中心とした機動部隊による海戦、その後に意図せずに発生した戦艦による艦隊決戦。前者が痛み分けだったものの、後者は日本側は比叡、霧島を失ったものの米英伊の条約明け戦艦6隻を撃沈し、大和級の無敵伝説を作った。大和、武蔵の主砲弾一発の命中で、艦は傾き、速度は10ノット以上低下、主砲の大半が機能を一時的に停止したと。ただし、幸運と沈没した各艦は、それまでに大小様々な損傷を応急修理で、転戦し続けたことも原因だったが。また、何故かフランス艦だけが無傷だったため、これも都市伝説が百出した。米国は、新鋭戦艦12隻中稼働艦零、アイオワ級2隻ほか6隻が沈没という状況となっていた。これも含めてかなりの損害が出たため、米艦隊は、大規模な作戦がしばらく困難になった。それは日本側も同様ではあったが。これが一つの要因となり、沿海州からのP51の発進、B29の援護が極めて重要な事項となった。戦後しばらく、7/1のソ連参戦、翌7/2にはP51進出、7/3には日本に向けて出撃、米国の国力、技術力、計画性により迅速に行われた実体は、このようなものであったと論じられたが、戦後かなりたって、実際は5月から基地、飛行場の建設が始まっていた事実が判明した。それであっても、アメリカだからなしえたと言えるものだったが。日本海も聖域ではなくなり、日米の戦闘機が洋上で、空中戦を展開する場となった。B29の負担もぐっと少なくなった。排気タービンや二段式過給器を装備した米軍機は、やはりこの戦場では一歩有利だった。
「排気タービンの開発1本に絞っていたら、こんなことはなかった。小手先の改良に走った結果だ。陸軍を見ろ。」
野村一派の古田少将が怒鳴りまくった。実際は、排気タービンの開発に航空技術廠はかなりの労力を費やした。陸軍とも技術交流を図った。しかし、何とかコバルトを探し、多少とも確保したものの、陸軍共々、三菱、中島、石川島も含めて実用化にはほど遠い現状だった。従来型の改良での高高度性能向上は、組織的ではあったものの、第二が主体となった二流以下を集めて、行ったものである。町工場の発明家、名人をかき集め、ついでに日本国内にいるドイツ人、何とか来日したドイツ軍関係者の協力も求めている。第二航空技術工廠と言っても、副次的艦船、有翼潜航艇海竜の開発等から陸戦兵器の開発まで担当していた。なし崩し的に拡大した面もあるが、予算と組織上の建前などから、当初から航空にこだわらないこととなっていたが、このような名称に、なったのである。関係者は準備段階から、次々拡大してゆく状況に駆け回ることが止まなかった。永野大将のアイデアは悪くはなかったが、何とか実現する面々と、バックアップし、適切な助言、支援する米内、山本達の存在等が組み合わさって、何とか動いていた。
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